壱✿ 極 楽ちょんぼ《ごくらくちょんぼ》
春爛漫の陽気の中、畳の上で鼻提灯が弾けた。
「ん、がっ」
桜吹雪が舞う季節、寝るにはちょうど良いはずだった。
まあそれも、
「腹減ったなぁ、寝れもしない」
うるさい虫が鳴かなければの話だ。
むくりと起き上がり、はだけかけた朱色の長着を整える。
なぜこうなった。ここ五日ただ食っちゃ寝食っちゃ寝していただけなのに。
食料が欲しい、ついでに酒も、しかし――
「銭がねぇ……」
早朝、囲炉裏と布団で手狭になるような裏長屋に響く、夢のない言葉が寒々しい。
四方の巨大桜目当てに人が増えるこの時期、木ノ宮民の懐具合は暖かくなるのに。
『傾楽木謳歌』の懐は違った。生き物すら死に絶えそうな、極寒がそこにある。
「んー飯どうするかな」
呟いた、そのときである。
【ふむ、飯? 謳歌そろそろか】
囲炉裏を挟んだ反対側、鼻をすんすんと動かしたそいつがむくりと起きあがった。
余計な奴が、思わず眉をひそめる。
知ってか知らずかそいつは【くわぁ】と欠伸を一つ、鍋の中を覗いて不満気に耳を動かした。
【なんだ空じゃないか、空腹だぞオレは】
なんと傲慢なことで。
眼前の不遜に笑うそいつは『邪羅』という、謳歌の同居“狼”である。
身の丈四尺一寸ほどで無駄にでかい邪羅は、それはもう胃袋も態度もでかい。
(いっそ毛皮剥いで売っちまおうかな)
きっと高値で売れる。なにせ性格に反して見た目は美しいからだ。
全部が真っ黒けではなく、尻尾の先と尖った耳の先端そして腹の一部は雪のように白い。伸びる四肢も柔軟でいて頑強、鼻はスラリと伸びていて顔立ちは狼然としている。
何者をも恐れぬ態度と、意地悪そうな面構え。横たわる姿には妙な貫禄がある。こちらを見据える琥珀のごとき金眼は、怖気が走るほどに透き通っている。
まあ、謳歌からすれば、だからどうしたと言った感想しかないが。
(無視しよ、うるせぇし)
口笛を吹いて知らぬ振りを装ってみる。
【おい謳歌、なぜ答えぬか。腹が空、い、た!】
前足に顎を乗せ寝そべっていた邪羅が、獰猛に牙を剥いた。
誤魔化せなさそうな雰囲気だったが、諦めない心で無視する。
邪羅は、延々と【空・い・た】と繰り返してきた。
やかましいなぁ……
【おい阿呆。遂に頭だけじゃなく耳もおかしくなったかよ】
この、野郎。
「うるせぇぞ! 飯はねぇの。腹が減ったなら霞か鼠でも食ってろ!」
気がつけば吠え返していた。自慢ではないが『我慢』を辞めるのは大得意だ。
不満そうな唸り声、もちろん苛ついた邪羅が漏らしたものだ。
【じゃあお前が鼠でもかじってれば良かろう】
「わがままばっかり、畜生は畜生らしく同じ狢を追いかけりゃいいんだ、キャンキャンとよ」
【あぁ?】
一瞬の沈黙。溢れた剣呑な空気は、互いの黒毛が逆立つほど激しい。
【のたまったな小童。オレは別に良いんだぞ、今すぐ外でそこらの肉を噛み千切ってもなぁ。それこそ、目の前にいる筋張った餓鬼を喰うてもいいんだぞ】
「お、なんだ……やんのか?」
謳歌の双眸が、邪羅の言葉でつぃと細まる。
黒と金の視線が、真っ向から押し合った。逸らした方が臆病者、敗者だ。
すっくと謳歌が立ち上がる。
人混みで頭一つでるだろう長身で邪羅を見下ろす。垂らしていた黒髪が揺れ、括っていた朱紐の先にあった刀の金飾りが小さく鳴る。
「……狼鍋はちと歯ごたえがありそうだが、道草食うよりは上等だ!」
【糞より不味い餓鬼はオレの好物ではないが、喰ろうてやるだけ感謝して咽び泣け】
対する邪羅も、がちがちと牙を打ち挑発を返す。
ビリビリと粟立つような殺気が狭い長屋に張り詰め、さあ殺り合わんと足へと力を漲らせる。
我慢の限界、互いに四肢へ蓄えた力を開放しようとし――
『いつもいつも、喧しいったらありゃしないよ! 謳歌、邪羅、子供が起きたらどうしてくれるんだい!!』
雷が落ちた。
「うひっ!?」
【ギゃん!?】
ドンッと壁を叩く音と、大地を揺らすような女性の怒声に竦みあがる。
駄目だ。騒ぎすぎた。これ以上は、いけない……うめさんの怒声だ。
あの怒りようからしても、色々と瀬戸際だった。
謳歌はきゅっと口を引き結んだあと、邪羅と目だけで会話した。
――邪羅どうする。俺は黙ってやり過ごす。
――わざわざ聞くか、馬鹿がよ。
――よし。もし来たら壁破って逃げるからな。
――応。直し易いところをだ。見誤るなよ。
嵐が遠ざかるのを待つように、視線を右往左往とさせる。やがて天敵がこないことを知り、ほっと溜息を吐いた。
(ふぃ、間一髪、危なく怒髪天か? まあどうにか免れたらしいが、しかし二度目は期待しないほうが良い)
静かに、囲炉裏の前であぐらをかいて座る。
「これ以上は、お裾分けが貰えなくなっちまう恐れがある。それは困る、極めてな。本来は俺の勝ちだったが休戦してやらなくもない。感謝しろよ畜生の分際が」
いつだか黒い船に乗ってきた外来人が、「ファック!」と叫びかねない和平交渉術に、しかし邪羅はうなずいた。
【良かろう。お主ごとき小童いつでも腹の中だが、献上される食い物で今は我慢してやろう。かすの肉が歯に詰まりでもしたら堪らんしな。そら、褒美がわりにいつでも土下座しても良い許可をやろう】
ぶっ殺してやろうかな、こいつ。
こめかみにビキィと血管が浮くが、怒りを喉元で飲み下す。
歳を経て子供を持った女は、伝説の大妖より恐ろしいと言われているのだ。だからこんな毛玉よりも、うめさんの方が数倍怖い。
「俺の寛大な心に感謝しろよ。寿命が伸びたな」
【お前こそ、手作りまんぢゅうを作れるあの人間に感謝しろ】
「饅頭な」
【失敬、はるか昔の呼び名がでてしまったな】
「いにしえからそうとしか言わんけど」
気勢は削がれた。呆気ない幕切れだが、まあいつもこんなものである。
謳歌は部屋の隅にあった四段式の薬箱と、横に立てかけていた黒鉄の煙管を手にとった。
気分転換である。
囲炉裏の前で胡座をかき、箱の最下段から取り出した紺色の布袋に煙管の雁首を突っ込み、刻んだ草を詰める。あとは親指の腹を火皿に押すように当て煙管を咥えた。
火種も用意せず、ただ指を当て息を吸う。次の瞬間には口内に煙りの味が広がり、肺に特有の感覚が満ちていった。
飄々とした表情で、謳歌は煙を吸い込み吐き出した。紫煙はゆらゆらとのぼっては、部屋の中にたゆたっていく。
目眩がするような。力が少し抜け、虚脱していく感覚は、何度吸っても慣れない。
空気を象ったように動く煙、この臭いが嫌いな邪羅が唸る。鼻が利くという理由もあるが、それ以前の問題だ。悪いとは思うがやめるわけにもいかない。
(銭がかからないのが唯一の救いだ)
長屋裏の路地でこっそりと栽培している。人には無害だし、最近こいつの栽培方法を独立させたのだが、上手くいったときは自分が天才だと思った。別に売らないけど。
「仕方あるめぇ、もう金を稼ぎに行くしかねぇな」
【だからよぉ、五日前にオレが警告していただろう。その時お前はこう言ったな「帰ったばかりだから、休む権利がある。少しだけ、少しね」だ。もう忘れたのか猿か己は】
「あーガミガミやかましい、俺が猿なら手前は犬だ」
犬猿の仲である。
「小姑かって、兎にも角にも仕事をします決まり、強制だ」
せっついてきたはずの邪羅は、それはもう嫌そうに顔を歪めてみせた。
【この流れ、いっつも碌な目に合っておらん。この前も散々だったぞ】
「うるせぇな……ちゃんとやれば黒が出るの。他の奴ら見りゃわかんだろ」
【そうだな、お前以外はな】
うっ、と言葉が詰まる。
でもあれは不慮の事故だった! やむを得ない事情と、予想外の事態が起こった!
結果、小銭を握り締めて肩を震わせ帰ることになっただけじゃあないか。
「俺も反省して考えたんだ邪羅。いいか、今回は遠出はなしとする。気がついたんだ“堅実”の大事さ。まるで俺の為に誂えたような言葉だ――」
【……】
熱き想いに返事はない。しかしそれが了承を示す合図である。
そうと決まれば……準備だ。
うきうきと薬箱から物を出し囲炉裏の前に並べる。
とんとん、と手際よく畳の上に道具が並ぶ。手のひらの長さの小刀、巾着袋、細い竹筒、平べったい黒い長方形の石である。
まず小刀を手に取り、己の左掌を切りつける。
引かれる朱線。
痛みに呻くこともなく、煙管の火皿を返して中身を落とす。
火種が血まみれの手に落ちジュッと鳴ったが気にしない。
囲炉裏の中にある灰を一摘み、血で濡れた焼けた草に加える。二つの巾着の中から緑と赤の刻み草を出し、灰と同量を加える。
全てを手に乗せた謳歌は、やおら握り潰すように拳を固めた。
「――鬼」
固めた拳の隙間から真紅の炎が舌を覗く。舐めるように炎が拳周りの空気を焼いたが、一瞬で消え去った。残ったのは、火傷一つ負っていない拳である。
「さあどうだ」
手を開くと傷はすでになく、代わりに暗灰色の弾頭が一つ在った。「ほら」と邪羅に見せるが、一目見ただけで興味を失った。
【まだ粗いな。耄碌から教わり直したらどうだ】
「阿呆、爺と比べる奴があるか。それに、元々苦手なんだから仕方ねぇだろ」
この狼褒めやしない。自分は褒められて伸びる男である。伸ばせよ今後のためにも。
半眼でむくれ、拳の中に弾頭を隠す。邪羅は意地悪そうな顔を浮かべた。
【苦手ですむ話じゃないがな。にしても古臭え術だな、最近ちまたでの流行りは符術だと訊くぞ。まあお前のは見事すぎて使えんがな】
「あれは、あれだ。向いていないだけだ」
【お前ほど向いていない奴はそうおらんよ】
別に最初から力込めてあるやつは使えるからいいんだよ。
ふんと無視して作業を再開。
小刀を弾頭に当てて形を整え、弾頭の全体に蚯蚓がのたくったような文字をいくつか刻み込む。黒石へ竹筒に入った清水をジャブジャブとかぶせ、弾頭を磨く。
シャリシャリと削れば、形はすっかり整い怪し気な艶めきが宿る。
小さな金属の筒を巾着から取り出す。小刀で自分の指先を切り、空洞の筒に滴る血を落とす。血が溜まったのを確認し、作った弾頭を被せて握り「鬼」とつぶやけば完了、灰色の弾丸の出来上がりだ。
「う、美しい出来栄えだ……はは、材料費ほぼ無しでこれが作れるんだから、やはり才能とは恐ろしい!」
【……弾っころ一個作るのにこれだけ時間かかるとは、随分な才能だ】
黙れと吐き捨て、謳歌は指先についた血を舐め、手早く道具の片づけをする。
謳歌は意気揚々と立ち上がり、長屋の隅にある一枚の畳に向かう。
しゃがみこみ、畳の縁に指をかけ強引に剥がす。
下には空洞。隠してあるのは、仕事道具一式だった。
まず持ち上げたのは、長着と同じ色をした朱色の大和傘だ。
身の丈に迫る大きさをもったこの傘は、真銘は省くが呼び名を『彩傘下』という。開けば嫌でも目に映る、“銭”の文字がでかでかと墨字で書かれていた愛用の獲物だ。
次いで手に取ったのは、一丁の黒鉄の銃。
銃身は円ではなく厚い長方形。弾倉は回転式。最大装填数は六発。じゃらと弾倉を横にずらし開ければ、すでに先ほど作成した弾丸と同類のものが五発込められている。
慣れた手つきで作った弾を込め、黒鉄の銃を腰帯に収めた。
最後に、手に取ったのは円筒状の物を三本。
太さは銭ほど、長さは手の平と同程度。中身は見えないように和紙と、その上からなめした革で包んでいる。革の表面には墨字がびっしりだ。自分では会心の字だと思っていたのに、この間ご近所の娘さんに「蚯蚓みたーい」と言われた、悲しい。
「よし……」
背中に傘。左腰に銃。右腰に三本の筒と煙管に薬缶。
朱色の長着に、黒い下履き。
準備万全と日に焼けた顔へ笑みを描き、欠伸をしている邪羅に声をかける。
「さあ行くぞ邪羅。いざ、働かん!」
【お前がやる気出すと、いつもろくなことにはならんがな】
「今度は違う。本気だ、任せろ」
【どうだか】
紺色の鼻緒、朱色の釉薬を塗った下駄を履き、布で斑な戸を開け外に出る。
謳歌は、空を見上げて眩しさで目を細めた。
陽光が輝き、桜の花が辺りに吹雪いて舞っている。
今日は、見事なまでの快晴であった。
カラン コロン
木ノ宮、裏長屋通りに響く朱色の下駄の音。
目立つ長着に黒い股引、快晴の日でも背には銭と書かれた朱傘は揺れる。
その傍らに黒狼を伴わせ、ふらりふらりと通りを歩く。
性は傾楽木、名は謳歌。
職業、磨師。
跋扈する魑魅魍魎を祓いにいざ行かん。




