26:四月十八日その②
これで漸く、俺は一人で生きていくことが出来る。
今日即入居希望である旨を伝え、前家賃の倍の額を渡し、鍵を受け取って俺は一人ほくそ笑んだ。
不動産屋の車で連れてこられた物件は、内見も何もせずに寝起き出来てトイレ風呂が使えてそれなりの生活が出来るなら、と決めた。
そして最低限必要であろうと考えた家電、家具を買いに外に出て……ある程度揃ったと思って油断した俺を、誰が責められようか。
いや、大いに責められる様なことだと思うけどな。
「これ、ここでいいですよね」
「……ああ」
簡単に言ってしまうと、小分けで買えばよかったものを手間を惜しんで、大荷物をカートで運んでいるところを、露木に見つかった。
俺としたことが、気を抜きすぎていたとしか言えない。
何とかして撒こうと考えて四苦八苦したのだが、善戦にすらならなかった。
何しろこっちは大荷物が足手まとい、向こうはいいとこカバン一つだから。
そしてせっかく買ったものを捨てて、なんてもったいない真似は出来ない、とかせせこましいことを考えたのが敗因だった。
おのれ白物家電……いや、白物家電に罪はないし、何より俺が油断して間抜けなことをしたのが悪いんだけど。
「まだそんな顔してるんですか? 諦めましょうよ、こうなっちゃったら」
「うるせぇな、いいからそれ早く運んでくれよ。あと、マジであいつらに言うんじゃねぇぞ」
「そういう態度取っていいんですかね? 私の口、うっかり滑っちゃったら大変ですよぉ?」
「…………」
本当、いい性格してやがんなこいつ。
大体何で学校から少し離れたところ、と思ってやってきたこの地に露木がいるんだよ。
あと先輩たちはいいのか?
他の連中には手出してないけど、先輩には割と本気で蹴り入れたし、軽傷で済んでるとは思えないんだが。
「さっきの土下座の写真とか、みんなに見せちゃってもいいんですか? ん~?」
「…………」
こいつ、こんなウザかったっけ。
キャラブレ過ぎててちょっと俺、ついていけないんだけど。
そして土下座って何だって?
みんなには黙っててください、ってこの部屋で床に頭をこすりつけて頼み込んだ。
そうでもしないとこいつ、すぐにでもみんなを呼びかねないと思ったから。
引くが勝ち、という場面もあると考え、俺はその時だけプライドを捨て去ったと言っていい。
そして俺が誠心誠意の土下座を披露した瞬間に鳴り響いたシャッター音。
俺はこの時、やっぱり人間なんか信じてはいけないんだな、と心の底から思った。
「……悪うござんした。んで、お前いつまでここにいるつもりだよ」
「優木くんが学校に行くって言うまでですかね」
「針の筵に座れとか、お前案外残酷なんだな。あんだけのことした俺に、居場所なんかあるかよ」
「そうですか? クラスのみんなも先輩も、美理亜さんたちも、何も言ってませんでしたけど」
「んなわけあるかよ。気を遣うにしても下手くそすぎんだろ、それは」
そう思って露木の顔を見ると、嘘をついている様にも見えない。
そして目が合って流れ込んできた記憶。
「……お前ら、頭おかしいんじゃねぇの?」
「はぁ!? 何ですかそれ!! さすがに聞き捨てならないです!!」
「いや、どう考えても普通に許されることじゃねぇだろ。栗田たちに関しちゃあいつらの自爆に近いけど。戸越なんかはそれこそ怒り狂って触る者皆傷つけててもおかしくないってのに」
「優木くんの中の美理亜さんは、どんなキャラ付けなんですか……」
こいつの記憶で見た限りだと、先輩も割とピンピンしてて、今日も学校に行っていたらしいというから驚きだ。
瞼の上あたりを切ったらしい先輩は絆創膏を貼って済ませている様だった。
「なりふり構わない優木はあんなに強いのか、って笑ってましたね」
「ああ……あの人は頭おかしいと思う」
「またそんなことを……優木くん、何で私たちを遠ざけようとしたんですか?」
「…………」
こいつらの為だ、なんて口が裂けても言えるものか。
言えばこいつらは、今度は俺の為にって無茶しようとするに決まってる。
「答えてくれないなら……」
「……はぁ。そういうとこだよ。ウザいんだっつの。お前らが俺の何を知ってんだよ。近寄ってほしくねぇ。これで満足か?」
「嘘ですよね。何でそっぽ向いて言ってるんです? 私そっちにはいませんけど」
こうなってくると、バレるのは時間の問題な気がする。
とっととケリつけたいところなんだが……。
「お前らこそ、何で俺を探し回ってるんだ? あんなことされて、正気でいられてるお前らの方がよっぽどおかしい」
「何で、ですか。さっき見た記憶を探ってみたらいいじゃないですか。もう忘れたって言うのであれば、もう一度見てもらっても構わないですよ」
「…………」
やけに自信たっぷりで、逆に腹立たしいな。
そんなに見てほしいんだったら、見てやろうじゃないか。
「…………」
「わかりました? もちろんそれだけじゃないって言うのも、優木くんならわかると思いますけど」
「クソだな、マジで。お前らも、何で大人しく従ってるんだよ」
「言わないと、わかりませんか?」
「…………」
こいつを始めとする、先輩の発足させたハーレムの面々は、俺のしでかしたことを肩代わりさせられている。
本来であれば退学、または長期の停学になっていてもおかしくないものを、本人不在ということで連帯責任という形で言い渡された。
しかし、俺を連れ戻せるのであれば不問にする、というのが学校側の意見の様だ。
何処までも腐った連中だ。
もちろんそれだけじゃない、って言ったのは自身らの好意によるものでもある、ということを言いたいのだろう。
「だから、私たちは実際に優木くんが学校に戻らないと割とまずいことになっている、ということでもあるんですよ。責任重大じゃないですか?」
「そんなのが俺に対して脅しになるとでも思ってるのかよ。お前らがどうなろうと知ったことじゃないね」
「それも嘘ですね。だって優木くん、私たちのこと大好きじゃないですか」
「…………」
一体何を根拠に……。
本当にイライラさせられる。
「ああ、そうだな。認めるぜ。俺、お前のこと大好きだわ。だからな、こんなところに一人でノコノコやってきたことを、後悔させてやりたくなってきた」
「え? そ、それって……」
「お前、俺が男だってこと忘れてんじゃねぇのか? 男が理性飛んだらどうなるか、教えてやるよ」
そう言うなり、俺は露木の腕を掴み、床に引きずり倒す。
一瞬は驚きで目を丸くした露木は、覚悟を決めた様な顔で俺を見つめる。
そしてその顔は慈愛に満ちた様な、子どもを諭す母親の様な表情に変わった。
「優木くんがそれで、学校に戻ってきてくれるんだったら……好きなだけ、好きな様にしてくれていいです。そうされることも、私にとっては悲願の様なものでしたから」
「…………」
俺が本当に襲ったりなんかしない、とか思ってるんだろうか、この脳内お花畑女は。
だとしたらそんな幻想は粉々に打ち砕いてやらないといけないよな。
こいつが今何を考えているかなんて、今は知ってはいけない。
知ってしまったらきっと、俺は躊躇ってしまうから。
だから努めて俺は、露木の目を見ない様にしながら小さめのその唇に顔を寄せる。
「…………」
「どうしたんですか? もうあと少しですよ」
何で抵抗しないんだよこいつ……。
本気で俺は、ナメられてるんじゃないだろうか。
お互いの息がかかるほどに近づいた顔に、熱を帯びてくるのが感じられる。
このままじゃ俺が呑まれる。
傷つけてしまうかもしれない、なんて甘さも優しさも捨てろ。
そんな思いに反してどんどん早まっていく鼓動を悟られない様、俺は再び露木の唇に顔を寄せて行った。




