07.一歩前進?
「なぁ、さっきは何見つけたんだ?」
店主と少し話をしてからリズが向かった花屋に行くと、彼女は既に何かを買った様子だった。
しかし、手には花らしい花を持っていないため、彼女が何を買ったのかまではルシアンには分からない。花を鞄に入れることもないだろう。
すると、リズはどこか満足げに答える。
「幻獣の薬になる花よ。配達もしてくれるみたいで、明日、機関に送ってもらえるようにしたの」
「機関に置いてるのとは違う種類?」
「うん。『ルナドロップ』っていう花なんだけど、あんまり流通している種類じゃないから、常備薬としては使っていないみたいなの。でも、目の前にあったら……ねぇ?」
「ははっ。気になったんだ」
薬の効能がどれほどか、作るのにどれくらい手間が掛かるのかなど、好奇心が抑えられなかったようだ。
ルシアンはその花の姿どころか名前も知らなかったが、リズも機関の資料室でたまたま存在を知ったらしい。
明日、届くのが楽しみで上機嫌なリズを見て、ルシアンは一緒に来て良かったと感じた。
まだ見ていない露店は多くある。陽は沈みかけているが、市の賑わいはまだ落ち着いていない。
次は何処を見ようかと見渡していると、ルシアンの隣に座っていたテオが鼻を上に向けて何かの匂いを嗅ぐ。
そのまま、匂いを辿るように歩き出したのを見て、ルシアンは慌ててテオを呼び止める。
「テオ!? おい、待て! テオ!」
制止も聞かずに何処に行くんだと後を追えば、辿り着いたのは焼き串を売っている店だった。確かに、香ばしい匂いが辺りに漂っていたが、釣られるほどお腹が空いていたのか。
店の前で、テオは綺麗にお座りをして尻尾を振っている。
「お? 賢そうなわんちゃんだな」
「すみません! すぐ退かします!」
「いいって。その様子だとお腹空いてんだろ? 肉は食えるか?」
「ワンッ!」
「自分で返事するなって」
犬好きなのか、店主の男性はテオを見て笑顔を浮かべている。営業中でなければ撫でていただろう。
幻獣の食事は通常の動物と同じもので問題はない。マナを食べて過ごす幻獣もいるが、テオの場合は前者のため、匂いに釣られてしまったようだ。
頑なに動こうとしないテオに、店主は何もついていない肉を手早く焼いて差し出した。
「ほれ、これ食いな。味付け前だから動物でもいけるぞ」
「ワンッ!」
「え! すみません! おいくらですか?」
「いいって。こんな綺麗な毛並みを拝ませてもらった礼だよ」
テオをとても気に入ったのか、店主は肉を頬張るテオを笑顔で見ている。
そんな微笑ましい様子を見ていたリズは、何かを思いついて財布を取り出しながら言った。
「私もお腹空いちゃった。ルシアンは?」
「え? ああ、まぁ、それなりに」
「おじさま、二本ください」
「あいよ!」
「あ! 俺が出すって!」
払おうとしたリズを止め、調理に取り掛かった店主の横にいた女性に代金を渡す。
女性は店主の妻だったようで、「私達にもこんな時期があったねぇ」と懐かしまれた。
独り言に近いその言葉はテオを見ていたリズには届いておらず、ルシアンも軽く笑って返す。やはり、年頃の男女が一緒にいるとそういう関係に見えるのか、とまた少し緊張した。
焼き串を受け取った後、令嬢が歩きながら食べるのはさすがにマズいと思ったルシアンは、近くに空いているベンチを見つけてそこに行こうと誘った。
テオはおまけで貰った追加の肉を咥えて上機嫌だ。今夜のご飯は減らさなければならないが、それを今のテオに知る由はない。
ベンチに座って焼き串を食べ終えてから、リズは紺色に染まってきた空を眺める。
近くのゴミ箱に串を捨てに行ったルシアンが隣に戻ってきたのを見て、数年前のことを思い出した。
「……こうしてると、学生の時を思い出すね」
「そうだな。あの時は他にも何人かいたけど」
「アゥン?」
「テオはまだいなかったな」
学生時代、市が出たら仲の良い友人達と遊びに来ることが何度かあった。当時も、露店で気になる物を見たり、食べ物を買ってはベンチや噴水の端に座って食べたりした。
二人の足元に伏せていたテオは、何の話をしているのだろうと首を傾げる。
ルシアンがその頭を撫でながら思い出に浸っていると、リズが何かに気づいた。
「あ、ちょっと動かないで」
「ん? ……え、ちょっ!」
突然、リズがルシアンの頬に手を伸ばしながら顔を近づけてきた。
こんな公衆の面前でいきなり何をする気かと反射的に目を閉じれば、想像とは違う感触が口の端を拭った。
(ぬ、布……?)
「はい。取れた」
恐る恐る目を開ければ、ハンカチを片手に持ったリズがいた。
少し汚れたハンカチと口の端を拭った感触から、先ほどの串で汚れていたのだと気づくまでに時間は掛からなかった。
ルシアンは、一瞬でも勘違いした自分が恥ずかしいと思いつつ、リズの手からハンカチを取った。赤くなる顔と口元を腕で隠す。
「ありがと。これ、洗って返すから」
「別にいいのに」
「俺が良くないの。……ガキみたいで恥ずかしい」
だからいつまで経っても意識されないのか、と自分で納得して気分が沈む。それでも、成人して四年は経っている上、幻獣師として経験は積んできた。多少なりとも成長はしているはず。
自身を元気づけるようにこれまでを振り返っていたが、リズの一言がトドメを刺した。
「ふふっ。学生の頃から変わってないね」
(えっ。俺、ずっとガキだと思われてるってこと?)
意識されていないとは思っていたが、まさか自分への認識が学生時代と変わりないとは思わなかった。
貴族の友人……特に令嬢達は卒業と同時に結婚をする者が多く、中には「子供ができた」という話も聞く。時代の流れと共に結婚をする年齢は遅くなってきているが、それでもまだ半数近い貴族子女が学園の卒業と共に結婚している。結婚をしていないのは、婚約者がいない者か、まだ勉強をしたいという者、リズ達のように仕事を優先した者くらいだ。
(あれか? 婚約者とかがいたら変わってくるのか? いや、いたらリズのこと諦めないといけないし本末転倒じゃん)
そもそも、彼女の中でルシアン以外の同級生はどう見えているのか。
一人で考え込んでいると、リズが何かを思い出したように言う。
「そうだ。マーシャって覚えてる? 委員長だった子」
「ああ、あのちょっとお堅い侯爵令嬢な」
生真面目を絵に描いたような人で、融通があまり利かない令嬢だったと記憶している。だからこそ、教師陣からの信頼は厚かったが。
女官を目指しており、卒業後に王宮に入ったはずだ。その後、どうなったかはルシアンは知らない。
「あの子ね、去年、王宮の夜会で知り合った他国の貴族に一目惚れしたんだって。しかも、その相手から求婚されたから、年内に結婚するみたい」
「マジかよ。全然知らなかった」
恋愛とは程遠い様子ではあったが、そんな彼女の心を奪う程の人が現れたのか。しかも、相手も一目惚れ状態だ。
やはり、令嬢達は結婚する人が多いなと改めて実感する。ルシアンの友人は婚約者がいた数人が結婚したが、どちらかといえば爵位を継ぐために勉強をする者が多い印象だ。
ふと、リズに婚約者がいないことが不思議に思えた。領地を持ち、古くからある伯爵家の令嬢となれば婚約者がいてもおかしくない。むしろ、幼馴染だったクライドがそうなっていても納得できる。
気にはなるが、その疑問をリズに聞くのはタイミング的にデリカシーがなさすぎる。
(なんでそういう話が出なかったんだろ? いや、俺が知らないだけで実はいるとか? でも、いるなら幼馴染のこと今も好きっていうわけにはいかないし、そもそも、レオさんの俺への対抗意識は何なんだ)
機関に入ってから、リズのことをやたらと気に掛けていることは気づいていた。てっきり、リズがルシアンよりも早く通っていたため、親しくなったからだと思っていたが、ルシアンがリズと近すぎたり二人きりになろうものなら間に入ってくることが多かった。途中、ダリルとアズラに叱られてからは大人しくなり、所長になった去年からは視線で訴えてくる程度になったが。
(あの人も大人げないよな)
「失恋した子が言うのも変なんだけど」
「え? あ、なに?」
まだ残業しているであろうレオを思い浮かべていたせいで、リズが何を言ったのか分からなかった。
何が変なのかと目を瞬かせていると、レオのことを考えていたとは知らないリズは世間話をするような雰囲気のまま訊ねてきた。
「ルシアンにはそういう話はなかったの?」
「そういう話って?」
「婚約とかの話」
「……こっ、こここここ、婚約!?」
突然、何を聞いてくるのかと慌てたが、友人達の結婚の話をしていたのでおかしくはない。ただ、自分にその疑問を向けてくるとは思わず、数秒の間思考が止まってしまった。
ルシアンは軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。声が上擦ったルシアンを見ておかしそうに笑うリズも可愛いと思うのだから重傷だ。
「あー……俺、父さんが爵位持ってるとはいえ宮廷貴族だし、そんなに身分高いわけじゃないし、三男だし、話は出なかったな」
「そう? 宮廷貴族って言うけど、代々王宮勤めなんでしょう? それに、コンラッド子爵は敏腕行政官だってお父様から聞いたわよ? 穏やかな性格からは考えられないほど、書類処理の速さと正確さは部署一だって」
「はは……ありがとう」
ルシアンの父は、人相に人柄が滲んでいると言われるほど、温厚でのんびりしている。結婚前、王宮で侍女として働いていた母のほうが少しさっぱりしているほうだ。
「兄さん達にもまだそういう話はないし、多分、俺達の意思に任せる感じかなぁ」
「そうなんだ。私の両親と同じね」
「シンシア伯爵も?」
「うん。二人が恋愛結婚だったから、子供である私達も、親が決めた相手じゃなくて自然とそういう相手に出会えるのがいいって」
自分達が恋愛結婚をして幸せになっているからこそ、世間を見る前に決めつけるようなことはしたくなかったようだ。
しかし、ならば尚更、クライドがその相手に出なかったのは何故かが気になる。リズの両親であれば、彼女がクライドを慕っていることくらいは気づきそうなものだが。
傷を抉ることになるので口に出せないでいると、それを察したリズが困ったように笑った。
「実はね、婚約の話はあったの。クライド様と」
「へっ?」
「けど、クライド様の気持ちも分からないし、気軽に話せる関係性が崩れるんじゃないかって思ったら怖くなっちゃった。だから、婚約の話は一旦なくなったの」
クライドが成人した頃、一度だけ両親から話があった。イザックス侯爵家からそれとなく婚約の話が来ていると。正式な話ではないため、嫌ならそのままなかったことにもできると言われた。
当時、リズは漸くクライドのことを意識し始めていたばかりだった。クライドを見た友人達が、「あの先輩かっこいいね」「騎士を目指しているんでしょう?」「この前、教材を運んでいたら手伝ってくれたの」と色めき立っていることに感化されたのもあるだろう。それまでは第二の兄のような人だったのが、一人の男性として見るようになった。
しかし、クライドからの扱いは「女性」というよりは「妹」の感覚に近く、もし、婚約をしてしまったら居心地の良い関係はどう変わるのかと怖くなったのだ。
「その後、クライド様からリボンを貰った時、『もしかしたら』って期待もあったんだけど……でも、クライド様は私のこと、妹くらいにしか見てなかったのよ」
距離が近すぎたのかもしれない。リボンを貰った時、「昔から見てきた妹みたな子だから、何かお祝いしたくて」と言われて複雑だった。
話を聞いているルシアンからすれば、クライドが何度も「妹みたいな子」と言うのは、彼の中で踏み込んではいけないと線引きでもしているのかと気になったが。
(昔から知ってて、距離が近いとそうなんのかな?)
「クライド様に恋人ができたのは、ある意味、これで良かったのかも」
「なんで?」
「ずっと片想いのままでいるわけにもいかないじゃない」
「……そうですね」
少しすっきりしたように言うリズだが、現在進行形で片想い中のルシアンには刺さる言葉だった。思わず敬語で返してしまうほどに。
そんなルシアンを他所に、陽が完全に落ちて暗くなった空を見上げたリズは慌てて立ち上がった。
「あ、もう真っ暗になっちゃった。ごめんね? こんなに長く付き合わせちゃって。早く帰らなきゃ」
「いや、俺は大丈夫。リズの家まで送ってくよ」
ここからリズの家まではそう遠くない。
リズとルシアンが二人で並んで歩き、少し先をテオが進む。まるでペットの散歩をしているようだ。
何気ない日常の話をしていると、リズの家が見えてきた。
貴族のタウンハウスらしい、大きな屋敷と広い庭、それを囲う背の高い柵。ルシアンはこれを見る度に自分より家格が上なのだと実感してしまう。
(いや、俺も貴族っちゃ貴族なんだけど)
ルシアンの家は、「必要最低限でいい」という両親の考えから、平民の家よりも大きいものの庭はそこまで広くはない。
思わず溜め息を吐きそうになったが、変に思われると嫌なのでぐっと堪えた。ついでに、ずっとタイミングを逃していたことを実行に移すために気持ちを落ち着ける。
もう門はすぐそこだ。
送ってくれたことへのお礼を言うためにルシアンを見たリズは、難しい顔で固まる彼が何か忘れ物でもしたのかと首を傾げる。
「ルシアン? 何かあった?」
やや目線を下に向けていたルシアンは、徐に鞄から小さな紙袋を取り出した。そして、不思議そうな顔をするリズに差し出す。
「あげる」
「え?」
短く言われ、反射的に受け取ってしまう。
紙袋とルシアンを交互に見れば、彼は気まずそうに視線を逸らした。街灯に照らされた顔は少し赤い気がした。
「中、見てもいい?」
「いい、けど……」
ルシアンは落ち着かない様子で、隣に来たテオの頭を乱雑に撫でる。荒い手つきにテオの眉間に皺が寄っているが、今のルシアンにそれを気遣う余裕はない。
一方、リズは紙袋を開け、中身を取り出した。
入っていたのは濃紺のバレッタだった。表面に勿忘草に似た花が五つ刺繍されており、花弁の中心に輝くのは黄色い石だ。
「え、これって――」
「べっ、別に、変な意味はないからな!? あの騎士から貰った物は使いにくいって言ってたし、さっきの露店でこういうのが人気だって聞いたから」
リズが花屋に行っている間、店主からいくつかおすすめを見せてもらった。リボンの方がいいかと思ったが、敢えて違う種類の物でもいいだろうとのことで、一番気になったものを選んだ。店主はプレゼント用に包もうかと気を遣ってくれたが、リズに気負いさせたくないので断った。「頑張ってね」と応援されたことは口が裂けても言えない。
「ごめんね。気を遣わせちゃって」
「いや、幻獣が逃げたこともあるし、それ考えたら俺のほうがごめんなんだけど」
「ふふっ。気にしてないのに。ありがとう、大事に使うね」
「お、おお」
たった今思い出したことだが、プレゼントの理由付けにするにはちょうど良かった。
「今日はありがとう。気をつけて帰ってね」と言ったリズは、門を開けて中に入る。
その背が遠くなって行くのを見ていると、テオが「ワンッ」と軽く吠えて現実に引き戻した。
「俺、変なこと言ってなかったよな? まずいことしてないよな?」
「…………」
「テオ?」
今になって不安がどっと押し寄せ、思わずテオに確認をしてしまう。賢いこの幻獣は、言葉こそ人語を話せないが、こちらが何を言っているのか理解している節はある。
だが、テオは少し思案した後に遠い目をするだけで、ルシアンを安心させるような反応はしなかった。
その理由は、翌日、知ることになる。




