行間 氷の魔女
酒場という場所は、どうにも好きになれない。
騒がしく、酒臭い。
酔いが回った人間に絡まれると面倒で仕方ない。
叶うことなら、一生足を踏み入れること無く過ごしたいと、常に思っている。
それでも、ワタシが酒場に向かう理由。
——どこよりも、人の本音が出る場所だから。
「聞いたか? 黎明の神子の連中が、ローデルに向かってるんだと」
今日も奴らの情報を集めようと、酒場に入り浸っていた。
いつもは何の収穫もなく、どこの誰かが結婚しただの、誰と誰が駆け落ちをしただの、興味のない話しか聞こえてこない。
そろそろ別の街にでも移ろうかと考えていた矢先、『黎明の神子』という単語が耳に飛び込んできた。
口元まで運んでいた酒杯を置き、瞼を閉じる。
隣の席の商人らしき男たちが、その噂話に花を咲かせていた。
「おいおい、そんな簡単にあいつらの情報が手に入るわけないだろ!」
「いや、今回のは本当らしいぜ? 貴族の護衛依頼が冒険者達に出てるって話だ」
貴族の護衛依頼、か。
ローデルは気味の悪い街だ。そのせいであまり気にしていなかったが、まさかあそこに奴らが向かっているとは。
依頼をしっかりと確認していればもっと早くに気付けたかもしれない。
「へぇ? で、どこからの情報なんだよ」
「知らねえよ! 噂で聞いただけだ!」
なんとも信憑性のない会話だろうか。
酒杯を手に取り、勢いよく全てを飲み干した。
「豪快だなぁ」
店主の声に聞こえていないふりをし、多めの代金をカウンターに置いた。
出口へと足を進め、扉に手をかける。
「少し多いぞ、嬢ちゃん」
「ローデルまでは、ここからどのくらいかかる?」
「馬なら二日掛からないくらいだな。徒歩なら、三日かそれ以上」
「そう。なら、多い分は情報代」
そう返事をすると、店主は苦笑した。
「まさか、噂を信じたのか?」
信じるか信じないか。
そんなこと、ワタシにとってはどうでもいい。
「確かめに行くだけ」
奴らの情報があるなら、そこに向かう。
ただの噂かもしれない。無駄足かも知れない。
それでも、ワタシは足を進める以外に出来ることがないから。
酒場から出ると、既に外は闇に包まれていた。
出発は明日のほうが安全かもしれない。
「早く着くことが最優先」
地面を軽く蹴った。
靴底から『氷』が伸びる。
刃のように鋭く生成された氷が石畳に触れた瞬間、足元だけが薄く凍りつく。
「風が気持ち良い」
靴底を覆う氷の刃が地面を削り、身体が風を切る。
この瞬間が、一番好きだ。
自分が風になれたかのように、自然と一体になったかのような感覚。
自らの紺色の髪が視界の端で風に靡く。
馬ですら追いつけない速度でローデルへと急いだ。
◇◇◇
日が昇った頃、外観だけが整えられた胡散臭い街、ローデルへと辿り着いた。
大きな門を潜り、その街へと足を踏み入れる。
辺りを見回しても、何か様子が変わったようには見えなかった。
住民は皆いつも通り過ごし、混乱している者もいない。
黎明の神子の噂は、やはり嘘だったのか。
だが、連中の噂が流れること自体が珍しい。
やっと手に入れた手掛かりがただのイタズラだと割り切るには、まだ情報が少ない。
それに、イタズラであったとしても、誰が何の目的で?
違和感を覚えながらも、情報を得るため酒場へと急ぐ。
もしかすると、『魔術』や『加護』で洗脳されているのかも知れない。
まだ何もないと言い切るには早すぎるだろう。
キレイな建物が並ぶ街。
どこを見ても、ただの日常しか目に入らない。
「そういえば、貴族を狙っている連中が来るらしいね」
ふと、耳に入ってきた会話。
「あぁ! そうだよ、黎明の神子がこの街に向かっているとか。ようやく、『天罰』が下るのか」
一体何の話だ? 『天罰が下る』?
「アイツら、好き勝手しすぎたのさ。四年前に一度大人しくなったと思ったのにねえ。『ニセモノ』の英雄がいなくなった途端こうだよ」
「……」
歩いた先で、酒場を見つけた。
古びた看板には何か文字が書いてあるが、かすれているせいか読むことが出来ない。
店内に入り、ギシギシと音を立てる椅子に腰掛けた。
周りを見渡すと、冒険者らしき人間が十人程で酒杯を交わしている。
こんな朝から飲んでいるとは……貴族の護衛だなんだと言っていた話は、やはりただの噂に過ぎなかったのだろうか。
酒の匂いに不快感を覚えながら、メニューの一番下に大きく書かれているリンゴジュースを一杯頼んだ。
「聞いたか? 二日後に信徒が来るって話」
信徒。
やはり、黎明の神子の噂は本当だったのか。
「そりゃあ知ってるだろ! この街じゃ、知らねえやつを探すほうが難しいってもんだぜ! 貴族が護衛依頼を大金で出してたが、誰も手を付けてねえってのもなあ!」
「俺は信じてないがな。あの黎明の神子達が情報を漏らすなんて考えられない」
その意見には同意する。
奴らは情報を漏らさず、突如その場に現れる。
ただの噂であると判断するのが普通なのかもしれない。
でも、今回のこれは何か違和感がある。
誰かが、意図的に噂を流しているような——
「でもさあ、誰かを『誘き出すため』に噂を流してるって説もあるらしいぜ?」
「誰かって、誰をだよ」
「ほら、つい最近神子アリステラと似てる人間が冒険してるって話だ。それを誘き出そうとしてるんじゃね?」
数日前から目撃情報が多発している、神子アリステラ。
帝都に屋敷を構えているグレイシア家で匿われたという噂も聞いたが、あの家系の人間が黎明の神子を、それも神子アリステラを庇護するとは到底思えない。
「おまたせ、お嬢ちゃん。リンゴジュースね」
目を開くと、そこには注文していたリンゴジュースが置かれていた。
木製のジョッキを手に取り、口元へと運ぶ。
程よい甘さの、濃厚なリンゴジュースだ。
「美味しい」
「だろ? うちの自慢の一品なんだが……ここに来る連中は皆酒が目当ての奴らなせいで、出番が少ないんだよ」
心の中だけで思っていたつもりが、つい口から零れ落ちていた。
「アンタ、見ない顔だな……もしかして、あの噂を聞いてきたのか?」
「そう。ワタシは信徒を追っているから」
一口、二口と喉へ流し込む。
「奴らが狙ってるのは貴族だけって話だ。今回は手を出さないほうが良い」
「何故? 貴族も人。助けなくてはいけない」
正直どうでもいい。
だが、しない善よりする偽善と言うだろう。
「ここの街の貴族は腐ってる。噂を聞いた奴は皆当然の報いだと思ってんだ。どうか、何もしないでくれ。頼む」
無事に貴族達が狙われ、痛い目を見るために邪魔をするなと。
「約束はできない。ワタシは奴らを潰さないといけないから」
気付けばジョッキの中には一滴も残っておらず、全て胃の中へと流し込んでしまった。
「美味しかった。ありがとう」
代金をカウンターへと置き、振り返らずその場を後にした。
◇◇◇
まだ外は明るいが、宿を取りベッドで横になる。
連中が来るのは二日後。
ふと、一人の女が脳裏に浮かぶ。
うぐいす色の髪、無駄に豊満な胸。
そして、『水色の魔法石』。
——本当に、迷惑な奴だ。
眠気が遠のき、疲れているはずの身体は休もうとしてくれない。
胸元で光る魔法石を握り、なんとか眠りにつこうと瞼を閉じる。
常にワタシの邪魔をすることを楽しんでいた女。
胡散臭く、何を考えているのか分からない。
いつもなら何処にいてもすぐに見つけ出し、ウザイくらいに話しかけてきたなずなのに。
一体、何処で何をしているのか。
まさか、死んでいる?
感じたことのない感情が、胸を覆う。
「そんなにやわな人間じゃない」
自分に言い聞かせるように、何度も何度も唱える。
気が付けば、深い眠りへと落ちていた。
◇◇◇
目を覚ましたのは、昼を過ぎた頃だった。
身支度を済ませ、宿を出る。
街の正門まで足を進めると、入口がよく見える大きな木へと登り身を隠した。
奴らが本当に来るなら、この正門から入ってくる可能性が高い。
他の門から入ってくる可能性もありはするが、正門に比べて小さすぎる。
警備は四つある全ての門に二人ずつ。大きさによって人数を変えるべきだと何年も前から思っているが、どうも人件費を削りたいらしい。
それに、他の門から入ってきてもすぐ気付けるよう人形を三体設置している。
今回の人形は戦闘能力が低いが、ワタシが向かう間の少しの足止めくらいならしてくれるだろう。
視界に入った瞬間、叩く。
ただ、それだけだった。
門番は交代を繰り返し、行商人達が何度も出入りしている。
ここから入るときも思ったが、門番が仕事をサボっているように見えた。
書類上、確認が必要である人物だけは確認し、その他は特に確認もせず馬車なども通している。
あそこに危険物でも乗っていれば、この街が危ないはずだ。
それでも、いいのだろうか。
どうでも、いいのだろうか。
「昔のワタシを見ている気分だ」
過去の記憶から思考を遠ざけるように、考えることを辞めた。
日が暮れ始め、闇が空を包む。
耳に入ってくる音は鳥の鳴き声や自然のせせらぎのみ。
人の気配は無くなっていた。
日付が変わった瞬間に来ると予想していたが、外れてしまったらしい。
次第に辺りは明るくなり始め、人間の生活音が少しずつ大きくなっていった。
「……来ない」
空を見上げると、眩しい光を放つ円が高い位置にまで登っている。
やはり、噂は嘘だったのだろうか。
あるいは、まだ来ていないだけなのか。
どうだったとしても、今はただ待つことしか出来ない。
今日一日ここで見張って……。
やけに広場が騒がしい。
——まさか。
広場に視線を向けると、異常な魔力量の人間が二人。
「やられた」
奴らは、既にこの街へと侵入していた。
遠くからみたせいか魔力色がよく分からなかったが、転移魔法でも使ったのだろう。
闇の上級魔法を扱える人間なんてそう居ないと、高を括っていた。
急いで木から飛び降り、広場の方向へと身体を向ける。
「クソ……」
氷が靴底から現われようとするが、形にならず崩れ落ちた。
約半日の間集中を切らさず警戒していたせいか、上手く魔力を練る事が出来ない。
仕方なく石畳を勢いよく蹴り、地面を走った。
◇◇◇
血痕、地面の燃えた跡。
「遅かった」
眼の前にひらがるのは、戦闘の痕跡の残った広場のみ。
信徒の姿も、戦っていたはずの相手も見当たらない。
あれ程の魔力量の人間が、信徒と対立しているとは。
痕跡を見るに、どちらかはハズレ属性の持ち主だろう。
火属性魔法の使い手で、相当な魔力量を持つ人間……。
そんな人物居ただろうか。
全属性を扱えると噂の元英雄は、今も家から出てこない引きこもり。
騎士団に居る赤髪のあの男なら、低級であれば全ての属性が使えると聞いたことがある。
だが、それなら街に来た時点で騒ぎになるはず。
なら、一体何処の誰?
考えてもどうせ分からない。
ワタシは他人のことを覚えるのが苦手だ。
覚えている人間と言えば先程の二人とうぐいす色の髪を持つ女。
そして、神子アリステラ。
少し不安は残るが、今だけはその人達に任せよう。
ワタシが今すべきことは、体を休めて次の戦闘に備えること。
この体調のままでは足手まといになるだけだろう。
「情けないな」
また宿に戻り、身体を休めることにした。
◇◇◇
煩い鐘の音が鳴っている。
今は何時だろうか。
いつの間にか夜が明け、日が進んでいた。
窓から外を眺めると、広場には三人の人間が立ち、それに群がるように少しずつ人が集まっているのが分かる。
すぐに身支度を済ませると、広場へと急いだ。
これから一体何が始まるのか。
昨日の騒ぎの後、広場は少し清掃されたらしいが、未だに一部では焼け焦げた跡が目立っている。
集まった人々は騒音被害を訴えるように叫んでいる。
鐘の音は未だに止まらない。何度も何度も鳴り響く。
昨日の混乱に乗じた誰かのイタズラなのではないか、そんな話が聞こえてきた途端、その音は消えた。
「ヨシ、もういいでしょ!」
白いローブを身に纏う少女。
胸元に光るのは、黎明の神子の証である勲章——
「神滅の魔剣士、ヘクトル・エルカディオン! 白銀の少女『アリステラ』と共に、旧礼拝堂に来なさい! あ、他の人連れてきたら貴族達殺しちゃうからねーっ」
白銀の少女『アリステラ』
その名を聞いた瞬間、広場の喧騒が遠のいた。
ずっと探していた、追い続けていた相手。
ようやく姿を現した。
何故信徒がアイツを探しているのか、仲間のはずではないのか。
そんな事を考えたが、すぐにそんな疑問は消え去った。
ワタシにとってはどうでもいいことじゃないか。
「逃さない」
瞳の奥から殺意が湧き出すのが分かる。
だが、今はそれを抑えようとも思わなかった。
あの女を殺してやる。
必ず奴を仕留め、黎明の神子を壊滅させる。
——ワタシは、救い出さなくてはいけないのだから。




