04.それぞれの帰還
「オズ。どうかしたか?」
「おー、お早いお戻りで」
機関に戻ったレオは、外で本館を眺めながら数人の職員と何かを確認していた部長のオズワルド・リンクスを見つけて、何事かと声を掛けた。
後頭部の低い位置で結んだダークレッドの髪は少し乱れ、やや垂れ目の濃紺の瞳には疲労が滲む。レオ達が魔獣討伐戦に向かう前、徹夜で研究をしていた彼は仮眠を取ると言っていたが、寝起きですぐに何かしていたようだ。
大きな欠伸をした彼は、頭を掻きながら先ほど起こっていた事態を報告した。
「こないだ保護した幻獣の飛行チェックをしていたんだが、その最中に脱走されたんだよ」
「脱走!? 結界は?」
「破られたらしい」
「破られたって……そんなに強い幻獣でもなかったでしょう?」
「俺も夢かと思ったぞ。結界は守護竜の力が宿った魔石を使ってるし、俺が仮眠を取るまでは何の異常もなかったんだ」
怪訝な顔をするダリルが言うように、脱走した幻獣は魔力があまりないオズでも制御できる程の下級だ。
また、結界には国王の守護竜とアズラが魔力を込めた魔石を使っている。それが破られるということは、幻獣の力が想定よりも強かったか、結界が弱っていたかだ。ただし、結界が弱っていれば、オズだけでなくレオやアズラが先に気づく。
「幻獣はルシアンとリズが確保したって少し前に連絡が来たから、もうそろそろ帰ってくるはずだ。ちょっと遅い気はするが」
「確保できているなら良かった」
「始末書はいるぞ。王宮に逃げ込んでたからな」
「うわ」
帰りが遅いというのは気になるが、幻獣が捕まったなら何よりだ。逃げ込んだ先については聞きたくなかったが。
害のない幻獣に対しては寛容な国王や王妃はともかく、第一王子辺りからは叱られるだろうな、とレオは生真面目で少し堅い従兄弟の顔を思い浮かべる。勿論、第一王子以外からも注意が入るはずだ。
すると、新しい結界を見ていたノエルがオズに向き直って訊ねる。
「ねぇ、その魔石、ちょっと借りれる?」
「ああ。破られた時の物でいいんだよな? もう使えないし、そのままやるよ」
「ありがとう。原因が分かるかもしれないから、あとで見てみる」
結界を張る際、魔石は建物を囲うように数カ所に置いている。新しい物を張るため、破られた際に置いていた魔石はすべて回収した。魔力が尽きていたのは数個だけだったが、魔力がまだ残っている魔石を継続して使うにはリスクがある。
オズが「中に置いてるから取りに行くか」と言って一歩踏み出した時、ちょうどリズとルシアンが帰ってきた。
「すみません、遅くなりました」
「お帰りー。……王宮で何か言われたか?」
謝ったルシアンにオズは軽い調子で返しつつ、彼の少し後ろにいるリズの様子を見て眉を顰める。
レオもリズの異変に気づき、すぐに彼女の傍に駆け寄った。
「目が赤いけど、何があったんだ?」
「あ、これは……」
「ルシアン、何かしたの?」
「えっ、俺!?」
どう説明したらいいか、と言い澱み、反射的に事情を知るルシアンに視線を向けてしまった。しかし、今の状況で視線を向ければ、原因がルシアンにあるようにも見える。
ダリルにじろりと睨まれ、ルシアンはすぐに「何もしてないです!」と言い返した。
不本意ながらルシアンが疑われてしまったことに気づき、リズはすぐに間に入った。
「ち、違うんです! ルシアンじゃなくて、その……いえ、大した事ではないので……」
「お二人とも、ここでは人の目も多いですし、脱走していた幻獣も検査が必要になりますよね? 一先ず、中に入りませんか?」
リズが周囲にいる人を気にしていると気づいたアズラは、状況を知ろうとするレオとダリルを宥めつつ、中に入ろうと促す。
ノエルも便乗して、「僕もここには別の用事あったんだ」と《コア》の件を思い出した。
「それもそうだな。じゃあ、幻獣は一旦、リディアに渡しとけ。ルシアンとリズは現場の報告のために執務室な」
「はい、貰うよ」
「すみません。よろしくお願いします」
てきぱきと指示を出すオズに呼ばれたリディアは、感情が読めない表情のままルシアンから魔石を受け取ろうと片手を差し出す。ターコイズ色の瞳は冷たい雰囲気だが、怒っているわけではなく、単に感情表現が苦手なのだと働き始めて半年ほどで気づいた。
肩を少し過ぎる濃紺の髪は、今は作業のために一つに結ばれている。
ルシアンはすぐに魔石をポケットから取り出すと、リディアに渡して中に向かうオズ達に続いた。
「例の幼馴染みに恋人ができたですって?」
「はい……」
職員達が使う執務室に入り、部屋の片隅にある休憩用のソファーに座らされたリズは、「大変、お恥ずかしいのですが」と前置きをしてから目が赤い理由を明かした。
ずっと想いを寄せていた人に恋人ができたのだと。
先ほど、魔石を預けたリディアとリズの向かいに座るダリルには、何かと相談に乗ってもらっていたこともあったため、その相手が誰かはすぐに出てきた。
「なんだ、そんな事――いってぇ!!」
「外すのは貴方だったわね」
呆れた様子のオズの腿を殴って黙らせたのは、立っている彼の一番近くにいるダリルだ。こんなことならリディアを連れてきて、オズに魔石を預ければ良かったと溜め息を吐く。
しれっとリズの隣に座っているレオも、何と声を掛ければいいか迷っている様子だった。
「でも、ルシアンとテオが一緒にいてくれたので、もう大丈夫です」
「そうだったのね。ありがとう、ふたりとも」
「ワンッ」
「いや、俺は特に……」
ダリルに褒められて嬉しそうに吠えたテオと違い、ダリルの隣に座っているルシアンは何もできていなかったし、と言おうとして、先ほどリズを抱きしめたことを思い出す。
あの時のリズは、正義感が強く、喧嘩のせいで魔力が暴走しかけたルシアンを落ち着かせたり、近づきがたい厳つそうな幻獣にも平然と接する姿からは想像できないほどに弱々しかった。自分が守らなければ、と思うほどに。
また、肩は細いのに何故か柔らかく、手入れの行き届いた髪からは良い香りがした。少し落ち着いた頃、まだ涙が滲んだ目で「ありがとう、すっきりした」と見上げて困ったように笑った顔に、胸が締めつけられた。
「…………」
「煩悩の塊ね」
「はっ!? おおお、俺、口に出してました!?」
「いいえ、何も? 後でちゃあんと聞くわ」
ダリルはルシアンの耳が赤くなっていたのを見て試しに言っただけだが、何やら彼にとっては良いことがあったようだ。墓穴を掘るのは彼の純粋さ故だろう。
にっこりと綺麗に笑みを浮かべていると、別室からタオルを持ってきたノエルが、魔法で生み出した氷水でタオルを冷やしてからリズに手渡した。
「はい。ちょっと冷やしておいたほうがいいよ」
「ありがとうございます。……すみません。ノエル様には保存魔法まで掛けてもらっていたのに」
「ん? ああ、そのリボンのこと?」
見習いで通っていた頃、リディア達に嬉しそうに話しているところにノエルも居合わせていた。リボンと同じ色の刺繍が施されたそれを見て、毎日使えば傷みも早いだろうと保存魔法を掛けてやったのだ。
「謝ることじゃないよ。君は何も悪いことをしていないのだから」
律儀だねぇ、とノエルは子供をあやすようにリズの頭を撫でてやった。
想いが成就するかはその時次第だ。今回のことについては、リズは勿論、クライドも悪くない。
話が一旦落ち着いたところで、ルシアンは気になっていたことを向かいに座るレオに訊ねる。
「ところで、魔獣討伐戦のほうはどうだったんですか?」
「“ロスト”は出現していなかったが、いつ出てもおかしくないくらい瘴気は濃くなっていたな。魔獣の数も前回よりは増えていたし」
「じゃあ、また幻獣が被害に遭っていたんじゃ……」
「今回は大丈夫よ。自分達で危険を感じて逃げていたみたいだから」
魔獣の被害に遭う以外にも、戦闘に巻き込まれて負傷する可能性もゼロではない。ただ、今回の討伐戦では、幻獣達は既に遠くに避難していた。
また、戦闘の際には魔獣を逃がさないために魔導師達が簡易の結界を張るため、外から迷い込んでくることもない。
「最近、瘴気も魔獣も増えてるし、これ以上は何も起こらないといいんだけど」
「……そうだな」
「?」
溜め息交じりに言ったダリルにレオが返すまで、僅かながら間があった。
何かあるのだろうかとリズが聞こうとした時、ノエルが「ああ、そうだった」と何かを思い出す。




