第二話 運命の人(後編)
土曜日の展示会は予想以上に忙しかった。
開場と同時に来場者が押し寄せ、気づけば昼食を取る時間もないまま夕方になっていた。
「お疲れさま」
最後の段ボールを運び終えると、佐伯さんが缶のお茶を差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「約束どおり、このあと食事でもどうですか」
「はい」
駅前の小さなイタリアンは、休日らしく家族連れやカップルで賑わっていた。
窓際の席に案内される。
仕事の話から始まった会話は、いつの間にか子どもの頃の思い出や休日の過ごし方へ変わっていた。
「意外ですね」
私が笑う。
「佐伯さん、学生時代はサッカー部だったんですか」
「見えません?」
「全然」
「よく言われます」
他愛もない話なのに楽しかった。
こんな時間が続けばいい。
そう思った。
食事を終えて店を出る。
駅までの道をゆっくり歩く。
信号待ちで立ち止まったときだった。
突然、小さな男の子が道路へ飛び出した。
「あっ」
私より先に、佐伯さんが駆け出す。
男の子の腕をつかみ、歩道へ引き戻す。
次の瞬間、一台の自転車が勢いよく通り過ぎた。
母親が泣きながら頭を下げる。
「ありがとうございました」
「大丈夫ですよ」
佐伯さんは笑っていた。
その横顔を見て、胸が締めつけられた。
この人が好きだ。
その瞬間、はっきりと分かった。
駅へ着く。
改札の前で佐伯さんが少し照れたように笑った。
「実は、報告があるんです」
胸が高鳴る。
「来月、結婚します」
時間が止まったような気がした。
「……そうなんですね」
「急ですよね」
佐伯さんは照れくさそうに笑う。
「ハーモニーで紹介された人なんです」
その言葉だけが、耳に残った。
「最初は半信半疑でした。でも、一緒にいると不思議なくらい自然で」
私は笑顔を作る。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
それ以上は何も言えなかった。
帰りの電車。
窓に映る自分は、思っていたより普通の顔をしていた。
泣きたくなるほど好きだったはずなのに、涙は出なかった。
数日後。
私は《ハーモニー》へ登録した。
「本当にいいの?」
由香が聞く。
「うん」
「吹っ切れた?」
私は少しだけ考えた。
「たぶん」
事情を知った由香が気遣いが、少し面はゆい。
手の中の画面に、解析中の文字が表示される。
趣味。
生活習慣。
購買履歴。
健康診断。
読書傾向。
休日の行動。
何百、何千という情報が読み込まれていく。
数秒後、結果が表示された。
『適合率九九・九パーセント。』
相手の名前は、高橋悠斗。
会ってみると、不思議な人だった。
好きな映画も、本も、食べ物も違う。
それなのに、一緒にいて疲れなかった。
沈黙が苦にならない。
無理に話さなくても居心地がいい。
三回目の食事で、私は思わず笑ってしまった。
「どうしました?」
「いいえ」
恋に落ちた感覚はなかった。
でも、穏やかな時間は確かにそこにあった。
数年後。
私は高橋と結婚した。
喧嘩はほとんどない。
価値観もよく似ている。
周囲からは理想の夫婦だと言われる。
ある休日。
二人で買い物をしていると、向こうから佐伯さんが歩いてきた。
隣には奥さんと、小さな女の子がいた。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
少しだけ立ち話をする。
別れ際、女の子が私に手を振った。
私も手を振り返す。
帰り道、高橋が私の手をそっと握った。
私は握り返す。
幸せだった。
本当に幸せだった。
それでも、ときどき思う。
恋とは、選ぶものだったのだろうか。
それとも、最適化されるものだったのだろうか。
その答えを知る人は、もう誰もいなかった。




