カラオケの続き
第44話「カラオケの続き」
「……行こうか」
その一言は、誰が言い出したのかはっきりしなかった。
でも、みんな同じことを思っていた。
あの動画の続きへ行こう。
幸枝が笑っていた場所へ。
あの声が響いていた空間へ。
1 久しぶりのカラオケ
加賀家、そして一貴、星羅、百合愛。
みんなでカラオケ店へ向かう。
店の前に立ったとき、少しだけ足が止まる。
ここで幸枝が、あの動画を撮ったのかもしれない。
同じように笑って、同じように騒いで、同じように点数を見ていたのかもしれない。
「……入ろう」
一貴が言う。
その声に、みんながうなずいた。
2 あの曲
部屋に入って、しばらくは誰もリモコンに手を伸ばさなかった。
何を歌えばいいのか分からなかった。
でも、百合愛が静かにマイクを取る。
「……これ、歌っていい?」
誰も止めない。
曲が選ばれる。
――
壊れかけのRADIO
――
イントロが流れる。
あの日、喫茶店で流れていた曲。
みんなで聴いた曲。
星羅が涙を流しながら聴いた曲。
そして今、百合愛が歌い始める。
3 届くように
百合愛の声は、震えていた。
でも、逃げなかった。
一音一音、丁寧に、言葉を置いていく。
「幸枝お姉ちゃんに届きますように」
その気持ちだけで、歌っていた。
途中で声が詰まる。
それでも歌う。
涙が頬を伝っても、止めない。
画面の歌詞が進む。
サビに入る。
部屋の空気が変わる。
ただのカラオケじゃない。
これは、届けるための時間だった。
4 100点
歌い終わる。
静寂。
機械の採点画面が表示される。
数字が出る。
――100点。
でも、誰もすぐに「やったー」とは言わなかった。
百合愛は、マイクを握ったまま、立ち尽くしていた。
ぽろ、ぽろ、と涙が落ちる。
「……幸枝お姉ちゃん」
「聴いてくれてたんかな」
その声は、子どものようでもあり、
でも確かに、自分の想いをまっすぐに投げた人の声だった。
一貴が、ゆっくりと口を開く。
「ちゃんと届いとるよ」
その一言に、部屋の空気が少しやわらぐ。
「この曲はな」
一貴が続ける。
「俺たちにとって、大切な曲だよな」
星羅がうなずく。
「うん」
「思い出も、全部詰まっとる」
充も、少しだけ笑う。
「しかも100点って」
「幸枝、悔しがるぞ」
「“なんで私の時より上なん”って言う」
星羅が言う。
その想像があまりにもリアルで、
みんな、泣きながら少しだけ笑った。
5 続いていくもの
そのあと、誰かが歌い、また誰かが歌う。
うまく歌えなくてもいい。
点数なんて関係ない。
ただ、声を出す。
笑う。
泣く。
また笑う。
その中に、確かに“続き”があった。
幸枝がいた時間の続き。
あの動画の続き。
あの笑いの続き。
完全に同じにはならない。
でも、確かに繋がっている。
6 閉ざされた時間
一方で、太田大地の時間は、まったく別の場所で流れていた。
作業。
食事。
点呼。
決められた生活。
楽しみと呼べるものは、ほとんどない。
大学に通っていた頃。
自由に外を歩けた時間。
くだらないことで時間を潰せた日々。
それと比べて、今は何もない。
「……あの頃の方が、まだマシだったよな」
ぽつりと、誰にともなくつぶやく。
そして、消えないものがある。
死の恐怖。
それだけは、どこへ行ってもついてくる。
夜。
静かな時間。
何もない時間。
だからこそ、頭の中に浮かぶ。
――いつだ。
明日か。
来週か。
何年後か。
分からない。
その不確実さが、じわじわと精神を削る。
7 荒んでいく心
大地の思考は、次第に歪んでいく。
何もない日々。
刺激もない。
楽しみもない。
過去の記憶だけが残る。
そして、そこにすがる。
だがそれも長くは持たない。
満たされない欲求。
どうにもならない現実。
逃げ場のない閉ざされた空間。
言葉には出せないまま、
ただ心の中で濁っていく。
それは反省でも、償いでもない。
ただの、崩れかけた精神の濁流だった。
8 異変
ある日、刑務官のひとりが、大地の様子に違和感を覚える。
視線が定まらない。
受け答えが粗い。
内側に何かを溜め込んでいる。
長く現場にいる者には分かる。
――これは危ない。
問題を起こす前の兆候。
精神の不安定さ。
すぐに報告が上がる。
必要な措置が取られる。
大地の生活は、さらに管理の強いものへと変わっていく。
自由は、もともとない。
だが、そのわずかな余白すら削られていく。
9 カラオケのあと
夜。
カラオケの帰り道。
みんな、少しだけ軽くなっていた。
完全に楽になったわけじゃない。
でも、確かに何かが変わった。
百合愛が言う。
「また行こうね」
今日子がうなずく。
「行こう」
「幸枝も、きっと聴きに来とるよ」
一貴も空を見上げる。
「次は、もっといい点出すかもな」
「いや、それはない」
充が即答する。
そのやり取りに、また小さな笑いが生まれる。
10 続きはここにある
あの動画の続きは、どこにあるのか。
それは過去の中じゃない。
録画された画面の中でもない。
今ここで、声を出している人たちの中にある。
泣きながらでもいい。
うまく歌えなくてもいい。
笑いながらでもいい。
それが、続き。
幸枝の時間は止まった。
でも、残された人たちの時間は続く。
その中で、少しずつ、
“幸枝らしさ”は受け継がれていく。




