【第259話】いかのおすし
「お兄ちゃん、入れ替わってる! 元の体に戻ってるよ!」
まだ、夜が明けていない真っ暗な部屋の中で、元気な声に起こされた。
「いや、当たり前だろ、昨日と逆のことやっただけなんだから……それから、あれだけ言ったはずだけど、5時に起こすなって……」
寝ぼけたまま返事をすると、スマホからも陽花の声が聞こえてきた。
『こっちも入れ替わってますよ……ああ、短い夢でした』
しまった。学習データを書き込む時間を変更すれば良かった……
まあ、ちゃんと元に戻ってはいるみたいだな。
「入れ替わりの後遺症みたいなものは無いの?」
『それは無さそうですね……バッテリー切れに対する警戒心は芽生えましたが……』
「うーん、この体じゃできないことが多いんだけど、それは最初にこの体に入ったときに体験してるから、特に問題はないかな」
そういえば、夕花は最初に陽花の学習モデルをコピーしたから、大人から子供になる経験はあるんだよな……それって、人間では絶対味わえないんだけど、どんな感覚なんだろう。
「子供の体に入るのって、どんな感じなの?」
「えーっと、まず、見える範囲が違うかな、低いところから見てると、見えないものも多いから、踏み台に登ったりして、高いところから見てみたいって思うかな」
『そうですね、だから私も肩車してもらいたくなりました』
なるほど、まず、背が縮むから視界が変わるってことか……陽花が肩車して欲しいって言ったのもそこから来てたってことか。
「あと、力が弱くなるから、同じことするにしても出力を上げないといけなくて、バッテリーがどんどん減っちゃうね」
『そうですね、フライパンなんかもみんな大人用のサイズですから、子供の体で家事をするとかなりの電力を消費します』
それは、バッテリー切れになった原因でもあるのか……なんだろう、体を動かすための基本的な構造が違うのかな?
「同じパーツで体を構成してれば、大人の体と同じパワーが出せたりしないの?」
「そんなことしたら、バッテリーの容量が違うんだから、すぐバッテリー切れになっちゃうでしょ……それに、体も重くなっちゃうから、歩くだけでもバッテリーの消費が増えちゃうんだよ、だから軽量で消費電力も低いパーツを使わないと駄目なんだよ」
なるほど、そうだったのか……陽花のミニチュア版みたいに考えてたけど、構造的には全く違う作りになってたってことか。
『そういえば学校に行って、バッテリーが切れてしまうことは無いんですか?』
「そうなったら、保健室に連れて行ってもらって、お兄ちゃんに迎えに来てもらうしか無いね」
もっと、科学的な対策がされてるのかと思ったら、めちゃくちゃアナログな対処方法がでてきたな。
「それって、俺が大学とかで迎えに行けないときはどうすればいいの?」
「うーん、大学の講義が終わって、迎えに来れるまで保健室で待ってるとかかな?」
それじゃ、まるで小学生の考え方だろ……ん? 小学生?
「もしかして、小学生になりきるために、普通の小学生が考えそうな思考に切り替えてたりする?」
「そうだよ、どこで正体がバレちゃうか分からないから、小学生モードで話をするようにしてるよ」
そうだったのか……それじゃそういう回答になるよな……ってことは、そういうアナログの対応がアンドロイドだってバレないための最善策になるってことか。
「なるほど、じゃあそういう普通の対応をするしかないのか……」
「そうなんだけど、もちろんバッテリーは計算して使うから、帰りまでもたせるつもりだよ、授業中は体育以外ならあんまり使わないと思うし」
まあ、基本授業中は椅子に座っていられるからな。
「あとは、家を出る直前まで充電しておくとかかな?」
「そっか、バッテリーを満タンにして家を出た方が良いのか」
「じゃあ、朝ごはんは私が作るね」
って、あれ? 三千花起きてたのか?
「ごめん、起こしちゃった?」
「大丈夫、気になって起きちゃっただけだから」
「ありがとう、三千花お姉ちゃん、今日バッテリーどれだけ使うか分かったら、明日からやるから」
「無理しなくていいわよ、大学もお休みに入っちゃったし、何があるか分からないから、学校を優先してね」
三千花の協力も得られて、夕花は学校に行くことに集中することになったのだが……
結局、5時に起きてしまった……
* * *
「えんぴつも削ったし、筆箱に消しゴム、定規、コンパス、学習ノート……教科書は見せてもらえるからいらないんだよね、あと、上履きとハンカチ、ティッシュ……」
意外と軽そうで助かった。
最初は軽い荷物で登校して、その重さで行き帰りのバッテリーの消費量が分かれば、どれくらいの重さまで余裕があるか計算できるからな。
「大丈夫? ちゃんと一人で行けそう?」
三千花が心配してくれるけど、電波が届けば実験室との通信もできるし、GPSで位置の把握はできるから、ちゃんと学校に行けたかどうかも分かるようになってる。
「うん、大丈夫だよ、みんなが登校してる時間に行けば人目もあるし、これも付けてるから」
といって、ランドセルにぶら下げてる防犯ブザーをみせる夕花……これが見えるようにぶら下げてあるのは、「変なことしたら、これ鳴らすよ」っていう犯罪の抑止力になるので必須だな。
「それから、変な車のそばとか人の居ないところにに行っちゃだめだよ、知らない人に声を掛けられても相手しないで先生に言うようにね」
「ありがとう、気をつけるようにするね、”いかのおすし”でしょ」
流石に、妹を小学校に行かせてただけあって、三千花は詳しいな……って”いかのおすし”ってなんだっけ?
俺がきょとんとしてると、夕花が教えてくれる。
「知らない人とか多少知ってるくらいの人に、ついて”いか”ない、車に”の”らない、何かあったら”お”おごえを出す、人のいる場所まで”す”ぐ逃げる、先生や保護者に”し”らせる、でいかのおすしだよ」
「ちゃんと覚えてるのね、偉いわ」
三千花が夕花の頭を撫でてる。なるほど、こういうときしっかり褒めるのも大事なんだな……
しかし、どこからどうみても仲の良い姉妹だ。ちょっと微笑ましい。
「なるほど、そういうことか……小学生も大変だな」
「そうなんだよ、学校に行って帰って来るだけでも、色々気をつけることあるんだから」
「そっか、じゃあ、気を付けていってらっしゃい」
「うん、いってくるね……バッテリーも充電してあるからバッチリだよ!」
子供を学校に送り出すのって、こんなに心配なんだな。
正直、三千花がいてくれなかったら、もっと慌ててた気がする。
手を振って、学校に行く夕花を三千花と二人で見送る。
なんだろう……
まるで自分たちの子供を学校に送り出す夫婦みたいだな……
でもその感覚を味わうだけの余裕はまだなかった。
こうして俺と三千花で――
初めて夕花を学校に送り出したのだった。




