【第16話】高慢な皇太子殿下は、熱気と冷水の温度差で完全に「ととのう」
「……おい、話が違うではないか。あの忌々しい『死の辺境』とやらは、どこへ行ったのだ?」
隣国・サンクディア帝国の若き皇太子、ユリウスは、馬車の窓から外を睨みつけながら不機嫌極まりない声を上げた。
視察という名目のお忍び訪問。彼の頭の中では、呪いと瘴気に満ちた薄汚い荒野と、その日暮らしの哀れな領民たちを鼻で笑ってやる予定だったのだ。
ところが、国境を越えて彼を出迎えたのは、見たこともないほど滑らかで塵一つ落ちていない灰色の道(アリアお手製の魔法アスファルト)だった。さらに頭上を見上げれば、空を覆う巨大な光の結界が、凶悪な魔物たちをいとも容易く弾き飛ばしている。
「これではまるで、我が帝国の帝都よりも発展しているではないか! ええい、あの呪われ公爵め、どんな汚い手を使って見栄を張っているのだ。それに、すれ違う領民たちのあの血色の良さはなんだ。平民の分際で、私より幸せそうな顔をして笑うなど不敬にも程がある!」
到着早々、公爵邸の応接室でそんな文句を垂れ流すユリウスに対し、私は淹れたてのお茶を差し出しながら首を傾げた。
「あの、ユリウス殿下。長旅でお疲れのようですし、文句を言う前に、まずは当領地自慢の『すーぱーせんとう』で汗を流されてはいかがですか?」
「はっ! たかが風呂だろう? 我が国の宮殿にある大理石の風呂に勝るものなど――」
――数十分後。
「な、なんだこの狂った部屋はぁぁっ!? 息が、息が焼ける! なぜ金と権力を持つこの私が、自らこんな灼熱の密室に入って滝のような汗を流さねばならんのだ!」
木板で囲まれた薄暗いサウナ室の中。ユリウスは素っ裸で頭を抱え、人間の面倒くさいプライドと熱さの狭間でパニックを起こしていた。
「殿下、もう三分我慢です。そこから出たら、すぐ隣にある冷たい水風呂に入ってくださいね」
「水風呂だと!? 貴様、私を殺す気か! 熱湯で茹で上がった直後に氷水など、心臓が止まるに決まっているだろうが! 絶対に嫌だ、私は皇太子だぞ、そんな野蛮な真似……ひぃぃっ、熱い! もう限界だ!!」
耐えきれなくなったユリウスはサウナ室から飛び出し、そのままの勢いで隣の水風呂へとダイブした。
「あばばばばばっ!? つ、冷た……っ、死ぬ、心臓が、息が……あれ?」
バシャバシャと溺れかけていたユリウスの動きが、ふたりと止まる。
数秒の沈黙の後、彼はゆっくりと水風呂から立ち上がり、露天風呂の脇にある木製の寝椅子にふらふらと倒れ込んだ。
「……あ、ああ……なんだ、これは……」
「どうですか、殿下?」
「……世界が、回っている。いや、違う。私の体の輪郭が溶けて、この辺境の澄んだ空気と一体化していくようだ……。あんなに苛立っていた公務のストレスも、父上からのプレッシャーも、すべてがどうでもよくなる……。なんだこの圧倒的な幸福感は……これが、神の領域か……」
だらしなく口を開け、完全に瞳の焦点が合っていないユリウス。
プライドの塊だった高慢な皇太子殿下は、辺境名物のサウナによって、見事に『ととのって』しまったのである。




