肆✿ 賽 は投げても、当たらない《さいはなげてもあたらない》
「そこのお嬢さん、隣に失礼させて貰うぜ。ああ俺かい? 俺は傾楽木謳歌、この辺りじゃあ木ノ宮一の腕利きで通ってる磨師だ」
ははん、と満面の笑顔で明るく話しかけた。隣の邪羅は前足で器用に顔を隠している。またまた恥ずかしがり屋ぶっちゃってね。
「あなたは……はじめましてかしら」
女性磨師の髪がさらりとそよぐ。
夜を固めたような紫の瞳が謳歌を捉えた。だがすぐに鼻をスンスンと動かし、その双眸が嫌そうにすぼめられた。
「急にどういったご要件かしら。依頼なら報酬次第で受けるけれど。もし具体的に用がなければ、二度と話しかけないでもらえると嬉しいわ」
一刀両断にすぎる。名前も教えてくれない、山賊だってまだ情けがあるぞ。
食い下がろうと一歩踏みだそうとして、彼女の肩に乗った白銀の鷹と視線があう。
油断なく睨んでいる。襲いかかられそうな圧を感じる。目とか突かれたら怖い。
引きつった表情で固まっていると、ふいに鼻腔を花の香りがくすぐった。
あれこの匂い――思わず表情をしかめると、邪羅もくしゅっと鼻息を漏らした。
覚えがある。
謳歌が煙管で吸ってる薬草の花部分の香りだ。
香りが強すぎて謳歌は使っていないが、彼女はそれを香水のように使っているようだった。
(なるほど、珍しいね色々と)
澄ました顔で前を見る彼女に、謳歌は逆に肩の力が抜けた。
「まあまあ、磨師同士名前の交換くらいは、やっても損はないだろ。もしかしたら、この後一緒に仕事することになるかもしれないんだぜ」
知った風に言うと、彼女は僅かに考えた。
「一緒に? 共闘なんて事前情報などなかったはずだけれど。そういえば、どこかで名前を聞いた覚えも……貴方、所属する“派閥”は?」
勝手に深読みしてくれている。派閥には相性もあるし、と謳歌は答えた。
「派閥は『四界』だ」
言った瞬間、これまで興味なさそうだった彼女に変化が現れた。開かれる双眸、飲まれる呼気、驚きの気配を感じた。
「四界って『四界源流』のことで間違いないかしら?」
「俺は四界を名乗る派閥は一つしか知らないが、他にあるのか」
首をかしげ、謳歌は髪紐に結んだ刀飾りを見えるようにほらと見せた。
「確かに……飾りに刻まれた【驚天】の字に間違いはない。門を通ってここにいるのだし偽物でもない」
思案する彼女は、値踏みするようにこちらを見てくる。
「四界の磨師の言葉なら、それだけで訊く価値がでるのだけれど」
警戒は続いているが、ほんの僅かに警戒が解かれたのを感じる。
「現金だなぁ、古臭いだけだぞ」
「そうは思わないのが殆どよ。磨師を生み出した一族の流派じゃない」
御伽話になるような、火ノ元を荒らした原初の鬼を封じた一族の末裔。磨師という職業を生み出した源流である。
「本当に珍しい、わたしも生涯で三度しか会ったことがないわよ。全員一角の人物だった」
「お、じゃあもう殆ど会ったんじゃないか。凄いじゃないか、俺でも滅多に会わない奴がいるのに」
けらけら笑って関心していると、彼女は口角を引くつかせた。
「それはあまりに少なすぎよ」
「俺が選ぶわけじゃねぇしなぁ。まあいっぱい居ると覚えるのが面倒臭ぇんだろ」
「あの四界源流がそんな単純な訳がないでしょう」
いやぁ、それがあるんですよ。
頂点に居座る糞爺は突拍子がない上、火緋色金くらい頑固だ。そんな爺の許可がいるのに増えるわけがない。
適当に増やして銭でも納めさせれば良いのに。昔実際に提案したが「お、いいねぇ、まずお前から納めろ。上手くいったら考えてやる」だと。即座に逃げてやった。
老害め……早く逝けば良いのに、天寿の眼の前で酒盛りをするなよ。
嫌な思い出に鼻白みながら、謳歌は話を切り返す。
「で、そちらは様はどこ所属なんだ。玄界、燎界、雲界戎界?」
磨師の殆どがこの四大派閥の所属である。枝分かれして大道から逸れたの外界なんて派閥もそこそこあるが、一子相伝であったり表には出てこない。
「貴方に比べると、希少性に劣るけれど」
彼女は、着物の胸元に差していた飾りをこちらに見せてくる。龍を覆う雲の意匠、術式など技巧派の多い『雲界』派であるようだ。
(あそこの長は、気に食わねぇんだよなぁ)
顔が良くて、女にもてる。ほら敵だ。
それにしても、四界の名のおかげか先ほどよりは会話する姿勢がみえた。たまには老いぼれの名前も役に立つみたいだ。
「せっかくだし名前くらいは教えてくれないか。知らないと緊急時に呼びづらいだろ。あーくそ不便だぁ」
仕事ですよー、そんな雰囲気を全面に出すと彼女も断りづらくなったのか、諦めたように肩をすくめた。
「こちらから派閥まで訊いておいて、名乗らないのも意地が悪いわね。わたしは夜見瑠輝よ。木ノ宮には最近きたばかり。ただ、先に言っておくけれど基本的私は個人で動くのが好きなの。理由は報酬の山分けは死ぬほど嫌いだからよ。わかってもらえるかしら」
突き放すような言い回しの夜見に、腕組みしながら大きく頷き返す。
「あーわかる。奇遇にも一緒! なんでもわかっちゃう」
「話を聞いてないし、何もわかっていないでしょ貴方」
呆れたように眉間に皺がよる。あれ、千冬が女性は共感を求めているって訊いたのに、反応はいまいちだ。
まあいいか、人の友好的に接して困ることなどそうないし。
にこにこ見ていると、彼女は助けを求めるように横の邪羅の方を見た。
【……】
邪羅は興味など全くなく目も合わせない。言葉もわからないですと言った面で前を向いている。感じ悪いねぇ。
「なんだか頭が痛くなってきたわ、結局目的はなにかしら」
「目……的?」
美人だったから話かけただけだし、なにとか言われても。うーんと考えていると夜見が思案するようにこめかみを揉んだ。
「端的に、今回の仕事で協力したいって事なのかしら? それならさっきも言ったけど、報酬は取るわよ最低で三両ね」
ほう。
すっと二歩下がる。
「いや、夜見さん。今回は御縁がなかったようで、お互いがんばりましょう。惜しかった袖が空振りしちまったようだ」
「はあ、本当になんなの一体」
最速の手の平返しに、夜見は珍獣にでもあったかのように目を白黒させていた。
なにが三両だ。払えるか。
大工が三ヶ月は食えるわ。侮るなよ、こちとらからっけつだぞ。
夜見の肩の上で様子を見ていた鷹が、銀眼を細め謳歌へとくちばしを開いた。
【運良く命を拾ったな、これ以上しつこいようなら痛撃を味あわせていた。以後はわきまえて生きれば長生きもできるだろう】
物騒な式神だな、おい。
すると当然に、暇そうだった邪羅が楽しそうに反応する。
【なんだぁ謳歌、今日の飯は鳥かよ。ちと食いごたえがないが我慢してやるぞ】
【地を這うしかできない獣は、空の景色を知らずよく自分を買い被る】
狼の金眼と鷹の銀眼がばちばちと交わる。
いいぞーやれやれと応援する謳歌をよそに、夜見は落ち着かせるように鷹の胸元を撫でた。
「駄目よ星集、賢い貴方は面倒の始末がどうなるかわかるでしょう」
【なに、虫除けの牽制だよ。指摘せねば、想像すらできない者が世にいるからね】
皮肉めいた鷹の言葉に、邪羅が【聞いたかよ、お前より賢いぞあの鳥】と宣った。
「なにぃ、じゃああいつが世界一で、俺は残念ながら世界で二番ってことか。邪羅精進しろよ、お前は涅槃の底から二番目だ」
【あ? じゃあ一番下は】
「俺の親父」
【そこに異論はないな】
一触即発の愚かな獣達だったが、争いが始まる前に、ガンガンと鐘が叩かれた。
謳歌も夜見も、自然と意識を前を向ける。
前方の台の上で、一人の男が前に出てきた。
折烏帽子に茶袴、腰には流麗な装飾を施された小刀をさしている。
服装で位の高さがわかる。
見覚えがあった。彼は、斑花紋助代々木ノ宮城主の相談役を務める、斑花家の現当主だ。
ひと目見て武官ではないとわかる、華奢な身体である。色白で端正な顔立ちの紋助は、痩せたその手をあげて磨師達の注目を集めた。
しん、と静けさが広がった。
「此度は、木ノ宮の招集によく応じてくれた。芍薬様の代わりに、私から礼を言わせていただこう」
ハキハキとした物言いではあるが、内心は疲れているのであろうか、黒い瞳を称える双眸には隈がある。
「大まかの内容は把握した者がここにいるはずだ。事前の説明は省き先に進める」
そうらしい。こちとらほとんど知りませんでしたがね。まあ結界関連で人手不足って事がわかっているので、十分だ。
「配属位置によって内容も変わる。そのためまず軽い試験を行い、振り分け後依頼内容の説明を行うものとする」
パンパンと柏手が打たれ、控えていた足軽達が磨師達の前に並ぶ。
「では、始めていく。なに、至極簡易なものだ。こちらから名を呼ぶので、指定されたものは、番号札を掲げた兵の元へ、呼ばれた者同士で模擬戦を行ってもらう」
よくわからないが、とりあえず呼ばれたら相手を叩きのめせば良いか。そう思ったが、少し制限もあるようだ。すぐに紋助が「死者を出すべからず」と告げ、さらに続けた。
「致命傷を与えられただろう状況を確認し決着とする。判断は審判員が行う。勝敗だけが判断基準ではない。配属場所を決めるための、情報をこちらが得るためのものだ。こちらが独断にて決定するので、苦情、希望などは一切受け付けるものではない」
切り捨てるように言い終わる。中には不満そうな顔をする輩もいたが、お上からの触れに表立って文句を言う者はいない。
十人の足軽が、順番に磨師を呼んでいく。七人目にして「夜見瑠輝、前に」と聞き覚えのある名前が聞こえた。
「あ、瑠輝ちゃん頑張ってー、応援してるぜー」
ひらりひらりと手を振ると、彼女は嫌そうに一瞥するだけで兵の元へ向かった。
どうせ呼ばれるまでは暇なので、その後を素知らぬ顔で着いて行く。
夜見の肩の星集が、まるでドブネズミでも見るかのような眼差しを向けてくる。
ずいぶんと躾不足なようだ。うちの子を見習って欲しいものだ。
邪羅を見やる、ゾウリムシでも見る眼差しだった。ほら凄いだろ、小動物でもないんだ。
磨師達の輪が、足軽の数の十だけできる。その七番目に到着した夜見は、背負った朱槍を手に輪の中へと入った。
相対するように、もう一人の磨師が姿を現す。
後ろに撫でつけた金髪、黄色とや橙色の混じった派手な羽織を着込んだ男。
短く磨上げられた刀を十本、扇のように背負っている。
知った顔だ。
(確か、なんとか丸だったような)
「夜見瑠輝、孔雀丸、前に――」
そうだそうだ。此処らを拠点に動く燎界派の磨師である。直接話した事はないが、あの派手な見た目だ。姿は謳歌でも覚えていた。
円の中央に立つ夜見と孔雀丸。
間に立っていた兵が後退りし、手に持った扇を――
「では始め!」振り下ろした。
まずは先手を取ったのは孔雀丸。
「本来淑女に手を上げるは望まないんだけどね。仕方なしか、後で優しく介抱するから許してくれよ」
両手を大きく広げ、金色の指輪をした十指を、ぐねぐねとうねらせる。
気持ち悪っ。
空間にきらりと光る線、恐らくは命力を通した糸であろう。背負われた刀が、手も触れずに鞘から抜き放たれる。
陽光を反射させながら、包囲するように刀が夜見に襲いかかっていく。
寸止めできるのかなあれ、という心配を他所に、夜見はその紫暗の羽織をひらりひらりと揺らしながら掻い潜る。
踊り回る刀と砂利が火花を辺りに散らす中、彼女の黒い足袋に履かれた草履が、玉砂利を蹴りつけ軽快な音を響かせていく。
「わっ、中々やるようだ。しかしいつまで踊り続けられるのかな。こちらはまだ速度が上がるぞ」
額に汗かく孔雀丸が、言葉通り指をさらに速く動かしていく。指は相変わらず虫みたに動いてて「うわっ」となるが、攻撃自体は確かに鞭の乱舞のようで、周囲からも「おお」だとか「見えぬっ」だとか感心の声も上がっていた。
しかし、それでも夜見には当たらない。
右へ左へ踊るように避け続けていた彼女が、朱槍を眼前で一度回転させた。
金属音、二本の刀が弾き飛ばされる。
「星集、足止め」
【承った――】
攻撃網の穴へとめがけ、肩の星集が飛翔する。流れ星のようにきらめきの軌跡を残し、先駆けの鷹が急襲。
「くそ、鬱陶しい式神ごときが」
右、左、右、左、と襲いかかる星集、嫌気が刺したのか孔雀丸が懐から『扇』と書かれた札を出し、片手で払うように空間へ放った。
「くらいたまえ『灼』」
轟!
札が一気に燃え上がり、襲い来る星集の進行方向を扇状に広がる黄炎が阻む。
炎の壁の前で急上昇、身をひねり燕が返るように回転。同時に、空中で白金の羽根がクナイのように撃ち出された。
「なんとッ」
孔雀丸が必死の声をあげ地面を転がり回避。
しかし、そこは夜見の術中だった。
五枚の羽根が、孔雀丸を囲うように地面に刺さっている。
おぼろげな白い光を放つ見て孔雀丸も顔を顰めるが、遅い。
美しい白い手で『這』の札を差し向けて、桃色の唇が祝言を紡ぐ。
「『雷』」
召雷が羽根を伝い逃げ場を封じ、地面を走り中央の孔雀丸の体を這い回った。
「ぎゃあッ」
短い悲鳴と共に体を痙攣させ動けなくなる孔雀丸。トンと地面を蹴った夜見が一気に距離を詰め、朱槍の刃先を哀れな犠牲者の首元へと当てた。
「そこまで、勝負あり」
兵の静止の声、くるりと回され背に戻される朱槍と、音もなく肩に戻る銀鷹。
周囲からの、ほうという感心の呼気が空間に滲んでいた。
(うーむ、思った以上にやるなぁ)
邪羅も言っていた最近流行りの符術が見られた。力ある札に込めた一定の言葉を、己の得意な祝言で発動することで様々な変化を起こす。
長ったらしい呪文や、面倒な動作を省けるので、確かに便利である。
所作などから、それなりに実力があるだろうとは思っていたが、想像を越えていた。見た目こそ馬鹿っぽいが、孔雀丸もそれなりの磨師である。
なんて、羨ましい。
自分だって「なんだって」「あ、あれが噂のっ」「素敵、抱いてっ」みたいな反応が欲しい。でも、あーいう小器用な事はこの場でやれといわれても無理である。
(見た目だけ強そうな輩が来い、俺の踏み台になりそうな輩が来い)
うむむ、と唸りながら祈る。どうせ組み合わせなどくじ引きだろう。自慢じゃないが、運は良いのだ。呪いでも込めるように足軽兵に念を送っていると、
「傾楽木謳歌、四番だ。前へ」
通じたようで名が呼ばれる。
「よーし邪羅、わかってるな見栄えも考慮するんだぞ」
ほら見たことかと、背負った大傘を抜き放ちながら所定位置に歩み寄る。
【ではまずそのニヤけた面をやめるんだな】
邪羅は全くやる気がないようで、少し離れた場所で丸まって横になった。
我儘の権化めが。
だが知り合いでもない相手に寸止めなど、そもそも馬鹿犬ができるわけもない。
間違いなく、嬉々として食いちぎりにかかるはずだ。
このまま寝かせておくのが吉か。
人混みをかき分け、円の中央で仁王立ちで待つ。観客には夜見の姿もある。
(おうおう、ここは見せ時ではないか。おっし、雑魚こい、雑魚こい、雑魚こい。見た目だけは世界一強い糞なめくじがこい)
兵が、箱の中から紙を取り出しその名を読み上げる。
「護国坊岩碌前へ」
名を訊いた瞬間、謳歌は「あちゃー」と天を見上げた。聞き覚えしかない。以前、忌首屋で揉めたくそ磨師の親玉である。
見上げるような体躯に、修行僧のような服の上から白虎の皮を羽織った男。
つるりと剃り上げたハゲ頭を燦然と輝かせ、金魚のような大きな目玉をギョロギョロと動かしている。
長大な金剛棒を軽々と肩に担ぐそいつは、木ノ宮を拠点とする磨師の中でも、五指にはいる実力者であった。
「ぐはは、傾楽木。ここで会ったが半年目、逃した素っ首をいまここで貰うぞ!」
最悪だ。もっとも引きたくなかった脳筋がお越しのようだ。
以前手下と揉めた後から、なにかにつけて喧嘩を売ろうとしていた。
大変面倒くさそうな輩であるから、顔を合わせぬようにこれまで避けていたのに。
なぜだ。
運は良いはずなのに、いや、よく考えてみれば、賭け事で勝った記憶もないな。
見下すように謳歌を睨む岩碌に、気乗りせぬまま相対する。
露払うよう右手の大傘を横薙ぎに振るい、そのまま真横に朱傘を構える。
体を半身に左手を前に差し向け、重心をすっと落とす。
「二度と会いたいと思えないよう、手下同様に食らわしてやる。さあかかってこい、筋肉タコ坊主が」
くいくいと左手を招き挑発するが、岩碌は鼻息をふんぬと吐き出した。
「ぬかせ、合図がまだだ焦るな小坊主」
なんだ、うまく行けば反則負けにできると思ったが、意外と知能もあるらしい。
こいつは残念と四肢に力を込めた一拍後、
「四番、開始」
兵の合図が開始を告げる。
丸太のような岩碌の右足が踏み込み大地を割る。
「ぐはは、死ねえええ傾楽木ッ!」
殺す気しかない気概で突進、担いだ金剛棒を勢いに乗せ振り下ろしてくる。
これだから馬鹿はいけない。寸止めする気を見せろ。これはお手本を見せてやらねばなるまい。
真横に構えた彩傘下を、謳歌は迎え撃つように振り回す。
「砕けちってくたばれ、腐れ似非坊主がぁぁ!」
ガッォぉぉン!
真正面から衝突した金棒と大傘、大鐘でも叩いたような轟音が響き渡る。
拮抗するように交差する武器。
痺れる右手、両手で大傘を握り直す。歯をむき出す岩碌。
お互いに獲物を振りかぶり直し、再度叩きつける!
「死ね死ね死ね死ねえええ!」
「タコかすぼけこら地獄で岩でもつんでろ!」
殺意の連打、花火でも打ち上がるような轟音と火花の乱打。
観戦していた磨師達が耳を塞ぎ「うるせぇッ」「おい二人共禁止事項守る気あるのかっ」「良いぞー殺せー!」それぞれに騒ぎ立てている。
左からの攻撃を、傘で跳ね上げる。
右からの毛深い蹴りを傘の石突で牽制、左拳を右拳で正面から迎え撃つ。
押し負け後方に飛ばされた自身の左手をみて、筋肉坊主が初めて感心するように目を剥いた。
「こりゃあ、木っ端じゃ相手にならないわけだ。しかし噂は訊いているぞ、傾楽木ぃ。貴様まともに術も使えないらしいな」
「ああ? べ、別に使えるわ! ちょっと失敗することがあるだけだ!」
噂には尾鰭がつくものである。たまたま失敗した話が広まったにすぎない。
「ほほう『水』札で建物爆破してりゃあ世話はないなぁ」
「水だって温度で爆発するんですぅ、だいたい支部の建物の一つくらいでみみっちいんだよ。後な、脳筋生産場の戎界派のやつにはだけは、言われたくねぇんだよ!」
押されてる癖にいきがりやがってとシッシと手を振ると、岩碌は獰猛に笑いながら金棒を天へと掲げた。
「ぬははッ、膂力は天性のものがある、それは認めよう。しかし、それだけじゃあオレには勝てん。戎界派の術技しかとみせてやろう!」
岩碌の巨躯が、言葉と同時に膨らんだように圧力を増した。
「この護国坊岩碌様が、貴様に情をひとつくれてやる。避けろ――死ぬぞぉ?」
その全身から蒸気でも上がるかのように、命力が迸る。金棒に貼られる『膨』の札。白い靄が金棒へとまとわりついていく。
「んんん、食らうが良い我が漢の『棍』撃」
祝言、直後めきめきと大きさを増す凶器。
二倍、三倍、四倍、五倍。
周囲の観衆のざわめきが増す。
「え、まさかそのままいかないよな」「いや、馬鹿はやる」「おいそっちのやつ下がれ下がれ」「いいぞー盛り上げろー」
好き勝手なやじごと叩き潰すように岩碌が吠える。
「圧滅せよ、大打羅」
快晴を遮るほど長く太くなった金棒が、謳歌目掛けて降り落ちる。
圧倒的質量。
逃げる? 否、そんなみっともない事できるか。女子が見ている。
「かかってこいやッ!」
両手で大傘の端と端を持ち、受け止めるように構えた。大地に両足を踏ん張り、落下してくる鉄塊を受け――止める!
とんでもない衝撃、大傘がありえないくらいに撓る。地面が謳歌の足を中心に割れ、沈む。
全身の骨が悲鳴をあげた。しかし、潰れる寸前で拮抗する。
馬鹿力め。しかし確かに素晴らしい力だ。
人と思えない、暴力的な破壊力であった。
競り合う、お互いにくたばれと気合を込めて膂力を注ぐ。
思考が煮えてくる。心臓が高鳴ってきた。
(すごいじゃねぇか)
口角があがり「くかか」と笑いが漏れる。
久々だ。人と力いっぱいに殴りあうのは。こんなにも真っ直ぐ張り合ってくれたのだ、相応の返礼をしなければいけない。
周囲の空気をすべて無くさんばかりに、吸い込み全身に行き渡らせていく。
痛みが走る体が、燃えるように熱くなる。
「なに?」
ジリジリと押し返す。岩碌の驚きの声。
やれ、いま出せる全力をここに。
さあ、はやくこの練り上げた力で金棒を砕き、四肢を折り、背骨を折り、頭蓋を砕いてわからせろ。
熱波の如く熱くなった吐息を漏らし、両手から片手に、大傘を持ち直す。
巨大な金棒を押し、さあ一気に弾き飛ばそうと力を込めようとした、
(――ね)
直後。
視界の端に何かが映る。
これまで大人しくしていたはずの、黒い毛玉が動き出した姿だった。
【ナンテコトダー、これは危機だー、助けなければナラヌー】
邪羅の声、抑揚のない棒読みでそんなことを言いながら、こちらに走ってくる。
(今更邪魔をしに来やがって、まあいい、手伝うというなら好きにさせて――)
すごい勢いで走ってくる、邪羅と目が合う。
真っ直ぐに、ためらいなく、走ってきている。
その方向は、敵ではなく、自分だ。
「おい、違う! こっちじゃ!」
【ぬははは、あぶなーい。助けなければーナラヌー、ナラヌーゾー】
牙を剥き出し目が爛々と輝いている。
なんて楽しそうな顔。
めキィ!
「グハッ!」
横腹、黒い毛の弾丸が真っ直ぐに刺さり、吹き飛ばされた。
気がつけば、地面を引きずられていた。
邪羅に襟元を咥えられ、ずるずるずるずる。ぽいっと放り投げられた先は、意地悪くも夜見瑠輝の前だ。
憐憫の眼差しが、降り注いでいる。やめて、見ないで。
「四界派にも“貴方のような人”がいるのね驚いたわ。余計なお世話かもしれないけれど、術の修行はした方が良いと思うわよ。式神の操作も上手くなるのだから」
ええ、そうれはもう。誠にご尤もなお言葉でございます。
「しょ、精進します」
残念ながら、あまり格好いい姿は見せられなかったようだ。
試験も駄目そうかなとも思った。
千冬にどう言い訳しようかと考えていたが、しかし予想は別の意味で裏切られることになった。
「傾楽木謳歌、夜見瑠輝はいるか」
名を呼ばれる。木橋の門であった女足軽が、手に台帳を持ってこちらを探していた。
よく会うなー。
こっちこっちと手を振ると、彼女は来るなり言った。
「ああ二人共、結果の通達だ。揃って配属は場内の警備となったから、明日同じ時間にここに来てもらえるかな。その際に詳しいことは説明するよ。その後の時間も空けておいてくれ」
吃驚した、なんとも早い通達である。よく見れば、幾人かの磨師達の周りにも同じように兵の姿が見えた。
「お、明日も一緒か、よろしくな瑠輝ちゃん」
単純に喜んでいると、夜見が警戒するように眉を潜めた。
「まさか言っていた通りになるなんて、事前にわかっていたのかしら」
一寸たりとも知りません。
でも勝手に一目置いてくれる分には、一向に構わない。
「まさか偶然だって偶然」
へらへらと謳歌が宣うと、夜見は「どちらでもいいけど、邪魔はしないでね」とその場を去っていった。つれない態度である。
「もしかしたら、照れてしまったのかもしれない。罪な男だ俺は」
謳歌が言うと、邪羅が前足で鼻面を覆って下を向いた。
【早く罰も下れば良いのだがな。オレは羞恥で面を上げられん。あー痒い】
ノミかな。大変だなケダモノ。
ぼりぼりと耳の裏を掻く邪羅を横見に、謳歌はひとまず家に帰ることにした。
美人が一緒なら、明日も楽しみだ。
◇――◆
次の日。
朝から木ノ宮の敷地に、悲鳴が響き渡った。
二の丸へと続く広場の門に、三体の死体がぶら下がっていたからだ。
自らのはらわたを縄として吊り下げられた死体は、首から上がなかった。
もぎとられた頭部は、死後硬直した死体の両手に持たされている。
体の半分は溶けており、ぱっと見では男か女かもわからなかったが、磨師であることはすぐに判明した。
絶叫するように開けられた口腔から垂れた、変色した紫色の舌、その半ばに突き刺さっていた金の刀飾りが、それを証明していた。
後に調べてわかったそうだが、三体の死体は、試験に受かったはずの、磨師になりたての三人だったそうだ。
玉砂利に広がるどす黒い血みどろのように、不吉は這い寄り蔓延していく。
これは小さな妖鬼の仕業とは思えない。
これといった証拠などなかった。しかし集まった磨師達の脳裏には、不吉な咎の文字が浮かんでいた。




