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戻らない日常  作者: リンダ


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幸枝のいない誕生日

『戻らない日常』


第42話「幸枝のいない誕生日」


 誕生日は、本来なら祝う日のはずだった。


 生まれてきてくれてありがとう、と言う日。

 大きくなったね、おめでとう、と笑う日。

 ケーキを囲んで、少し照れて、写真を撮って、

 来年は何にしようかと、そんな話をする日。


 けれど、いない人の誕生日は、少し違う。


 今年の八月十五日。

 加賀幸枝、二十五歳の誕生日。


 その日、加賀家の朝は、いつもより静かだった。



1 八月十五日


 朝。

 今日子は位牌の前に立って、長く手を合わせた。


「幸枝」

「二十五歳やね」


 言った瞬間、涙がにじむ。

 去年の誕生日を思い出す。

 終戦の日に生まれたこの子に、

 みんなに幸せを与えられる人になってほしいと願って名前をつけたこと。

 その願いの通り、幸枝はたしかにたくさんの人にやさしさを配って生きていた。


「おめでとう、って言っていいんかねえ……」

 今日子は、少し笑って、少し泣く。

「でも、言うよ」

「おめでとう」


 龍樹もその隣に立った。


「二十五か」

 短く言う。

「……早いな」


 充も、遺影を見つめた。


「お前、二十五になったってよ」

「信じられんな」


 笑って言うつもりが、やっぱり少し声が詰まる。


 そこへ一貴もやって来た。

 今日は朝から来ると決めていたのだ。


「おはようございます」

「おはよう」

 今日子が振り向く。


 一貴は位牌の前に立ち、静かに言う。


「幸枝」

「二十五歳、おめでとう」


 その言葉は、前より少しだけ自然だった。

 悲しくないわけではない。

 でも、“生まれてきてくれた日”を祝うことは、もう裏切りではないと、少しずつ思えるようになっていた。



2 昼すぎの来客


 昼を少し過ぎた頃だった。


 玄関のチャイムが鳴る。


 出てみると、そこにはパティスリー・ミズノの店長とスタッフたちが立っていた。

 みんな、きちんとした箱を大事そうに抱えている。


「こんにちは」

 店長がやわらかく頭を下げる。

「今日、どうしてもお届けしたいものがあって来ました」


 今日子はすぐに分かった。

 いや、正確には分かったわけではないが、

 その箱の意味を、心が先に察した。


「まあ……どうぞ、入ってください」


 居間に通される。

 位牌の前に、みんな自然と頭を下げる。


「幸枝さん、お誕生日おめでとうございます」

 先輩スタッフのひとりがそう言った瞬間、

 今日子の目に涙があふれた。



3 プレゼントのケーキ


 店長が、白い箱をそっとテーブルの上に置く。


「今日は、幸枝さんの誕生日です」

「なので、みんなでプレゼントを作りました」


 箱が開く。


 中にあったのは、

 レアチーズを使ったチーズケーキだった。


 見た目は繊細で、でも温度のあるケーキだった。

 白のなめらかな層に、淡い果実の艶。

 土台は軽すぎず重すぎず、やさしく全体を支える。

 飾りは派手ではない。

 でも、誕生日のために丹精込めて作られたことがひと目で分かる。


「……きれい」

 今日子が思わず言う。


 店長がうなずく。


「幸枝さん、チーズケーキ系も好きでしたよね」

「あと、重たすぎない口当たりのもの」

「“すっと入るのに、ちゃんと余韻がある味”が好きだって、前に言っていたので」


 一貴が、そこで少しだけ笑う。


「言ってた」

「“濃厚だけで押してくるやつは、途中で疲れるんよね”って」

「そうそう!」

 スタッフが笑う。

「それです!」


 その言い方があまりにも幸枝らしくて、みんなの中に、少しだけあの明るい空気が戻る。



4 店長の言葉


 店長は、遺影の前に向かって静かに言う。


「幸枝さん」

「いつまでも、あなたは私たちの大切な仲間です」


 その一言は、短いのに重かった。


 パティスリー・ミズノにとって、幸枝は“以前いたスタッフ”ではない。

 今もなお、この店の空気の中に残り続けている存在だ。

 厨房の話題にも、試作品会にも、レシピの工夫にも、時々ふっと名前が出る。


 忘れていない。

 店長はそれを、きれいごとではなく、本気で言っていた。


「だから今日は、ちゃんとみんなで祝いたくて」

「二十五歳の誕生日を、ここで一緒に」


 今日子は涙をぬぐいながら、何度もうなずいた。


「ありがとうございます……」

「ほんとに……ありがとうございます」



5 25回目の誕生日


 やがて、江守家の面々も、星羅も来た。

 一貴はもちろん最初からいたし、

 百合愛も、

「今日は絶対行く」

と朝から決めていた。


 こうして居間には、幸枝を想う人たちが自然と集まった。


 位牌の前。

 遺影。

 花。

 そして、その前に置かれた誕生日のチーズケーキ。


「ろうそく、どうする?」

 百合愛が聞く。


 今日子は少し迷って、それから言う。


「……25本は多いけぇ、二本と五本にしようか」


 その言葉に、みんな少しだけ笑う。


「幸枝さん、それ見たら絶対“雑!”って言う」

 星羅が言う。

「言うな」

 充も笑う。

「“ちゃんと25本立てんさい”って」

「で、自分で途中から面倒くさくなる」

 一貴が続ける。


 そのやり取りの中で、確かに幸枝はそこにいた。


 ろうそくに火が灯る。

 静かな部屋の中で、その小さな光が揺れる。


 今日子が、遺影を見て言う。


「幸枝」

「二十五歳、おめでとう」


 みんなも続く。


「おめでとう」

「おめでとう、幸枝さん」

「おめでとう」


 誰かが小さく拍手をして、

 そのあと、少し照れたような、でもあたたかい空気が広がる。


 生きていれば、きっともっと賑やかだった。

 幸枝自身が一番大きな声で笑って、ろうそく吹いて、

 「写真撮って!もう一回!」

 と言っていたはずだ。


 その未来はもう来ない。

 でも今ここにいる人たちは、それでも、

 幸枝の25回目の誕生日をちゃんと祝おう

 と決めて集まっていた。



6 ケーキを食べながら


 ケーキを切り分ける。

 口に入れる。


 レアチーズのやわらかな酸味と、軽やかな甘さ。

 でもただ軽いだけではなく、ちゃんと余韻が残る。

 上品で、でも寂しくない味だった。


「おいしい……」

 今日子が言う。

「幸枝、これ絶対好きやったね」


 店長がうなずく。


「そう思って作りました」


 一貴もひと口食べて、少しだけ目を閉じた。


「うん……」

「好きだと思う」

「しかも絶対、“この口溶けいい”って言う」

 充が言う。

「で、“でも次はもうちょい香りほしいかも”まで言う」

「そこまで言いそう」

 星羅が笑う。


 その笑いは、前みたいに何も考えず転がる笑いではない。

 でも、たしかに笑いだった。


 悲しみの中で、

 幸枝のことを思いながら、

 ちゃんと笑って、ちゃんと食べて、ちゃんと「おめでとう」と言う。


 それができるようになってきたこと自体が、

 この家族と周囲の人たちが、少しずつ前へ進んでいる証拠でもあった。



7 いない誕生日、でも


 夜、みんなが帰ったあと。

 位牌の前には、少しだけ残したケーキが供えられていた。


 今日子が座って、静かに言う。


「幸枝」

「今日はどうやった?」

「みんな来てくれて、うれしかったやろ?」


 返事はない。

 でも、今日の家にはたしかに幸枝の気配が濃く残っていた。


 いない誕生日。

 それはやっぱり、寂しい。

 苦しい。

 本当なら、こんな祝い方はしたくなかった。


 でも、それでもいいのかもしれないと、今日子は少し思う。


 生きていない人の誕生日を祝うのではなく、

 生まれてきてくれたことを、今もありがとうと思う日として。



8 次の一歩


 その夜、一貴は帰り際に位牌の前で言った。


「幸枝」

「来年も、ちゃんと祝うけぇ」


 それは約束だった。

 もう守れなくなる約束ではない。

 今度は、自分たちが守る側の約束だ。


 今日子も、龍樹も、充も、その言葉にうなずく。


 悲しみは終わらない。

 でも、誕生日を祝うことはできる。

 思い出して泣いて、笑って、食べて、話して、

 そうやって生きていける。


 それが、この回の小さな光だった。

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