20:四月十七日その①
虫の知らせ、という言葉がある。
何かの予兆的な意味合いで使われるこの言葉は、時折信ぴょう性の高いものとして俺の中では認識され、その虫の知らせが俺の中に沸き上がった時……今まで漏れなく俺には良くないことが起こっていた。
今回は、それが少し昔の……俺がまだ小学校低学年の頃の夢。
当時、まだ友達とかそういうものに希望を持っていた俺は、周りから無視されても尚腐ることなく周りと関わろうと思えていた。
おそらくは家族の励ましや後押しがあってのことでもあったのだが、これが完全に折れたのはもう少し後のことだ。
同じクラスに、俺のことを一人だけ無視しない変わった女がいた。
当時美醜にそこまでのこだわりなどなく、女子というだけで周りの男子は必要以上に関わることがなく、たとえば一緒に下校などしていれば冷やかされ、バカにされ、最悪いじめられる、と言った時期。
誰でも経験があるんじゃないか、って思う。
ただ、俺から見てその女は無視しない……つまり、周りと違う。
そのことがやけに怖く感じられた。
今でこそ、家族だって無視するどころか溢れんばかりの愛情を注いでくれていたじゃないか、なんて思えるが当時はまだそこまで考えの及ばないガキだったし、周りで冷やかしからいじめに変わった男子を何人か見てきていた俺としては、そいつと関わることが怖くて仕方なかったのかもしれない。
俺の思い出とは少し違い、美化でもされているのかその女の子は俺に優しく微笑みかけ、しきりに話しかけてきてくれる。
そして下校時間となれば一緒に行動し、寄り道なども悪いこととわかっていながら内緒ね、とか言いながらこっそりする様な……決して俺の思い出にないはずの光景。
しかし、ここからは俺の思い出の通りだった。
ある日その子のことがちょっと気になって、学校でちょっかいをかけた。
人と極端に関わらずに育ってきた弊害とでも言うのか……俺は加減を間違えたのだ。
肩を、軽く叩いて呼ぶつもりだった。
教室で、話しかける前の予備動作の一環として。
『きゃっ!?』
軽く、のつもりが思わず力が入っていたのか彼女は転倒してしまい、頭を強く打って気を失った。
驚かせるつもりもなく、ただただ話がしたい、というそれだけの行為。
興味の対象へ、一歩だけでも前進して接触できたら、それだけの思いで伸ばした手は、彼女を傷つけてしまい、周りもそれを見て騒ぎだす。
一気に世界が暗闇に包まれたかの様な錯覚を覚え、俺はその場から走って逃げだしてしまった。
ランドセルや勉強道具も置きっぱなしで、学校を飛び出した俺は、そのまま家までの道のりを全速力で駆け抜けた。
逃げ出すまでの一瞬で、何人かの目の合った生徒の畏怖と憎悪の記憶。
それらが一気に流れ込んできて、俺はその場にい続けることができなかったのだ。
逃げる様にして帰宅した俺を、母は驚いて問い詰める。
しかし俺は、怖くて何も言えずにいた。
そして、数分後に自宅にかかってきた学校からの電話で、母はその事件のことを知った。
幸いその子が怪我などもなく、軽い脳震盪で済んだこと、そして……。
『要、〇〇ちゃんの親御さんに謝りに行くから支度しなさい』
俺はこの日、おそらくは初めて母から怒られた。
その日から小学校卒業まで、俺はその子と関わることなく過ごした。
何故ならその子の親が俺と関わることを許さず、その子も何となく気まずそうな顔をしながら近寄ってくることはなくなったからだ。
俺の方は特に厳しく言われていたわけではないが、それでもあの子の顔を見ていると関わることが憚られたと言っていいだろう。
そして中学校は、その子はエスカレーター式の女子校へ行ったということを、噂で知った。
「……随分懐かしい夢だな」
目が覚めて、一人零す。
記憶のスペシャリストと言っても過言でない俺が、睡眠によって自動的に記憶の整理をされるなんて、トンチが利いてると思った。
「何が懐かしいんですか?」
「……何でお前、いんのよ」
「鍵、作ってありますし」
一体何時からここにいたんだこいつ。
っていうか家主に断りもなく鍵を作ったのは多分あの先輩なんだろうが。
「それより……そこ、すごいことになってませんか?」
「…………」
露木が顔を赤くしながら指さした先は……まぁ察してほしい。
男の子だからな、まだ若いし仕方ないんだよ。
別にこいつを今すぐどうこうしたい、とかそういうことを考えたわけじゃないんだ。
「何処見てんだお前は。こんなんほっとけばそのうち元に戻るから、お前はとっとと出る準備しろよ」
「案外狼狽しないんですね。どうしてなんですか?」
「お前らのを記憶とは言え……いや、お前のは生でも一度拝ませてもらってるけど、そういう事情があるからな。俺が見られて嫌がったりうろたえたりすんのはマナー違反かなって」
「変な常識振りかざすんですね。優木くんらしくていいと思いますけど」
そんなことを言いながら、露木はパンを焼いて卵を焼いて、と朝食を作り始める。
食材なんかいつの間に、と思ったがその辺の手回しも先輩がしていておかしくはない。
「お前、何時からいたの?」
「五時くらいにおきて……その後ここにきて寝顔眺めてました」
「趣味悪いなお前……いつぞやみたいに布団に潜り込んでこないだけマシだけどよ」
「照れちゃうからですか?」
「……それはない、とは言わんけど最近暑くなってきてるしな。それに、さっきみたいな状態になってたらどうなるかわからん。責任持てる自信ないから」
そう言うと少し不満そうな顔をしたが、無理やり迫ってこないだけまだ常識を持っていると安心できる。
そういえば……あの夢の中に、一人見覚えのある顔があった気がするんだが。
誰なのか思い出せない。
しかも俺は、つい最近そいつに会っている。
だからこそ夢の中でもあれ? って思った。
「どうしたんですか? 難しい顔してますね」
「ああ……夢がな」
「夢? さっきみたいになる様な凄いのを見てたんですか?」
「……ああ、まぁそれでいいや。まずお前だってことはあり得ないし」
「何ですかそれ!!」
何気なく口をついて出てしまい、俺は朝イチで露木を怒らせてしまった。
悪かったから、と適当に頭をポンポンとしてやると、何故か大人しくなる。
チョロい女だな、こいつ。
「おはよ、優木」
「……ああ、お前か」
「ちゃんと名前で呼びなさいよ! 全く……」
露木と二人で寮を出て、学校へ向かっていると戸越のやかましい声が聞こえてきてややげんなりとする。
まぁ、こいつはこうだからこそ、というのではあるが……しかし。
「あれ、お前……」
「何よ? そんなジロジロ見て、何かあったの?」
「鼻毛出てる、とか言ってほしいか? まぁ違うんだけど」
「……っ!?」
冗談のつもりで言ったのだが、案外本気にされたらしく慌てて手鏡を取り出し、滅茶苦茶丁寧に確認作業を始める。
こいつもやっぱ女なんだな。
「優木くん……仮に出てたとしても、もう少しオブラートに包んであげないと」
「ちょっと、やめてよ!! 私鼻毛キャラで定着したくないんだから!!」
「バカ、朝から騒ぐなよ。冗談だっつの。そうじゃなくて……お前どっかで見たことある顔してるなって」
「はぁ? どっかでってほとんど毎日顔合わせてるでしょうが。……あ、もしかして」
「ん?」
そう言って戸越がやたらとイラつくドヤ顔になる。
記憶改ざんして鼻毛ボーボーにしたろか、こいつ。
ちょび髭だと思ったか?
残念、これ全部鼻毛でした!! みたいな。
「あんた、亜沙美ちゃんって覚えてる?」
「!? ……お前、何でその名前」
「はぁ、やっぱ忘れてたのか。そうじゃないかとは思ったけど、いつか思い出すかも、って思ったから黙ってたのに」
今度は物凄く残念そうな顔。
こいつはこいつでコロコロ表情が変わって……大変そうだな。
「あんた、私とも亜沙美ちゃんとも同じ小学校だったんだけど」
そんな考えは、こいつのこの一言で吹き飛ばされる。
俺の中で何かカチリとピースがハマり、露木は驚きの表情で俺たちを見ていた。




