Episode 21:ゴーストバスターズ――決着
キャラクタープロフィール――ゴーストバスターズ調査チーム&対象者
【ゴーストバスターズ調査チーム】
ルイーズ・ゴールドバーグ
肩書き:UCLA心理学教授(超論理派)
決め台詞:「科学で説明できない超常現象なんて存在しない」
概要:実証的な真実を信奉し、サーマルセンサーとEMFメーターを武器に戦場へ突き進む科学者。「祈り」と「異常現象の停止」に100%の統計的相関があるという現実を前に、学者としてのプライドが完全な認知崩壊を起こしかけている。
田所カヨ
肩書き:田所家最高司令官/非公式アドバイザー
決め台詞:「感情変動を検知しました」
概要:恐るべき観察力を持つ主婦。最近、なぜか話し方がAIかシステムプログラムのようになってきており、周囲をじわじわ不気味がらせている。異常現象を追跡する一方で、弟子のシンディを支援するプロトコルも密かに実行中。
シンディ・ゴールドバーグ
肩書き:カヨの弟子/トシキの恋人
決め台詞:「(二人のタイミング……自然すぎる……)」
概要:カヨから学んだ鋭い観察力が裏目に出て、トシキとサーシャの息の合いすぎる連携を必要以上に分析してしまう。あまりにも純粋で優しい相手には嫉妬することすらできず、感情CPUはオーバーヒート寸前。
田所トシキ
肩書き:ベーカリー助手/カヨの息子
決め台詞:「カメラ設置完了! 次は何する、サーシャ?」
概要:物語における天然の鈍感キャラ。恋愛的な緊張感を読み取る能力は完全にゼロ。意識の100%を4Kカメラの三脚配置と、サーシャとのベーカリー談義に割いており、周囲で巻き起こっている感情の嵐にはまったく気づいていない。
サーシャ・カラマゾヴァ
肩書き:カラマゾヴァ家三女/聖なる純真
決め台詞:「わ、私……何か悪いことをしましたか?」
概要:祖母から受け継いだ銀の十字架を身につける敬虔なカトリック教徒。皆の安全を願ってただ純粋に祈るだけなのに、その静かな信仰が、意図せず究極の対超常現象カウンターと化していく。
エマ
肩書き:観測補助員(ポップコーン担当)
決め台詞:「すっごい! 本物の悪魔に会えたりするの!?」
概要:恐怖心ゼロ、興奮度100%。恐ろしい怪奇現象を究極の実写エンターテインメントとして楽しんでいる。カヨのロボット口調をからかい、ルイーズの必死な計算をいじり倒す、明るく新鮮な空気のような存在。
レイチェル・ジマーマン
肩書き:観測補助員(生け贄役)
決め台詞:「だから来たくないって言ったでしょ!! もう帰る!!」
概要:チーム内で唯一、まともな自己防衛本能を持つ人物。不気味なAI口調のカヨ、マッドサイエンティスト化したルイーズ、そして実際に飛び交うポルターガイスト現象の間に挟まれ、一日中泣きそうになっている。
【対象者】
グレッチェン
肩書き:ゲーテの『フォースト』を研究する大学院生
決め台詞:「……声が……小さくなってる……?」
概要:長年、謎の幻聴――メフィストフェレスの囁き――に苦しめられてきた悲劇的な研究者。動揺しながらも、少しずつ回復している。サーシャが部屋に入った瞬間、彼女は何か深いものを感じ取る。
土曜日 午後2時――グレッチェンのアパート前
色あせたレンガ造りのアパートの前に、7人の調査チームが集まっていた。
カヨ。エマ。レイチェル。ルイーズ。シンディ。トシキ。そしてサーシャ。
ルイーズは大量の機材を詰め込んだ巨大なタクティカルダッフルバッグを抱え、まるで戦場に向かう将軍のような目でタブレットの画面を見つめていた。
「主要機材、すべて確認完了」
ルイーズが、講義でもしているかのように淡々と告げる。
「カヨ、エマ、レイチェル、シンディ、トシキ、サーシャ。到着誤差、0.4%。最適」
「今日こそその日よ!」
エマが芝居がかった大げさな動きで両腕を広げた。
「虚無と対峙して、闇の真実を暴く日!」
「科学的な真実よ」
ルイーズが画面から目も離さず、即座に訂正した。
「無駄にドラマチックな表現は控えなさい」
レイチェルは老朽化した建物の外壁を見上げ、みるみる顔色を失っていく。
「……本当に、またあそこに入るの? 自分たちの意思で?」
「当然です」
カヨがレイチェルの隣に立った。そして正確で機械的な動きで、レイチェルの肩に手を置く。
「心拍数を安定させてください、レイチェル。数的優位は28.5%増加しました」
「これ、数学の問題じゃないと思うんだけど、カヨ……」
レイチェルはかすれた声でそう言い、わずかに後ずさった。
少し離れたところで、シンディがサーシャを見つけた。
「サーシャ!」
サーシャの顔がぱっと明るくなった。
「シンディ!」
銀の十字架を優しく揺らしながら、サーシャが急いで駆け寄ってくる。
「あなたも来てくれたんですね! 会えて本当に嬉しいです」
「もちろん来るわよ」
シンディは微笑み、サーシャを軽く抱きしめた。
「あなたがいてくれるだけで、すごく安心できます」
サーシャは何の飾り気もない、心からの言葉でそう言った。
「ありがとう」
「いつでもどうぞ、サーシャ」
シンディも柔らかく答えた。その様子を近くで見ていたトシキは、明るく、そして完全に何も気づいていない笑顔を浮かべた。
「なんか、お前ら二人って本当に仲いいよな」
「当然でしょ」
シンディは笑顔を崩さずに言った。その言葉が空気に落ち着く間もなく、トシキはすぐに話題を変え、サーシャの方を見る。
「で、今朝のヴィクターは平和だった?」
サーシャが上品に小さく笑った。
「はい。ブレイディさんが開店直後に来ませんでしたから」
「ああ」
トシキが自然に笑う。
「小麦粉の在庫にとっては大勝利だな」
「本当に」
サーシャも、静かな楽しさを宿した青い目を輝かせた。二人は一瞬、あまりにも自然に視線を交わした。ためらいもない。気まずさもない。ただ、毎日のリズムがぴったりと合っている二人だからこそ、会話も一拍の無駄なく始まり、終わっていく。
シンディは半歩後ろに立ち、その途切れない流れを見つめていた。胸の奥に、かすかな痛みが静かに押し寄せる。
(やっぱり……二人って、すごく自然なんだ)
「シンディ!」
ルイーズの声が、霧笛のように空気を切り裂いた。
「ぼんやりしてないで。サーマルアレイの設置を手伝って」
「今行く、ママ」
シンディはため息をつき、サーシャにもう一度だけ軽く手を振ってから、母親の方へ歩いていった。
3階の廊下
チームは、きしむ狭い階段を上っていった。ルイーズが先頭を切る。その足音は、正確なメトロノームのように廊下に響いた。
「主要パラメーターを再確認します」
ルイーズが、誰にも頼まれていないのに空っぽの廊下へ向かって宣言した。
「本日の目的は、セッション1で観測された異常現象を記録、分類、そして解明すること。具体的には、温度低下、書籍の局所的な物理移動、そして未確認の大気変動です」
シンディがこめかみを押さえた。
「ママ。それ、車を降りてからもう4回目よ」
「反復は記憶構造の強化につながります」
ルイーズは歩みを止めず、平然と言った。
「科学には、揺るぎない一貫性が必要なのです」
「はいはい」
エマはニヤリと笑いながら、階段を上る途中で手すりにもたれかかった。
「でもさ、今日こそ本物の悪魔を尋問できたら、もっと最高なんだけど」
「悪魔は存在しません」
ルイーズが一瞬で言い返した。
「霊的現象と認識されているものはすべて、まだ解明されていない環境変数と、人間の認知バイアスが組み合わさった結果です」
「でも前回、説明できなかったじゃん」
エマが意地悪そうに笑った。
ルイーズの左眉が、ぴくりと動いた。その後ろで、カヨはルイーズのごくわずかな反応を鋭い目で観察していた。
「今回は高度な計測機器があります」
ルイーズは、いつの間にか話す速度を15%ほど上げていた。
「今日は必ず、合理的かつ実証的な説明を確立します。以上」
一行は304号室の前に到着した。
ルイーズがドアをノックする。コン、コン、コン。鍵が開き、グレッチェンが姿を見せた。
前よりも明らかに顔色がよく、目の下のクマも薄くなっている。髪もきちんと整えられていた。
「レイチェル……」
グレッチェンがつぶやき、それから廊下に並ぶ小さな軍団のような一行へ視線を移した。
「……ずいぶん大人数ね」
「こんにちは、グレッチェン」
カヨが淡々と声をかける。
「現在の身体状態を確認します」
「前よりはいいわ」
グレッチェンは静かに答えた。
「今週からセラピーも始めたし……」
「良好な心理的ベースラインです」
ルイーズが恐ろしいほどの速さでタブレットを操作した。
「では、幻聴は?」
グレッチェンは少し考えた。
「まだある」
廊下の空気が、わずかに張り詰めた。
「でも……」
グレッチェンは首をかしげた。
「……今日は、ずっと静かなの。ほとんど囁き声みたい」
ルイーズのスタイラスが、空中で止まった。
「静かになった? 変化した変数を特定してください」
「わからない」
グレッチェンは首を振った。そして彼女の視線は、ルイーズを越え、カヨを越え、グループの後ろに立つサーシャへと向かった。
サーシャの首元にある銀の十字架が、薄暗い廊下の光を受けて小さく輝いていた。グレッチェンの目が見開かれる。まるで、何かの幻でも見たかのように。
「グレッチェン?」
レイチェルが不安そうに声をかけた。
「どうしたの?」
グレッチェンは答えなかった。ただ、サーシャから目を離すことができなかった。
アパートの中
『フォースト』研究の資料は、今も床に何層にも積み上げられていた。ただし、以前より多少は歩けるスペースが確保されている。中に入った瞬間、ルイーズは調査隊長へと変貌した。
「シンディ! 赤外線センサーを四隅に設置!」
「わかった、ママ」
「トシキ! 4Kカメラを対角線上に配置!」
「了解!」
トシキは手慣れた様子で三脚を設置し始めた。
機材に関する役割を与えられていないサーシャは、静かに入口の近くに立っていた。
その時、グレッチェンがゆっくりと彼女に近づいてきた。
「……あの」
サーシャが振り返り、優しく微笑む。
「はい?」
「あなた……カトリック教徒なの?」
「そうです」
サーシャは柔らかくうなずいた。グレッチェンの目は、銀の十字架に釘付けになっていた。
「それ……とても、穏やかな感じがする」
「ありがとうございます」
サーシャは微笑んだ。
「祖母の形見なんです」
グレッチェンは長い間、黙っていた。そして、ほとんど聞き取れないほどの声でつぶやいた。
「メフィストフェレス……」
サーシャが瞬きをする。
「え?」
「静かになってる」
グレッチェンは十字架を見つめたまま、ささやいた。
「あなたが部屋に入ってから……音が止まったの」
サーシャは完全に戸惑った表情になった。
「わ、私は……何もしてませんけど?」
「いいえ、本当よ」
グレッチェンは目を見開いた。
「何か月もずっと頭の中で叫んでいた声が……今は、完全に黙ってる」
カチカチカチカチカチッ。その背後で、ルイーズの指が恐ろしいほどの速さでキーボードを叩き始めた。
「興味深い」
ルイーズが、学術的な興奮に目を見開きながらつぶやく。
「典型的な、プラセボ効果による心理的安定化です!」
「ママ、やめて……」
シンディがうんざりしたように言った。
「『神聖な拠り所』という原型を、サーシャの宗教的な装飾品に投影することで、グレッチェンの神経系がストレスによる聴覚処理エラーを即座に軽減しているのです!」
ルイーズは勢いよく続けた。
「これは教科書どおりの心理的防衛機構です!」
「プラセボ……?」
サーシャは完全についていけていなかった。
カヨが一歩前に出る。声は、平坦で落ち着いていた。
「ルイーズ。サーシャを実験動物のように扱うのはやめてください」
「非侵襲的な観察よ!」
ルイーズは反射的に言い返した。
エマは両手をポケットに突っ込み、カヨの隣へ歩み寄った。そして面白そうな、少し疑わしげな笑顔で目を細める。
「ねえ、カヨ……私だけかな? 今日のカヨ、いつもよりさらに本物のロボットみたいに喋ってない?」
エマは楽しそうに首をかしげた。
「何かあった? メフィストに言語プロセッサーでも呪われた?」
「私の言語出力は、標準的な運用パラメーターの範囲内にあります」
カヨは、一切表情を変えずに答えた。
レイチェルが頭を抱え、今にも泣き出しそうな顔をした。
「もうやめて! 最初は幽霊、今度はAIみたいに喋るカヨ、それにマッドサイエンティストみたいなゴールドバーグ先生! このアパートより、あんたたちの方が怖いわよ!」
調査開始
30分後。部屋の四隅にサーマルセンサー4台。対角線上に配置された4Kカメラ2台。中央のテーブルにEMFメーター。そして高性能オーディオレコーダー3台が作動していた。
「全システム、正常稼働」
ルイーズがダッシュボードを確認しながら宣言した。
「ライブ記録を開始します」
そしてグレッチェンを見る。
「私たちの存在は無視してください。普段どおりの行動を続けて」
「……わかった」
グレッチェンは机に座り、分厚い『フォースト』を開いて読み始めた。
5分が過ぎた。何も起きない。10分が過ぎた。
完全な静寂。
エマは、IMAXでジャンプスケアを待っている観客のような顔で壁にもたれていた。
レイチェルは玄関のすぐそばに張り付き、いつでも逃げ出せる体勢を取っている。
カヨは部屋の構造的な状態を確認していた。
シンディは温度の数値を監視している。
トシキはカメラの角度を再確認していた。
サーシャは壁際に立ち、両手をそっと十字架の上に重ねている。
「環境データが、不気味なくらい平坦ね……」
ルイーズが小さくつぶやいた。グレッチェンがページをめくる。
「本当に、今日は静か」
「何か聞こえますか?」
カヨが尋ねた。
「何も」
グレッチェンは答えた。
「いつもなら、もう叫び始めてる頃なのに」
そしてグレッチェンは、サーシャの方を振り返った。
「……やっぱり……本当に、この子のおかげなのかも」
タタタタタッ。ルイーズはタブレットに猛烈な勢いで入力した。
対象者、宗教的象徴への強い認知的依存を示す。
突然――ピピッ! ピピッ! ピピッ!シンディがモニターから飛び上がった。
「温度異常!」
「低下幅は!?」
ルイーズが叫びながら、表示画面へ飛びつく。
「5度低下! いえ、8度!」
シンディの声が緊張で高くなる。
「4台のセンサーが同時に!」
エマの目が輝いた。
「よっしゃ! 始まった!」
「始まったじゃないでしょ!」
レイチェルが悲鳴を上げ、壁際まで後ずさる。
「なんであんた嬉しそうなのよ!?」
グレッチェンが激しく震え始めた。
手から鉛筆が落ち、床にカランと転がる。
「……来た」
震える声で、グレッチェンがつぶやいた。
「……怒ってる……」
「原因を特定!」
カヨが即座に言った。
グレッチェンは震える指を上げ、まっすぐサーシャを指した。
「光……」
グレッチェンの声が、わずかに歪んだ。不自然なほど重い響きを帯びる。
「なぜ……私の領域に……光を連れてきた……?」
サーシャが小さく一歩後ずさった。胸元に手が飛ぶ。
「わ、私……?」
ドォン――バン!!全員が跳び上がった。
300ページはありそうな分厚い本が、見えない何かに蹴り飛ばされたかのように本棚から飛び出し、激しく床へ叩きつけられた。
「きゃああああっ!」
レイチェルが耳を塞んで悲鳴を上げる。
「カメラに映った!?」
ルイーズがトシキに向かって叫んだ。トシキはモニターを見つめ、目を見開いていた。
「フレーム落ち! 本が動いた瞬間、映像が完全に乱れた!」
「見せて!」
ルイーズは走り寄ると、トシキを押しのけるようにモニターへ顔を近づけた。
「EMFは!?」
「振り切れてる! 基準値の10倍!」
シンディが叫ぶ。
バン!!重い木製の窓が、勢いよく開いた。
凍えるような、ありえないほど冷たい風が部屋へ吹き込み、床に散らばっていた資料を吹雪のように舞い上げる。カーテンが激しく空中で暴れた。トシキが反射的に、開いた窓の外を見た。
「……待って。外を見て!」
全員が窓の外へ視線を向ける。通りに立つ木々は、完全に静止していた。葉一枚、動いていない。外の空気は、まったくの無風だった。
なのに304号室の中だけでは、カテゴリー5のハリケーンが荒れ狂っていた。
「彼は彼女を追い出したいのよ!」
グレッチェンが、風の轟音に負けないよう叫んだ。サーシャを見つめながら、涙が頬を流れていく。
「神聖なものが耐えられないの! 彼女を外へ出して!」
「サーシャ!」
トシキが叫び、彼女へ手を伸ばす。本が飛ぶ。紙が空中を渦巻く。
レイチェルは床に膝をつき、泣き叫んでいた。
エマは、今年最高の映画の最前列チケットを買ったばかりのような顔をしていた。
ルイーズは完全にパニックになりながら、電卓に猛烈な勢いで数字を打ち込んでいる。
そして、その嵐の絶対的な中心で――
サーシャは目を閉じた。
小さな銀の十字架を、ぎゅっと握りしめる。そして頭を垂れた。その声は静かだった。落ち着いていた。そして、唸りを上げる風の中でも、まったく揺るがなかった。
「主よ……」
床板が震える。風が叫ぶ。それでもサーシャの声は震えなかった。
「どうか、この場所をお守りください」
空気がさらに激しく冷え込む。
「この魂を、闇からお守りください」
カーテンが、獣のように激しく暴れた。
「すべての悪しきものを、遠ざけてください……」
声は柔らかい。戦いの雄叫びではない。ただ、静かで、揺るぎない真実だった。
「……アーメン」
パチン。
祈りが終わった、まさにその瞬間。風が消えた。弱まったのではない。消滅した。
窓が蝶番を軋ませながら閉じる――のではなく、何事もなかったかのように、カチリと静かに閉じた。空中に浮いていた紙が、ぱらぱらと一斉に床へ落ちる。耳をつんざいていた轟音も、コンセントを抜いたかのように一瞬で途切れた。
304号室に、死んだような静寂が訪れた。
ピッ。シンディが温度モニターを見つめたまま、信じられないという表情を浮かべる。
「温度……基準値に戻ってる。EMFも……ゼロ」
誰も動かなかった。誰も声を出さなかった。ゆっくりと。
部屋にいる全員の視線が、サーシャへ向けられた。サーシャは目を開けた。床に落ちた本を見る。そして、自分を見つめている、唖然とした皆の顔を見回した。サーシャは、本気で困惑したように首をかしげた。
「……わ、私……何か悪いことをしましたか?」
レイチェルは、口を開けたまま固まっていた。
エマは今にも拍手を始めそうな顔をしている。
トシキはカメラの横で、完全に動きを止めていた。
グレッチェンは椅子に座ったまま、涙を静かに流している。
動いたのは、ルイーズだけだった。
彼女はタブレットを見る。サーシャを見る。
そして、もう一度タブレットを見る。
「サーシャ……」
ルイーズの声はかすれていた。学者としての威厳は、完全に消え失せている。
「今……今の物理的な行動は、何?」
「お祈りしました」
サーシャは簡単に答えた。
「神様に、私たちを守ってくださいってお願いしただけです」
「それだけ……?」
「はい」
ルイーズは画面を見つめた。温度異常、記録。EMF急上昇、記録。制御不能な物理移動、記録。
対象者が祈る→すべての現象が即時かつ完全に停止、記録。
ルイーズは、スタイラスを画面の上に浮かせた。手が、目に見えて震えている。書けなかった。今起きたことを分類するカテゴリーが、彼女の頭の中には文字通り存在しなかった。
「相関関係が……100%」
ルイーズは、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「でも……相関関係は因果関係を意味しない! 因果関係には実証的な証拠が必要よ!」
カヨが、その隣へ歩み寄った。
「数値はどうですか、ルイーズ?」
ルイーズは画面を見つめたまま、目を見開いている。
「……統計的整合性、100%」
「そうですか」
「偶然よ!」
ルイーズが突然、大声を上げた。しかし、その声には何の確信もなかった。
「統計的には極めて起こりにくい、異常な偶然!」
グレッチェンが、自分の耳に触れた。息をのむ。
「消えた……」
「何が消えたの?」
レイチェルが、まだ震える声で尋ねる。グレッチェンは顔を上げた。その表情には、純粋で圧倒的な驚きが浮かんでいた。
「声よ」
「叫び声が……完全に静かになった」
涙があふれ出す。何か月ぶりだろう。
初めて、彼女の頭の中は完全な静寂に包まれていた。グレッチェンはサーシャを見た。
「……ありがとう。本当に……ありがとう」
サーシャは慌てたように両手を振った。
「あっ、私にお礼なんて言わないでください! 私じゃありません。神様です」
その隣で、ルイーズは恐ろしいほどの速度でキーボードを叩き始めていた。完全に崩壊しかけた自分の世界観を処理するための、必死の現実逃避だった。
帰りの車
田所家の車内には、重くて妙な沈黙が漂っていた。夜の街を走る車の中で、最初に沈黙を破ったのはエマだった。後部座席で満面の笑みを浮かべながら言う。
「オーケー、今のは文句なしで、私が人生で見た中で最高の出来事だった。10点満点」
「私は二度と、絶対にあそこへ戻らない……」
レイチェルがジャケットにくるまりながら、か細い声でつぶやいた。
「前も同じこと言ってたじゃん」
エマが笑う。
「前回だって怖かったんだから!」
前の助手席では、シンディがフリーウェイの明かりを眺めながら、窓の外を見ていた。
後部座席では、トシキとサーシャが小さな声で話している。
「最後のグレッチェン、ずいぶん良くなってたな」
トシキが優しく言った。
「はい」
サーシャも柔らかく微笑む。
「これで、やっと穏やかに眠れるようになるといいですね」
「サーシャのおかげだな」
「あ、いえ、私、本当に何もしてませんから……」
二人は微笑み合った。自然に。無理なく。完全に息を合わせて。
シンディは、助手席の暗い窓に映る二人の姿を見つめていた。胸の奥で、冷たく重いものが締めつけられる。
(サーシャは……本当にいい人だ)
嫌いになれない。腹を立てることすらできない。サーシャは優しくて、誠実で、そして今夜は悪夢に苦しんでいた女の子を救ったばかりだ。
(トシキが一緒にいたいと思うのも、当然だよね……)
シンディは目を閉じ、額を冷たい窓ガラスにそっと預けた。
(嫉妬じゃないなら……この気持ちは、何なんだろう?)
その時だった。
センターコンソールを越えて、一つの手が伸びてくる。
カヨの手だった。カヨはシンディの指を、しっかりと包み込んだ。強く。揺るがず。そして温かく。
シンディは驚き、カヨの方を見る。カヨは前方の道路から目を離さなかった。
何も言わない。それでも、その手はずっとシンディを握っていた。シンディは小さく息を吐き、そっと握り返した。
深夜――ルイーズの研究室
ノートパソコンの青白い光が、ルイーズの机を照らしていた。数字。グラフ。温度曲線。ルイーズは確率アルゴリズムを、これで7回目となる計算にかけていた。
偶然による一致の確率:0.003%
ルイーズは画面を睨みつけた。眉間には深いしわが刻まれている。
「馬鹿げてる……」
誰もいない部屋に向かって、ルイーズはつぶやいた。赤いペンをつかみ、新しいページを研究ノートに開く。
【仮説改訂4】
対象者サーシャの存在が極めて強力な心理的安全バッファーを形成し、対象者グレッチェンの神経化学的変化を誘発した。
ルイーズの手が止まった。紙を見つめる。そして、ゆっくりとその下に3つの項目を書き加えた。
1.心理的安全バッファーによって、室温を8℃下げることは可能か?
2.神経化学的反応によって、EMFメーターを1000%上昇させることは可能か?
3.プラセボ効果によって、窓を閉めることは可能か?
研究室に沈黙が満ちた。
ルイーズは革張りの椅子にもたれかかる。天井を見る。ノートを見る。そして、もう一度画面を見る。ゆっくりと、ルイーズはカレンダーを手に取った。そして次の週末を、赤いペンで乱暴なほど強く丸で囲んだ。
「再調査」
誰もいない研究室で、ルイーズが宣言した。目には、凄まじい決意の炎が宿っている。
「必ず、実証的な説明を見つける」
深夜――シンディの寝室
シンディはベッドに横たわり、スマートフォンの光る画面を見つめていた。そこには、トシキからのメッセージが表示されている。
【今日は来てくれてありがとう! サーシャも、シンディが来てくれてすごく喜んでたよ】
シンディは、その一文を何度も読み返した。
サーシャも、シンディが来てくれてすごく喜んでたよ。
喉の奥に何かがつかえるような感覚を覚えながら、シンディは短い返事を打ち込んだ。
【もちろん! またみんなでどこか行こうね】
送信。スマートフォンを置き、暗い天井を見上げる。
(もし……あの子のことを嫌いになれたらいいのに)
サーシャが意地悪な子だったら。自己中心的な子だったら。きっと、その方がずっと楽だった。
でも、違う。サーシャは素晴らしい人だった。
BZZT。
スマートフォンが震えた。新しいメッセージ。
送信者はカヨ。
【感情状態は許容範囲内ですか?】
シンディは画面を見つめた。短く。正確な言葉。でも、シンディにはその意味が分かっていた。カヨは今日、一部始終を見ていた。シンディの指が、キーボードの上で止まる。嘘をつくこともできる。「大丈夫」と返すこともできる。
でも今夜は、もう取り繕う気力がなかった。
【……分かりません。もう、自分でも何が何だか分からなくなってます】
送信。五秒もしないうちに、返信が届いた。
【明日09:00。対面相談。今は寝なさい】
シンディはそのメッセージを見つめた。そして、ほんの小さく微笑んだ。
【了解です。おやすみなさい】
スマートフォンをナイトテーブルの上に置く。シンディは毛布を引き上げ、静かな夜の中でようやく目を閉じた。




