第16話 侯爵家、果物が余っています
第16話 侯爵家、果物が余っています
翌朝、ヴァレンティナが目を覚ましたときには、窓の外に薄い霧が残っていた。
王都よりも朝の空気が冷たく、寝室の窓から見える畑や森には白い靄が低く漂っている。遠くではすでに農作業へ向かう荷馬車が動き始めており、領地の一日は侯爵夫人が起きるより少し早く始まっているらしい。
身支度を整えて一階へ下りると、食堂ではアルベルトがすでに朝食を取っていた。
「早いわね」
「君が遅い」
「まだ七時よ」
「領地では珍しくない」
「王都では七時は朝よ」
「ここでも朝だ」
「そういう意味じゃない!」
ヴァレンティナは向かいの椅子へ座り、用意されたパンへ手を伸ばした。
昨日一日畑を歩き回ったせいか、いつもより腹が減っている。
「今日は東の倉庫からだったな」
「そう。そのあと果樹園と出荷場」
「かなり歩くぞ」
「昨日も歩いたでしょう」
「足は?」
「平気」
答えた直後、椅子の下で足を少し動かした。
ふくらはぎが重い。
アルベルトの目が細くなった。
「痛いんだな」
「痛くない」
「今、顔が動いた」
「気のせい」
「昨日、畑を見た途端に歩き回るからだ」
「だって見たかったんだもの」
「今日は馬車を使え」
「分かってるわよ」
そこでパンを運んできたミレイユが、何でもないことのように口を挟んだ。
「本日は歩きやすい靴をご用意しております」
「ありがとう」
「昨日とは別のものです」
「……ありがとう」
「六着お持ちして正解でしたね」
「服じゃなくて靴の話でしょう!」
ミレイユは何事もなかったように一礼して下がった。
最近、真顔で余計な一言を加える技術まで身につけ始めている。
エレノアの教育がいいのか悪いのか、ヴァレンティナには分からなかった。
◇
最初に向かった東部の穀物倉庫は、館から馬車で一時間ほどの場所にあった。
街道から少し外れたところに、石造りの大きな建物が三棟並んでいる。
かつてこの一帯の農地がもっと広く使われていた頃には、収穫した穀物を一時的に保管する重要な拠点だったという。
しかし農地の中心が徐々に西側へ移った現在では、そのうち一棟の半分近くが空いていた。
「本当に空いてる」
重い扉を開けてもらい、中へ入ったヴァレンティナは広い空間を見回した。
高い天井の下には太い梁が通り、壁際には穀物袋を積むための木製の台が並んでいる。
建物そのものは古いが、雨漏りや大きな傷みは見当たらない。
ヴァレンティナは無意識に天井を見上げた。
「何を見ている?」
アルベルトに尋ねられる。
「雨漏り」
「しない」
「本当に?」
「なぜこの家の建物を見るたびに雨漏りを疑うんだ」
「実績があるからよ」
「王都の屋敷一つだけだ」
「壁からも水出たでしょう」
「……見ろ、倉庫は乾いている」
「話を逸らした」
同行していたヘンリーが笑いを堪えるように口元へ手を当てた。
ヴァレンティナは空いている区画を歩きながら、広さを確認した。
「ここなら、織物を置けそうね」
「穀物を置く区画とは壁で分ける必要がございますが、十分可能でしょう」
ヘンリーが答える。
「織物商の人は見に来たの?」
「昨日、使いの者が確認に参りました。正式な交渉は旦那様のご許可をいただいてからとなります」
ヴァレンティナはアルベルトを見る。
「どうする?」
「条件を見てからだ」
「賃料は?」
「近隣の相場を確認させている」
「洪水のときは空けてもらう条件も必要よ」
「ああ」
「急に空けてもらうなら、その分少し安くした方がいいかもしれないわね」
「それも含めて契約を作らせる」
ヴァレンティナは満足して頷いた。
空いているから売るのではなく、必要なときに戻せる形で貸す。
これなら非常時の備えを残したまま、普段は収入を生むことができる。
大きな利益ではないだろう。
それでも、何も生まなかった空間が毎月少しずつ金を生むようになる。
領地経営というものは、案外こういう小さな積み重ねなのかもしれない。
「次は果樹園ね」
ヴァレンティナが言うと、ヘンリーが頷いた。
「ここからでしたら、一時間ほどでございます」
「行きましょう」
◇
東部の倉庫から南へ進むにつれて、景色は少しずつ変わっていった。
平坦だった農地に緩やかな起伏が増え、やがて街道の左右に果樹が見え始める。
秋の果樹園には、まだ収穫を待つ林檎や洋梨が枝に残っていた。
赤や黄色の実が葉の間から覗き、遠くから見るだけなら絵画のように美しい。
「きれい」
ヴァレンティナが窓から身を乗り出しかける。
「落ちるぞ」
「落ちないわよ」
「昨日も畑の溝に片足を入れただろう」
「あれは地面が悪いの!」
「溝は動かない」
「うるさい!」
果樹園の入口で馬車を降りると、甘い果実の匂いと湿った土の匂いが混ざった空気が流れてきた。
農民たちは籠を持って木々の間を移動し、熟した果実を一つずつ確認しながら収穫している。
昨日の小麦畑とは、仕事の仕方も景色もまるで違った。
「こちらが、領内では一番大きな果樹園になります」
ヘンリーが説明する。
「主に林檎と洋梨を栽培しております。もう少し南へ行けば、規模は小さいですがプラムもございます」
「収穫量は去年と変わらないのよね?」
「大きくは変わっておりません」
「なのに売上は減ってる」
「はい」
「輸送中に傷むから?」
「それもございます」
ヘンリーは少し先にある建物を指した。
「まず、選別場をご覧になりますか?」
「見る」
◇
選別場は果樹園の端に建てられた、屋根の高い木造の建物だった。
中では収穫された果物が大きさや状態ごとに分けられ、木箱へ詰められている。
作業台の上には、色も形も美しい林檎が並んでいた。
それだけを見れば、何の問題もない。
ところが建物の端へ目を向けた瞬間、ヴァレンティナの足が止まった。
大きな籠がいくつも置かれている。
中には林檎や洋梨が山のように入っていた。
「これ何?」
ヴァレンティナが尋ねる。
「出荷しないものです」
選別を取り仕切っていた四十代ほどの女性が答えた。
名をマーサといい、夫とともに長年この果樹園で働いているらしい。
「どうして?」
「傷がございますので」
ヴァレンティナは籠から林檎を一つ取った。
確かに表面に小さな傷がある。
だが、腐っているわけではない。
別の林檎は少し形が歪んでいるだけだった。
「これも?」
「形が悪いので」
「これも?」
「少し熟しすぎております」
「これも?」
「落ちたときに打っております」
ヴァレンティナは籠を見た。
そしてマーサを見た。
もう一度籠を見た。
「……これ、捨てるの?」
「一部は家畜の餌にいたします」
「残りは?」
「廃棄になります」
「食べられるでしょう!?」
声が建物の中へ響いた。
作業をしていた人たちが一斉にこちらを見る。
「ヴァレンティナ」
アルベルトが低い声で呼んだ。
「だって!」
「まず話を聞け」
ヴァレンティナは口を閉じた。
この家へ嫁いだばかりの頃なら、そのまま「もったいない」で突っ走っていたかもしれない。
しかし、ハリソン商会の契約や領地の輸送費を調べてきた今は、それだけでは足りないことも分かっている。
「……ごめんなさい。どうして売らないの?」
今度は落ち着いて尋ねた。
マーサは少し緊張した様子だったが、丁寧に答えた。
「近くの市場で売れるものは売っております。ただ、この辺りでは果物を作っている家が多く、収穫時期には値が下がります」
「王都へ持っていけば?」
「運賃がかかります」
ヘンリーが横から補足した。
「王都まで運ぶのであれば、二日以上の輸送に耐える状態の良いものを優先します。傷のあるものや熟しすぎたものは、到着するころにはさらに傷みますので」
「売れない?」
「売れない可能性が高いだけでなく、売れたとしても運賃を差し引けば利益がほとんど残りません」
ヴァレンティナは手の中の林檎を見た。
ここで捨てるのはもったいない。
しかし王都へ運べば、荷馬車を使い、人を使い、二日かけて、結局捨てることになるかもしれない。
それなら、ここで捨てた方が損は小さい。
「……なるほど」
ヴァレンティナは小さく呟いた。
誰かが怠けているわけではない。
誰かが馬鹿なことをしているわけでもない。
今の条件では、これが一番ましな方法なのだ。
「年間で、どれくらい出るの?」
ヘンリーが持っていた資料を確認する。
「年によって差はございますが、収穫量の一割から二割ほどが、王都向けの商品にはなりません」
「全部捨ててるわけじゃないのよね?」
「もちろんです。近隣で売れるものは売り、農家が自家用に持ち帰るものもあります。家畜の餌にするものもございます」
「それでも余る?」
「はい」
ヴァレンティナは籠へ林檎を戻した。
帳簿で「廃棄」と書かれていた数字が、初めて目の前に現れた。
紙の上ではただの損失だった。
実際に見ると、それは大量の果物だった。
◇
「食べてもいい?」
ヴァレンティナが尋ねると、マーサが驚いた。
「こちらを、でございますか?」
「腐ってないんでしょう?」
「もちろんでございます。ただ、奥様がお召し上がりになるようなものでは」
「林檎でしょう?」
「林檎ですが」
「じゃあ食べられるじゃない」
ヴァレンティナは小さな傷のある林檎を一つ選び、近くにあった水で洗ってもらった。
ナイフを借りて傷んだ部分だけを薄く切り落とし、一切れ口へ入れる。
少し柔らかい。
だが甘い。
「普通に美味しい」
「熟しておりますので、味はむしろ強いかと」
マーサが答える。
「だったら余計にもったいないわね」
ヴァレンティナはもう一切れ食べた。
柔らかい。
生で高級品として売るには向かない。
しかし、この柔らかさに妙な覚えがあった。
「……あ」
「どうした?」
アルベルトが尋ねる。
「前に屋敷で、柔らかくなった林檎が出たでしょう」
「俺に聞かれても知らない」
「食料庫よ。古いものが奥に追いやられてたとき」
「ああ」
「あのとき、マルセルが煮たのよ」
砂糖と香辛料を加えて火にかけ、柔らかくなった林檎を甘く煮た。
そのまま食べてもよかったし、パンや菓子にも使えた。
熟しすぎた果物は、生食には向かなくても、加熱するなら問題にならない。
「マーサ」
「はい」
「ここでは、こういう果物を煮たりしないの?」
「各家庭ではいたします。冬用に砂糖や蜂蜜で煮る家もございますし、乾燥させることもございます」
「売っては?」
「ほとんどいたしません」
「どうして?」
マーサは少し考えた。
「自分たちで食べるものですので」
ヴァレンティナの目が細くなった。
「自分たちで食べるものは、売っちゃいけないの?」
「いえ、そのような決まりはございませんが」
「美味しい?」
「私は好きでございます」
「どれくらい保存できる?」
「作り方によります。砂糖を多く使えば長く持ちますが、砂糖は高価ですので、家庭ではそれほど多くは使いません」
「瓶は?」
「各家庭に多少はございます」
「大量に作る設備は?」
「ございません」
ヴァレンティナは次々と質問した。
横でアルベルトが腕を組む。
「始まったな」
「何が?」
「君が何か思いついたときの顔だ」
「どんな顔よ」
「父親に似ている」
「それだけは嫌!」
「ベルモンド男爵に失礼だろう」
「お父様が聞いたら喜ぶからいいの!」
◇
その日の昼食は、果樹園近くの農家で取ることになった。
マーサが「参考になるのであれば」と、自宅で作っている林檎の保存食を持ってきてくれた。
小さな陶器の器に入っているのは、林檎を蜂蜜と少量の砂糖で煮たものだった。
見た目は華やかではない。
果肉も完全には潰されておらず、ところどころ形が残っている。
ヴァレンティナはパンへ少し乗せて食べた。
「美味しい!」
思わず声が大きくなった。
林檎の酸味が残っており、蜂蜜の甘さも強すぎない。
「アルベルト、食べて」
「食べている」
「どう?」
「悪くない」
「あなたの『悪くない』は美味しいって意味でしょう」
「いつからそうなった」
「ワインのときから」
アルベルトはもう一口食べた。
「王都で売られているものより、甘さは控えめだな」
「王都のもの知ってるの?」
「食べたことくらいある」
「何でも知ってるわね」
「君が知らなすぎるんじゃないか?」
「喧嘩売ってる?」
「事実を述べただけだ」
ヴァレンティナは無視して、マーサへ向き直った。
「これ、一瓶作るのに林檎何個くらい使う?」
「大きさによりますが、四つか五つほどでしょうか」
「砂糖は?」
「こちらは蜂蜜を多めに使っております」
「蜂蜜も領内で採れるわよね」
「森に近い村でございますね」
ヘンリーが答えた。
ヴァレンティナの頭の中で、昨日まで別々だった項目がつながり始めた。
果物。
蜂蜜。
空き倉庫。
王都で増えている保存果物の商品。
生の果物は二日かけて運ぶ間に傷む。
だが煮て瓶へ詰めれば、少なくとも生果よりは長く持つ。
しかも材料にする果物は、今まで商品にならなかったものを使える。
「……これ、売れないかしら」
マーサが目を瞬いた。
「こちらをですか?」
「これそのものじゃなくてもいいけど、こういうもの」
ヴァレンティナは器を指した。
「今まで捨ててた林檎や洋梨を使って、保存できる形にして売るの」
「王都へ、でしょうか?」
「王都だけじゃなくてもいい。近くの町でもいいし、保存が利くなら生の果物より遠くへ運べるでしょう?」
ヘンリーはすぐには答えなかった。
「問題はございます」
「何?」
「大量に作る場所がございません。砂糖や瓶も必要ですし、同じ品質で作るのであれば作り方を揃える必要もございます」
「そうね」
「人手も必要です」
「それもそう」
「売り先も決まっておりません」
「それが一番大事ね」
ヴァレンティナは頷いた。
以前なら、「じゃあ作りましょう」で始めていたかもしれない。
だが商品は、作れば勝手に売れるものではない。
「だから、いきなり大量には作らない」
アルベルトがこちらを見る。
「また五パーセントか?」
「何でも五パーセントにするわけじゃないわよ!」
「違うのか」
「まず試作品」
ヴァレンティナは指を折りながら考えた。
「林檎。洋梨。できればプラムも。それぞれ砂糖の量を変えて何種類か作って、どれくらい持つのか確認する。瓶代と砂糖代と作る手間も計算する」
「それから?」
「王都へ持って帰って、いくらなら売れるか調べる」
「誰に聞く?」
ヴァレンティナは少し考えた。
「ベル・モードのお茶会で聞いたお店。それからお父様の商会にも市場価格だけ聞く」
「買わせるのではなく?」
「情報だけ」
「昨日と同じだな」
「一つの商会だけに頼ったら駄目だって言ったでしょう」
アルベルトは小さく頷いた。
「では、やってみるか」
ヴァレンティナは目を瞬いた。
「いいの?」
「まだ試作品だろう?」
「そうだけど」
「捨てている果物を少量使う程度なら、失敗しても損失は小さい」
「……あなたも最近、私みたいなこと言うわね」
「それは褒め言葉か?」
「もちろん」
「なら、あまり嬉しくないな」
「何でよ!」
◇
午後、ヴァレンティナは果物の出荷場も見せてもらった。
王都へ送る果物は、木箱の中へ藁を敷き、一つずつ傷まないよう並べていく。
作業そのものは丁寧だった。
しかし馬車が二日間揺れれば、それでも傷むものは出る。
「箱を変えたら減らない?」
ヴァレンティナが尋ねる。
「厚くすれば多少は減りますが、箱が重くなれば輸送費が上がります」
ヘンリーが答える。
「藁を増やしたら?」
「一箱に入る数が減ります」
「なるほど」
何かを改善すれば、別の費用が増える。
単純ではない。
「生のまま全部救おうとするより、傷みやすいものを最初から加工に回した方がいいかもしれないわね」
「選別の段階で、でございますか?」
「そう。王都へ着くまで持ちそうなものだけ生で送る。それ以外は、腐る前にこっちで使う」
マーサが頷いた。
「熟しすぎたものなら、収穫した日のうちに分けられます」
「傷も?」
「程度によりますが、加工できるものとできないものは分けられると思います」
「じゃあ、それも試してみましょう」
ヴァレンティナはノートへ書き込んだ。
《生果として売れるもの》
《加工に回せるもの》
《食用にできないもの》
これまで「売れない果物」と一括りにされていたものを、三つに分ける。
食べられないものまで無理に使う必要はない。
だが、見た目が悪いだけのものや、少し熟しすぎただけのものまで同じように捨てる必要もない。
「なんだか食料庫みたい」
ヴァレンティナが呟く。
「何がだ?」
「屋敷でやったでしょう。食べられるものと、早く使うものと、もう駄目なものを分けたの」
「ああ」
「やってること同じなのね」
規模が違うだけだった。
屋敷の食料庫では籠一つだったものが、ここでは荷車何台分にもなる。
けれど、無駄になっているものを見つけ、それが本当に無駄なのか確かめるという意味では変わらない。
◇
館へ戻ると、ヴァレンティナは夕食までの時間を使い、さっそく試作品の計画を書き始めた。
林檎。
洋梨。
プラム。
砂糖。
蜂蜜。
瓶。
燃料。
作業時間。
保存期間。
材料だけではない。
火を使えば薪がいる。
瓶を買えば金がかかる。
誰かに作ってもらえば、その人の時間にも値段がある。
無料のものなどない。
廃棄する果物を使うからといって、商品そのものが無料で作れるわけではないのだ。
そこへ扉を叩く音がした。
「どうぞ」
入ってきたのはミレイユだった。
「奥様、夕食まであと三十分でございます」
「分かってる」
「本日はお声をかける前にお返事いただけましたね」
「私だって成長するのよ」
「それは何よりです」
ミレイユは机の上へ目を落とした。
「果物、でございますか?」
「そう。今日、たくさん捨ててるの見たの」
「傷んでいるものを?」
「食べられないものじゃないのよ。少し形が悪かったり、熟しすぎてたりするだけ」
「それをどうなさるのです?」
「煮て売れないかなと思って」
ミレイユは少し考えた。
「王都へ持ち帰られるのですか?」
「試作品はね」
「でしたら、瓶を荷物へ追加しておきます」
「まだ作ってもないわよ?」
「作られるのでしょう?」
「たぶん」
「では必要になります」
ミレイユは手元の紙へ何かを書いた。
「……何書いたの?」
「瓶」
「あなた最近、私が何か言う前に準備するようになってない?」
「効率がよろしいので」
「それ、いいことなのかしら」
「少なくとも忘れ物は減ります」
「それはそうだけど」
ミレイユは一礼して出ていった。
ヴァレンティナはその背中を見送り、もう一度机の上のノートへ目を戻した。
捨てていた果物を煮る。
言葉にすれば、それだけのことである。
だが、それを商品にするなら、味だけでは足りない。
同じものを何度作っても同じ味になること。
腐る前に売れること。
瓶や砂糖や薪まで含めて利益が残ること。
そして何より、買ってくれる人間がいること。
そこまで揃って初めて、廃棄物が商品になる。
ヴァレンティナはノートの新しい頁を開き、大きく一行を書いた。
《果物加工品・試作》
その文字を眺めているうちに、口元が少し上がった。
節約だけでは家は立て直せない。
それはベル・モードとの仕事を始めたときにも思ったことだった。
金が足りないなら、無駄を減らすだけではなく、入ってくる金を増やさなければならない。
ローゼンベルク侯爵家。
これまで捨てていた果物が、まだ一リルにもなっていないというのに、ヴァレンティナの頭の中ではすでに商品になり始めていた。
ただし翌日、実際に試作を始めた彼女は、すぐに気づくことになる。
売り物を作るというのは、家で美味しいものを作るのとは、少しばかり話が違う。




