伍✿ 棚 から牡丹餅では足りぬ《たなからぼたもちではたりぬ》
粛々と、吊るされた死体は兵たちに回収されたそうだ。
謳歌が来た頃には、まるで誰も死んでいなかったように、周辺の調査と片付けが終わっていた。
城お抱えの磨師達は「現場には特に目立った証拠は残っていなかった」と断定したそうだ。人為的な事件である可能性すら浮上したらしい。
死んだ磨師は別に知り合いでもなかったけれど、全くもって気に食わなかった。
事件のあった現場には、各々で周囲の調査をしている数名の磨師の姿がある。
謳歌もその一人。集合時間までまだあるので、手がかりを調べにきたのだ。
「くそ、なーんもねぇな」
下駄先で砂利をほじくり、顎先に手をやり唸る。
上の門を見ても下の砂利を見ても、残念ながらさーっぱりわからなかった。
今の自分にできることはあまりに少ない。
「邪羅、どうだなにかわからないか」
【外と変わらんな。ずうっと同じ薄い臭いだけが広がっとる。あのなぁ、何度も言うが今の状態ではこれが限界よな】
「糞の役にも立たねぇな」
【はは、じゃあ我が家は肥溜めだな】
うまいこと言うね。
はーはーはーと、目を血走らせながら睨み合っていると、
「貴方たちは、いつも騒がしいのかしら」
背後から聞き覚えのある声が。
振り返れば夜見である。相変わらず肩には星集君が止まっていた。
今日はあまり喋る気もないらしく、嘴をツンと逸らして黙っている。ひゅー気高きー。
「瑠輝ちゃん昨日ぶり。便所に花、不快な空気も気持ち爽やかになった気がするな」
【お前、それで褒めてるつもりかよ】
え、何が駄目だった。便所に湧き水、便所に小判の方が良いか? 難しくね。
「なんでもいいわ、所で何か見つかったのかしら」
「ぜーんぜん、全く」
問いかけに謳歌はお手上げを示してみせる。
「そう」
瑠輝が白魚のような指を胸の前で組む。なにかやるらしい。こちらに見せて良いのか、と視線をやると鼻を鳴らされた。
「渋って犠牲を広げる磨師は屑よ。さて、なにか見つかればいいのだけれど」
謳歌の視界内で、変化が起こる。
瑠輝の心臓と丹田から、練り上げられた命力が巡る。ぼんやりと白い、力の満ちたモヤのような命力の奔流が渦巻いた。
(へえ、淀みがない。きちんと努力しているんだろうな。お?)
淡い蒼が命力の白に混じっていた。混ざり合い水色になったそれは、瑠輝の両目と手のひらに集中している。
命力がひときわ強くなった瞬間、邪羅が何か気になったように鼻を動かした。謳歌と邪羅の視線が合うが、あえてなにも言わずに反らした。
盲目の者が辺りを探るように、瑠輝の両手が現場地面に向けられる。
うろうろと歩き、ある場所で止まった。死体があった場所から少し離れた桜の木の根元であった。彼女は、背中の朱槍を手に取り地面に石突を突き立て始めた。
がっがと地面をほじる夜見に、そろそろと近づく。
「見てもいいけど手柄は私よ。報酬を払えば譲るけれど」
キッチリしている。呪いの藁人形くらい釘を刺された。
「いまは少し手持ちが、えー六文とかでどう」
「生きていても楽しくないのね、かわいそう。良い船漕ぎを紹介するわ」
「対岸に渡してくれとは頼んでねぇ。まあ見れるだけいいとしよう」
「そう」
こちとら銭に余裕など全く無い。成功報酬払いは千冬に禁止されている。昔、次次次次回分まで差し押さえられたのがまずかったらしい。
がツン
一際大きな音が鳴り、地面がボコりと崩れ、ひとかかえ程度の穴が空いた。
「こいつはぁ、中々だな」
邪悪を煮詰めたような黒いヘドロがあった。中央には、黄ばんだ人の頭蓋骨が半ばまで沈んでいる。頭蓋骨農家の人がいるのでなければ、これは立派な異常事態だ。
「にしてもよく見つけたなこれ」
見ただけで鼻を摘みたくなる光景なのに、実際には臭いも、気配もない。そこに在るのにないような、違和感がすごい。
「少しだけ目が良いのよ」
詳しく話すつもりはないようだ。
瑠輝は、石突についたヘドロを慎重に採取し、上薬の塗られた小箱に入れ始めた。ちまちまと大変そうだ。
(見てるだけってのも気まずいな。なにか手伝おうかな)
しかし、どうやって。
別になーんも道具を持ってきていない。
別になーんも今使える便利な術などない。
仕方ないなか、汚れ仕事は男がっていうし。
「なにかしら」
疑念の目を向ける瑠輝をよそに、袖をよっこらせと捲って謳歌は右手をヘドロに突っ込んだ。
「ちょっッ」
粘土が高くて、どこか生暖かい。一斉に撫ぜられているような感触だ。瑠輝がやたら慌てて、腕を掴んで引っ張ってくる。
「なにしてるの、呪毒よそれ! 早く手を抜きなさい、死ぬわよ!」
初めて聞く動揺した声である。
「え、そんなに凄いやつこれ。わっ、そう言われたら、なんかヒリヒリするかも」
わたわたとヘドロが飛ばないよう掬った手を抜く。落ちた泥が地面と腕の上でシュワシュワと煙を出した。
まずい、流石に困る。
腕から煙が出ている人なんてさすがに普段接しづらい。
「と、とりあえずこれに入れときますねー」
せっかく取ったのだもったいない。瑠輝の木箱にちょいちょいと入れてやるが、期待していた感謝はなかった。
「それどころじゃ無いでしょ! 貴方は本当に何を考えているの」
急いでいるのか、持ってきていた道具袋をひっくり返すように漁っている。
お騒がせしてしまっているようだ。
あれ、さらにいっぱい煙も出てきた。
「おい邪羅ぁ、邪羅ぁ」
【はぁ、やめろ情けない声出すな子供か。はよう腕を出せ】
ぐわっ、と大口を開ける邪羅。
ぞろりと並ぶ凶悪な歯列に、謳歌はよいしょーっと腕を突っ込んだ。
夜見がギョッとしたように動きを止め、謳歌は伝わる感触にゾワっと身を震わせた。
「ぅわぁ、生あったかぁい、ヌメヌメするぅ」
【うるふぁい、だふぁれ。ふぁみちぎるぞ】
少しの間ハムられた後、しゅぽんと腕を引き抜く。テラテラと唾液を纏った腕は、特に異常はなく傷もあざもない。
「はいっ、これにて安心安全! 万事解決ぅ!」
グーパーとして見せると、包帯を準備していた夜見が目を瞬かせた。
「……信じられない。腐っても四界ってことかしら。まさかわたしを驚かせてやろうって魂胆かしら、ずいぶん性格が悪いわよ」
極寒くらい冷たい眼差しである。慌てて否定する。
「いやいや、少しだけ体が丈夫でー。ほーら溶けても腐ってない、ほーら無傷安心してー」
「はあ、もうなんでも良いわよ」
許された。これ以上は怒られなさそうだ。千冬の時も大体こういう反応だと長続きしないのである。
【ところで――】
冷静に成り行きを伺っていた星集が、邪羅に視線を向ける。
【騒がした代わりの収穫は? 木偶でないならなにかしらを得たのでは】
ぎろりと邪羅が睨む。
【あ? 無味無臭、舌触りは最悪だ。まあ味は覚えたがな。驚け、怨嗟を煮詰めた、咎の味だぞ】
その言葉にすっと空気が冷える。
脳裏へすぐさまソレが浮かんだ。
咎頭。
始原の鬼から漏れ出した、悪意が象る災い。
闇に堕ちた頭が、形を成した悪鬼。
【このやり口の陰険さ想像に難くない。瑠輝、城の者には……】
「そうね……正直誰に知らせるかは、考えどころだわ」
城のお抱え磨師たちは、発見はないと報告していた。
本当か?
他の磨師が騒ぎ立てていないし、夜見の目が特別良いのは確かなのだろう。だが城の磨師達が、一切何も見つけていないなどあり得るのか。
神妙な雰囲気が流れていた。こういう時は大体考えても進まないものだ。
「よしっ、ここでウダウダやってても仕方ねぇ。とりあえず城の集合場所に行ってみようや。もし怪しい奴がいたら、端から順番に『正体を表せっ』て言いながらぶん殴ろう。上手くいけばそれでわかる」
自信満々に方針を発表した。
これが上手く行った実績も数々にある作戦なんですよ。失敗した実績も、山々にありますがね。
反抗期共の呆れたような視線が三つ刺さってくるが、じゃあ君たちはいい案があるのか。ほら無いだろう、では決まりである。
「貴方達、今までどうやって調査してきたの」
どうってそりゃあ、邪羅の鼻でスンっとして、見つけたらドーンってなもんで。
「ねえ?」
プイッと、一緒にするなとばかりに邪羅は目を逸らす。
顔をガッと掴み、嫌がる邪羅の額に自分の額を、グリグリと擦り付ける。
「ねえ?」
【ぬぁ、極まったうざさだ、くっつくな去ね】
つれないなぁ。長い長い付き合いじゃないか。
〓◇〓
夜見瑠輝は、迷っていた。
二の丸にある集合場所に向かう間、歩きながらずっと考えをまとめていた。
状況がいっきに悪転している。肌に粘りつくような不穏さを、いまも感じる。
(逃げるべきかしら、判断が難しいわ)
咎の臭い。
黒狼の邪羅の言葉が、思考を侵すようにこびりついていた。
気がついているものは少なそうだ。自分のような特殊な目がなければ、痕跡を見つけることは困難だ。証拠は手に入れたが、誰に知らせるかは見定めなければ。
今回、じっくりと視て覚えられたのは大きい。湖に混ぜた砂糖の如き薄い気配でも、次からは集中すれば気がつけるはずだ。
「む、あいつ怪しいかな邪羅」
【いや】
「あれこそ犯人では」
【ただの飛脚だが】
真剣な様子で見回しながら隣を歩く謳歌を横目で観察する。
へんな気配はない。それどころか全体の気配がやけに薄い。とても朧気で、うつろうような不安定な命力だけが見えた。
異常なほど淡い、あれで体に異常はないの?
本人は後ろで縛ったつややかな黒髪を揺らし、右にふらふら、左にふらふら歩いている。ぐーと腹が鳴ったのが聞こえた。
邪羅と呼ばれる式神に馬鹿にされ、腹を立てて尻尾の毛を抜いて、噛みつかれている。
(……たぶん味方なのだけれど、本当に大丈夫かしら)
掴み所がない。普段ならさっさと単独行動をするのだが、今回は判断が難しい。
朗報か不法か怪しいところだが、謳歌は数少ない身元の確かな者であった。
昨日、有名な四界関係者の芹千冬を訪ね確認したので、もう間違いない。
数枚の札を買い足す際に「謳歌という人物を知っていますか、朱い着流しの、黒い狼を連れた」と訊いたのだ。
すると千冬は美しく微笑み、
「謳歌さんと邪羅は、私が一番頼りにしている一人と一匹です」
断言した。自分よりも目下であろう謳歌に敬称までつけて、千冬の品の良さと信頼が滲んでいるようだった。
探ってやろうという心根を見透かされたと感じた。あまりに清々しく答えられなにも訊けなくなった。
(彼自身はわからなくても、千冬殿の言葉には信用がある)
木ノ宮の住民のみならず、磨師達からも信頼が厚い女性だ。徳と実績を積み重ねて今に至る評価に嘘はない。
そっと視線を謳歌に戻す。
邪羅にしがみくようにして、仕返しに噛みつき返していた。
(……千冬殿?)
脳天気なのか肝が座っているのか。夜見は手をたたき、醜い争いを止めた。
「無駄に遊んでいないで、急ぐわよ。まだ続けたいなら私は先にいくけど」
「いえ、やめまぁす!」
こういう所は素直にすぎる。
(先が思いやられるわ)
薄皮一枚先にいるだろう邪悪、嫌な想像ばかりが巡る。
自身の首に鎖でかけた、お守り代わりの指輪を抑え気持ちを落ち着かせた。
集合場所は、二の丸の敷地内にある瓦屋根が立派な平屋建ての武芸所だった。
時間より早く行ったが、夜見が到着した頃にはもう、十数名の磨師達が集まっていた。中には、模擬戦の相手だった孔雀丸や岩碌の姿もある。
「む」
「ああん?」
岩碌と謳歌の視線が一瞬交錯するも、すぐに逸らされた。この場での揉め事を避ける程度の良識は二人共にもあったらしい。
建物入口へ続く、列の一端へと並ぶ。
やがて順番が来た。身分確認と台帳への記載を終わらせ、席番号を示す木札をもらい中に入った。
硬い踏みしめられた土間、小上がりをあがってすぐ、百畳ほどの広間があった。
畳の上には、客を迎えるための赤茶の漆が塗られた木台と、座布団が並んでいる。
掛け軸がかかった上座には、立派な金細工が施された台が三つ。
まだお偉方は来ていないらしい。
席に座っているのは、ぱっとみて二十人ほど。全体の席は五十はある。
「私の番号は七だけれど、傾楽木殿は」
夜見が初めて名字で呼ぶと、謳歌は驚いたように片眉をあげた。
「慣れない呼び方にギョッとしちまうな。謳歌で良いんだけどな。あ、安心してくれ番号は八で隣だ」
何がそんなに嬉しいのか、破顔して目を細め笑っている。
恐ろしく端正な顔つきに、少年のような無垢さがある。
これなら、女中などに情報を聞かせるのに役に立つかもしれない。
「それはなによりね。では席で待ちましょうか傾楽木殿」
「へいへーい」
あしらわれた事すら気にしていない風で、のしのしと席へと向かう。
「星集、後ろに」
【あいわかった】
肩からフワリと星集が飛び立ち、席の後ろの壁際へと降り立つ。
謳歌がそれをみて「なるほど」と頷いた。
「邪羅、しっしっ」
【おう気が利くな。先に帰っておくぞ。帰りに迷ったら街の外にでて、そのまま戻ってくるなよ】
「大人しく待ってろって言ってんだよぼけ犬」
面倒そうに壁際に寝転ぶ邪羅と星集の間に、槍と大傘を置く。
夜見が座布団に正座すると謳歌も習う。だが二秒後には足を崩しあぐらになって、ゆらゆらしている。
続々と、人が席へと座っていく。
五十ほどあった全てが埋まると、奥の廊下から城の者たちが姿を現した。
白い法衣を着込み薄布で顔を隠した、黒子ならぬ白子のような城の磨師たちが十名と、斑花の当主紋助が入ってくる。
着座せずに立ち並ぶ、入口からリンと鈴の音が鳴った。
背の低い、七歳ほどの少女がしずしずと入ってくる。
質の良い淡い緑の生地に桜の花を描いた小袖が、位の高さを物語っていた。
つややかな黒髪を、桜と鈴の装飾が施されたかんざしで唐輪髷にしている。
少女の後には、中肉中背の身なりは良いがあまり特徴のない男がついていた。あまり木ノ宮に詳しくない夜見ですら覚えがある人物達である。
磨師たちの間に、やにわにざわめきが広がった。
「梔子姫と、敬親様がわざわざ来られたのか」
「それほどの大事なのか」
「芍薬様が床に臥せっておられる事に関わり合いがあるのか」
なるほど、城主芍薬様の夫と娘、木ノ宮の頂点とも言える人物がでてきたらしい。
中央に梔子、すぐ横に敬親、少し離れて後ろに引いた位置に斑花が座す。
そっと視線を落とす梔子の代わりに、敬親が口火を開いた。
「皆、此度はよく来てくれた。芍薬の代わりにまずは感謝を伝えたい」
静まり返る広間に、淡々と敬親の声が響く。
「いま、この木ノ宮には大きな問題が起きている。皆にはその解決に助力を尽くして欲しい。それぞれに役割は異なるため、これよりはこの斑花紋助の指示に従い、別途説明を受けてくれ。報酬は、この木ノ宮家が約束する」
敬親と梔子はそこまで言うと「紋助後は頼むぞ」と立ち上がった。顔見せに来たのだろう。去り際、梔子はおずおずと敬親の影に隠れていた。
「ではこれより説明を行う」
静かに頭をさげた斑花が、姫達の退出を確認し立ち上がる。
「席には、大まかに場所の区分けがされている。番号一~十は城内。十~二十は二の丸。三十から四十は三の丸。四十~五十は城外調査の手伝いに出てもらう。内容はいまから個々に伝えるものとする」
縦に並んだ列は十を区切りとしている。それが五列とわかりやすい。
自分と謳歌は、城内の警備ということになる。他には孔雀丸と岩碌、八十は越えるだろう老いた磨師の姿があった。他の面々も女性が一人、あとは男の磨師、ざっと見た限り武闘派が多い印象だ。
十人いた城の磨師がそれぞれに列を周り、先頭から順に説明を始めた。
すぐに夜見の番が回ってくる。
対面に座した『一』と書かれた布で顔を隠した城の磨師が、小さいが確かに聞こえる声で話しかけてくる。周囲の音が消えた。声を遮断する術でも使っているようだ。
「夜見瑠輝様でございますね。私は一白とお呼びください」
男とも、女ともつかぬ中性的な声音だ。
一白と名乗った磨師は静かに一礼し先を続けた。
「まずは意思確認を、この仕事まずは受けていただけますでしょうか? 報酬は二十両、働き次第で上乗せがあります。内容は城内の警備もしくは指定された人物の警護。これ以上の内容は話せませぬ。そして一度了承した場合、以降拒否は認められませぬ」
勝手な物言いに思えるが、お上からの仕事では往々にしてある。
最近大きく散財したばかりで報酬が魅力だ。だがなによりも、咎頭のことを放置できるはずもない。
「今の報酬、仕事内容に偽りなければ、受けましょう」
夜見が念を押して言うと、一白はうなずき一枚の札をすっと出してきた。
契札だ。
こういった仕事の場合は、この札を使うことで強い縛りを作ることができる。
契札は磨道連しか作成できず、事前に内容や縛りは吟味され作成されている。その為、一方的に嘘をつくような事はできないようになっている。
最低限は磨道連の保証がある。でなければ夜見だって話を聞かずに受けられない。
「内容、禁止事項が帰された契札はこちらですご確認を」
札に書き込まれた縛りを確かめる。
内容は城内警備と要人の警護。
禁止事項が四つと、軽い縛りが一つある。
軽くかいつまんでみると、こうだ。
一、仕事の完了まで許可なく城の敷地から出ぬこと。
二、外には連絡を出さぬこと。
三、外から人を呼び込まぬこと。
四、今回の契約関係者以外に内容を決して漏らさぬこと。
食事、寝床などの協力は城側がするものとなっている。
上記を破る及び行うことが確定した段階で、即座に体の自由に支障が出て命力を封印される。あまりにも悪辣な重罪の場合には死をも伴う。
まあよくある制限である。
判定基準はわりと曖昧な部分が多い。噂では裁きの神力が仕込まれていると言われているが、真実は磨道連のみぞ知る所だ。
とはいえ軽い罰則であれば、依頼者側が任意で発動できる。力の制限程度だが十分に拘束力はある。こちらは磨師達の命令違反や指示に従わない場合に行使できる。
(これで助けは呼べない状況になってしまったわね)
一般人ならば断る選択肢もあるが、磨師になる者達には少ない。そういう教えが基本理念にあるからだ。
頭の良い悪鬼は、尻尾を出す頃には手遅れなことが多い。
罠だろうが、不利だろうが、飛び込まなければ場に取り残されるのだ。
いまこの場を去ればもう関われないだろうという確信がある。手を出せぬ蚊帳の外のほうが自分は怖い。
「間違いなく」
札へ自身の名を命力と共に認め、一白が確かめた。
「では夜見様、事前に申しておきますが、貴方には後ほどより梔子様の警護についていただく可能性があります」
ぎょっとした。梔子は先程の姫である重要人物だ。
「私が? まだ日の浅いよそ者ですが」
驚きの采配である。なぜ外の者に、城の磨師を使わない理由がわからない。
異論を封殺するように一白が首を振った。
「城にいた唯一の女磨師は、少し前に休暇で出ております。それにこれは磨道連からの情報を元に決定されたものでございます。ご安心を貴方の出生まで然とこちらは把握しております」
唐突に言われ、胃に石でもねじ込まれた気分になった。思わず周りを確認すると、謳歌と目が合い満天の笑顔が返ってきた。
大丈夫か、聞こえてはいない。
一白が呟く。
「では、この後に歓迎の食事が振る舞われますので、それが終わり次第、配属が確定いたします。粛々と指示に従うようにお願いしまする」
幕を開けるように、音が戻った。
無音からの落差で、ざわめきとささやき声がうるさく感じる。
隣では、謳歌が両手をあげて立ち上がり吠えているようだが、声は聞こえない。
わぁっと小躍りするように喜び、札に豪快に記入していた。
絶対に読んでいないだろう。後で確認しておかないと、請け負った者同士の情報交換は禁止事項になかったはずだ。
次々と説明が進み最後の一人が終わる。それを見届け班花の当主が指示を出した。
膳を手にした女中がゾロゾロと入ってくる。
全ての席に食事が配膳された。
白米、焼き鯛、煮物に、蒸し物、漬物、味噌汁と、香りたつ緑茶。
歓迎の証にしたって、随分と豪華な食事ではないか。
「これからの皆の働きを期待している。足りぬものは手を挙げてくれればすぐに代わりを持って来させよう」
班花の言葉に「おお」と場がどよめいた。
「す、すげえ」
隣で謳歌が、体を震わせ手をわなわなさせている。
「俺一生ここで働くんだ」
そんなに感動することなの。磨師の稼ぎは危険に見合うほどには大きいはず。普段何を食っているのだ。
確かに豪華ではあるけれど――
食事に視線を落とした次の瞬間、背筋に虫を入れられたような怖気を覚えた。
恐ろしいほどの違和感。
反射で確認した夜見の目には、写っていた。豪華に見える食事の数々、その内部に蠢く黒い気配を。
「さあ、皆の者遠慮なく食べてくれ」
斑花の言葉。
だめだ、こんなもの食べていいはずがない。
一瞬で、全身が泥沼に引きずり込まれたような感覚に陥る。
「傾楽木殿、まって」
即座に止めようとしたが、
「うひゃひゃひゃっ、うんま、信じられんなんだこれ笑いが止まらんっ」
がっがっがっ、と謳歌は白米、おかず、味噌汁と三点流し込みを披露している。
「おかわりッ!」
【まてぇいッ】
背後の邪羅が突進して、代わりの御膳を貰う謳歌を押しのける。いいぞ、よく止めた。そう思ったが黒狼は歯をむき出しにして食らいついた、そう魚に。
【オレにも喰わせんか、独り占めなど末代まで許さぬぞ】
話を聞きやしない。
思わず立ち上がり周りを見渡す。ほとんどの磨師達が食事に手を出している。
黒い淀みが喉から胃に落ちていくのが、透けるように見えてしまう。
落ちたそれが、うぞうぞと蠢き広がっているのを感じた。
(最悪よ)
幸いにも、ほんの数名だけ異なる者もいた。
まず孔雀丸である。
どうも喉に食事が溜まっていっている。なにか術のかかった袋でも飲み込んでいるようだ。なるほど後で吐き出すつもりか。
そして年老いた磨師。
食べているが、喉元を過ぎたあたりで、体内の一部が鼠の形となりそれが食事を取り込んでいる。体からは切り離されているようだ。妙な術を使う。他の列にも数名、運ばれてきた膳自体を断っている者がいた。
そんなことよりも謳歌である。
はっと見直すと、これまでで一番の異常が見えた。
胃の中に落ちた黒いモヤがもみ消された。握りつぶされるかのように、乱暴に消滅したのだ。
(消えた、確かに食べていたのに)
いったいどういう能力だ。全くわからないがヘドロへ腕をつっこみピンピンしていた男である。食べても平気である可能性は、十二分にあった。
(あまり驚かせないでほしいわ)
心臓が縮むような思いで、夜見が座り直そうとしたその時だ。
「おや、食事はお気に召しませんか、夜見殿」
いつの間にそこにいたのか、膳を挟んだ先で斑花が声をかけてきた。席を自ら回っているらしい。
じぃと、夜見の目を黒い瞳が見てくる。食べていないのを見られていたようだ。
少したれた眼尻は本来であれば優しい雰囲気に見えるはずなのに、夜見は自身の口の中がカラカラに乾いてくるのを感じた。
彼の体を見るが、なにも見えなかった。
異常も、まともな部分も、塗りつぶされたようになにも。
「いえ、連れがあまりにがっつくもので、驚いてしまい」
冷静さを装い答えると、斑花は目を線のように細めて笑った。
「なるほど、ぜひぜひ食べてください。城の者が丹精込めてご用意したのです」
「ええ……」
こちらを見る視線は外れない。食べるまで見届ける気だ。
こいつが、仕込んだのだろうか。
どうする、対策なく食べて良いものではない。だが拒否は警戒されてしまう。
震える手で箸を握る。量の少なそうな漬物に箸先を伸ばす。
「さあ、どうぞどうぞ」
弧月を描く斑花の笑みに冷や汗が伝う。背後で星集が羽根を広げる気配がした。
飲み込んだふりをするしかない。後ろ手で星集を制する。
意を決し、黄色に染まった大根の漬物を口に運んだ。
「だああああああ」
衝撃、横合いからいきなり謳歌がぶつかってきてよろけてしまう。
漬物が宙に浮き、空を駆けるように飛び、邪羅が大口をあけてそれを食べた。
【ははは、食い放題だ謳歌、好機だぞ、食い貯めるんだ】
「なにすんだ、突進してきやがって、手前ぇのじゃねぇだろ意地汚ねぇんだよ」
【あぁ? 食うのが遅ぇのが悪いんだろが。好き嫌いでもあるのではないか。親切よ親切、なあ】
急に話がふられる。思わず「ええ、すこしだけ苦手なものが入っていて」と言うと、謳歌がぱっと顔を明るくした。
「なにぃ!? そいつはいただけねぇ! はーいでは優しい俺がいただきますねー」
横取りするように夜見の食事を奪い取り、ぐへへと笑いながら平らげていく。
まるっと食べきった後、ふと謳歌が夜見の服の端へと目を止めた。
「あれ、なんか染みできてるな。さっきの邪羅のせいだな。悪いねうちの奴が粗暴で、弁償するにも銭なんかないし、またツケってのもな。あ、そうだこれで勘弁してくれよ」
はい、と渡されたのは一枚の札である。
(これ――)
つややかで真白な紙に書かれた迫力ある『縛』の文字。ひと目見ただけで特級品だとわかる祝札で、破裂しそうなほど、異常な力が込められているのを感じる。
「ちょっと、これ札祝屋の品でしょ。価値が見合わないわ、貰えないわよ」
「いいよいいよ、まだ二枚持ってるし。銭に困ったら売って良いっていつも言ってくれてるし、人の役に立つなら大丈夫」
大丈夫なわけがないだろう。
だが謳歌は、そういったきりまた食事に集中してしまう。
気軽すぎる。“これ”の価値を分かっているのか? 困惑して彼の連れである黒狼へと視線を送るが、邪羅は邪羅で【おい、次をもってこい、魚を多めにだぞ】などと女中に命令している。
食い意地の権化だ。
仕方ないので、とりあえず預かっておくかと札を懐にしまう。
嵐のように場を荒らす一人と一匹に、さしもの斑花も驚いたのか目を剥いて、固まっていた。
ふと我に返ったのか「傾楽木殿、人の食事を取らずとも代わりはいくらでもあるのでな」と口元を引くつかせながら注意したが「いえ、一期一会っていうか、その時その時を大切にしたいので」と理由のわからないことを言っている。
あまりの混乱に、夜見は逆に冷静さを取り戻す。
周囲の視線が謳歌に集まっている。
(これは、好機ね)
腰の札入れから空札を取り出し『浄』の字を込める。祝言である『雷』を呟き、舌裏に紫電を隠すようにまとわせた。
そして白々しく、近くの女中に声をかける。
「すいませんが、私の分をもう一膳お願いしても? 漬物は抜いてくれるかしら、苦手なの」
こちらに視線を向ける斑花にニコリと微笑み、運ばれてきた膳の内、魚の身を一口食べて見せた。
「美味しいわ、とても」
一言添えた後、舌に仕込んだ浄雷で焼き潰す。無害かした煙は吸い込み吐き出さない。飲み込んでみせる。むせそうになる身体反応を、備えた膂力で押さえつけた。
無言の時間。
斑花は夜見が食べたのを確認し満足したのか、それとも暴れる謳歌と邪羅に嫌気がさしたのか、「ではごゆっくり」と言ってその場を去った。
ふぅ、と肺に残った煙を吐き出す。舌に残っていた粘ついた唾を、そっと小布に吐いた。焼いた後の焦げのせいか、黒い澱のような色が混ざっている。
危なかった。
心臓はいまだに早鐘を打っている。
こんなにも自分は悩んでいるのに、隣にいる謳歌は相変わらずだ。
「白米、白米、白米、おかずトントンし、また白米、喉が詰まったら味噌汁。これぞ至高。いけるまだ溜め込める」
【ぬわっはっは、ぬわーーはっは】
邪羅と競うように謳歌が喰い続けている。
安堵とも呆れともつかぬため息を吐き、夜見は食べるふりをしながらも謳歌へどんどんと食事を分けていった。
「“謳歌殿“”これも食べるかしら、そっと取ってくれる。お腹一杯で」
「うおお、任せろーーい」
計算づくなのか、天然なのかわからない。
(でも、ありがとう、助かったわ)
そっと、夜見は心中で謳歌に感謝を告げる。
だが安心はできない。今はいいが、どうせ後で食事していない事が露見する可能性は高い。
一時凌ぎだ。
むしろ、これより先は出会う人々全てを視ていかねばならぬのようになってしまった。
恐らく、ここは敵の臓腑の中である。




