枯死向寒⑧
朝、屋敷内の騒がしさに自然と目が覚めた。廊下に出ても使用人たちは小走りで皆焦っているのが感じ取れた。これはなにかが起こった、と嫌な予感を感じながらもいつも通りクレアと食堂に向かった。食堂に居たクリスティーナ姉さんは私たちを見ると近づいてきて、何が起こっているのか簡潔に話し始めた。
「ごめんなさいね、二人とも。朝から騒がしかったでしょう」
「何があったの?」
「……クレオが逃亡したのよ。囚人を連れて。……よりにもよってカサール国の伯爵家嫡男、捕虜だった男を」
クレオ姉さんが逃げた。
どこに? カサール国に。
誰と?
あの、捕虜と、地下牢で会ったデューク・アボルビュートと。
それが嘘ではないことなどこの場の雰囲気が証明している。あの時地下牢で感じた違和感は正しかった。妙だと思ったのだ、捕虜でありながら拷問を受けているはずなのに服は血で汚れておらず、正気を保ち話ができる。あの地下牢で父上にも、他の兄弟にも知られることなく好き勝手できるのは拷問官のクレオ姉さんだけだ。あの時ハッタリで脅しをかけてみてよかった。あのハッタリをクレオ姉さんが信じてくれたおかげでクレアの願いを叶えて信頼を取り戻すことができたのだから。慣れないことでもやってみるものだ。
追っ手を放っている最中だと報告した父上直属の部下は腹いせに殺されてしまった。今年は例年に比べて消費される人員が多い。
「クレオお姉ちゃん、大丈夫なの……?」
「ん、ああ。クレオ姉さんが無策で逃亡するとは思えない。こう言ってはなんだが、クレオ姉さんが勝負に出た時点で勝敗が決まっているようなものなんだ」
そう、勝負はもう既に着いている。本館の者たちは皆慎重で疑り深い。絶対に逃げ切れるという確信がなければ逃亡という手段は選ばないのだ。これまでも本館、別館の者が逃亡を図ったことはある。しかし、そのほとんどが捕らえられ始末された。本館の者たちを除いて。
クレリデイラの歴史で逃亡に成功したのは二人、どちらも本館でそれなりの序列を維持していた実力者。
つまり、クレオ姉さんはこの家に見切りをつけ逃げた。それも確実な方法で。
安心させるためにクレアの頭を撫でる。
「心配する必要は無いよ。あの人は、おそらく逃げ切る」
「……そっか」
逃げれるなら逃げたいと思わせてしまっただろうか。確かに、この混乱に合わせてならば逃げれる確率は上がる。
アジェルダ戦地での戦いで敗れ、カサール国との戦いはいつの間にかシリディ国が、いや父上は劣勢に追い詰められている。それだけではない、そんな状態で追加された最悪の一手。これまで関与どころか無干渉無関心を貫いていた隣国ジェニーロスト国が突きつけて来た実質的な宣戦布告。
ジェニーロスト国はシリディ国ではなく、カサール国に加担することに決めたのだ。
悲観的、絶望的とも言える現状。
クレオ姉さんの予期せぬ逃亡により今は警戒状態。だが、ジェニーロスト国が敵にまわった今、父上やクリスティーナ姉さんたちは私たちに注視できるほど暇じゃない。
まさしく、これまでにないチャンスだ。手札は増えた、クレアの父親である魔法使いアシェル。役に立つはずだ。それでも、この絶好の機会でも、私は兄姉を相手に逃げ切れるという確信がない。勝機を得てから戦を仕掛けろ。嫌という程教え込まれた、この身に染み着いた基礎。
まだ、そのときでは無いのかもしれない。




