第五章 逆ハックと有線魚雷
午前五時四十三分。
夜明けの海に、七十一隻の船団が展開していた。
包囲の輪が完成しようとしていた。あと数時間で、沖ノ鳥瀬は完全に囲まれる。
嘉手納の漁船は、船団の外縁から三キロの海域に停まっていた。霧が出ていた。視界が悪かった。それが今は、味方だった。
桐島はガラケーを耳に当てた。
「アオイ」
「います」アオイの声が張り詰めていた。「ケビンさんと繋がりました。衛星、全方位カバーできています。桐島さん、準備できたら言ってください」
「嘉手納さん」
老人は船底で、ケーブルのリールを手に取った。確認するように、指でケーブルを辿った。
「いつでも」
桐島はガラケーでイブへのテキストを打った。
〈始める〉
イブの返信。
〈船団のネットワーク構造、解析完了。侵入ポイントを三箇所特定しました。アオイさんに送付済みです〉
「アオイ、来たか」
「来ました。ポート、開いてます。今です」
キーボードの音が、黒電話越しに聞こえた。
船団の中で、何かが変わった。
桐島は双眼鏡で見ていた。船の動きが、少しずつ乱れ始めた。整然と展開していた隊形が、ほつれていった。一隻が止まった。別の一隻が、進路を変えた。また別の一隻が、元の位置に戻ろうとして、隣の船と接触しそうになった。
「アオイ、状況は」
「六十八隻、航法システムに干渉できています。ほぼ全船、自律制御が乱れています」
「旗艦は」
沈黙があった。
「——動じていません」
桐島は双眼鏡を旗艦に向けた。
船団の中央で、旗艦だけが静かに動いていた。乱れた船団をよそに、自分のペースで。
イブからのテキストが来た。
〈旗艦、スタンドアロン確認。電波遮断済み。外部ネットワークから完全に切り離されています。通常の侵入経路は全て無効です〉
〈わかってる〉
桐島はガラケーを閉じ、嘉手納を見た。
老人はケーブルのリールを持って、立ち上がっていた。
霧の中を、漁船が進んだ。
エンジン音を最小限に落としていた。波の音に紛れるように。乱れた船団の隙間を、嘉手納が手慣れた操舵で抜けていった。七十年、この海で生きてきた男の操舵だった。
旗艦が大きくなってきた。
ケビンの衛星が旗艦の位置をリアルタイムで送ってきていた。桐島がガラケーで確認しながら、嘉手納に伝えた。
「あと五十メートル」
「見えてる」嘉手納は前を見たまま言った。
「あと三十」
「わかってる」
旗艦が気づいたのは、距離が二十メートルを切ったときだった。
旗艦のデッキで、男たちが動いた。怒鳴り声が聞こえた。
「嘉手納さん」
「ああ」
老人はケーブルのリールを手に取った。
機械ではなく、手で。七十二歳の手が、ケーブルを繰り出した。
「昔覚えたことは、手が覚えてる」
有線魚雷が、海面を走った。
旗艦のスクリューに向かって、まっすぐに。
衝撃音が響いた。
旗艦が止まった。
デッキの男たちが動いた。銃を持っている者もいた。
桐島はホルスターから銃を抜いた。
そして——抜いたまま、構えなかった。
旗艦の男たちを見ていた。
向こうも桐島を見ていた。
沈黙が、海の上に広がった。波の音だけが続いていた。
男たちは動かなかった。
ガラケーが振動した。
ケビンからのテキストだった。
〈海警艦、接近中。北北西、八キロ。某国の艦艇です〉
桐島はそのテキストを、旗艦のデッキに向けて見せた。
男たちは桐島を見た。それからガラケーの画面を見た。
男たちの表情が、変わった。
最終章 海は怒らないに続く




