母の証言
第31話「母の証言」
裁判は、進むほど楽になるものではない。
むしろ、進むほどに、
何度も、何度も、同じ傷口を開かれる。
言葉にしなければならない。
思い出さなければならない。
忘れたくても、忘れてはいけない。
それが、被害者参加制度の現実だった。
1 今日子、証言台へ
この日、証言台に立つのは――母、加賀今日子。
呼ばれた瞬間、足が一瞬止まる。
だが、逃げるわけにはいかない。
ゆっくりと前に進み、証言台に立つ。
正面には裁判官。
横には裁判員。
そして、視界の端に――被告。
その存在を、できるだけ見ないようにしながら、今日子は立った。
「被害者との関係を教えてください」
検察官が静かに聞く。
「……母です」
それだけで、声が揺れる。
2 “普通の娘”という証言
「加賀幸枝さんは、どのような娘さんでしたか」
この問いは、何度も聞かれてきた。
でも、答えるたびに違う痛みを伴う。
「普通の子でした」
今日子はそう言った。
「特別なことは何もなくて……」
「朝は寝ぐせつけたまま降りてきて、夜は“おやすみ”って言って部屋に戻る」
「花が好きで……ケーキが好きで……」
「家の中で、よく笑ってました」
“普通”という言葉が、法廷に静かに広がる。
それは、決して軽い意味ではない。
何も悪いことをしていない、ただ普通に生きていた人間だった
という証明でもある。
「その普通が……」
今日子の声が震える。
「全部、なくなりました」
3 最後を知らされる苦しさ
検察官は、慎重に問いを進める。
「被害の詳細について、警察から説明を受けた際の状況を教えてください」
この質問は、遺族にとって一番つらい部分だ。
今日子は一度目を閉じる。
「……聞きました」
「顔に暴力の痕があって……」
「首を絞められて……」
「……」
それ以上は言葉にならない。
法廷は静まり返る。
「どうして、あんなことされたのか、分からなくて……」
「何回考えても、理由が見つからなくて……」
そして、はっきり言う。
「うちの子、何も悪くないんです」
その一言は、
この事件の核心だった。
4 削られていくということ
証言が終わり、席に戻る時、今日子の足は少しふらついていた。
星羅がそっと支える。
被害者参加制度は、遺族に発言の機会を与える。
だが同時に、何度も自分の傷を開くことを強いる制度でもある。
龍樹が小さく言う。
「よう言った」
今日子はうなずく。
でもその顔には、達成感ではなく、疲弊が残っていた。
5 民事裁判の現実
一方で、民事裁判も進んでいた。
太田大地に対する四億円の請求。
書面のやり取り、主張の整理、損害の積み上げ。
だが、そこで現実が突きつけられる。
「被告側は、支払い能力が極めて低いと主張しています」
滝沢恵が、淡々と説明する。
資産はほとんどない。
収入もない。
現実的には、満額の回収は困難。
充が机を叩きそうになる。
「じゃあ何なん」
「人殺しても、払えませんで終わるんか」
滝沢は冷静に答える。
「“払えるかどうか”と、“責任を負わせるかどうか”は別です」
「判決で責任は確定させます」
「それが、社会的な意味になります」
その言葉は正しい。
でも、遺族の感情には追いつかない。
一貴が低く言う。
「幸枝の人生に値段つけて、結局払えませんで終わるのか……」
誰もすぐには答えられなかった。
6 SNS裁判、被告人たち
そしてもう一つの法廷――
SNSでの誹謗中傷に対する民事・刑事の手続き。
被告人たちが出廷する。
会社員。
学生。
主婦。
そして――未成年。
その中に、14歳の少年がいた。
加賀家も、一貴も、驚きを隠せない。
「……こんな子が?」
今日子が呟く。
法廷では、投稿内容が読み上げられる。
被害者への侮辱。
事実無根の憶測。
人格否定。
そのひとつひとつが、言葉として並べられると、あまりにも醜かった。
7 「深く考えてなかった」
滝沢恵が、厳しく問い詰める。
「なぜ、このような投稿をしたのですか」
被告人のひとりが答える。
「……あまり深く考えてなかったです」
別の被告人。
「ネットで見た情報を、そのまま……」
「本当にそうだと思ってしまって……」
さらに別の者。
「みんな書いてたから……」
その軽さに、法廷の空気が凍る。
一貴が小さく呟く。
「……それで人を傷つけていいと思ったのか」
14歳の少年は、震えながら答える。
「……ごめんなさい」
だがその謝罪は、
どこまで理解した上でのものか、誰にも分からなかった。
8 刑事へ
悪質な投稿については、刑事手続きも開始される。
単なる民事の問題ではなく、
犯罪として扱われる領域に入ったものもある。
滝沢恵ははっきり言う。
「言葉も、使い方によっては人を殺します」
「今回の件は、その責任を問うべき事案です」
その言葉は、加賀家にも、一貴にも重く響いた。
幸枝は、二度傷つけられた。
そして今、その二度目の加害に対して、ようやく法が動き始めている。
9 削られ続ける日々
刑事裁判。
民事裁判。
SNS対応。
それぞれが別の戦いでありながら、
すべてが同時に進む。
遺族は、休む暇がない。
悲しむ時間も、怒る時間も、
全部“次の手続き”に押し流されていく。
今日子が夜、ぽつりと言う。
「……いつまで続くんかね」
龍樹は少し考えてから答える。
「終わらんよ」
「……」
「裁判が終わっても、終わらん」
それが現実だった。
10 それでも進む
それでも、止まるわけにはいかない。
証言台に立つ。
書類に目を通す。
法廷に行く。
言葉を選ぶ。
怒りを抑える。
そしてまた、思い出す。
その繰り返し。
幸枝のために。
自分たちが壊れきらないために。
そして、同じことが繰り返されないように。




