第十話 逃げ道という選択肢
屋敷の食堂は無駄に広い。
長机には様々な料理が並べられ、四人では到底食べ切れる量では無かった。
使用人達はそれが普通だと言うように、黙々と準備を進めている。
「これ、全部朝ご飯なの?」
「えぇ、そうです。足りませんか?」
カリスタは当然のように頷きながら、近くにいる使用人へと命じようとしていた。
何を命じるか。アリステラは察したらしく、急いで止めようと言葉を発する。
「大丈夫よ! 充分、お腹いーっぱいになるくらい沢山あるわ! これ以上増えたら、食べきれなくなっちゃう! それは、勿体ないでしょ?」
「そうですか……なら、良いんですが」
思い出した。
グレイシア家の食事量は、あり得ないくらい多い。
幼少期に泊まりに来ていたときはいつも食べ切れず、ヴェルナスに食べてもらっていた。
可愛い顔をしていながら、このカリスタ・グレイシアという女はバケモノのような胃袋をしている。
こんなに細い身体の何処に収まっているのか。
昔は魔法でも使っているのかと思っていたが、彼女の魔力量を知っている今では単純なフィジカルで勝負しているのだと理解した。
「それにしても、多すぎるだろ」
「俺とカリスタの胃袋なら余裕だって! ヘクトルも思う存分食っていいからな!」
カイトの自分が家主であるかのような物言いに、カリスタは眉をひそめている。
「ワタクシが言うなら分かりますが、貴方が言うのは違うと思いませんか? 大体貴方は、いつも礼儀というものが……」
「喧嘩はやめましょう? 皆で楽しくご飯を食べたほうが何倍も美味しいはずよ! ね?」
今にも喧嘩が始まりそうな重たい空気にアリステラは耐えられなくなったのか、場を和ませようと必死に呼びかけている。
今だけはこの女にも同感だ。空気が悪ければご飯も美味しく食べられない。
「はやく食うぞ。いただきます」
俺の言葉に続くように、他の三人も両手を合わせながら食事を始める合言葉を交わした。
「ヘクトル! そのパン取ってくんない?」
「自分で取れ」
「ケチィー! ここからだと届かねぇんだもん!」
カイトは必死に腕を伸ばし、あともう少し足りない腕を俺に強調してくる。
確かに届かないことは分かったが、カイトは俺の右隣に座っている。
俺が渡すには、少し不便だ。
「毎日牛乳を飲めば、いつかは届くようになるんじゃないか?」
バカにするような口調でカイトに話しながら、食事の補助をしてくれていたルシアンにパンを取ってやるように目で合図する。
「あまり虐めないであげてください、ヘクトル様。カイト様はこう見えても成長は終わっているんですよ」
ルシアンは手に持っていたスプーンを机に置くと、カイトにパンを手渡した。
「お前もそっち側かよ! 俺の味方は何処!?」
「パンはありがとう!」とルシアンに感謝をしつつも、バカにされたことに対して腹を立てている様子。
腹を立てているとは言っても、じゃれ合いであることは本人も理解しているようだ。
その様子を見ながらアリステラはくすくすと笑い、カリスタは呆れたような表情を浮かべている。
「今日、ワタクシは重要な任務があるので、夜中まで帰ってきません。屋敷のことは任せます、カイト」
何かがあったとしても、この屋敷の警備は並大抵のものとは比べ物にならない。
さすが名家と言わざるを得ない兵力に、初めは緊張したのを覚えている。
屋敷を守る兵士は十五名。元々実力ある一般冒険者だった者たちを雇い、専属の兵士として警備させている。
それだけではなく、使用人たちも魔法の達人と呼ぶに相応しい者ばかりだ。
特に、ルシアン。
水魔法の使い手であり、魔力量はこの国で十本の指に入るほどだ。放出口の広さも申し分なく、魔力精度はまだ少し磨く必要があるとはいえ国営冒険者になれるレベルまで鍛錬されている。
冒険者になれば、きっと食うに困らないだろう。
「任されてやんよ! それに、何かあってもここにはヘクトルも居るしな!」
親指を立てながら、自信満々に答える英雄。
……今の俺に期待をしてくれる人間なんて、もう居ないのではと思っていた。
「俺は死にたくはない。どうしようも無い状況になれば、俺だけで逃げるからな」
「……」
カリスタが何か言いたげな表情を浮かべている。
俺はそれに気付かないふりをして、彼女の口が開かれないことだけを暗闇の世界で祈り続けた。
◇◇◇
朝食を済ませた後、それぞれが行動を始めた。
バカ二人組は「泊めてもらうだけは申し訳ない」と言い、屋敷の手伝いをすることにしたらしい。
「食事も着替えも、手伝わせて悪いな」
自室へ戻ると、後ろからルシアンも静かに着いてきていた。
今朝からずっと俺の右に立ち、付きっきりで世話をしてくれている。
かつては導き、時には手を差し伸べる立場だったはずなのに。
申し訳なさと無力感が脳を支配し、まともにルシアンの顔を見れなかった。
「いえ、僕に出来る事はこれくらいしかないので……それより、痛みは大丈夫ですか?」
心配そうにこちらを見つめる中性的な顔立ちの青年、ルシアンとは昔ながらの知り合いであり、出会った頃から酷く俺を慕ってくれている。
「あぁ、大丈夫だ。今日はまだ痛んでない」
右肩に手を添えながら、少しだけ動かして見せた。
「……」
何か言いたげな表情。
ペットは飼い主に似るとはよく聞いたものだが、それは主従関係でも適用されるようだ。
深い緑の瞳に、カリスタの姿が重なって見える。
——苦手だ。
逃げ道であるはずのルシアンからその瞳を向けられるとは。
この気まずい空気を変えるため、その口が開かれないように、何か当たり障りない話題を出そうと思考を巡らせる。
「ヘクトル様は無理をしなくても、そのままで良いと思います」
だが、耳に響いたその声は、俺を厳しく現実へと向き合わせるものとは程遠かった。
「昨日、カリスタ様としていた会話。『ケジメ』を付けるなら早いほうが良い……それは確かに正論だとは思います。カリスタ様が間違うことなんてありませんから。それでも僕は、ヘクトル様に無理をしてほしくない。危険だと、苦しいと分かっているのなら、無理をしてその道を進む必要なんてないんですよ」
そうだよな。
「今の状況に対して申し訳なさを感じているのなら、ずっとここにいてください。そうしたら、僕が一生貴方を支えます」
無理なんてしたくない。
「迷惑だなんて、苦痛なんて感じません。だから、どうか——」
泣きそうな顔で、声で、その青年は願ってもない提案をしてきた。
魅力的な提案だ。
今までと同じような生活に戻り、ベッドから出ないで平和に過ごせる。
時にはルシアンに魔法を教え、優越感に浸ることも出来るだろう。
何も出来ない無力な人間ではなく、優秀な魔法使いの師匠として暮らしていると考えれば申し訳なさを感じることもない。
だからこそ、この言葉を口にするのは苦しかった。
「ごめん」
あの話を聞いてから、一晩中考えてくれたのだろう。
白くて綺麗な肌に、うっすらと隈が出来ているのがわかる。
その提案に乗れるほどに妥協の出来る人間であれば、どれほど楽だっただろうか。
——それでも、俺は『英雄』に固執する頑固な人間だ。
「俺の名前はヘクトル・エルカディオン。お前もよく知る、『英雄』へと返り咲く男だ」
これ以上何もせずに生きるなんて、そんなものは英雄とは呼べない。
ルシアンは困ったように笑った。
「四年前から、何も変わってませんね」
何も変わっていない。
そんなはずは無い。
それでも、彼の前では完璧な『英雄』で居続けられているという事実に、俺は酷く救われた。




