後編
…結果から言えば、マリルーシュは待望のお給金を貰う事はできなかった。
教会にガラの悪い男たちが入っていったことに気づいた近所の住民が、城の騎士団に通報したのであった。
マリルーシュが、男たちを全て縛り上げ、捕らえられていた子供たちや教会の大人たちを解放したところに駆けつけた騎士たちは、そこに彼らの上司の上司のそのまた上司である将軍のご令嬢がいるのを見て絶句する。
…マリルーシュは、騎士たちの憧れのご令嬢だった。
ただちに城へと伝令が走り、丁度その場に居た金の髪の美丈夫の将軍が直々にマリルーシュを迎えにくる。
「…マリルーシュさま。」
「ごめんなさい!」
父に無断で働いていたマリルーシュは、謝る以外になかったのであった。
当然給金など受け取れるわけもなく家に連れ帰られてしまう。
その給金はマリルーシュから教会への寄付になったという話だった。
その夜、たっぷりの説教の後、マリルーシュは今後1週間の自宅謹慎を父から言い渡されたのだった。
翌日、畏れ多くも王太子殿下が直々にマリルーシュを慰めに来てくださった。
「怪我はなかったかい?ルーシュ。」
「はい。…ご心配をおかけしました。」
椅子に座ってうなだれるマリルーシュは、まるで枯れかけた花のようにしゅんとしていた。
「今回は私がルーシュに誤解されるようなことを言ったせいもあるからね。悪いのは私だよ。」
だから気にしないでと王太子は優しくマリルーシュに微笑みかける。
マリルーシュは、感激して泣きそうになった。
「泣かないで、私のルーシュ。ごめんね。私があの時”唯一の方法ではない”と言ったのは、ルーシュが王家に仕える方法のことだったんだよ。」
「…王家に仕える。」
マリルーシュは、今にも涙が零れ落ちそうなヘーゼルの大きな瞳をパチクリと瞬かせた。
「そうだよ。ルーシュが妹を大切に想ってくれる根底にあるのは故国への愛情。ひいては私たち王家の者への献身だろう?」
確かにそうだった。
マリルーシュの父は、女王陛下に仕える将軍である。女王に心酔し、身命を捧げて女王に従う父はマリルーシュの誇りであった。
自分もあの父のように、献身的に自分の主に仕えたいとマリルーシュは思っていたのである。
そして、その主こそ第一王女殿下だと信じて尽くしてきたのだ。
「妹は隣国へ嫁ぐ。ルーシュはそれについて行けないけれど、ルーシュが仕えるに値する者は他にはいないのかな?」
王太子の問いに、呆然としながらもマリルーシュは、勢いよく首を横に振った。
その様子に王太子は浮かべていた笑みを深くする。
「 良かった。私のルーシュ。君が妹に誠心誠意仕えてくれているのはよくわかっているけれど、そろそろ私…」
「そうか!!そうですよね!!王太子殿下!!!」
なんと不敬な事に、マリルーシュは何やら話していた王太子の言葉を途中でぶった切って叫び出した!
「私、第一王女さまにお仕えしなくっちゃって、そればかり思って…でもそうですよね!王家の方々は他にもいらっしゃるんですし、私が一生懸命頑張れば他のお方にも認めていただくこともできますよね!そうか!!そうだったんだ!!」
そうか!そうか!と大きく頷いて今にも踊り出さんばかりにはしゃぐマリルーシュの姿に、王太子は複雑そうな顔を向ける。
マリルーシュの頭の中には、第一王女の妹の”第二王女”の姿がくっきりと浮かんでいた。
第二王女はまだ幼いながらも利発で可愛い盛りの少女である。その容姿は姉である第一王女以上に母の女王に似ていて将来の美貌をうかがわせている。
そして何よりも第二王女は女の身でありながら剣や武術に興味津々で、マリルーシュの父でさえ舌を巻くような身のこなしを見せることもあるという話だった。
(私がお仕えするのに最適なお方ではないの?)
第二王女は今のところ国外に嫁ぐ予定はない。王家の血筋を国内に残す意味でもおそらく自国の有力貴族の誰かの元に降嫁されるだろう。
第一王女のように随行の選考に漏れて置いて行かれるような心配はないのだ。
マリルーシュは、自分の考えに”夢中”になった。
王太子は、うっとりと夢想に耽り始めたマリルーシュを困ったように見つめた。
まず間違いなく自分の意向を間違った方向に受け取ったであろう少女に苦笑を禁じ得ない。
(まあ、まだいいか。)
いつも自分の予想外の思考をして、一生懸命頑張るマリルーシュは…とても可愛かった。
「ルーシュ。」
「はい。殿下。」
「君が元気になってくれて、とても嬉しいよ。」
王太子が優しく笑いかけてやれば、マリルーシュは頬を染めて王太子を見返す。
「ありがとうございます。殿下。」
心の底から信頼しきった瞳で、マリルーシュは、王太子を見上げるのであった。
同じころ、王宮の1室でマリルーシュの父は、孤児院の一件でマリルーシュを迎えに行ってくれた同僚の将軍に礼を述べていた。
「礼には及びません。マリルーシュさまがご無事で本当に良かったです。」
そう言いながらマリルーシュの父よりはずっと年若い金の髪の将軍は、心配そうに眉をひそめる。
「僭越ながら申し上げますが…マリルーシュさまに、早くお告げになった方が良いのではありませんか?マリルーシュさまが今回の随行に選ばれなかったのは、マリルーシュさまに非がある事ではないのだということを。」
「それは…」
マリルーシュの父が口ごもる。
「マリルーシュさまが随行に選ばれるはずはありません。それは我々クラスの将軍や主だった君臣には自明の理です。だってマリルーシュさまは既にかなり以前より王太子殿下の花嫁…つまりは、未来の”王妃”候補に選ばれておいでになるのですから。」
…そのとおりだった。
しかも、候補と言いながら当の王太子がマリルーシュ以外の候補などいらないと公言しているため、唯一の候補者…要は未来の”王妃”に決定していると言っても過言ではないのだ。
隣国への随行になんか選ばれるはずがないのである。
「いや、それは、いずれ王太子殿下がご自分で言いたいから絶対伝えないでくれと仰られていて…」
マリルーシュの父は、モゴモゴと口の中で言い訳を呟く。
彼とて本当は一刻も早く伝えたいと思っているのだった。そうでなくとも可愛い娘の起こす”騒動”に神経を減らし続けている父だ。娘にはこの事をきちんと知ってもらってぜひ自重してもらいたい!と思っている。
「そうなのですか。…しかしこのままでは心配で仕方ありません。今回の事も何事もなかったから良かったものの1つ間違えれば大事件でした。」
それはそうだろう。未来の王妃が町の破落戸に誘拐されかかったのだから。
「あ、それは大丈夫だ。実はマリルーシュには王太子殿下の要請で密かに護衛をつけてある。今回は出番がなかったから現れなかったが、マリルーシュが本当に危険になった時には必ず助ける手はずになっている。」
金の髪の将軍は、呆れたようにため息をついた。
「そこまでされておられるのならば、早くお伝えくださればよろしいですのに?」
「王太子殿下は、マリルーシュが、ご自分の予想外の方向で一生懸命頑張る姿がとても可愛いと仰っていて…」
なんとも言えぬ表情で、ボソボソとマリルーシュの父は呟いた。
それは、”悪趣味”というのではないだろうかと金の髪の将軍は思う。
2人の将軍は顔を見合わせると、深~いため息をついた。
マリルーシュの引き起こす”騒動”は、当分終わりそうもなかった。