【第23話】完璧な軍略を粉砕する『ただのお洗濯日和』
「うーん……なんだか関節が少しキシキシするような、嫌な重さですね」
その日の朝。
公爵邸の中庭で、私は山のように積まれた大量のシーツやリネン類を前に、恨めしそうに空を見上げていた。
空はどんよりとした鉛色。肌にまとわりつくような湿気と、頭が少し重くなるような気圧の低下を感じる。
メイドさんたちは「今日は曇りですから、お洗濯は明日にしましょうか」と言ってくれたけれど、この『すーぱーせんとう』で使った大量のタオルやシーツを溜め込んでおくのは、どうしても我慢ならなかった。
「いえ、今日洗っちゃいましょう! ちょっと気圧の谷が居座っているみたいですけど、私がなんとかしますから!」
「えっ? アリア様、なんとかするって、お天気をですか!?」
「ええ。ちょっと強引に、高気圧の塊を上空に持ってくればいいだけですから。えいっ!」
私はシーツを腕まくりしながら、上空の分厚い雲に向かって、ぽんっ、と軽く魔力を打ち上げた。
それだけで、私の上空の気圧は急激に上昇し、あっという間に雲が割れて、眩しいほどの日本晴れ……ならぬ、辺境晴れの太陽が顔を出したのだ。
「わあ、完璧なお洗濯日和! さあ、干しますよー!」
***
一方、その頃。
国境の峠を越え、意気揚々と辺境へ進軍を開始していたシエンの軍勢は、この世の終わりを目撃していた。
「な、なんだこれは!? 報告と違うぞ!?」
「シ、シエン様! 上空の気圧が狂っています! 我が軍の頭上にだけ、局地的な超巨大低気圧が……っ、ぎゃあああっ!!」
ほんの数分前まで、シエンの計算通りに吹いていた心地よい西風は、唐突に発生した異常な気圧の壁にぶつかり、行き場を失って狂乱の嵐へと姿を変えていた。
空は墨を流したように真っ黒に染まり、バケツをひっくり返したような豪雨と共に、無数の落雷がシエンの陣形のど真ん中に降り注ぐ。
「ば、馬鹿なッ!? 計器は安定していたはずだ! このような局地的なスーパーセルが、事前の兆候もなしに発生するなど、気象学的にあり得ないッ!!」
シエンは泥水の中で軍配団扇を放り出し、パニックに陥って叫んだ。
さらに最悪なことに、アリアが無理やり押し退けた分厚い雨雲が、ちょうどシエンたちのいる谷間にギュッと圧縮された結果、強烈な上昇気流を生み出し、巨大な『竜巻』まで発生させてしまったのである。
「た、助けてくれぇぇぇっ! 馬が、馬が飛んでいくぅぅっ!」
「撤退! 撤退だぁぁっ!!」
「シエン様ぁぁっ、陣形が完全に崩壊しました! 我々は終わりだぁぁっ!!」
「天候を操るだと……!? 風を読み、気圧を味方につけたこの私の軍略が、一瞬で……っ。これはもはや人の領域ではない、神か、魔王の所業だ……ッ!!」
完璧な陣形も、緻密な計算も、大自然(という名のアリアのお洗濯への執念)の前では無力だった。
伝説の軍師が率いた三千の精鋭は、辺境の兵と一度も剣を交えることなく、ただの『お天気雨』の前に完全なる壊滅を遂げたのである。




