09.牽制と救出
王宮までレオとアズラと一緒に向かっていたリズは、門を潜った後、目的地が魔導師団の拠点のため、レオ達と別れた。
ここに来るまで、レオはリズに何かを訊きたそうにしていたが、切り出す言葉が見つからなかったのか、会話は仕事について差し当たりのないものだけだった。
帰りが一緒になればこちらから訊ねてみようと思いながら王宮の外廊を歩いていると、向かいから見覚えのある少女がやって来た。
(あの人は……)
ふわふわのピンクブロンドの髪、愛嬌のあるオレンジ色の大きな瞳、愛らしい顔立ちはやや幼さが残るが、王宮治療師の白い制服に包まれた体つきは立派な女性そのものだ。ショートケープがあっても目立つ大きな胸や細い腰は、同姓としても少し羨ましいと思ってしまう。
その少女……クライドの恋人であるイザベラは、数冊の本と書類の束を抱えて何処かに向かっているようだった。
互いに仕事中であることは間違いない上、共通の知り合いであるクライドもいない今、特に会話をすることもないだろうとリズは視線を彼女から逸らして歩を進める。
ただ、すれ違う際に会釈くらいは、と思ってまた彼女を見れば、ちょうどイザベラもリズを視界に入れたのか視線がかち合った。
「あっ! シンシア嬢ではありませんか!」
「こんにちは、フィルバート辺境伯令嬢」
まさか、イザベラから声を掛けられるとは思わなかった。
リズと目が合うなり、イザベラは大輪の花が咲き誇るかのように笑顔を浮かべ、パタパタと駆け寄ってきた。 会釈程度で済ませたかったが、駆け寄ってきたからには何か話があるのだろう。
「この前はあまりお話しもできなかったでしょう? クライド様から令嬢のことをよく聞くので、一度、お話してみたかったんです」
「そうでしたか。私も、フィルバート辺境伯令嬢のお話は耳にしております。優れた治癒魔法をお使いになると」
「ふふっ。ありがとうございます」
王宮治療師とは、魔獣討伐戦を初めとした戦闘が絡む仕事で一緒になることも多い。ただ、タイミングの問題ではあるが、リズは仕事でイザベラの姿を見たことがなかった。
それでも、別の討伐戦などで一緒になった幻獣師や王宮の人達は、彼女が優れた治癒魔法を使うと口を揃えて言っていた。骨が見えそうな深い傷であっても忽ち治してしまうのだと。加えて、この容姿だ。異性から彼女を慕う声も聞いたことはある。
「でも、クライド様に告白していただいて『恋仲』になって、シンシア嬢には少し申し訳ないと思っていましたの」
「え?」
リズは気のせいと思いたかったが、「恋仲」という単語が少し強調されたような気がした。しかし、失恋したばかりで、僅かながら残る気持ちがそう聞こえるようにしているのかもしれない。
何が申し訳ないのだろうと首を傾げれば、イザベラは心苦しそうに片手を頬に当てて目を伏せた。長い睫が影を作り、人によっては庇護欲をそそられるだろう。
「突然、現れた者に親しい幼馴染を取られたようなものでしょう? もし、“そういうお気持ち”がシンシア嬢にあったのなら、クライド様の想いを受け入れたのは浅慮だったかもと……」
「そんな……。私達は本当に、ただの幼馴染です。お気になさらないでください。その……兄のような人だったので」
「あら、そうでしたか」
自分にも言い聞かせるように言えば、イザベラの表情が一転して明るく輝いた。
彼女はにっこりと可愛らしく微笑むと、クライドから聞いていたことを遠慮なく口にする。
「クライド様も、シンシア嬢のことを『自慢の妹』だと仰っていましたわ。幻獣に好かれ、治癒魔法は幻獣によく効く上に浄化も早いのだとか」
やはり、これは牽制されているのだろうか。ただ、自分がイザベラの立場だったとしても、恋人から別の女性の話が出るのは好ましくないと思う。
まだ褒めてくれているだけマシなのかもしれない、とぎこちないながらも笑顔を浮かべ、「ありがとうございます。治療師の方にそう言っていただけると嬉しいです」と精一杯、頭を働かせて返す。
すると、またイザベラの表情が少し落ち込んだものへと変わった。コロコロと忙しなく変わる表情には、いっそ感心してしまう。
「私はあまり浄化が得意ではなくて……。だって、普通は瘴気に長く触れていると気分が悪くなるでしょう? 昔、“ロスト”の被害にも遭われたそうですし、体が慣れているのかもしれませんわね」
(これは……)
やけに棘のある言い方は、さすがに褒められているだけではないと分かる。
自然と眉間に皺が寄るリズに対し、イザベラはまたしても笑顔になった。
「そうそう。クライド様はシンシア嬢のお話も多いのですが、私のこともちゃんと大事にしてくださいますの。会うたびにプレゼントをくださいますし……あっ。このネックレスやイヤリングもそうなんです」
そう言って、イザベラは服の下にあるネックレスを取り出して見せる。小さなシルバーの花にピンクの石がついた、シンプルながらも可愛らしいデザインだ。また、彼女の耳元で輝くのは、クライドの瞳の色と同じ青い石がついた小ぶりなデザインのイヤリングだ。どちらも仕事に支障がないようにというクライドの配慮が窺える。
「私、浄化は苦手ですけど、これでも治癒魔法は医療部の中でもトップクラスだと言われているんです。騎士に怪我はつきものでしょう? なので、その点からも、クライド様のことは私にお任せくださいね」
可憐に微笑むイザベラに、リズは何も返せなかった。特に邪魔をする気はなかったが、それでもイザベラはリズをクライドから遠ざけたいのだろう。
ただ、牽制されるほどリズとクライドの最近の接点はほぼない。そのため、どう言って彼女を安心させればいいかも、この場を立ち去るための言葉も思い浮かばず、視線は自然と廊下に落ちる。
すると、リズとイザベラの間に一つの影が割って入った。
一体、誰が来たのかと視線を上げれば、騎士団へと向かったはずのレオがいた。
「話しているところ申し訳ない。急用が入って、彼女を連れて行きたいのだが構わないかな?」
「えっ」
「失礼する」
驚くイザベラの返事も待たず、レオはリズの手を取ってその場を離れる。
去って行く二人の背中を呆然と見ていたイザベラは、後ろからやって来たクライドに声を掛けられた。
「イザベラ? どうかしたか?」
「!」
近づいてきた気配に気づかず、驚いて大きく肩を跳ねさせてしまった。レオ達の姿は角を曲がったせいでもう見えない。
後を追うこともできないため、イザベラは気持ちを切り替えて声の主に振り向いた。
「なんでもありません。ただ、シンシア嬢にお会いしたので、少しお話ししていましたの。クライド様からよくお聞きする方がどんな方か、気になっていたので」
「リズと?」
「クライド様が自慢なさるのも分かります。本当に、良い方ですわね」
あれだけ嫌味を込めて牽制をしても尚、少し眉を顰めたのが浄化のことだけ。本当は、もっと早くに嫌な顔をされてもおかしくはなかった。
(まぁ、幼馴染とは言え、クライド様と交際している私に敵うわけないもの。それを分かっていたからこそ、嫌な顔なんてできなかったんでしょうけど)
イザベラがクライドと出会ったのは、昨年、王宮治療師として医療部に所属することになってからだ。
初めて参加した魔獣討伐戦で、後衛にいたイザベラ達に死角から現れた魔獣が襲い掛かり、それを庇って負傷したクライドを治したのが切っ掛けだ。
討伐戦後、助けてくれたことへの御礼の手紙を送ってから交流が始まり、やがて一緒に出掛けるようになった。
元々、辺境伯の娘としてほぼ領地で過ごしていたイザベラだが、王都には第一王子の婚約者候補として来たことがあった。その際、王国騎士団を見て、自領の騎士とは違った雰囲気の王国騎士に憧れを抱いていたこともあり、クライドに惹かれるのにそう時間は掛からなかった。
唯一、気に掛かっていたのは、彼がよく口に出す「リズ」という幼馴染の存在だ。妹のような存在だと何度も言われたが、却って不安になる。単にそう言い聞かせているだけなのではないかと。自分を好いてくれているのは分かるが、まだ少しの未練のようなものが残っているのでは、と。
「だろ? あの子は昔から他人にも優しかったからな」
表情を和らげるクライドは、過去を懐かしんでいるようだ。
イザベラの知らない二人の思い出を振り返られ、内心で僅かに苛立ちが募る。
「先ほど、アルドリック公爵のご子息が連れて行かれましたが、あのお二人は仲がよろしいのですね」
「……えっ?」
「わざわざ手を引いて行かれたので、それなりに親しいのだと思いました」
「アルドリック卿と? ……いや、そんな話は聞いたことがなかったな」
いつの間に仲良くなったんだろう、でも同じ職場だから仲も良くなるか。とぶつぶつと独り言を呟くクライドに、イザベラは胸の奥がざわつくのを感じた。
自分で話題は振ったが、クライドがここまで気にするのは、やはり“そういう想い”を抱いていたからこそ、未練があるのか。
どうすれば自分をもっと見てくれるかと考えた時、ふと、先ほどのレオを思い出した。
(アルドリック卿は遠目にしか見たことがなかったけれど、見た目はとても優れているのね。それに加えて、次期公爵で王族の血筋。あと、守護竜に光竜がいるとか)
直接的な関わりはないが、レオの噂は耳にしている。
もし、レオに惹かれている振りをすれば、クライドはさらに自分を見てくれるのではないか? それでクライドがイザベラを諦めてリズに乗り換えるのであれば、こちらも公爵子息を狙えばいい。騎士に憧れているのは本当だが、レオの腕前もそれに劣っていないと聞いたことがある。家柄的にも文句のつけようがない。
そうと決まれば、自然と口角が上がった。
「クライド様。何かご用件があったのでは?」
考え込むクライドの腕に抱きつき、思考を引き戻す。
わざと胸を押し当てれば、異性慣れしていないクライドの動揺が伝わる。
「あ、ああ、そうだった。次の魔獣討伐戦のことで、医療部とも話をしたいんだ。だから、代表者を呼んでくるように言われて……」
「そうでしたのね。私もちょうど戻るところでしたから、一緒に行きましょう」
実力としてはイザベラはトップクラスではあるが、会議ともなると医療部の長クラスが出る必要がある。その人から代わりに出るように言われれば話は別だが。
イザベラはクライドの腕に抱きついたまま、医療部への道を進んだ。
「すまない。連れ出すためとはいえ、勝手に触ってしまって」
「いえ! 助かりました。ありがとうございます」
イザベラから離れた後、角を曲がったところでレオはリズの手を離した。
リズはあの場からすぐにでも去りたかったため、手を引かれるくらいの強引さは何とも思わない。
礼を言ったリズにレオは少し眉を顰めたかと思えば、「もう一度触るぞ」と断りを入れてからリズの手を取った。
手のひらを見れば、薄らと爪の跡が残っている。一部は皮膚が裂け、僅かに血が滲んでいた。
「何を言われたらこんなことになるんだ」
「うーん……言われたらと言いますか、自分の不甲斐なさでしょうか」
光属性の魔力は、基本的には治癒や浄化の魔法が優れているとされる。そのため、リズの治癒魔法が人にあまり効かないのは珍しいと言われた。
リズは人に対する治癒が不得意なことはなるべく気にしないようにしていたが、改めて指摘されると負い目を感じてしまう。唯一、苛立ちをほんの少し覚えたのは、浄化について自分が異常だと言うかのような口振りに対してだ。
レオは小さく溜め息を吐くと、リズの手に自分の手を翳した。
「魔力が光属性だからって、必ずしも治癒魔法が得意なわけじゃない」
レオの手から柔らかい光が発したかと思えば、リズは翳されている手がじんわりと温かくなるのを感じる。
翳されていた手が離れると、手のひらにあった爪の跡や傷が消えていた。
「俺も、治癒魔法は得意じゃないしな。正直、今くらいの傷でもかなり集中しないとできない」
「でも、私よりは治せていますよ。小さい傷だったのに、わざわざすみません」
手のひらの傷は自然治癒に任せるつもりだった。魔力を使わせてしまったことを申し訳なく思いつつも、少し過保護では? と口には出さないが感じた。
しかし、当の本人は魔力の消費は大したことではなさそうに平然としている。
「そうか? まぁ、リズはその分、浄化や幻獣の治癒が誰よりも優れているんだから、治癒魔法に特化した医療部の人と比べて落ち込む必要はないと思うけど」
「ありがとうございます……って! 会議はどうなったんですか?」
「え? ああ、そう言えば、リズと何処で落ち合うか話していなかったなと思って。まだ時間に余裕はあるから大丈夫」
元々、騎士団の拠点には早めに着くように出ている。もし、時間がギリギリだったならアズラを向かわせるところだったが、レオがこちらに来て正解だった。彼女でも対処はできただろうが、守護竜である以上、自身より弱い人間にあまり強くは出られない。
レオは先ほどの状況を鑑みて、合流場所を決めるより迎えに行ったほうが良さそうだと思った。会議は大体、長時間に及ぶ。丸一日までとはいかずとも、半日は終わらないこともある。イザベラの所属する治療部が王宮にある以上、待たせている間にまたイザベラに遭遇しないとも限らない。
日頃、リズを引き抜く機会を窺っているノエルならば、何時間でもいてもいいと言うはずだ。
「終わったら魔導師団の拠点まで迎えに行く。少し時間が掛かるかもしれないが、そのまま待っていてくれ」
「分かりました」
そう言うと、レオは元来た道を戻って行った。
リズも魔導師団へと向かいつつ、再度、綺麗に治った手を見る。
(いつも思うけど、レオ様の魔力って、ちょっと懐かしい感じがするのよね)
いつかは分からないが、ずっと前にも感じたことのある魔力だ。
しかし、彼と知り合ったのは幻獣師の見習いとして幻獣保護機関に通い始めた時。学園に通っていた頃は遠目に見たくらいだ。
理由は分からないが悪いものではないため、これまで深く気にせずにいた。
(機会があったら、聞いてみようかな)
そう思いながら、辿り着いた魔法師団の拠点の扉をノックした。




