【第3話】雨宿りの洞窟には、ひどく傷ついた『もふもふ』が落ちていました
森を歩き始めて数時間。
太陽が落ちると同時に、冷たくて重い雨が降り出し、あっという間に私のボロボロのドレスを濡らしていった。
「うぅ……さすがに夜の雨は冷えるわね。どこか雨宿りできる場所は……あ、あった」
岩肌にぽっかりと空いた、手頃な洞窟。
私は急いでその中に滑り込んだ。中は思いのほか広く、外の雨風を完全に防いでくれる。
「ふぅ……助かった。ドレスを絞らないと風邪を引いてしまうわ」
そう言って荷物を置こうとした瞬間。
洞窟の奥から、ズズ……ッ、という重低音の唸り声が響いた。
「え?」
目を凝らすと、暗闇の中に『それ』はいた。
牛よりも大きな体躯を持つ、銀色の毛並みをした巨大な獣。しかし、その美しいはずの毛並みは赤黒い血でべっとりと汚れており、さらには全身からタールのようにドロドロとした『黒い靄』のようなものを噴き出している。
『グルルル……ッ、ガァァ……ッ!』
獣は苦痛に顔を歪め、荒い息を吐きながら身悶えしていた。
その黒い靄――強烈な『呪いの瘴気』は、普通の人間が吸い込めば数秒で発狂して死に至るほどの猛毒だ。しかし、規格外の浄化能力をその身に宿す私にとっては、「なんだか空気が淀んでいて、埃っぽい?」程度の感覚でしかなかった。
「……あなた、すごく苦しそうね」
恐怖はなかった。
むしろ、その血まみれでボロボロの姿が、実家で誰にも頼れず、ただひたすらに魔力を搾取され続けていた『かつての自分』と重なって見えたのだ。
私は自然と足を踏み出し、黒い瘴気が渦巻く獣のそばへと近づいた。
『ガァ……ッ!? グルルルルルッ!!』
近づいてくる私に気づき、獣は警戒するように牙を剥いた。しかし、立ち上がる力すら残っていないのか、その場でもがくことしかできない。
「大丈夫、怖くないわ。何もしないから」
私は獣の鼻先にしゃがみ込み、その大きく冷たい額に、そっと両手を添えた。
「あなたも、誰かに酷いことをされたの? それとも、居場所を追い出されちゃったのかしら……。奇遇ね、私も今日、家を追い出されてきたばかりなのよ」
獣の毛を撫でながら、私はぽつりぽつりと独り言のように語りかけた。
「痛い? 苦しいわよね。分かるわ、誰にも助けてもらえないのって、本当に心がすり減るもの。でもね、不思議と悲しくはないのよ。だって、こうして自由になれたんだもの。あなたも早く元気になって、ここから出られるといいわね」
私の手から、温かくて柔らかな光が溢れ出した。
それは実家で毎晩、無機質な結界石に注ぎ込んでいた義務的な魔力ではない。目の前の傷ついた命を癒やしたいという、純粋な祈りのような光だった。
「――っ!?」
眩い光が洞窟の中を満たし、獣から噴き出していた黒い瘴気を、朝日に溶ける霜のように一瞬で浄化していく。
獣の傷口がみるみるうちに塞がり、荒かった呼吸が穏やかなものへと変わっていくのを感じた。
「ふふっ、よかった。少しは楽になっ――えっ?」
微笑みかけた私の声が、間抜けに裏返る。
光が完全に収まった後、私が撫でていたはずの巨大な銀狼はどこにもいなかった。
代わりにそこにいたのは、艶やかな銀色の髪を床に散らし、静かに目を閉じて眠る『全裸の美しい青年』だったのだ。
「…………えっ?」
彫刻のように整った顔立ち。鍛え抜かれたしなやかな体躯。
私は自分の両手が、青年の端正な顔の頬をしっかりと包み込んでいることに気づき、バッ、と手を離した。
「えっ? あの、えっ? もふもふの獣さんはいずこへ!? ど、どうして急に、こんな彫刻みたいな殿方が現れるの!?」
私の悲鳴のような戸惑いの声に反応したのか、青年がゆっくりと長い睫毛を震わせ、その瞳を開いた。
アメジストのように深く、吸い込まれそうな紫色の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。
「……君が、俺の呪いを……退けたのか……?」
低く、甘く響く声。
それが、私と『呪われた冷酷公爵』との、あまりにも予想外すぎる運命の出会いだった。




