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鬼々快々  作者: 脳楽


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2/13

壱✿ 極 楽ちょんぼ《ごくらくちょんぼ》

 春爛漫《はるらんまん》の陽気の中、畳の上で鼻提灯が弾けた。


「ん、がっ」


 桜吹雪が舞う季節、寝るにはちょうど良いはずだった。

 まあそれも、


「腹減ったなぁ、寝れもしない」


 うるさい虫が鳴かなければの話だ。 

 むくりと起き上がり、はだけかけた朱色の長着を整える。

 なぜこうなった。ここ五日ただ食っちゃ寝食っちゃ寝していただけなのに。

 食料が欲しい、ついでに酒も、しかし――


「銭がねぇ……」


 早朝、囲炉裏と布団で手狭になるような裏長屋に響く、夢のない言葉が寒々しい。

 四方の巨大桜目当てに人が増えるこの時期、木ノ宮民の懐具合は暖かくなるのに。


 『傾楽木《かぶらぎ》謳歌《おうか》』の懐は違った。生き物すら死に絶えそうな、極寒がそこにある。


「んー飯どうするかな」

 呟いた、そのときである。


【ふむ、飯? 謳歌そろそろか】


 囲炉裏を挟んだ反対側、鼻をすんすんと動かしたそいつがむくりと起きあがった。

 余計な奴が、思わず眉をひそめる。


 知ってか知らずかそいつは【くわぁ】と欠伸を一つ、鍋の中を覗いて不満気に耳を動かした。


【なんだ空じゃないか、空腹だぞオレは】


 なんと傲慢なことで。

 眼前の不遜に笑うそいつは『邪羅《じゃら》』という、謳歌の同居“狼”である。 

 身の丈四尺一寸ほどで無駄にでかい邪羅は、それはもう胃袋も態度もでかい。


(いっそ毛皮剥いで売っちまおうかな)


 きっと高値で売れる。なにせ性格に反して見た目は美しいからだ。

 全部が真っ黒けではなく、尻尾の先と尖った耳の先端そして腹の一部は雪のように白い。伸びる四肢も柔軟でいて頑強、鼻はスラリと伸びていて顔立ちは狼然(ぜん)としている。


 何者をも恐れぬ態度と、意地悪そうな面構え。横たわる姿には妙な貫禄がある。こちらを見据える琥珀のごとき金眼は、怖気が走るほどに透き通っている。

 まあ、謳歌からすれば、だからどうしたと言った感想しかないが。 


(無視しよ、うるせぇし)


 口笛を吹いて知らぬ振りを装ってみる。


【おい謳歌、なぜ答えぬか。腹が空、い、た!】


 前足に顎を乗せ寝そべっていた邪羅が、獰猛に牙を剥いた。

 誤魔化せなさそうな雰囲気だったが、諦めない心で無視する。

 邪羅は、延々と【空・い・た】と繰り返してきた。

 やかましいなぁ……


【おい阿呆。遂に頭だけじゃなく耳もおかしくなったかよ】


 この、野郎。


「うるせぇぞ! 飯はねぇの。腹が減ったなら霞《かすみ》か鼠でも食ってろ!」


 気がつけば吠え返していた。自慢ではないが『我慢』を辞めるのは大得意だ。

 不満そうな唸り声、もちろん苛ついた邪羅が漏らしたものだ。


【じゃあお前が鼠でもかじってれば良かろう】

「わがままばっかり、畜生は畜生らしく同じ狢(むじな)を追いかけりゃいいんだ、キャンキャンとよ」

【あぁ?】


 一瞬の沈黙。溢れた剣呑な空気は、互いの黒毛が逆立つほど激しい。


【のたまったな小童。オレは別に良いんだぞ、今すぐ外でそこらの肉を噛み千切ってもなぁ。それこそ、目の前にいる筋張った餓鬼を喰うてもいいんだぞ】

「お、なんだ……やんのか?」


 謳歌の双眸が、邪羅の言葉でつぃと細まる。

 黒と金の視線が、真っ向から押し合った。逸らした方が臆病者、敗者だ。  

 すっくと謳歌が立ち上がる。


 人混みで頭一つでるだろう長身で邪羅を見下ろす。垂らしていた黒髪が揺れ、括っていた朱紐の先にあった刀の金飾りが小さく鳴る。


「……狼鍋はちと歯ごたえがありそうだが、道草食うよりは上等だ!」

【糞より不味い餓鬼はオレの好物ではないが、喰ろうてやるだけ感謝して咽び泣け】


 対する邪羅も、がちがちと牙を打ち挑発を返す。

 ビリビリと粟立つような殺気が狭い長屋に張り詰め、さあ殺《や》り合わんと足へと力を漲らせる。


 我慢の限界、互いに四肢へ蓄えた力を開放しようとし――

『いつもいつも、喧しいったらありゃしないよ! 謳歌、邪羅、子供が起きたらどうしてくれるんだい!!』

 雷が落ちた。


「うひっ!?」

【ギゃん!?】


 ドンッと壁を叩く音と、大地を揺らすような女性の怒声に竦みあがる。

 駄目だ。騒ぎすぎた。これ以上は、いけない……うめさんの怒声だ。


 あの怒りようからしても、色々と瀬戸際だった。

 謳歌はきゅっと口を引き結んだあと、邪羅と目だけで会話した。


 ――邪羅どうする。俺は黙ってやり過ごす。

 ――わざわざ聞くか、馬鹿がよ。

 ――よし。もし来たら壁破って逃げるからな。

 ――応。直し易いところをだ。見誤るなよ。


 嵐が遠ざかるのを待つように、視線を右往左往とさせる。やがて天敵がこないことを知り、ほっと溜息を吐いた。


(ふぃ、間一髪、危なく怒髪天か? まあどうにか免れたらしいが、しかし二度目は期待しないほうが良い)


 静かに、囲炉裏の前であぐらをかいて座る。


「これ以上は、お裾分けが貰えなくなっちまう恐れがある。それは困る、極めてな。本来は俺の勝ちだったが休戦してやらなくもない。感謝しろよ畜生の分際が」


 いつだか黒い船に乗ってきた外来人が、「ファック!」と叫びかねない和平交渉術に、しかし邪羅はうなずいた。


【良かろう。お主ごとき小童いつでも腹の中だが、献上される食い物で今は我慢してやろう。かすの肉が歯に詰まりでもしたら堪らんしな。そら、褒美がわりにいつでも土下座しても良い許可をやろう】


 ぶっ殺してやろうかな、こいつ。

 こめかみにビキィと血管が浮くが、怒りを喉元で飲み下す。


 歳を経て子供を持った女は、伝説の大妖より恐ろしいと言われているのだ。だからこんな毛玉よりも、うめさんの方が数倍怖い。


「俺の寛大な心に感謝しろよ。寿命が伸びたな」

【お前こそ、手作りまんぢゅうを作れるあの人間に感謝しろ】

「饅頭な」

【失敬、はるか昔の呼び名がでてしまったな】

「いにしえからそうとしか言わんけど」


 気勢は削がれた。呆気ない幕切れだが、まあいつもこんなものである。

 謳歌は部屋の隅にあった四段式の薬箱と、横に立てかけていた黒鉄の煙管を手にとった。


 気分転換である。

 囲炉裏の前で胡座をかき、箱の最下段から取り出した紺色の布袋に煙管《きせる》の雁首《がんくび》を突っ込み、刻んだ草を詰める。あとは親指の腹を火皿に押すように当て煙管を咥えた。


 火種も用意せず、ただ指を当て息を吸う。次の瞬間には口内に煙りの味が広がり、肺に特有の感覚が満ちていった。


 飄々とした表情で、謳歌は煙を吸い込み吐き出した。紫煙はゆらゆらとのぼっては、部屋の中にたゆたっていく。


 目眩がするような。力が少し抜け、虚脱していく感覚は、何度吸っても慣れない。

 空気を象ったように動く煙、この臭いが嫌いな邪羅が唸る。鼻が利くという理由もあるが、それ以前の問題だ。悪いとは思うがやめるわけにもいかない。


(銭がかからないのが唯一の救いだ)


 長屋裏の路地でこっそりと栽培している。人には無害だし、最近こいつの栽培方法を独立させたのだが、上手くいったときは自分が天才だと思った。別に売らないけど。


「仕方あるめぇ、もう金を稼ぎに行くしかねぇな」

【だからよぉ、五日前にオレが警告していただろう。その時お前はこう言ったな「帰ったばかりだから、休む権利がある。少しだけ、少しね」だ。もう忘れたのか猿か己は】

「あーガミガミやかましい、俺が猿なら手前は犬だ」


 犬猿の仲である。


「小姑かって、兎にも角にも仕事をします決まり、強制だ」


 せっついてきたはずの邪羅は、それはもう嫌そうに顔を歪めてみせた。


【この流れ、いっつも碌な目に合っておらん。この前も散々だったぞ】

「うるせぇな……ちゃんとやれば黒が出るの。他の奴ら見りゃわかんだろ」

【そうだな、お前以外はな】


 うっ、と言葉が詰まる。

 でもあれは不慮の事故だった! やむを得ない事情と、予想外の事態が起こった!

 結果、小銭を握り締めて肩を震わせ帰ることになっただけじゃあないか。


「俺も反省して考えたんだ邪羅。いいか、今回は遠出はなしとする。気がついたんだ“堅実”の大事さ。まるで俺の為に誂えたような言葉だ――」

【……】


 熱き想いに返事はない。しかしそれが了承を示す合図である。

 そうと決まれば……準備だ。


 うきうきと薬箱から物を出し囲炉裏の前に並べる。

 とんとん、と手際よく畳の上に道具が並ぶ。手のひらの長さの小刀、巾着袋、細い竹筒、平べったい黒い長方形の石である。

 まず小刀を手に取り、己の左掌を切りつける。


 引かれる朱線。

 痛みに呻くこともなく、煙管の火皿を返して中身を落とす。

 火種が血まみれの手に落ちジュッと鳴ったが気にしない。


 囲炉裏の中にある灰を一摘み、血で濡れた焼けた草に加える。二つの巾着の中から緑と赤の刻み草を出し、灰と同量を加える。

 全てを手に乗せた謳歌は、やおら握り潰すように拳を固めた。


「――鬼《オン》」


 固めた拳の隙間から真紅の炎が舌を覗く。舐めるように炎が拳周りの空気を焼いたが、一瞬で消え去った。残ったのは、火傷一つ負っていない拳である。


「さあどうだ」


 手を開くと傷はすでになく、代わりに暗灰色の弾頭が一つ在った。「ほら」と邪羅に見せるが、一目見ただけで興味を失った。


【まだ粗いな。耄碌《もうろく》から教わり直したらどうだ】

「阿呆、爺と比べる奴があるか。それに、元々苦手なんだから仕方ねぇだろ」


 この狼褒めやしない。自分は褒められて伸びる男である。伸ばせよ今後のためにも。

 半眼でむくれ、拳の中に弾頭を隠す。邪羅は意地悪そうな顔を浮かべた。


【苦手ですむ話じゃないがな。にしても古臭え術だな、最近ちまたでの流行りは符術だと訊くぞ。まあお前のは見事すぎて(、、、、、)使えんがな】

「あれは、あれだ。向いていないだけだ」

【お前ほど向いていない奴はそうおらんよ】


 別に最初から力込めてあるやつは使えるからいいんだよ。


 ふんと無視して作業を再開。

 小刀を弾頭に当てて形を整え、弾頭の全体に蚯蚓がのたくったような文字をいくつか刻み込む。黒石へ竹筒に入った清水をジャブジャブとかぶせ、弾頭を磨く。


 シャリシャリと削れば、形はすっかり整い怪し気な艶めきが宿る。

 小さな金属の筒を巾着から取り出す。小刀で自分の指先を切り、空洞の筒に滴る血を落とす。血が溜まったのを確認し、作った弾頭を被せて握り「鬼《オン》」とつぶやけば完了、灰色の弾丸の出来上がりだ。


「う、美しい出来栄えだ……はは、材料費ほぼ無しでこれが作れるんだから、やはり才能とは恐ろしい!」

【……弾っころ一個作るのにこれだけ時間かかるとは、随分な才能だ】


 黙れと吐き捨て、謳歌は指先についた血を舐め、手早く道具の片づけをする。

 謳歌は意気揚々と立ち上がり、長屋の隅にある一枚の畳に向かう。


 しゃがみこみ、畳の縁に指をかけ強引に剥がす。

 下には空洞。隠してあるのは、仕事道具一式だった。

 まず持ち上げたのは、長着と同じ色をした朱色の大和傘だ。


 身の丈に迫る大きさをもったこの傘は、真銘は省くが呼び名を『彩傘下《さざんか》』という。開けば嫌でも目に映る、“銭”の文字がでかでかと墨字で書かれていた愛用の獲物だ。


 次いで手に取ったのは、一丁の黒鉄の銃。

 銃身は円ではなく厚い長方形。弾倉は回転式。最大装填数は六発。じゃらと弾倉を横にずらし開ければ、すでに先ほど作成した弾丸と同類のものが五発込められている。

 慣れた手つきで作った弾を込め、黒鉄の銃を腰帯に収めた。


 最後に、手に取ったのは円筒状の物を三本。

 太さは銭ほど、長さは手の平と同程度。中身は見えないように和紙と、その上からなめした革で包んでいる。革の表面には墨字がびっしりだ。自分では会心の字だと思っていたのに、この間ご近所の娘さんに「蚯蚓みたーい」と言われた、悲しい。


「よし……」


 背中に傘。左腰に銃。右腰に三本の筒と煙管に薬缶。

 朱色の長着に、黒い下履き。

 準備万全と日に焼けた顔へ笑みを描き、欠伸をしている邪羅に声をかける。


「さあ行くぞ邪羅。いざ、働かん!」

【お前がやる気出すと、いつもろくなことにはならんがな】

「今度は違う。本気だ、任せろ」

【どうだか】


 紺色の鼻緒、朱色の釉薬《うわぐすり》を塗った下駄を履き、布で斑な戸を開け外に出る。

 謳歌は、空を見上げて眩しさで目を細めた。

 陽光が輝き、桜の花が辺りに吹雪いて舞っている。

 今日は、見事なまでの快晴であった。


 カラン コロン

 木ノ宮、裏長屋通りに響く朱色の下駄の音。

 目立つ長着に黒い股引、快晴の日でも背には銭と書かれた朱傘は揺れる。

 その傍らに黒狼を伴わせ、ふらりふらりと通りを歩く。

 性は傾楽木、名は謳歌。

 職業、磨師。

 跋扈する魑魅魍魎を祓いにいざ行かん。


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