第三話 票の行方(前編)
「今回だけは、外れると思うんですよ」
放送開始三十分前。
メイクを終えた私は、原稿を閉じてそう言った。
控室でコーヒーを飲んでいた解説委員の高瀬が笑う。
「君は毎回そう言う」
「だって今回は本当に接戦です」
私は報道局に入って八年目になる。
政治部記者を経て、今は選挙特番のキャスターを担当していた。
今日行われるのは衆議院議員総選挙。
四年前に発足した政党「未来党」が、与党を追い詰めている。
街頭演説はどこも人であふれ、SNSでも支持は拮抗していた。
誰が見ても、大接戦だった。
しかし。
テレビ局の誰一人として、本当の意味で結果を予想している人はいない。
理由は一つ。
《ジャッジ》があるからだ。
正式名称、選挙分析AI。
投票開始から数分で、全国の投票率、年代別動向、地域傾向、過去の選挙データ、景気、天候、SNS分析など数千億件の情報を統合し、最終結果を予測する。
導入以来。
国政選挙十八回。
地方選挙六百四十三回。
的中率一〇〇パーセント。
一度も外したことがない。
「だからこそですよ」
私は鏡越しに高瀬を見る。
「一〇〇パーセントなんて、あり得ない」
「そう思う人間が減ったから、この数字なんだ」
高瀬は静かに立ち上がった。
「人は、もう予測を疑わない」
その言葉が少しだけ引っかかった。
午後八時。
スタジオのランプが点灯する。
「こんばんは」
私はカメラへ向かって頭を下げた。
「選挙特番『票の行方』です」
大型モニターには、日本地図が映し出される。
開票まで、あと数分。
スタッフが慌ただしく動き回る。
イヤホンからディレクターの声が聞こえる。
「ジャッジの予測、まだ出ません」
私は小さく息を吐く。
いつもなら投票終了と同時に表示される。
それが今日は、まだ出ない。
スタジオにも緊張が走っていた。
午後八時一分。
画面が切り替わる。
『解析中』
その二文字だけが表示される。
「珍しいですね」
私はカメラを見ながら言う。
「ジャッジが解析に時間を要しています」
SNSでは瞬く間に話題になった。
『初めてじゃない?』
『壊れた?』
『ついに外れる?』
『今回は人間の勝ちか』
スタジオの空気が変わる。
スタッフの足音まで聞こえるほど静かだった。
午後八時三分。
突然、画面が切り替わる。
『解析完了』
スタジオ中の視線がモニターへ集まる。
表示された予測は、誰も予想していなかったものだった。
未来党。
議席予測。
二百四十一議席。
与党。
二百四十二議席。
わずか、一議席差。
「……一議席」
思わず声が漏れた。
解説委員の高瀬も黙っている。
こんな数字を予測したことは、一度もなかった。
私は原稿を見る。
ディレクターの声が飛ぶ。
「予定どおり進めて!」
私はカメラへ向き直る。
「《ジャッジ》は、与党が一議席差で政権を維持すると予測しました」
その瞬間、全国がざわついた。




