第十三話 恐怖と向き合え
「ヘクトル様!」
屋敷の中が騒がしい。
気持ちよく寝ていたというのに、嫌な起こされ方をした。
この安全な屋敷で、何をそんなに騒ぐことがあるのか。
ベッドから上体を起こすと、扉が勢いよく開かれた。
現れた金髪の青年は、額に汗を滲ませながら近付いてくる。
普段は比較的落ち着いている彼だが、今日は珍しく息を切らしていた。
「何が、あった?」
「警備兵達が……」
その一言で、嫌な予感がした。
急いで服を着替え、部屋を出る。
どこへ向かうべきか……ルシアンに言われるまでもなく、理解していた。
昨日の夜、警備兵達が巡回していた庭だ。
別に仲が良かったわけでもないが、今日起きたら差し入れでも渡しに行こうかと考えていた。
何故そんな事をしようと思ったのだろう。
俺に対し、普通に接してくれたからだろうか。
安全を保証してくれたからだろうか。
自分でも理解が出来ないまま、それを知る術はもう、きっとなくなっているのだろう。
それでも、淡い期待を抱きながら庭へと急いだ。
そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
一人、二人、三人。
そこまで数えたが、意味のない行為だとすぐに理解した。
肉片が散らばり、本来緑であるはずの庭が真っ赤に染まっている。
昨日笑いかけてくれた警備兵は、表情を変えずに転がっていた。
頭が、そこら中に転がっている。
もしかしたら、一人ぐらいは息があるかも知れない。
魔力感知を発動し、生きている人間を探そうとした。
何も、見えない。
魔力の流れを、全く感じなかった。
分かりきっていた結果だ。それでも、なにかが崩れるような感覚があった。
十五人、全員優秀な人間だった。
それなのに何故か、目の前の死体には戦闘の痕跡が一切ない。
一方的に虐殺されたのだと、そう理解するのに時間はかからなかった。
「侵入者は?」
「確認できていません」
「結界は?」
「破られていません」
ありえない。
夜でも、何人かの使用人は必ず起きていた。
やられたのが朝だったのなら、物音で誰かしらは気付くはず。
それなのに誰にも見られず、結界にも引っかからないで十五人を始末しただと?
冗談じゃない。
「ルシアン」
「はい」
声をかけると同時に、魔力を練り始める。
ルシアンも理解したらしく、戦闘態勢に入った。
この屋敷の結界は円を描くように貼られている。
前後左右、どこから侵入者が来ても対処が出来るようにだ。
だが、一つ欠点があるのだとすれば。
——空からなら、簡単に侵入できる。
魔力感知で周囲を監視していたが、その存在に気付くのが遅れた。
見えていたはずなのに、見えていないように感じていた。
魔力感知を解除すると、やっとその姿を認識することが出来た。
この男は魔力量が膨大すぎる。
隠そうともしないその魔力量が、視界の全てを覆い隠していたのだ。
拍手の音が響く。
白いローブを身に纏うその男。
屋根の上からこちらを眺めるその瞳は、真っ赤に染まっている。
「オハヨ」
男は笑った。
まるで、親友と再会したかのような笑顔で。
「久しぶりだなァ、ヘクトル!」
白く長い髪は三つ編みにされ、前に垂らしている。
赤く鋭い眼光が、突き刺さるように感じた。
知っている顔。忘れるはずがない声。
全身の毛が逆立つのを感じる。
呼吸の仕方が分からなくなった。
心臓が嫌な音を立てている。
視界の奥で、赤黒い記憶が蘇った。
彼を救うため、手を伸ばした。
伸ばしたはずの利き手が剣を握ったまま宙を舞っている。
焼けるような熱が右肩を覆った。
振り返った先で視界が半分消え去り、焼け爛れたような痛みが襲う。
もう、一年以上も前の記憶。
ただの記憶だと分かっているのに、今も尚肉を抉り続けている。
「ソコにあるヤツ、肩慣らしとしてコロしたんだケド」
男は腰から生えている片翼を器用に扱い、屋根から飛び降りた。
近付いてくる。
俺は、殺されるのか?
「イヤァー、ミスったミスった。もっとキレイにコロしてやるつもりだったのにさァー。相棒なら、もっと上手くコロせるはずなんだケドなァ……ヘクトルも、そう思うだろ?」
だが、男は俺を横切り、死体へと近付いた。
転がる頭をボールのように蹴り飛ばし、落ちていた腕を拾う。
「黎明の神子!!!」
ルシアンの叫び声が聞こえると同時に、庭を埋め尽くすほどの水槍が白いローブを目掛けて放たれた。
地面が抉れ、石畳が砕ける。
男はそれを避けることもせずに、無数の槍が身体に穴を開けた。
一瞬のことだった。
ルシアンが叫んでから魔法が男に迫るまで、一秒もかからなかった。
だが、この男がそれを『避けられないはずがなかった』。
——白いローブからしたたる血液。
勝利を確信するための材料であるはずのソレが、ルシアンを目掛けて放たれた。
液状だった赤は、研がれた槍のように鋭く、鉱石のように硬く形成される。
男を仕留めたはずの攻撃が、ルシアン自らに返ってきたのだ。
「なっ……!」
避けることが出来ず、ルシアンはその場へ倒れ込んだ。
「今さァ、オレとヘクトルが話してんのわかんねェ? オマエのことコロスつもり無かったのに、変なことすんじゃねェよ」
呆れたような素振りを見せながら、こちらに近付いてくる男。
身体には無数の穴が開いていたはずだが、男が口を開いた時には全て塞がり、何事もなかったかのように立っていた。
男の使う『魔法』とは別の力。
今目の前で起きた襲撃に対し、俺は何も出来なかった。
何も、しなかった。
どうせ攻撃しても回復される。
今の俺ではまともな勝負にはならない。
仕方なかった。
俺は、弱い。
何も出来ず、口だけは達者な愚か者だ。
自分を慕ってくれる人間を守ろうとすらしない。
クズだ。ゴミだ。カスだ。
「オマエ、なにつまんねェことしてんだ? 『最強』であるはずのオマエが、力を取り戻さず呑気にごっこ遊びかよ」
右肩に何かが触れた。
男の手。
このまま肩を握りつぶされるかもしれない。
首に手をかけられ、殺されるかもしれない。
「オレはオマエとまたコロシアイがしてェんだって」
痛いのは嫌だ。
どうしようもなく、怖い。
楽に殺してくれるなら、それ以上に幸福なことはないだろう。
だが、この男はそう優しくはない。
「……アーア、クソ萎えたからコロスのやーめた」
耳元で聞こえる声に、少しだけ安堵した。
俺は、殺されなくて済むのか。
「そういや、なんでそんなことになってんの? ヘクトルにそんなケガ負わせれるって、相当強いじゃん。っていうか、さっさと治せばいいのに。ハンデ背負って動けなくなってんの、意味わかんねェー」
男は数秒思考した後、納得したように口を開いた。
「アァ! そうか思い出した」
黒い羽が広がる。
「オレがやったんだったわ」
片翼しか無い翼を巧みに操り、男は振り返ることなく空へと消えた。
残されたのは十五人の死体と、一人の怪我人。
そして、過去に囚われたまま動けない男が、一人。
『黎明の神子』の最高幹部、六信徒。
『第一信徒』シフェル。
——『英雄』ヘクトル・エルカディオンを殺した男。




