戻らない日常、続いていく日々
第51話「戻らない日常、続いていく日々」
日常は戻らない。
それは、加賀家の誰もが知っていた。
玄関を開けても、
「ただいまー!」
と元気な声は聞こえない。
休日に庭へ出ても、
「お母さん、この花見て!」
と駆け寄ってくる娘はいない。
パティスリー・ミズノへ行っても、
「今日の新作どう?」
と笑う姿はない。
戻らない。
何年経っても。
何十年経っても。
それだけは変わらない。
けれど。
止まったままでもなかった。
死刑執行
ある朝。
ニュース速報が流れる。
数年前に尾道市で発生した加賀幸枝さん殺害事件。
死刑が確定していた太田大地の刑が執行された。
全国ニュースでも大きく報じられた。
テレビ局の取材依頼が再び加賀家へ届く。
龍樹は長い沈黙のあと言った。
「受けよう」
今日子も頷いた。
「うん」
充も。
一貴も。
星羅も。
同じ気持ちだった。
初めて公開される写真
ニュース特集。
画面に映し出されたのは、
初めて公開される加賀幸枝の写真。
カラオケで満点を出してピースする姿。
ケーキを持って笑う姿。
花壇の前でしゃがみ込む姿。
専門学校時代の友人との写真。
パティスリー・ミズノの厨房で真剣な顔をする姿。
そして、
一貴と並んで笑う写真。
ナレーションが流れる。
「彼女は事件の被害者である前に、一人の娘であり、妹であり、婚約者であり、夢に向かって努力していたパティシエの卵でした」
インタビュー
スタジオ取材。
今日子が話す。
「娘のことを知ってほしかったんです」
「事件だけじゃなくて」
「幸枝という人間がおったことを」
涙をこらえながら続ける。
「花が好きで」
「ケーキ作るのが好きで」
「よく笑う子で」
「家族の中心みたいな子でした」
龍樹が話す。
「加害者の死刑が執行されても」
「娘は帰ってきません」
「苦しみが全部消えることもありません」
「でも」
「娘の人生を忘れてほしくないんです」
充も話す。
「妹がいたから今の自分があります」
「事件で人生は変わりました」
「でも妹が生きた証は消えません」
一貴は少し沈黙したあと口を開く。
「幸枝は」
「本当にケーキが好きでした」
「仕事の話をする時の顔が、いちばん輝いてました」
「今でも店に行くと」
「そこらじゅうに幸枝が残ってます」
パティスリー・ミズノ
厨房。
店長が語る。
「幸枝さんは、まだ見習いでした」
「でも本当に一生懸命でした」
幸枝モンブラン。
幸枝どら焼き。
そして新作の試作品。
「私たちは」
「今でも幸枝さんと一緒に働いている感覚なんです」
スタッフも頷く。
「レシピノート開くと」
「まだ声が聞こえるんです」
誹謗中傷
特集では、
事件後のSNS被害についても取り上げられる。
根拠のない噂。
被害者への中傷。
家族への攻撃。
顔も知らない他人の無責任な言葉。
今日子は語る。
「娘を殺されたあとに」
「また娘を傷つけられる感覚でした」
滝沢恵も取材に応じる。
「被害者遺族が最も苦しむ二次被害のひとつです」
「書いた側は軽い気持ちでも」
「受けた側には一生残ることがあります」
新しい活動
その後。
加賀家と江守家。
石田家。
そして事件で出会った支援者たちは、
犯罪被害者遺族の会を立ち上げる。
名前は――
「幸枝の会」
同じように家族を失った人。
事件の被害者。
遺族。
誹謗中傷に苦しむ人。
誰にも話せずにいた人。
そんな人たちが少しずつ集まるようになる。
ある日。
参加した女性が言った。
「私、初めて泣けました」
別の男性が言う。
「誰にも分かってもらえないと思ってました」
今日子はその人の手を握る。
「私らも同じでした」
「一人じゃないですよ」
春の終わり
取材が終わった日の夕方。
加賀家の庭。
キバナコスモスが風に揺れる。
ゆきちゃんはよちよち歩き。
星羅が追いかける。
充が慌てる。
一貴と恵が笑う。
今日子はその様子を見ながら、
そっと空を見上げる。
「幸枝」
「見とるかね」
天国
天国。
幸枝はテレビを見ながら大騒ぎだった。
「お母さん泣きすぎ!」
「お父さん真面目すぎ!」
「お兄ちゃん顔固い!」
「一貴、もっと笑わんかい!」
そして、
ゆきちゃんが転びそうになると、
「充!捕まえんかい!」
と大騒ぎ。
でも最後は少しだけ静かになる。
下界を見つめながら、
優しく笑う。
「みんな頑張っとるね」
「うん」
「ちゃんと生きとる」
エピローグ
戻らない日常。
戻らない時間。
戻らない命。
それは変わらない。
けれど。
続いていく日々もある。
笑い声。
新しい命。
誰かを支える手。
受け継がれる夢。
残る声。
そして、
前を向こうとする人たち。
幸枝がいた日常は戻らない。
でも。
幸枝が生きた証は、
これからも誰かの中で生き続けていく。
次回、最終話。
第52話「戻らない日常」
物語は終わる。
けれど、
生きていく人たちの日常は、
これからも続いていく。




