表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戻らない日常  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/54

結婚式の約束

 第46話「結婚式の約束」


 未来の話をするのは、長いあいだ怖かった。


 誰かと暮らすこと。

 結婚すること。

 家を持つこと。

 そういう言葉は、幸枝が失った未来を思い出させるからだ。


 だから充も、星羅も、ずっとどこかで立ち止まっていた。

 前へ進んでしまうことが、幸枝を置いていくことのように感じてしまっていた。


 でも、本当にそうなのだろうか。

 幸枝は、二人に立ち止まっていてほしいと思うだろうか。


 答えは、きっと違う。


 1 星羅の一言


 秋が深まるある日。

 石田家と加賀家の行き来も、以前より少しだけ自然になってきていた。


 その帰り道、夕方の尾道水道を少しだけ見下ろせる場所で、

 充と星羅は二人きりになった。


 空は薄く茜色で、風に少しだけ冷たさが混じっている。


 しばらく並んで黙っていたあと、星羅がぽつりと言った。


「……ねえ」

「ん?」

「私たちさ」

「うん」

「いつまで“そのうち”って言うんかな」


 充は、その意味がすぐ分かった。

 でも、分かったからこそ、すぐ返せない。


 星羅は責めるような口調ではなかった。

 ただ、ほんとうに静かに、でも逃げずに聞いていた。


「幸枝のことがあってから、止まったままみたいになっとるの、分かる」

「……」

「私も、怖かった」

「前に進むことが、悪いことみたいで」


 充は、やっとうなずいた。


「俺も」

「うん」


「でも」

 星羅が続ける。

「幸枝、絶対そんなの望んでないよね」


 その言葉は、充の胸の真ん中へ、まっすぐ落ちた。


 2 約束


 充は長く息を吐いた。

 それから、星羅のほうをちゃんと向く。


「……結婚しようか」


 星羅が目を瞬く。

 驚いたような、でも少し泣きそうな顔。


「それ、確認?」

「いや」

 充が苦笑する。

「ちゃんと言う」

「うん」


 充は照れくさそうにしながらも、目をそらさなかった。


「結婚しよう」

「幸枝のこと、忘れたわけじゃない」

「これからも、たぶんずっと忘れん」

「でも、それとは別に、俺はお前と生きていきたい」


 星羅の目に涙が浮かぶ。


「うん」

 その返事は、すぐだった。

「私も」


 次の瞬間、二人とも少しだけ笑う。

 ものすごく幸せ、という笑い方ではない。

 でも、やっと長く抱えていたものを口にできた人の、やわらかい笑いだった。


「幸枝に、報告せんとね」

 星羅が言う。

「うん」

 充が答える。

「絶対ツッコまれる」


 二人とも、それがあまりにも想像できて、今度はちゃんと笑った。


 3 加賀家への報告


 その日の夜、充と星羅は加賀家へ寄った。


 今日子と龍樹が居間にいて、位牌の前には小さな花が供えられている。

 いつもの夜の光景。

 でも今夜は、そこへひとつ言葉を持ち込まなければならない。


「お父さん、お母さん」

 充が言う。


 その声で、今日子は少し姿勢を正した。

 龍樹も顔を上げる。


「俺、星羅と結婚しようと思う」


 数秒、沈黙。

 そして、今日子の目にすぐ涙が浮かんだ。


「……そう」

「うん」

「よかった」


 その“よかった”には、いろんな意味が含まれていた。

 幸枝を失って止まりかけた時間が、少しだけまた動き始めたこと。

 充がやっと、自分の未来を口にしたこと。

 星羅が、それを待ちながら離れずにいてくれたこと。


 龍樹も、深くうなずいた。


「ええと思う」

「……幸枝も、きっと喜ぶ」


 その言葉を聞いた瞬間、星羅は涙をこらえきれなかった。


「ありがとうございます」

「……ちゃんと、幸枝さんのことも大事にしていきます」


 今日子は首を振る。


「もう十分、大事にしてもろうとるよ」

「星羅ちゃんも、ずっと支えてくれたし」

「ありがとうね」


 そう言って、今日子は今度は本当に笑った。


 4 天国の幸枝


 場所は変わって、天国。


 幸枝は、下界のその様子を見て、思わず腕を組んだ。


「やっと結婚する気になったか」

「ヨシヨシ」


 ものすごく満足そうな顔でうなずく。


「お兄ちゃん、ほんと遅いんよ」

「星羅さん、どんだけ待たせるつもりやったん」

「でも、まあ、ちゃんと言えたなら合格」


 そう言いながら、どこかうれしそうに笑う。


 でもその次の瞬間、幸枝の目は少しだけ別の方向を向く。


 一貴。


 今もまだ、自分のことを大事に思ってくれている人。

 忘れないでいてくれるのは、うれしい。

 すごく、うれしい。


 でも同時に、幸枝は思う。


「……でも、いつまでも一人でいてほしくはないんよね」


 自分のことは覚えていてほしい。

 でも、それと“幸せにならないこと”は違う。


「一貴、ちゃんと生きてほしい」

「ちゃんと、笑ってほしい」

「ちゃんと、誰かと未来を作ってほしい」


 幸枝は少し考えて、それから「あ」と小さく声を上げた。


「そうや」

「ぴったりの人、おるやん」


 裁判で力を貸してくれた、あの若い女性弁護士。

 滝沢恵。


 冷静で、強くて、でもちゃんと人の痛みが分かる人。

 一貴みたいに、静かに傷を抱えてる人と、案外ちゃんと話せるかもしれない。


「よし」

 幸枝は、ちょっといたずらっぽく笑う。

「私から、ひと押ししちゃろ」


 5 夢


 その夜。


 滝沢恵は、ひどく不思議な夢を見た。


 どこかやわらかい光のある場所。

 風がやさしくて、空気が澄んでいる。


 そこに、若い女性が立っていた。


 写真で何度も見た顔。

 裁判資料で、遺影で、何度も見た笑顔。


 加賀幸枝。


 でも、夢の中の彼女は、遺影のように静かではなかった。

 もっと生き生きしていて、ちょっとおしゃべりで、表情がころころ変わる。


「急にごめんなさいね」

 幸枝はそう言って、少し笑った。

「でも、ちょっとお願いがあるんです」


 滝沢は夢の中なのに、不思議と怖くなかった。

 むしろ、ああ、この人が幸枝さんなんだ、と自然に思えた。


「一貴のこと、お願いします」


 その言葉が、夢の中の光の中で、やわらかく響いた。


「私のこと、ずっと大事に思ってくれるの、うれしいんです」

「でも、いつまでも一人でいてほしくない」

「私のことは忘れんでほしいけど、ちゃんと幸せになってほしいんです」


 幸枝は、少しだけ照れたように笑って、それから続ける。


「たぶん、あの人、放っといたらずっと一人でおるけん」

「だから、もしよかったら」

「……お願いします」


 滝沢は夢の中で、何か返事をしようとした。

 でも、その前にふっと景色が薄れていく。


 目が覚める。


 朝方。

 カーテンの隙間から、うっすら光が差している。


 滝沢はしばらく天井を見つめていた。

 夢。

 ただの夢だ。

 そう思うのに、胸の中には妙に静かな余韻が残っている。


「……幸枝さん?」


 誰もいない部屋で、そうつぶやいてしまうほどに。


 6 それでも続く未来


 翌朝。


 加賀家では、充と星羅の結婚の話が少しずつ具体的に動き始める。

 日取りはどうするか。

 式はどうするか。

 小さくするか。

 幸枝の写真は、絶対に置こう。


 そんな話が、久しぶりに家の中で交わされる。


 悲しみが消えたわけではない。

 でも、未来の話をしてもいいのだと、ようやく思えるようになってきた。


 そしてその未来のそばに、幸枝もちゃんといる。


 失われた未来と、これから続く未来。

 その両方を抱えながら、人は生きていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ