「ちょっとした喧嘩」続き
『戻らない日常』
第7話「ちょっとした喧嘩」続き
「ひまわりの前で」
石田家での挨拶を終えたその日の夕方。
加賀家では、今日子が「今日はよう頑張ったねえ」と何度も充をからかい、幸枝は「噛みすぎて途中でこっちまで緊張したし」と笑い、一方で充は「お前ら、絶対しばらくその話するじゃろ」と半分あきらめ顔になっていた。
そんなにぎやかな空気のあと、幸枝は少しだけ外の風に当たりたくなって、家の前の坂をゆっくり下りた。
夕方の熱気はまだ残っている。
昼間ほどではないが、夏の暑さは地面からじんわりと立ち上っていた。
ふと、道端の花壇に目が留まる。
「あ……」
そこには、小輪径のひまわりが何本も咲いていた。
大きく背を伸ばすひまわりとは違って、背丈はやや低く、花も小ぶりだ。
けれど、その分だけ数が多く、夕陽を受けていっせいに明るい黄色を向けている。
幸枝は足を止めた。
「かわいい……」
思わず小さな声がもれる。
花の中心の濃い色と、まわりの鮮やかな花びら。
夏の盛りの強い日差しの中でも、へこたれず、まっすぐ顔を上げて咲いているその姿は、見ているだけで不思議と気持ちが明るくなる。
「私、ひまわり大好き」
誰に言うでもなく、そっとつぶやく。
「見てたら、なんかすごく元気をもらえそう」
その時、後ろから聞き慣れた声がした。
「また花見とる」
一貴だった。
振り返ると、一貴が少しだけ息を弾ませながら立っていた。
たぶん加賀家からの帰り道、幸枝の姿を見つけて追いついてきたのだろう。
「うん」
幸枝は笑って、花壇の方を指さす。
「見て、ひまわり。小さいやつ。めっちゃかわいくない?」
一貴は隣に並んで、ひまわりを見た。
「ほんまじゃ」
「ね」
「幸枝、ほんと花好きだな」
「好き」
その答えには迷いがなかった。
「ひまわりも好きじゃし、秋のコスモスも好き。冬の山茶花も好きなんよ。あと春に咲く菜の花とか、パンジーとかも」
「そんなに」
「うん。見とるだけで季節感じるし、なんか、ちゃんと時間が流れとる感じするじゃん」
「……ああ」
一貴が小さくうなずく。
幸枝は花壇の前にしゃがみ込んで、ひまわりの高さに目線を合わせた。
「時々ね、家の庭にも植えるんよ」
「知っとる。前、パンジー並べとった」
「そうそう。あと去年はコスモスちょっと植えた」
「母さんが写真見せてくれた」
「え、見たん?」
「見た」
「なんでお母さん、そんなとこ共有するん」
「自慢したかったんじゃない」
「うわあ……」
少し照れたように笑ってから、幸枝はまた花を見つめた。
「花っていいよね」
「うん」
「なんか、ちゃんと咲く時期があって、終わる時期があって、でもまた次の季節に違う花が咲いて」
「うん」
「そういうの見てると、しんどいことあっても、まあなんとかなるんかなって思える」
一貴は、そういうことを自然に言える幸枝が好きだった。
大げさじゃなく、でもちゃんと自分の言葉で、好きなものを好きと言えるところ。
日々の小さなものにちゃんと目を留められるところ。
「幸枝らしい」
一貴が言う。
「なにが?」
「ケーキも花も、誰かが見てちょっと嬉しくなるもんが好きなんじゃろ」
「……」
幸枝は、ぱちっと目を瞬いた。
「一貴、たまにそういうこと言うよね」
「何」
「なんか、こっちが先に気づいてなかったこと、すっと言う」
「そう?」
「そう。ずるい」
「またそれ」
「だってそうなんじゃもん」
幸枝は立ち上がって、一貴の横顔を見た。
夕方の光が少しだけやわらかく差している。
「でも、うれしい」
幸枝は言う。
「うち、自分の好きなものいっぱいあるんよね。ケーキも、花も、季節の匂いも、庭いじりも」
「うん」
「それをちゃんと覚えとってくれる人がおるの、うれしい」
「……覚えやすいし」
「なにそれ」
「分かりやすい」
「ひど」
笑いながら、幸枝はまたひまわりを見る。
夏の暑い盛りに咲く花。
汗ばむような空気の中でも、まぶしいほど明るく咲いている。
幸枝には、その姿がたまらなく好きだった。
「いつかさ」
幸枝がぽつりと言う。
「自分の家持ったら、庭に季節ごとの花いっぱい植えたい」
「うん」
「春は菜の花とかパンジーで、夏はひまわりで、秋はコスモス。冬は山茶花とか」
「庭、足りる?」
「足りんかもしれん」
「増やす?」
「増やせる?」
「知らん」
「無責任!」
また笑う。
でも幸枝は、そのまま続けた。
「でもいいなあ。そういうの」
「うん」
「朝起きて、花見て、今日はこれ咲いとるとか言って。で、ケーキ焼いて」
「うん」
「一貴は?」
「何が」
「将来の家に、庭いる?」
「……」
一貴は少し考えた。
「幸枝が花植えるなら、いる」
「え」
「花見て元気出るんじゃろ」
「……うん」
「なら、あったほうがいい」
その返事が、あまりにも一貴らしくて、幸枝は少しだけ黙った。
それから、ゆっくり笑う。
「……ほんま、そういうとこよね」
「何」
「好き」
「急だな」
「だって今の、ちょっと反則」
一貴は少しだけ視線をそらした。
照れているのが分かる。
「ひまわり、写真撮っとく?」
一貴が言う。
「え、いいの?」
「好きなんじゃろ」
「うん、撮る!」
幸枝はすぐスマホを取り出して、花壇の前でしゃがんだ。
ひまわりを何枚か撮って、それからふと顔を上げる。
「一貴も一緒に入って」
「なんで」
「記念」
「ひまわりの?」
「今日の」
「ざっくりしとるな」
「いいじゃん、ほら」
結局、一貴は少しだけしゃがんで、ひまわりの横に並ぶことになった。
幸枝がスマホを持って、自分たちごと写す。
「もっと笑って」
「無茶言うな」
「ちょっとでいい」
「……これでええ?」
「うん、それ!」
撮れた写真には、小さなひまわりと、その横で笑う幸枝と、少し照れたような一貴が写っていた。
派手じゃない。
でも、幸枝にはすごく大事な一枚になる気がした。
「これ、あとで現像したいかも」
「そこまで?」
「だって好きなもの全部入っとる」
「全部?」
「花と、一貴と、夏の夕方」
一貴は少しだけ黙ってから、ほんのわずかに笑った。
「……強いな」
「でしょ?」
「うん」
ひまわりは、夕方の風の中で小さく揺れていた。
その明るい黄色は、暮れていく空の下でもちゃんと光を持っているように見えた。
幸枝は、その花を見ながら思う。
夏ってしんどいけど、こういうものがあるから好きなのかもしれない、と。
花を見て、季節を感じて、好きな人と他愛ない未来の話をする。
そういう時間の積み重ねが、自分の毎日をやさしくしているのだと、なんとなく分かっていた。




