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戻らない日常  作者: リンダ


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確定

第36話「確定」


 判決が出ても、まだ終わりではない。

 法廷が死刑を言い渡しても、

 被告が控訴すれば、時間はまた引き延ばされる。


 だから遺族にとって本当に重いのは、

 判決そのものよりも、

 それが確定するかどうかだった。



1 待つ時間


 判決のあと、加賀家も一貴も、表面上は静かだった。

 でも、その静けさは落ち着きではない。

 ただ、次に何が来るかを待っている沈黙だった。


 控訴期限がある。

 その日まで、完全には息をつけない。


 今日子は位牌の前に座って言う。


「まだ、終わってないんよね」

「……うん」

 充が答える。

「控訴されたら、また続く」


 龍樹は短く言う。


「待つしかない」


 それが一番つらかった。

 何もできない。

 ただ、加害者側がどう動くかを待たなければならない。


 一貴も、自分の部屋でスマホを見る回数が増えていた。

 新しい連絡が来るたび、胸がざわつく。

 判決が覆るかもしれないわけではない。

 でも、また法廷に戻される可能性を考えるだけで、呼吸が浅くなる。



2 大地の沈黙


 太田大地は、控訴について最終的な判断を迫られていた。


 弁護士の国分篤紀は、法的に残された手段を説明する。

 控訴の余地。

 量刑不当。

 事実認定への争い。

 制度としては、当然に与えられている権利だ。


 だが大地は、以前のようにすぐ言い返さなかった。


 あの日、両親から言われた言葉。


 お前に残された道は、自分の命をもって償え。


 それが、頭のどこかに刺さったままだった。


 深い反省に至ったわけではない。

 自分の罪の本質を理解したとも言い切れない。

 それでも、“控訴する”と口にすることへのためらいは残っていた。


 最終的に、大地は黙って首を振った。


「……しません」


 その一言で、道は決まる。



3 死刑判決、確定


 やがて正式に、控訴期限内に控訴がなされなかったことが伝えられる。


 死刑判決、確定。


 その知らせが加賀家に届いた時、

 誰もすぐには反応できなかった。


 今日子は位牌の前で、しばらく動かなかった。

 それから、ゆっくりと手を合わせる。


「幸枝」

「……確定したよ」


 涙は出る。

 でも判決の日とは少し違う。

 もっと静かな涙だった。


 龍樹も遺影を見て、低く言う。


「これで、法の上では決まった」

「……」

「でも、お前が帰るわけじゃない」


 それが、この家の本音だった。


 充は壁にもたれて、長く息を吐いた。


「やっと終わった、とは言えんのよな」

「うん」

 一貴が答える。

「でも、少なくとももう、あいつが自分で先延ばしにする道は消えた」


 それは大きな区切りではあった。

 だが、救いとは違う。

 ただ、これ以上引き延ばされないというだけの、重い区切りだった。



4 SNS裁判は続く


 一方で、SNSでの誹謗中傷に対する刑事・民事の裁判は続いていた。


 死刑判決が確定したからといって、

 ネット上の二次加害が消えるわけではない。


 法廷では、被告人たちが引き続き尋問を受ける。


「あまり深く考えていなかった」

「本当だと思った」

「みんな書いていたから」

「軽い気持ちだった」


 その軽さに、加賀家も一貴も何度も傷つけられる。


 滝沢恵は、ぶれない口調で言う。


「“軽い気持ち”で人の尊厳を傷つけたこと自体が問題です」

「被害者は、命を奪われたあとも人格を踏みにじられた」

「その責任は、軽くありません」


 刑事でも、悪質な投稿者に対しては処罰が進む。

 民事でも、発信者ごとの責任が一つずつ確定されていく。


 派手ではない。

 でも、それは幸枝の名誉を少しずつ取り戻すための戦いだった。



5 太田大地への民事


 そして、太田大地本人を相手にした民事裁判も本格化していく。


 四億円の損害賠償請求。

 法廷では、被告の資力や資産状況も問題になる。


 預貯金。

 口座。

 保有資産。

 就労可能性。

 家族名義の資産状況との関係。

 親兄弟姉妹、親戚など、関係のある人物の資産移動や名義関係まで、徹底して調べられていく。


 その作業は冷たい。

 数字と名義と残高ばかりが並ぶ。


 だが、調べれば調べるほど、現実ははっきりした。


「到底、足りません」

 滝沢恵が資料を見ながら言う。


 それは、最初から予想されていた答えだった。

 太田大地個人に四億円を支払うだけの資力はない。

 家族や親族を洗っても、法的に直接回収できる範囲には限界がある。


 充が、低く言う。


「足りる足りんの問題じゃないけど……」

「それでも、あまりにも……」


 一貴も資料を見つめたまま答える。


「幸枝の未来が、こんな数字の中でも回収できんって、分かってたけど」

「やっぱり腹立つな」



6 犯罪被害者支援制度


 そこで使われるのが、犯罪被害者支援制度だった。


 国や自治体による給付。

 支援金。

 補助。

 手続き。

 証明書類。

 相談窓口。


 命を奪われた遺族が、生きるためにそうした制度を使わなければならない現実。

 それもまた、ひとつの残酷さだった。


「ありがたい制度ではあるんです」

 滝沢恵が説明する。

「ですが、本来は“これで足りる”というものではありません」

「失われた命や人生の代わりではない」

「それでも、現実に生活を維持するためには必要です」


 今日子は、書類の束を前にして言う。


「幸枝がおったら、こんなん要らんかったのにね」


 その一言に、部屋の空気が沈む。


 制度は必要だ。

 支援も必要だ。

 でも、それを使うということ自体が、

 事件が起きた後の人生を生きていくしかない

 という現実の確認でもあった。



7 終わらない手続き


 刑事裁判は死刑で確定した。

 それでも、終わらない。


 SNS裁判。

 太田大地への民事。

 支援制度の申請。

 遺族としての各種手続き。

 仕事を休んだことによる調整。

 周囲との関係。

 生活の再構築。


 法の上での“確定”と、

 人生の中での“終わり”は、まったく別だった。


 龍樹は、ある夜ぽつりと言う。


「裁判が終わっても、幸枝がおらん朝は来るんよな」


 誰も返せない。


 その通りだからだ。



8 区切りと、区切れなさ


 第36話「確定」は、大きな節目だった。


 太田大地は控訴しない。

 死刑判決は確定する。

 法の言葉として、幸枝の命の重さが最も重い刑罰で位置づけられる。


 でも、それで喪失が終わるわけではない。

 怒りも、悲しみも、空席も、戻らない日常も、そのまま残る。


 確定したのは判決だけ。

 残された者の人生は、まだ確定しない痛みの中を続いていく。

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