06.舞い込んできたチャンス
脱走した幻獣の検査は問題なく終わり、飛行訓練も異常なしだった。
数日後には元いた場所に帰せるだろうとリディアから聞いたリズは、ほっと胸を撫で下ろした。
それから数時間が経ち、終業を知らせるベルが鳴り響く。幻獣の管理のために夜勤をする者以外は、仕事を終わらせて帰る支度を始める。
リズも帰宅のために荷物をまとめていると、やや心配した様子のレオがやって来た。
「リズ。家まで送る」
「え?」
思いも寄らぬ申し出に目を瞬かせると、レオの後ろからオズが声を掛けて止めた。
「いや無理だろ」
「なぜだ?」
「今日中の仕事が終わってないし」
「討伐戦の報告書は書いただろ。幻獣の脱走についての始末書も警備隊に出したし、保護中の幻獣の報告書もチェックは済んだし……」
今日中に出す書類やチェックが必要な物はすべて目を通した。提出も済ませたが、それに対する返信が来るには早すぎる。
その他に必要な仕事が分からず思案しているまだ若い所長に、オズはこれまでなかったからなぁと教えることにした。最も、彼は忘れているだけで、必要なことは知っているだろうが。
「警備隊宛てにはな。王宮に迷い込んだっつっただろ。騎士団から、報告はいつ頃になるかって連絡入ってんだよ」
「……そうだった」
幻獣の脱走は、基本的にはレオが言った王都警備隊への報告書もとい始末書だけでいい。警備隊が王都内の治安維持をしている組織だからだ。
だが、王宮に迷い込んだとなれば、王宮の治安を維持している騎士団への報告書も必要になる。
明日にしたいところだが、警備隊に出しているのなら騎士団へ出すのも同日でなければ後々が面倒だ。
「すまない。俺から言っておいて」
「気にしないでください。報告書のほうが大事ですから。……あ。でも、私も残ったほうがいいですよね? 確保した時にはいましたし」
「いや、大丈夫だ。警備隊への書類とそう変わらないしな」
むしろ、脱走した時のことなので、ルシアン達に話を聞かなければいけないくらいだ。ただ、それもどういった経緯かなどは既に聞いているため、彼らを引き止めるつもりもない。
リズは「それなら、あの子の検査結果の報告書を複製して持ってきますね」と言うと、荷物を置いて別室へと書類を取りに行ってしまった。
リズの向かいのデスクで一連の話を聞いていたルシアンは、純粋な疑問が浮かんで隣にいるダリルに聞く。
「普段、シンシア家の馬車が送り迎えしてるのに、なんで家まで送るとかの話が出るんすか?」
「迎えの馬車は帰せばいいだけだし、一緒にいたかっただけじゃない? アンタに良いところ取られちゃってるし」
「ああ、なるほど……」
あの後、リズと何があったかは根掘り葉掘り聞かれている。勿論、彼女がいない場所で。
ルシアンは、漸く冷めた熱がまた顔に集まりそうになりながらも、普段どおりに過ごしているが失恋したばかりなんだよなとリズの心中を案じる。
そこへ、ルシアンの後ろに背中合わせの形でデスクがあるリディアが、ダリルとは反対隣にやって来てこっそりと教えた。
「そもそも、今日は城下で市が出ていて、それを見て帰るつもりだったから迎えはないんだって」
「へぇ、そうなんすね」
「「…………」」
リディアとダリルは、あっさりとした様子のルシアンを見て顔を見合わせる。
仕事帰りに市に寄るという話は、今日の昼食時にリディアがリズから聞いていた。それも、誰かと行くわけでもなく、一人で行くと言う。
言いたいことがうまく伝わらないことに、「鈍感すぎる」「ピュア代表ね」と二人はそれぞれ言いたい放題だ。それでも疑問符を飛ばすルシアンは、何故そこまで言われるのか分かっていない。
レオの近くに待機していたアズラはそんな会話が聞こえていたようで、わざとらしく声を大きくして言う。
「レオ様が報告書を失念していなければ、所謂『デート』のチャンスでしたね」
「……アズラ。君は主の味方をしてくれないのか」
「そもそも、忘れていなければよかったのです。これも教訓ですよ」
「返す言葉もない」
声を潜めていたものの、本性がドラゴン故に耳が良いアズラ以外に、レオにも届いていたようだ。
レオは、ルシアンに気づかせようとはっきりと単語を出すアズラにショックを受けつつも、失念していたのは事実なので何も言い返せなかった。
そんな二人のやり取りをよそにアズラの言葉を反芻したルシアンは、漸くダリル達が言わんとしていることに気づいた。
「でっ、ででっ、デート!? いやっ、そんな……付き合ってもないのに!? リディア先輩は行けないんですか?」
「私は用事があるから一緒に行けないんだよね」
勿論、嘘だ。縋る子犬のようなルシアンは後輩として可愛らしいが、だからといってこんなチャンスを逃すわけがない。ぜひとも頑張ってもらいたいところだ。
「貴族のご令嬢が、護衛も侍女も連れずに出歩くなんて危ないと思わない?」
「えっ、いや、そう、ですけど……」
これが休みの日ならば、リズが家を出る際に自然と護衛か侍女がつくだろう。しかし、仕事の時はどちらもついて来ていない。送迎の馬車にいるくらいだ。
ルシアンは最後の望みと言わんばかりにダリルを見る。
「ちなみに、ダリルさんは……」
「やだ。二人の邪魔なんてできるわけないでしょ。ルシアンが行かないなら誘っちゃうけど。普通に危ないし」
「ええ……それはそれで複雑」
「難しく考えないの。学生時代も出掛けてたんでしょ? それと一緒じゃん」
「いや、あれは他にも友人がいたんで……」
一向に踏み出さないルシアンに徐々に苛立ってきたリディアは、「喝入れるついでに殴っていいかな」と拳を握り締める。「待ってあげて」とダリルがその拳を押さえなければ一発は入っていた。
そうこうしている内に、取ってきた書類をレオに渡したリズが自席に戻ってきた。
三人が固まって話しているのを見て、リズは改めて今日のことについて謝罪を入れる。
「今日は色々とご迷惑をおかけしてすみません。お先に失礼します」
「あ! ちょっと待って!」
「はい?」
ダリルが慌ててリズを呼び止めると、リディアが肘で小突いてルシアンを促す。
もう自棄だ、と腹を括ったルシアンは、リズから少し視線を逸らしながら言う。逸らした先にいたレオの視線が痛い。
「こ、これから市に行くんだろ? 一人じゃ危ないし、俺も見たいから……いっ、一緒に行っていいか? 人も多くて危ないし!」
(同じこと二回言ってる)
(締まらないわね)
素直に「一緒に行きたい」と言えばいいものを、下手に付け足しているせいで格好がつかない。
オズを始め、まだ執務室にいる他の幻獣師達は「若いなぁ」と遠い目をしている。レオはデスクに突っ伏しているが。
「うん。一緒に行こっか」
「! す、すぐ準備する!」
にっこりと微笑んで了承したリズを見て、急いでデスクを片付ける。
二人が「お疲れ様です!」と部屋を後にしてから、レオは椅子の背凭れに全体重を預けながら不満を漏らした。
「皆、ルシアンの味方ばっかりする」
「もう。公爵子息が拗ねるところじゃないわよ? それに、アタシは二人ともに頑張ってもらいたいし。今、ルシアンの背中を押したのは、貴方にはまだやるべきことがあって、あの子が適任だったからよ」
「私は、その『公爵子息』っていう肩書きでルシアンが不利になっているから、一平民としてはルシアンを応援したいだけですけど」
「あいつも貴族なんだけどな……」
宮廷で働く子爵家の息子だ。それも、領地こそ持っていないが長く宮廷で働いてきた家柄で、それなりに周囲からの信頼も高い。
爵位だけで言えばレオの家の方が格上ではあるが、貴族という括りで見れば変わらないだろうと不満が募る。
しかし、平民であるリディアからすれば、爵位が低いほうを応援したくなるようだ。
「おーい。あんまり苛めてやるなよ?」
「味方はオズだけか」
「仕事が進まん」
「秒で裏切られた」
機関を出て、市が出ている城下へ向かう。
ルシアンは何故か緊張した様子だったが、テオのことや保護している幻獣達の話をしている内に段々と普段どおりになってきた。
通りを歩いていると、道の両端には徐々に露店が増えてくる。
魔力の調節によって体の大きさを変えられるテオには、邪魔になってはいけないので中型犬ほどの大きさまで縮んで貰った。
美術品を並べている店、外国の珍しい生地を売っている店、子供向けの玩具や雑貨を売っている店などを横目に進んでいると、アクセサリーを売っている店が目に入った。ネックレスや指輪、耳飾りの他に、髪飾りも売っている。
(そういえば、リボンも変えたほうがいいよね……)
クライドに恋人が出来たのなら、彼から貰ったリボンを使い続けるわけにはいかない。他にも髪飾りは持っているが、どうせなら新しく買ってもいいくらいだ。
ずらりと並んだリボンを手に取って見ていると、ルシアンも興味深そうに隣から手元を覗き込んできた。
「妹達もこういうのよく見るけど、どういうのがいいんだ?」
「うーん。どんな時に使うかにもよるけど、普段使いならあんまり派手すぎないほうがいいかな? 勿論、その人の好みにもよるけど」
「こういうのとか?」
試しにルシアンが手に取ったのは、黄色の花の刺繍が入った白いリボンだった。可愛らしいが、リズが着けるには少し幼い雰囲気だ。
ふと、何度か見かけた彼の双子の妹達の姿が過り、プレゼント選びの参考にしたいのかと思い至る。
「うん。可愛いと思う。妹さん達にも似合うんじゃない? ほら、色違いでプレゼントするとか」
「えっ、なんで妹?」
「ははっ。お兄さん、それを彼女さんにプレゼントするにはちょっと幼いかもねぇ」
「え!? まだ彼女じゃないです!」
「あら、ごめんなさい。悪いことしちゃったわね」
妹が出た理由が分からずに首を傾げると、やり取りを聞いていた店主の女性が思わず笑った。
勘違いされていることを慌てて訂正しながら横目でリズを見れば、状況的に仕方ないと思ったのか、彼女は困ったように笑っているだけだ。思わず「まだ」と言ってしまった点については、気づかれているか分からない。
慌てているルシアンを他所に、リズは向かいの花屋にある物を見つけた。
「あっ、ごめん。ちょっとあっち見てくるね。ゆっくり見てていいから」
「う、うん」
「……もしかしてアピールしてるところだった?」
「まっっったく、意識してもらえてないんですけどね」
「そっか。頑張ってね」
あっさりと離れて行くリズを見て、店主は念のため、声を潜めて確認する。自然と力のこもった返事に、彼のこれまでの苦労が見えた気がした。
店主は、私にもそういう時期があったなぁと過去を懐かしみながら、ルシアンの肩を叩いて励ました。




