終✿しかし、宵越しの銭が持てぬ《しかしよいこしのぜにがもてぬ》
例年の祭りの片付けとは比較にならぬほど、木ノ宮はてんやわんやだった。
破壊された四桜結界の再構築、ひび割れて半壊した天守閣の補修、亡くなってしまった市民や磨師達の埋葬など、探せばいくらでもやることがあっただろう。
最初、謳歌は走る回る人々を眺めながら、一生懸命忙しそうな顔だけしていたのだが、すぐに刹那に見つり力仕事を申し付けられた。
磨道連に対して城から依頼がいっているそうで「逃がさないよ」とのことだった。
その時偶然だが、岩碌と一緒になった。とり憑かれていた他の磨師はまだ動けぬ者もいるというのに、頑丈なやつである。
そんな単細坊主だ。またぞろ突っかかってくるかと身構えたが、なんと謳歌を見るなり苦虫でも噛んだような顔をして「まるで覚えてないが、助けられたのだと訊いた。感謝を伝え申す」などと礼を言ってきた。
頭でも強く打ったのか? まあ強く蹴った記憶はあるが。
それにしてもなにをどう又訊いたかは知らぬが、ずいぶんな肩透かしだ。
そう思ったのもつかの間である。
隣り合って残骸を片付けているうちに、気がつけばどっちが多く運べるかの勝負が始まっていた。こちらの勝ちと言いたいところだが、残念ながら決着はつかなかった。どうにか残骸の量を稼ごうと城壁をちょっとだけ壊そうとした所、縛札が飛んできて止められたからだ。
札にはわざわざ謳歌用、などと達筆な字で書かれていた。
非常ーに、遺憾である。
すごいネチネチと現場監督に怒られたけれど、残骸撤去を岩碌と共に全部終わらせたこともあって、最終的には感謝されて悪い気はしなかった。
兎に角、ここ一週間の間は猫どころか邪羅の手も借りたいほど忙しかった。なのに肝心の邪羅は使おうとすると姿を消し、手どころか毛も借りれなかった。
都合のいいときだけ獣のふりして、うまいことやりやがるものだ。
いっそ自分も獣になるかと思いつき、刹那から追加の仕事を依頼されそうな時、くるくる回ってワンと言いながら逃げようとしたが「うんうんよくできました、じゃあ速く終わらせようか」と普通に連れて行かれた。
世知辛ぇなぁ。
まあ超人じみた磨師を総動員した復興だ。一週間もあればある程度形にはなった。
それなりに落ち着いた頃合いである。
さて、こうなってくれば楽しみなのは報酬だ。
なんと本日は城に招かれている。
普通であれば磨道連から報酬を受け取るのだが、今回はずいぶんな大事であったため、直接恩賞が与えられるらしい。あまり大げさに人は集めず、お偉方と関係者、当事者だけらしいので気楽なものだと訊いた。
うひゃひゃと笑いもでるってものだ。
隣を歩く邪羅も、見ればニヤついている。ただ妙に意味ありげな視線である。
「なんだよ」
【いやぁ、ご機嫌そうでなによりだと思うてな】
「まあな、そりゃそうよ。自分で言うのもなんだが、救っちまったからなぁ、木ノ宮……いや、国を、なんつって」
自慢げに言ってやるも、邪羅はニヤニヤしながら黙っていた。
本当になんだこいつは。
まあ良いかと上機嫌にぷかぷかと煙を燻らせ、邪羅と歩いている内に目的地には到着した。
表御殿はまだ復興が終わっていないため、今回は食事を振る舞われたあの武芸所である。自分達の居場所より先に周囲の補修を優先させる辺り、人間性を感じられる。
瓦屋根の平たい建物の外には、女中や兵などが忙しなく動き回っていた。
「あー」
見覚えのない兵の一人がこちらを見つけるなり、慌てた様子で走り寄ってきた。
「傾楽木殿ですよねっ。なにやってんですか、遅刻ですって。早く中はいって準備してくだせーな」
「え、いやいや昼九つ って聞いてたぜ」
磨道連の係の人は間違いなく「謳歌殿は、予定では昼九つで名を呼ばれますからね」って。途中からあんまり聞いてはいなかったけれど、それは言っていた。
「そりゃ報奨渡す時間の話でしょうが、催し自体は朝四つからやってんですよっ」
「嘘だぁ」
【ぶふっ、いや言っておったぞ、お前が蝶を目で追って聞いとらぬ時にな】
鼻からスピスピ空気だしながら笑う邪羅に、おもわず目を見開く。
「手前ぇ知ってやがったなっ。ならなんで言わねぇんだよ」
【ずいぶん楽しそうだったからなぁ、邪魔してはぶふっ、悪いと思うて、ぐふっ】
この野郎が、性根が先っぽから全部腐ってやがる。性格が悪すぎる。
考えても欲しいってものだ、もし逆の立場だったらどうだ。そりゃ親切に、教え……ないねえ。面白そうだし黙っておく。くそ、なにも反論できなくなった。
「もー、馬鹿やってないで早く言ってくれ、何人顔青ざめさせて待っていると思ってるんだっ」
がたいの良い男の兵に、背中をばしばしと叩かれ押される。
えぇ。
もういいんじゃあないか、時間って戻せないんだし。磨道連からの受け取りにしましょうや。どうせ入ったらあれでしょ、一斉に見られるんでしょ知ってるよ。大体こういう時これまでもそうだったんだから。
「はーーやーーくーーいーーけーーー」
「わかった、わーーかったって」
立ち並ぶ女中や兵達の、絶対に逃すなという圧のある花道を強引に進まされる。
建物に入れば、予想通りに視線が集まった。
ほらね。
広間には様々な人間が見える。
三味線、篠笛、和太鼓や琴などの楽器を持った綺麗に化粧した女中や、直衣だったか素襖だったか、正装を着込んだ者達。昔に服装で大体の偉さがわかるとか習ったことがあったが、もうさっぱり覚えていない。身ぐるみ剥げば全員同じだと師匠も言っていたし、偉そうな奴が偉いとだけ頭に入っていた。
立ち並ぶ面々の視線に「こいつはどうもどうも」と頭を下げながらど真ん中の上座に近い位置へと案内される。
人波をわけいってみれば、知った顔ぶれが横に並んでいた。
藤のような宵闇色の着物に、綺麗なかんざしで飾った瑠輝と、氷柱みたいな視線を向けてくる星集。
「評価があがったら落とさなきゃ気がすまないかしら貴方は……」
【決戦だけに飽き足らず、どこでも遅れてくるのだな貴殿たちは】
「いやいや、道すがら困った人をもう五十人くらい助けていて……ええ」
目が潰れそうなくらい派手な赤と橙色の羽織の、孔雀丸がジト目を向けてくる。
「傾楽木ぃ、朝から嫌な予感したんだよ。君はいっつも僕に胃痛を送りつけてくるんだ」
「へへっ」
「へへっ、じゃなぁい」
そしてどこの鼠かと思う地味ぃな色の着流しを着た爺、」簾が大あくびをかます。
「待ちわびて寿命で死ぬかと思ったぞ」
「そうか安心してくれ、俺が海に撒いてやるよ、皺を」
「腹立ちよりどうやるのかの興味が勝つがね」
「そりゃちょいちょいってなもん……え」
ヘラヘラと列に並び、すっと前をみて、謳歌は血の気がざーーーっと引いた。
中央には桃色の礼服を着た梔子、その左には頭部を薄布で隠し、車輪のついた絡繰り椅子に座った芍薬。そうして彼女を守るように立つ刹那の姿があった。
しかし問題は、梔子の右側である。
白い法衣、つややかな黒髪、そして特徴的な両腕の欠損、見覚えしか無い。
芹千冬である。
いやいや、なぜ千冬がここにいる。
「傾楽木――謳歌さん」
「ひゃいっ」
真っ直ぐな視線に、背筋が伸びる。
例えるなら、美しい白砂青松にポツリと立たされたような気分である。人の目が無くともごみなど捨てようものなら、自戒で唸りそうになる空気感だ。
きりっと真面目ぶった顔を決め込むと、千冬が切り替えるように呼気を整えた。
「急なお招きに応じていただき感謝いたします。木ノ宮の危機を救った英傑の一人ですから、察するに他の事件の処理でもして遅れたのでしょう――」
ん? 誰の話をしているのか。
口を真一文字に結んで言葉の意味を考えていると、千冬が少し意気を強めて居座りを正した。
「言わずとも構いませぬ。職業柄、言えぬことも多いでしょう。わかっておりますから、ね?」
わかりやすく区切るように、千冬が言ってくる。横の邪羅が【頷けカス】とぼそりと言ってくる。ああなるほど、察しろ的な奴だ。大丈夫、こういう時は難しそうな顔して返事すれば大概上手くいく。おおよそね。
それはもうといった感じで頷けば「そうでしょう」と話が進んだ。ほらね。
「さて、貴殿からすれば私がここにいることにも多少なりとも驚きがあったでしょう。皆様には重複してしまいますので端的にご説明いたしますが、この度私芹千冬は、木ノ宮が落ち着くまでの間、梔子様の相談役の席を用意していただくこととなりました。大役に身が伴わぬ所存ですね」
芍薬と梔子へと頭を下げる千冬。廊下側の襖からは、頭を出して中の様子を覗いている豆粒、あかふく、ぼて太の三人の姿も見えた。
おお、これは出世ではないか。
すごいっと反射で拍手すると、つられたように周囲からも拍手があがった。
盛り上げようともっと拍手しようと思ったが、隣の瑠輝からガッと腕を掴まれて止められた。すいません、調子に乗りました。つい嬉しくなってしまっただけでね。
「お祝いいただき誠に感謝いたします。しかし本日の主役では私ではございませんから。命を賭けて戦った皆々様へ、新しく木ノ宮の主となりました梔子様からの御礼の場でございます。では式の再開をいたします」
合図と共に千冬が引いた。本来の城主であったはずの芍薬は、静かに手を組み見守っている。まだ、満足に動ける状態ではないのだろう。
しずしずと前に出てきた梔子は、桜の花をあしらった扇子を静かに開き、招くように動かした。
「傾楽木謳歌殿、前へ」
鈴が転がるような声音に従い、前に出る。
こういう時の作法はあまり知らない。師匠は昔「結果を矛に全員黙らせりゃええ」とか言っていた。一度言う通りにしてひどく怒られたなぁ、なんて考えながら梔子の前まできた。
小さな体で謳歌に対抗するように頑張って立っている。見上げるのも疲れるし大変だろう。片膝をつくようにして、目線を梔子に合わせた。
少し驚くように、幼い双眸が開かれる。視界の端で、千冬は静かに微笑んでいた。
「傾楽木殿、貴殿のご活躍、残念ですが私自身の目ではあまり拝見することはできませんでした。しかし刹那から、事細かに聞かせていただきました」
一体何を聞いたのか、ふふと笑う梔子の視線には純粋無垢な憧れにも似た感情があった。むず痒いというか居座りが悪い気分になる。
「貴方がいなければ、きっと木ノ宮は滅んでいたでしょう。そのご活躍に見合う褒美を与える――というのは、今の立ち直る前の木ノ宮には難しくあります。それでも、与えられる精いっぱいの報酬をご用意しております」
梔子の後ろ、準備していただろう刹那が一抱えほどもある黒漆の箱を持ってくる。
真っ黒な小袖に黒い手甲を付けた刹那は、祝いの場とは思えぬ鴉のような出で立ちだったが、不思議と彼女にはよく似合っており違和感はない。
「重いから持つ際には気を付けて、君にいうような事じゃないだろうけれどね」
梔子と謳歌の間に置かれた高級そうな箱。
朱色の紐がしゅるりとほどかれ、梔子の手によってその中身が露わになる。
「ぅぉぉ」
金、金、金!
現れたのは目がくらみそうに輝く、大判小判に金の棒。布で軽く覆われた宝石も詰め込まれているではないか。
え、本当?
こんなにもらえるの、報酬。
褒美に見せただけー、とかではないのだろうか。
疑心暗鬼に構えていると、刹那が蓋を締めなおし箱をよいしょっと謳歌へ手渡してくる。
刹那が耳元に顔を寄せた。
「ありがとう。大事な人たちを救ってくれて、この命つき魂になろうとも、この感謝はずっと忘れない」
それだけ言うとそっと離れ、なんでもなかったかのように梔子の後ろに戻った。
入れ替わるように前に出た梔子が、謳歌をじっと見つめてくる。
その桃色の唇を開きかけ、ぎゅっと引き結んだ。
なんだか、とても気になった。
その両の手も、力が入ってなにかを抑えているようだった。
なんだろう、なにか言いたいことでもあったのだろうか。
気にしないで言ってみればいいのに。
背後の千冬に視線をやる。見守るようにしていた彼女は、答えるのを拒むように、瞑想するように瞼を下ろした。
眼前の梔子が、意を決したようにパンと柏手を打った。
「堅苦しい空気も、このあたりにしておきましょう。皆様、今日はお食事も用意しておりますので、ごゆっくり楽しんでください」
空気が和らぐ。わっと小さく歓声があがり、女中が華やかな音楽を演奏する。
席に戻る梔子を呼び止めようとしたが、背後からガッと孔雀丸から肩を組まれて阻まれた。
「よぉし傾楽木、言いたいことがいーーーっぱいあるんだ。僕がありがたくも注いでやるから、酒でも飲みながら耳をかっぽじってよーーーく聞けぇ」
「お、おう。わかったから引っ張るなって」
引きずられるように席に案内される。特に振り払う理由もなかったので、大人しく連行された。
そこからはもうただの祭りだった。
酒も入り、上機嫌になった馬鹿たちが、騒ぐ騒ぐ。
まったくもって、理解に苦しむ。
はあ、やれやれとか思っていたのだが、気が付けば、大笠を開き孔雀丸を傘の上でごろごろ回していた。
「ぎゃああああ、吐く吐く吐くううう」
叫ぶ孔雀丸。簾が横でそれを見ながらゲハゲハ笑い、今日もよく回っておるなーと酒を飲んでいる。
大騒ぎのその横では、真面目ぶった口調で【歴史の空白を埋めるため、ぜひ昔話でもしていただけないか】と邪羅に絡んでいる。邪羅は心底面倒くさそうにでかい盃に注がれた酒をべろべろ舐めながら【寝て起きたら、時が経っておった、以上だ】とか嘘千二百くらい並べていた。
目に癒しをと思い瑠輝の姿を追ったが、刹那と千冬と共になって芍薬の様子を見たり梔子の世話をしていた。
あれは、邪魔できない。
楽しい時間はあっという間だ。気が付けば、日は暮れ解散の流れになった。
月光は明るく、夜道に迷うことはないだろう。
邪羅と瑠輝と星集と並び、城の外を目指し歩く。
手にはとんでもない報酬。腰にはお土産でもらった酒瓶がぶら下がっている。
隣を歩く邪羅の背中には、山ほどの食事を包んだ袋が積まれていた。
「いやぁ、いい日だったなぁ」
【流石に同意せざるを得まい。暫くは働かずとも豪奢に暮らせるぞ】
はーはっはっはーと二人揃って笑う。
瑠輝と星集は対照的に静かに、夜風を楽しむように歩いていた。
もう二十年くらい働かなくてもいいんじゃないか。
なーんて能天気に気分上々でいたのに――
「兄ちゃん、待ってよ兄ちゃんたちっ」
聞き覚えのある声に止められた。まめつぶ達である。
「どうした、お前ら」
足を止め伺ってみるとぼて太がおずおずと前にでてきた。
「おうか兄におねがいがあって」
「なんだよ言ってみろ、食い物か、銭ならあるぞぅ」
へへっと聞くが、ぼて太は眉根をぎゅっとよせた。
「まえに話した、ともだちのお母ちゃんが……まだ寝たままで、ずっと泣いてて、どうしていいかわかんなくって」
「えぇ、おいおい泣くなって」
急に泣き出してしまい、どうしようかとわたわたとしていると、まめ粒が肩をすくめた。
「なんかさ、あとから斑花の分家の地下から見つかったみたいで、ひどい状態だったって訊いたよ。城の磨師にもどうにもならないみたいで、最低でもお腹の子供は助からないって、摩道連でもどうにもならなくて、えんめい? だけしてるって」
まめ粒は難しそうな顔をした。
「でも、同じような人は助かってるって噂があってさ、千冬さんに訊いても困った顔するだけだし、兄ちゃんならわかるかなって」
「……」
言葉がでない。
気になっていた部分がつながってしまい、冗談も嘘も吐けなくなった。
木ノ宮の守護、無理だろうな。まだ継いだばかりだものな。
だからか。
梔子の様子も、千冬が目を伏せて何も言わなかった事にも全部合点がいった。
なんということだろう。
空を見る。星が綺麗だなぁ。
目を落とす、重たい重たい報酬があるなぁ。
ちょっと向きを変えてみる、城に。試しにね。
【おい、お前】
じゃりと遮るように邪羅が立った。はい、なんでしょうか。
【いま、何を考えておる】
警戒するように歯をむき出しにしてくる。わかる。その気持すごくわかる。
「ぐぐぐ……」
目をつぶり、謳歌は歯をぎりぎり鳴らし唸る。
【わかるぞ、絶対に戯けたことを考えているな、まて】
「ぬうううう」
それはもう考えている。考えて、一生懸命思考を巡らせている。
ぐるぐるぐるぐる、考えが回りまわってこんがらがって、最後に絡まった。
あ、もういいや――
「もう、知ったこっちゃねええええ。どうにでもーなれええええええ」
【やめろ、やめぬかっ!】
朱色の紐を引き千切り、ぽーいと漆の蓋を投げ捨てる。
箱をえいやと空に投げれば、月光で輝く金品財宝が宙に舞う。
【やめろおおおおお】
袖を噛み止めようとする邪羅を振り回しながら、大笠を開く。
銭の字が、笑うように歪み、朱色の光が迸る。
難しいことはよくわからない。
しかし一つはっきりとしていることがあった。
世の中には、天秤にかけずとも良い事柄が存在するって話である。
〓◇〓
「という流れで、謳歌殿は飛び出して行きましたね」
札祝屋の大広間。畳に座り千冬と向かい合っていた瑠輝は、事の成り行きを話しながら苦笑した。
「あとは千冬殿も、ご存知の通りです」
「はい、後始末がもう大変でした」
朱い暴風があちらこちらに、やれ城内に鬼がでた大狼が出たって大騒ぎ。
時間がないからって姫様の場所にも突撃して、被害者の場所を訊いたとか。刹那も感謝して良いのか怒って良いのかさぞや悩んだ事だろう。
「謳歌さんらしい判断です。知ればきっとそうなるでしょうから、姫様の判断に任せ私から伝えることは控えていたのですが、導かれるようにそうなってしまうのも、また彼らしい」
彼女は複雑そうな面持ちだったが、しかし声音は少し嬉しそうだ。
「千冬殿もお優しいことです。確かに……謳歌殿も姉弟子の貴方から直接言われては、断れないでしょうから」
同じ結果になるとしても、自ら選んだかどうかは天と地ほどの違いがある。
ウンウンと頷いていると、千冬がくすくすと笑った。
「姉ではなく、私は“妹弟子”ですよ」
「え、上から姉、妹……」
ん? 珍しいな。こういう冗談もいうのだな。
ほほほ、と笑っておく。
「いえ、信じてませんでしょう。謳歌殿は私の兄弟子ですよ。だから私は間違いなく妹弟子となります」
……どうしよう、腹を抱えて笑えと求められているのか、爆笑を得るまで繰り返されるやつなのか、いやいや流石に言い間違い。
「あの、妹とは、姉ではないということになりますが」
「なにを当たり前のことを、まあ大体皆さん勘違いされていますから。そも現況は私が情報を操作し、謳歌殿の情報を隠蔽し、あらぬ噂を流しているからですしね」
さらっと、とんでもないことを言ってくる。
「一体なぜ」
「なぜもなにも、瑠輝殿も気がついていらっしゃるでしょ? 謳歌殿と貴方は似た者同士だという事」
水を売ったような静けさが、流れる。
やはりそうか。
瑠輝は、こくりと頷いた。
「薄々は、彼も半妖なのですね」
瑠輝もよく知る煙管で嗜んでいる草葉の種類。目で見れる彼の不安定な命力の流れや、あの強靭な肉体の原理。そしてなにより、解放されたあの姿だ。
当然気がついたが、どこまで触れていいかもわからず、口には出していなかった。
納得が繋がっていく。
確かに、千冬はずっと謳歌のことを次席として扱ったことはない。
半妖は人とは寿命が違う。謳歌も見た目通りの年齢でもないのだろう。
千冬が思い返すように双眸を閉じ、自重するように微笑んだ。
「若さと力と意気だけを持ち制御できていなかった頃、彼に助けられた。両腕と大事な人達を失い自暴自棄になった私を、問答無用に四界へ連れ去ったのも、彼です」
春風が、吹き抜けた。
「謳歌さんは強い、でもいつもそうではありません。それにあの性格です。利用しようとする悪は極力減らす方が良いのです。そのためなら、私は恨まれても構わない」
どこまでも、純粋な想いが伝わる。
千冬は、歳を忘れさせるような明るさで破顔した。
「彼は、いつまでも私の大事なお兄さん、私の全てを救った恩人なのです」
なにも言えなかった。
でも瑠輝の心を動かすだけの暖かさがあった。
湧き出た衝動的に立ち上がり、気がつけば挨拶もそこそこに札祝屋を後にしていた。
去り際千冬は、訊いてもいないのに瑠輝に告げた。
『謳歌殿は新たな仕事をこなしに南へ、きっと今頃町外れの街路を歩いている頃でしょう』と。
自分がなにを考えてそうしたのかは、わからない。
でも行かねばならない。いまを逃してはならないという衝動だけが足を動かした。
空を追う星集は呆れているだろうか、ここからでは見えないが、きっと彼なら笑ってくれていることだろう。
晴天の空の下、駆けた。
星集が、導くように高度を落す。
先を見れば、ぎゃあぎゃあと騒がしく言い合っている見覚えのある姿。
何を騒いでいるかと言えば、今回は誰のせいだ、お前のせいだといつも通りの内輪揉め。顔を隠す笠を深く被り直し、ふふと笑って声が聞こえる距離で後をつける。
喧嘩に夢中なのか、謳歌は気がつく様子などない。
「理不尽だっ。なんでいつもこんなに頑張ってるのに、金がたまらねぇ。世の中はおかしい!」
使ったらなくなるのは当たり前だろう。
大体、刹那から訊いた話では、梔子が追加で報酬を渡すと提案されたそうじゃないか。それをかっこつけて「無い所から取るほど困ってねぇよ」と断ったとか。
【無駄だ無駄無駄無駄無駄、あー、すっかり無駄働きだ。誰かのせいでな】
「うるせぇな。ぐじぐじよぉ」
【それはお前だッ。一寸前の記憶も保てぬのか、鶏以下が】
相棒の邪羅はといえば、騒ぐ謳歌にぐちぐちぐちぐちと悪口を言い続けていた。
【そもそも、鳥類より下に位置する甲斐性も知能もないお前が、身もわきまえず人に貢ぐだの、稼ぐなど天と地がひっくり返っても無理よな。期待して損したぜ】
「なんだとぉ」
さすがに反抗する謳歌であったが、あまりにも分が悪くいつもより勢いはない。
前をてしてし歩く邪羅は後ろ足を蹴り上げ、謳歌に土をかけた。
【大体な、そもそもそんな財すら分けるような糞刀を持ってるうちは無理に決まっておろうが、捨ててこいそんなもの】
「は、え?」
まじまじと己の大傘を見る謳歌。
「え、関係あるのこれ。おいおい、ただついていないだけかと思ってたんだけど……訊いてないがッ」
【爺に言われておったわ、お前が蟻の子を数えておったときによ!】
がーんと足を止め、謳歌は大笠を高々と持ち上げ叫んだ。
「ざけんねえええ、じゃあずっとじゃねえか!」
【はは、ついてはいるのではないか、不幸がな】
「いるかぁっ、犬にかみつかれたほうがましだ」
【やったではないか、いつもかみつかれておるだろ。ほら、ほら】
「嫌じゃあああああああ」
もう、本当に、騒がしい。
やれやれだ。満足に金の管理もできないらしい。
これは確かに、財布を握る人材が必要だろう。
【なあ瑠輝、最後に一度だけ問うが、正気か?】
呆れ顔の鷹などそう見れるものではないと笑い、歩く速度をあげる。
「ええ、残念ながら正気ね。私はね、まだ母様のことまだ諦めてないの。同じだけの額を用意してでも、あの傘に腕を突っ込んでも、取り返さなきゃいけないの」
ばっと取った笠から花びらが舞う。
鬼と、狼と、妖と、鷹。
この先どうなるかなど、まだわからない。
けれど――
「そのついでに、財布の管理でも、人助けでもなんでもしてやるのよ」
空は、まこと天晴に青が広がっていた。
完
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