弐✿ 苦 しい時の邪羅頼み《くるしいときのじゃらだのみ》
舞い踊る春の桜を仰ぎ見て、裏長屋の路地をねり歩く。
降り注ぐ陽光のおかげで気温は心地よく、風も柔らかく感じる。
鼻孔に桜の香りがかすめた。汚水の処理も行き届いた木ノ宮は、花や木が多く香り高いことで評判だ。
背の低い長屋の行列。先に見える、火の見櫓や商家の倉。もっと視線を先へと送れば、淡い桜色の壁をした城と、町の四隅に植わっている巨大桜も見えてくる。
(銭の悩みさえなければ、酒瓶を持って日がな一日散歩していられるのに)
自分が不幸な気がしてきて、段々と落ち込む……わけもなかった。
(いや、待て)
項垂れそうな頭がピタリと止まる。
(そうだよ……別に仕事するからって、散歩を諦める必要があるのか? 否、ない)
ははん、と謳歌は頷く。
綺麗な景色を眺めて、綺麗なお嬢さんも眺めて、情報も集めて、ついでにみつけた雑魚妖鬼をしばき〈忌首屋〉で報酬を貰う。
そして飯と酒を買えばー? これだ! 景色、お嬢さん、銭、飯、酒と一石で五鳥とか、妙案にすぎる。
「いいぞー」
軽快な足取りで急ぐ。目的地は決まってないが、急がば走れである。
邪羅は、苦虫を噛み潰したような顔だ。
「んんぅ? どうしたんだいワンちゃんや、こんな吉日に酷い顔だ。これだから情緒のない獣風情は困るね。ほらほらお前だって嬉しいだろ、せっかくの散歩じゃないか、尻尾でもふりたまえ。まあ、ついでに仕事もこなすから安心しろ」
邪羅がハンと鼻息を漏らす。
【駄目だこいつ。どうせくだらぬことを考えておる。頭の中に春が到来しているな。春何番だ、三百六十五番かうつけが。オレの飯もかかっとるのだぞ? そんな調子でおるから駄目なんだろ。大体だな……おい、聞かんか小童が!】
すでに耳は竹輪である。
まあ、これでも一応考えている。情報を集めるために、まずは行く場所がある。
もうすぐそこだ。
角を曲がって通りを少し進んだ場所、裏長屋にある井戸へ差し掛かった瞬間、馬鹿でかい笑い声を耳にした。
(ほらいた)
裏長屋通りにある井戸端――そこは辺りの母ちゃん勢が集う場所であった。
耳を済ませれば聞こえてくる、最新の情報が。
「奥さん聞いた? 反物屋の若夫婦が――」
「聞いたわ、急に行方不明になったって」
ほう、反物屋ってあの酒好きのか。雲隠れするほど商いに困ってなかったはずだが、行方不明なんてただ事じゃない。
「あら、最近お子さんできたって話だし旅行でもいってるんじゃないの?」
「それが誰にもなにも言ってないらしいわよ」
「やだ、最近行方不明の話結構聞くわよ、もしかして……私たちも狙われちゃうっ」
五十くらいのお母様が、身悶えするように自分を抱きしめた。
「やぁだわ、こわぁい」
こっちが、こわぁいである。
しかし事件の匂いだ。歩き回る際に気にしておこう。今のところは磨師の仕事かはわからない。もっぱら妖鬼共を祓うのが磨師と祓師の役割だ。ただ祓師と異なる点は明確にある。
咎頭。
咎にまみれた生首から生まれる悪鬼。やつらと戦う可能性があるため、磨師には武闘派が多い。
と、母ちゃん勢の話題も関係ない所にズレてきているようだし、もう良いだろう。
謳歌は見つからぬようにジリジリと進路を変え、危険地帯から逃げ出した。
(見つからずにすんだぜ)
謳歌にとっては、母ちゃん勢は天敵である。
普通磨師は市民からは近寄りがたい存在とされている。しかしこの一体であたり構わずお世話になっている謳歌の威厳は、もう売り切れてしまった。
噂好きの母ちゃん勢の前に無防備に出ては、鴨が葱背負って鍋と薪持って「今日の御飯はなんですか?」と聞くのと同じ、逃げるが勝ちである。
さて次は、とごった返す大通りを真っ直ぐ東へと向かって進む。
途中、幾人かの知り合いに遭遇したが「久しぶり」「良い日和だな」「元気かい」「金返せ」などといった短い応答だけで足を止めるには至らなかった。
裏通りと異なり目的があって来訪している者がほとんどだから、忙しいのだろう。
(いや……人通りに関しては、関係ねぇか)
川面にある石を避ける水のように、人波が自分を避けていく。
歩きやすいことこの上ない。ふらふら歩こうが、ここで踊ろうがぶつからないくらい、人々は勝手に避けてくれている。
「んー、さすがの磨師様、非常に便利な肩書きではある」
【まぁそれにはオレも同感だ。うじゃうじゃと鬱陶しい人間に触れ合わんですむからな】
「そりゃ良ござんした。手前が暴れると苦労するのは俺だからな」
辺りに視線を這わせれば、表通りの中では同じように人が自然と避ける場所があることがわかる。
『磨師の行く手を遮ることなかれ』
火元には、昔からそんな教えが伝わっている。
行く手を遮ったことで間に合わなかったら。それが自分自身かもしれないし、大事な人だったりするかもしれない。だからそんな暗黙の了解ができた。
知り合いが平気で謳歌を邪魔をすることもあるように、昔ほど徹底されていないが、それでもこうやって道を譲るていどには、人々の間に生きている。
磨師は目立つから、避けるのも楽だとは聞く。
例えば格好。
謳歌の右手前方にいる磨師は、もにゃもにゃとした墨字がびっしりと入った白袴と白羽織という怪しげな格好だし、肩にでかい白銀の鷲を乗せた、紫暗の髪の女なんてのもいる。式と呼ばれる連れを伴わせている事も多く、確かにばちばちに目立つ。
まあ正式な所で言えば、特殊な呪を施された、“刀を模した金飾り”。これが国元から許可を取った磨師の証となる。
謳歌は長い黒髪を束ねる紐の先につけていた。
得るためには師からの紹介状云々とか、七面倒な試験をどーのこーのと大変だ。
(せめてもう少し高ければ、売って飯を買えるのになぁ)
過去六回ほど売り払おうとして失敗した。お上から警告状まで貰ってしまった。
自分の物を売って何が悪い! と思ったが、さすがに七回目は止めた。なぜなら暫くして御触れによって買取に対して厳しい罰が追加されたからだ。
「世間の荒波はどうしてこうも厳しいのか」
【いきなり何を言っているんだお前は】
「いや、御触れなんぞ糞食らえって話だ」
【そうか、とりあえずお前は一度捕まれ、世が平和になる】
哀れんだ目を向けられ諭された。人を平気で噛み殺そうとする奴に。
まあ許そう。これから働いて貰わないといけないからだ。
「よし邪羅さっそくだが鼻で妖鬼の臭いを探るんだ。結界内でも雑魚はいる。お前が見つけて、俺が殴って換金だ」
がっぽがっぽうひゃーってね。
「ふへへ、小銭でも腹は膨れる。いまから酒やら食い物やら予約しとくか、おう?」
【……行き当たりばったりという言葉は、お前から作られたのだろうな】
尻尾をしゅんと垂らして言う邪羅に、謳歌は「はて?」首を傾げて答えた。
「ん、珍しい邪羅が褒めるなんて。まあ、行って当たって銭が入る……はは、これほど俺に相応しい言葉はないっ」
【当たって砕け散れ】
吐き捨てるように言い放ち、邪羅は仕方なさそうに鼻をひくつかせた。
褒めたり貶したりと忙しない奴ではあるが、協力するつもりはあるらしい。
「そうそう、たまに役に立ってもらわんとな、たまには。犬でも棒に当たるからな」
【……】
無言で睨む邪羅である。謳歌は頭に描いた夢を見ながら、調子っぱずれの鼻歌を漏らし意気揚々と闊歩していった。
しかし二刻すら経たずして、
「そんな馬鹿な、まるで見つからねぇだとぉッ!?」
通り真っ只中で、天に向って吠えていた。雑魚妖鬼を見つけるという第一条件から躓いた。
すぐ見つかると思ったのに、邪羅は【妖鬼の場所がわからん】とのたまうのだ!
「なぜ」
周囲の通行人からの「なんだなんだ」とか「またお前か」という視線を無視して、邪羅に詰め寄る。
「おい邪羅、まさかお前……手を……いや鼻を抜いてるわけじゃないよなぁ」
【阿呆が、言葉くらいまともに使え。だいたい、そんなことをして何になる】
不愉快そうに片耳を動かす邪羅。嘘をついている感じではないが、こいつならやりかねん……と思いつきを口にした。
「例えば、俺の狼狽える姿を見たかった……とか?」
言った瞬間、邪羅は謳歌の姿を眺め、ペシペシと右足で地面を叩きはじめた。
【はははっ、言われて見れば間抜な姿だな! まるで馬鹿のようだぞっ、いやすまん元からだった。ぬははは】
狼が爆笑するというこれ以上ない奇妙な姿が目の前にある。
謳歌は「こいつはわざとやっている」と確信を抱き、背中の大和傘に手をかけた。しかし邪羅はひぃひぃと笑いを収め【まてまて】とそれを遮った。
【落ち着け、べつにオレは嘘なぞ言うておらん。本当なのだから仕方なかろう】
邪羅の声から、ふざけるような色が消えている。とりあえず嘘ではなさそうだと判断した謳歌は、傘からそっと手を離し尋ねた。
「あ? つまりどういうことだよ」
【ふむ、ではお前にもわかるように簡単に言うてやろう】
狼の双眸がやおら細まる。落とされた声が、ひっそりと憚られるように耳に届いた。
【臭いがない……というより、薄く広がりすぎてて掴みきれん。部屋に残った草っぱの煙のように、微かな臭いが充満しているといったところか】
「いや、おいおい」
邪羅の言葉をゆるりとかみしめ、謳歌は理解と同時に眉根を寄せた。
「そんなに多いのか?」
【かもしれんな】
意地悪な狼はいつだって嫌味を吐く。でもつまらない嘘はつかない。邪羅が【そうだ】と言うのなら、きっとそれが事実なのだろうと納得した。
頭の隅で広がる嫌な想像に、屈みこんで邪羅と視線を合わせた。
「結界の中で、冗談だろ。程度はどうだ緊急事態か?」
意識から喧騒が切り離され、自分の声が響いている。
嫌な緊張の中、邪羅は鼻を動かし【そうさな】と首を横に振るう。
【正直わからん。ただいまのところは咎の臭いはない。であれば緊急とは言わんのではないか。結界の一部がちぃと破れておるとかな。お前さんからすればどちらかと言えば都合が良いのではないか? 鼻で探すのは上手くいかんが、日が落ちれば行って当たるくらいにはおりそうだぞ】
謳歌の緊張は僅かに解かれた。異常だが最悪ではないらしい。ただの妖鬼程度なら、奴らでなければ大ごとでもない。結界のほころび自体はまずいが、城お抱えの連中の領分だ。野良が出張ると面倒が増える。
(ただ、こっちでも調べとかないとな)
双眸を気だるげに「それにしても――」と邪羅をつめる。
「つかよ、手前はもっと前に気がついていたじゃねぇか?」
睨むが、邪羅は悪びれもせず不遜に口端を釣り上げた。
【けっ、くだらんな――こんな人間くせぇ街中で頼まれもせず、終始鼻なんて利かせてるわけねぇだろうさ、反吐が出る。オレが気がついたのはついさっきだ。もっと早く気がついて欲しけりゃ、せめてもっと“緩めて”から言え】
「ああ、なるほど、そりゃすまん」
自分で例えれば「力士部屋で一日中深呼吸をしてくれ!」と言われているようなものか、嫌すぎる。絶対に御免だ。
謳歌は疑ってしまった自分を恥じ、しかし邪羅の提案を一蹴した。
「緩めるのは無理だ。ただでさえからっけつだし、そも手前は何しでかすかわからん」
【安心しろ、お前を引き裂けばひとまず満足してやる】
んー、じゃあまだ大人しい方か。
しかし邪羅の鼻が効かないなんて想定外である。
夜に歩き回れば出会えるだろうが、待つのが面倒だ。
(裏通りの情報屋は、ツケのツケのツケが終わるまで使えないし、残るは忌首屋か他の磨師のところってなるが、揉めそうだなぁ)
何事にも、反りが合わないという部分があるものだ。
一部を除き、謳歌は多くの磨師たちとあまり関係がよくない。
基本不真面目で、騒ぎを起こし、一般人に銭を借り、飯を恵んでもらう――などなど、叩けばまだまだ出て来る謳歌の行いの数々が、主な原因らしい。
嫌味を言われたり、馬鹿にしたような目で見られることも多い。
『磨師の誇りはないのかっ!』
『馬鹿みたいにそこらを壊すのは止めろ!』
『お前のせいで磨師の権威が下がっているだろうが!』
『はやく奢れ!』
酷い良いざまだと思うが、邪羅は【正論だな、相手が】とかばってくれない。
言い返しても大体論破され、ぎぎぎッ、と歯を噛み締めることになる事がほとんどである。正論ではなく悪口を言う相手に関しては、迷わず殴っていた。
まあそれも、二人ほどぶっ飛ばしたあと「これ以上やりすぎたら磨師資格剥奪な」と警告をもらうはめになった。ちょっと忌首屋を半分焦がしただけなのに。
「ぐぬぬ……むむむ……くそ、嫌がってる場合じゃない、諦めて札祝屋にいくか」
覚悟を決めた、その時のことだ。
背後に気配。
(折が良いというか、なんというか)
タタタッと人波を縫うように、三つの足音が迫る。
次の瞬間、左腰の銃へ手が伸びた。同時に背後からもう一本、謳歌の黒髪へと手がかかる。
「ははッ、甘めぇぞぼけがッ!」
朱色の袖がばさりと舞う。謳歌は銃へ伸びた手首を掴み、そのまま持ち上げた。
だが背後の手が髪を引く。頭にずしりと重量が乗り、首が後ろへ持っていかれかける。だが髪はちぎれない。異様なほど頑丈な黒髪が踏ん張り、謳歌は首の力だけでそれをこらえてみせた。
「…………」
無言のまま、自分の目の前に釣り上げる。
ぷらり、ぷらり。
振り子みたいに揺れるそいつは、歳の割には背の低い、いかにも小生意気な面をした悪ガキであった。
「よっす!」
元気満点な挨拶。
(やっぱ、この町でこいつらに見つからないのは難しいな)
はぁ、と謳歌は溜息を吐くと、口元を苦笑いへと変えた。
「相変わらず手癖がわりぃな豆粒」
「へへ、あんちゃん! 久しぶりー」
捕まっていない手をしゅたっ、と上げた十才くらいの悪ガキは、謳歌が勝手に〈豆粒〉と呼んでいる顔見知りだ。
当然、この豆粒だけじゃない。
いま後ろ髪に両手でぶら下がっている、少し丸々とした九才ほどの子供、
「重いんだが、いい加減離せよ。ぼて太」
そして、
「やだー、謳歌にぃ、おひさしー」
嫌がる邪羅の首にひしっ、としがみつく頬が赤らんだ八才くらいの女の子も、
「久しぶり、元気だったか? 赤ふく」
「歌ちゃん、ひさしぃ、けむ邪羅も、しぃ」
【ええいッ! くそ、離さんかこの童! 咬み殺すぞ】
「いゃー」
全員まとめて顔見知りである。
(運が良いのか悪いのか……いつかは行くんだ仕方あるまい)
謳歌は邪羅に「噛むのは絶対に、禁止だからな」と強く言いつけ、ひとまずこの場を離れることに決めた。
はらり、と舞う桜の花。
一枚だけ真っ黒なものが混じっていたように見えた。




