56:五月二十日その②
富岡は……小学校のあの事件があってから、ずっと俺を見ていた。
両親の離婚とか戸越との記憶に隠れて見えにくくなっていたのか、再会した時にその記憶の大半は俺には見えてなかったのだ。
いや、もしかしたら見ない様にしていただけなのか?
しかし、ただ見ていたというのとは違うということまですぐにわかってしまって、俺は少し嫌な汗をかき始めた。
「違う中学になっちゃったけど、私ほとんど毎日優木くんを探して彷徨い歩いてたんだよ?」
「いちいち声に出さんでも、わかったから」
俺を発見できない日はそれこそ門限ギリギリまで彷徨い歩き、そして俺を発見できたら門限ギリギリまで俺をつけまわす。
俺が家に入ってしまえば、俺の家の外からじっと俺の家を見るという。
そんな常軌を逸した生活を、中学三年間ほとんど毎日休まず続けてきた女。
部活は当然帰宅部……一応軟式テニス部に籍は置いていた様だが、一日として出たことはない。
「コーヒーをブラックで飲むのも、優木くんがしてたのを真似してみたんだよ?」
「わかったから、少し黙らない? お前の目、尋常じゃない輝きで眩しくて俺の目が潰れそう」
そう、俺が何処かへ出かければそこまでも当然付け回し、俺の好みなども全て把握。
嗜好に関しては真似出来るものは片っ端から。
髪型まで真似しようとならなかったのだけは褒めてやろうか、なんて一瞬考えたがやっぱこいつおかしいわ。
もし俺がタバコとかに手出す様なやつだったら、タバコまで真似してたのか?
そんなことになればそれこそ、あの母親と大喧嘩になってただろうし、最悪刃傷沙汰になっていてもおかしくなかったんじゃ……。
「今週、楽しみにしてていいんだよね?」
「…………」
「楽しみにしちゃうよ?」
「……ああ。わかった。わかったから、今日この後付け回すのとかマジでやめてくれ。この後だけじゃなくて、これから先も」
「何で? 優木くんを見ていたいだけなんだよ?」
「なら写真でも撮れよ。一枚くらいなら許可するから」
俺がそう言うと、すかさず富岡がスマホを取り出してカメラを起動する。
しかし店員に止められ、店内での撮影はご遠慮下さい、なんて言われていて吹きそうになってしまった。
そしてそれを言われた富岡は、店員をさも親の仇か何かの様ににらみつける。
「おい、後で撮っていいからそんな顔すんな……。すみません、こいつちょっとおかしい子なんです」
「あ、いえ……ではごゆっくりどうぞ」
話のわかる店員さんで良かった。
店には店のルールがあんだから、さすがに俺たち客はそういうのに従って入店する義務がある。
こいつはあらゆる理屈を無視しそうではあるが……。
「で、結局どこで会うの? お前まで俺ん家とか言い出すの?」
「ダメなの?」
「別にいいんだけどよ……お前の記憶を見るまではな、そう思ってた」
「ありのままの私は、受け入れられない?」
「そのありのままがちょっとレベル高すぎて、俺の理解が及ばないだけかもしれんけど……少なくとも一般的ではない、ってことだけは理解してるよな? いや、してないってことなら今すぐしてもらいてぇんだけど」
何で驚いた顔してんだよこいつ。
お前が世界標準なわけねぇだろ。
もしお前が標準だったら、この世界はもっと混沌としてるぞ、絶対。
「え、ダメだったの?」
「いや、逆に聞くけど何でいいと思ってたんだよ。ストーカー規制法って知ってっか? こうして公然と……かはわからんけど、俺が全部知ったからまだ対処のしようがある。これが他の人間だったらお前、漏れなく警察のお世話になってっからな」
「生きにくい国だね……」
「個々のプライバシーが尊重されない国なんか、クソ食らえだろ。お前だって、邪魔されたくないことの一つや二つ、あんじゃねぇの?」
そう言うと、ニヤリと笑う富岡の顔は何でかとても邪悪な感じに見える。
ヤンデレ、目の当たりにするまでは別に嫌いとかじゃなかったのに、こいつのせいで一気にイメージが悪くなった気がする。
「あ、やっぱ言わなくていい。俺が悪かった」
「そう? ねぇ優木くん。色々落ち着いたら、一緒に暮らそうか」
「ぶふ!」
いつか言い出すんじゃないか、とは予感してたけどまさかこんなタイミングで言ってくるとは思わなかっただけに、油断していた俺は思わずコーヒーを吹いてしまった。
いや、言いたいことは痛いくらいにわかる。
気持ちだけなら、嬉しくないとは言わない。
これでも一応男だし、人からの好意は素直に嬉しい、そう思わなくもない。
けどこいつ、絶対俺のこと監禁とかするタイプだろ。
「エッチなことも沢山させてあげるよ? それこそ好きなだけ」
「ま、間に合ってるんで。大体お前未経験者だろ。そういうのは経験者のセリフで……」
「だったら今から処女捨ててくる!!」
俺の言葉に脊髄反射した富岡がすかさず店を飛び出そうとするのを、何とか押しとどめる。
何なのこいつ。
ちょっと俺の理解を超えすぎてて、記憶から全部わかってるはずなのに対処が後手に回りつつある。
「お、落ち着け。俺が悪かったから。そういうの、軽々しく捨てようとするのは良くない、うん。まず深呼吸だ、いいな?」
「…………」
正直に言っていいか?
疲れる。
何こいつ、超絶めんどくせぇ。
ヤンデレとかメンヘラな感じの子ってみんなこうなの?
「み、未経験だから、とかそういう偏見差別は良くない。うん、俺が悪かった」
「本当にそう思ってる?」
「もちろんだ。だからとりあえず今週は別の場所でだな……」
「うん、じゃあ優木くんの家行くから」
「…………」
どうしよう、この子話が通じない。
いや、もう腹決めろよって話なのかもしれないが、何となくここで折れたらなし崩し的にこいつが家に転がり込んでくるのも時間の問題な気がしてならない。
ますます俺に自由など、なくなってしまうじゃないか。
「今日これから行っちゃダメ?」
「ダメ。今日は悪いけど先約あるから」
「……その顔。露木さん、だね?」
「…………」
こええ……何でわかんの。
顔って何?
俺そんな変な顔してたってこと?
「露木さんと一緒でも、いいよ」
「俺が嫌だ。覗こうとか考えるのもなしだからな。そういう線引きしっかり出来ないなら、悪いけどお前とは……」
そこまで言った時だった。
ぶわっと擬音が入りそうな勢いで、富岡の目から滝のごとく流れ落ちる涙。
そして未だかつてないほどに必死な形相。
「待って!! 捨てないで!!」
店内に響き渡る甲高い声。
当然その声を聴いた人間は、何事かとこっちを見るわけだ。
あとはわかるな?
「お願い!! 私には優木くんしかいないの!! 怒らないで!! ちょっと意地悪してみたかっただけなの!!」
「…………」
「こうすれば、私のこともっと見てくれるかなって……」
「お客様……他のお客様のご迷惑になりますので」
「ですよね……お会計お願いします」
こうして店中から注目を浴びるという想定外の結末を迎え、今週末はやっぱり俺の部屋に来るということで落ち着いた。
もうあの店行けねぇ……。
小学校の頃、少なくともこんなやつじゃなかったと思うんだけど……。




