↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼々快々  作者: 脳楽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/13

真✿ 好 鬼妖々《いきようよう》

「刹那ッ! 立ちなさいッ」

 

 叫びながら、瑠輝は敬親へ雷撃をばら撒いた。穿つように飛翔した星集もあわせて銀の羽を撃つ。


「おっと、危ないよ、人間に撃つような術じゃないなぁ」


 白濁色の孑孑《ぼうふら》が敬親の体をかばった。ぶよぶよで滑った皮膚に羽が刺さり、誘導された雷撃が体を焼く。しかし、水ぶくれのようになった皮膚は破水し、周囲の湯水を取り込みあっという間に再生した。

 龍に握られた宝玉のように、巨大な妖孑孑の腕に掴まれる敬親。瘤《こぶ》が目立つ長い体が、ヘビの威嚇姿勢にも似た形をとった。

 両脇に、がくがくとつたない挙動の孔雀丸と、蛭と呪泥を羽衣のように纏う童女が立つ。


「紋助、ほらこっちは何事もないからさ、君は君の目標を達しなよ」

【確かに、十分集まったようだ】


 周囲を渦巻く妖鬼の群れを見やる紋助。


【いまさらに油断するなよ敬親】

「だぁいじょうぶ、守りは厚いさ」


 滞空していた紋助は、敬親の言葉に節くれだった歪な四肢をだらりと下げ、狂恐《きょうきょう》としている妖鬼の群れを追い立てるようにして誘導し始めた。

 天守の屋根が空を乱走《らんそう》する妖鬼達に破壊され、破片が渦巻く呪対流《じゅたいりゅう》に飲まれて舞い上がる。

 残骸、妖鬼、呪力、呪泥が渦巻き、斑蜂(まだらばち)の誘導で天に集まる。


(まだなにかあるのか、こちらも協力しないと勝てるものも勝てない)


 童女と孔雀丸を雷撃で牽制しながら、うなだれたまま動かない刹那の元へと近づく。簾も合わせて追ってきた。


「嬢ちゃん、いま解放するで待っとれ」


 体に刺さった飛刀を簾が叩き切ろうとするも、察した孔雀丸が直前で刀を引き抜いた。痛みすら感じていないように静止した刹那は、こちらを見ようともしない。

 星集が雷羽を撒き散らし足止めしている隙に、瑠輝は刹那の肩を強く揺すった。

 血だらけ穴だらけの重症に見えるが、瑠輝からすれば知ったことではない。


「聞こえているのでしょ、起きて武器を握りなさい。まだ死に向かうには早すぎる」


 邪悪が一人、咎が三体いて、味方は一人侵食され、結界は壊れ周りには妖鬼群。

 塞いだ階下からは、そのうち操られた磨師達がくるだろう。

 だからなんだ、それは武器を捨てる理由にはなりえない。 

 刹那が動かない? 心が折れた? そんな甘えなど通るはずがない。

 自分は約束を守るために動く。だから刹那にも守ってもらわないといけない。母の形見を取り戻すと了承したのだ。動け、磨師には諦めなど許されてはない。

 彼女の髪を掴み引き上げる。


「いい姫はまだ生きているわ、私の目にはまだ命が尽きていないことが見えている。芍薬様だって同じ、それでも、あなたはまだ死んだふりをしているの」


 ただ事実を言っただけ、しかしその効果は絶大だった。


「……それは」


 吸い込まれそうな黒曜のごとき瞳に光が灯る。

 刹那が瑠輝を意思をもった眼差しで見た。


「本当かな。嘘だったら死体を掘り返してでも報復するよ」


 嘘はない。桜に生かされているのか、いまもまだ命力が体に注がれている。


「安心しなさい、事実よ。でも時間はおそらく長くない」


「そうか、もう休んではいられないね」

 刹那は『混』の札をボロボロの一白の体に張った。死した体がどろりと溶け、刹那の傷を埋めていく。半ば一白と融合しているようになった。


「ぐ、がああああ」


 横たえられていた背骨刀を手に、半死半生の獣のような気迫で立ち上がる。


「迷惑かけたお詫びに先攻するから、あとは流れで合わせてよ」


 凶爪と背骨太刀を構え、刹那は地面を飛燕の如き速度で走りだす。


「勝手ね、最初からずっと自分勝手よ貴方は」


 命力操作し紫電を四肢にまとわせる。湯路から溢れる透き通った呪泥を焼き踏みながら、朱槍に帯電を伝え走る。


「まあまあ、女はわがままなくらいがいいでな」


 片膝をついた簾の元に大量の鼠がなだれ込む。杖を構えいつでも抜ける姿勢のまま微動だにせぬ状態のまま、鼠が簾を移動させた。

 敬親は嗤って待ち受けていた。

 孔雀丸が飛刀を整列して飛ばす。童女が蛭と泥まぜた大量の黒を空に撒いた。

 銀鷹が舞い、走る瑠輝たちの頭上を旋回する。輝く軌跡が空に『伝』と書く。

 合図などいらない。瑠輝は『雷』と発し、上に向けた槍先から力を解放する。

 雷光。

 蛭雨を雷が伝い焼く。飛刀にも感電し、孔雀丸の手元にまで紫電が走る。ばぢんと孔雀丸の体が跳ね、飛び交う刀が落下する。


「ほぅれ独楽鼠《こまねずみ》、ゆけぇい」


 簾が足もとの鼠に『分』と書かれた小さな数珠をばら撒いた。

 無数の鼠がそれを食って加速する。狂った独楽のように回り、蛭童女に殺到する。


【かわええけど、また今度なぁ】


 童女の両腕が膨らんだ。巨大な蛭のようなその腕を、足元の蛭沼へと叩きつける。

 ごぉんと振動に合わせて黒い沼が、数え切れない氷柱のように尖り、殺到する鼠を貫く。しかし、それが刺さった瞬間、鼠の体がハジケた。飛び散るように四散した鼠が、九匹のちび鼠となる。一が九に、九が八十一へと鼠算に増殖する。


「数には数ってもんよ」

【もぅ、鬱陶しいなぁ】

 虫の如き数になった鼠が童女にかじりつき引きちぎるが、食った瞬間に悶え苦しんで死ぬ。しかし無限とも思える数に増える鼠は、同じく幾多の蛭泥と拮抗した。


「そぅれ、生き残ったほうが勝ちだぁ」


 敬親が妖孑孑に指示をし、なにかを童女に投げつける。

 丸い物体。それは大きな壷だった。

 蛭童女が伸ばした蛭腕で宙空で大壷を割る。黒い液体が飛び散った。

 あれは、油だ。


「孔雀君、燃やして燃やしてぇ」


 せっつく敬親、ふらふらと起き上がり孔雀丸がその手から炎を飛ばす。あっという間に油に引火、童女も鼠も全てが炎の渦に包まれた。真っ赤な炎の中で、小さな童女の人影が悶えるように蠢く。

 僅かな隙。

 業炎の横を抜けた刹那が敬親に迫る。


「逃げるなッ」


 一白の遺骸の歯をちぎり、刹那が命力をまとわせ投げる。

 尖った歯の散弾が逃げる隙間のない弾幕を作るが、孑孑が巻き付くように敬親を守護し弾丸を受けきった。


「こらこら当たったら死んでしまうじゃないか」

「死ね、いますぐに全てに詫びて死ね」


 一白の肋骨クナイを引き抜き投擲、さらに右腕杭をぶん投げる。


「やぁだよ、僕は天寿を全うするんだ」


 幾多の赤子の腕が、投擲物をイヤイヤと払い落とす。


「ぬかせぇ」


 背骨太刀を振りかざす刹那の背後で、炎が四散する。


【あっつぃなぁ、敬親はほんに容赦ない】

 

 燻ったまま、蛭腕が空気をかき回すように横殴りにされる。

 予期していた。あの程度で倒せるとは思っていない。


「星集」

【既に――】


 翼を広げた星集が縦に体を傾け、瑠輝の真横を飛び抜ける。

 すれ違う瞬間用意していた『斬』の文字を鷹の背中に貼り付け、発動。

 ィ――ィ――ィ

 音波の如き響き、己が羽を刃と化して蛭女の腕に追いつき半ばまでを切ってのける。

 刹那がのけぞるように跳躍。

 一刀を大上段に、


「でぇぇえええい」


 敬親めがけて振り落とす。守護する孑孑の腕々ごと切り落とすほどの気迫に、しかし敬親は邪悪に顔を歪めた。


「一人で死ぬのは淋しい、共に行くべきだって夫婦だものなぁ」


 孑孑の尾が、敬親の指示にて巻き付けたそれを刹那の刃の先へと差し出した。


「最強の盾だぁ」


 力なく揺れるのは、いまだ頭部を開かれ寄生された芍薬そのもの。


「ぁ――ぁああぁぁぁッっッ」


 絶叫する刹那。勢いの乗った背骨太刀の軌道を、己の腕をへし折らんばかりに曲げる。中空で崩れる姿勢。


(まずいッ)


 瑠輝は四肢に仕込んでいた札の内、左手の『反』と右足の『瞬』に力を流した。


「自己犠牲ぃ、優しいね一白ぅ。じゃあ僕の代わりに死んでくれぇ」


 敬親の掲げる右腕に呼応するように、孑孑の体が巨腕のように膨らむ。中空の刹那へと蝿を叩くように振り下ろされていく。

 ――させない。

 雷。

 バヂュッ、と右足の蹴り出しで地面が焦げ、視界が背後に向かって溶ける。

 一瞬で接近し、刹那の体を回し蹴りの要領で横へ飛ばす。

 刹那の変わりに白い暴力を迎え撃つ『反』を貼り付けた左で『裏拳』を叩きつける。

 反発。

 孑孑の攻撃範囲が横に逸れる。

 反れた醜体に槍を刺し、柄を軸に回転し飛ぶ。体勢を整え地面に突き刺さった孑孑の体の上を疾走、腕に掴まれ安全圏にいる敬親を襲う。


「はい、ぽーい」


 敬親がなにかを横に投げた。無視できなかった。見てしまったのがいけなかった。

 美しく輝く指輪、それは奪われた母の形見であった。

 ほんの僅かにだけ体が硬直した。直後、地面から頭を引き抜いた孑孑が突進、瑠輝の体が吹き飛ばされた。


「がッ」


 どうにか着地、孔雀丸の飛刀が迫るも星集と簾が羽と刀で弾き止めてくれる。

 中空で姿勢を整え着地、バヂバヂと電光で地面を焼きながら勢いを殺す。

 片腕を強引に遺骸で補強した刹那が、横にきた。 


「どう、こちらの気持ちもわかったかい」

「痛いほどにね」

「性格の悪さが極まっとりゃせんかありゃ」

 

 双眸を閉じやれやれと首を振る簾も横に。

 肩に舞い降りた星集の重みを感じながら、瑠輝も体勢と呼吸を整える。

 敬親が蛭女と孔雀丸を従え、迎え立つ。


「君たちはあまりに弱点が多すぎる。僕は、弱点以外狙う気はなぁい」


 芍薬の体を揺らし、いつの間に拾ったのか指輪を見せつける。簾へ向かって孔雀丸に自死の構えを取らせ、反応を伺いにやりと嗤う。


「一白ぅ、君は芍薬と梔子がだーいすきだ。そして僕のことは殺したいほど嫌いらしい。じゃあ問題だ。いま、この腹の中の、僕と芍薬の子供は、好きかい、嫌いかーい」


 まるで首吊り死体のように揺れる芍薬の体、その腹を敬親が撫でる。

 噛み締めた歯の音。刹那から限界を超え砕けただろう硬い破砕音が鳴った。

 それでも激情に駆られて突撃はしなかった。どうせまた盾に使われるだけだ。

 どうする。あの邪悪をどうやって殺す。

 空の斑蜂の周りには円球の妖鬼の塊ができあがり、邪悪の太陽とでもいい様相になっていた。狙いがなにかはわからないが、どうせ碌なことではない。

 背後の埋まった階段付近も騒がしくなってきている。突破も時間の問題か?

 こうなれば命を燃やす覚悟で、力を使い一点突破するか。

 それで倒せても一匹だ。その後どうする。一人一殺しても数が合わない。

 冷や汗を拭い周囲を見る。

 ああ、町が至るとこで燃えている。

 幻聴か、悲鳴すら聞こえる。

 恐れているのか、破壊音が城すらも揺らしていると感じる。

 いや、気の所為ではない。


  どぉん

    どぉん 


 城全体が揺れている。馬鹿な、これ以上なにが起きるというのだ。

 恐ろしい勢いで破壊する音が、どんどんと大きくなっていく。

 敵が来るのか、ここにきて増援か。侵食された磨師たちが兵器でも使って障害物を排除しているのだ。

 ならば今しか――


「おっと、失っていいと思うまで動かないほうがいい」


 白鞘から抜いた短刀を、芍薬の喉に当てる。それだけで刹那は止まり、瑠輝と簾にまで動かないでくれと目を向けてくる。


「まあまあ褒めてあげるさ、君たちも頑張った。ただ、僕の方が頑張っただけ! 努力の勝利だ! まあもう良いだろ、諦めなよ」

 揺れる。姿勢が崩れるほどに天守閣が振動する。


「終幕だぁああ」


 敬親が勝利を祝うように手を上げた、直後。

 どごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!

 真横の地面が吹き上がるように粉砕、黒い影に乗った朱が大穴から飛び出した。


「な、なんだ! 予定にないぞっ」


 大穴から距離を取る敬親、射線をふさぐように動く童女と孔雀丸。

 もうもうと上がる猛煙の中、それは来た。 


「ぶへ、ペッペっぺ。なんだここは、くっせえな。蚊柱みてぇに妖鬼がいるしよ」


 目立つ大傘を片手に埃をぱたぱたと払う男がいた。

 傾楽木謳歌。

 殴り倒しでもしたのか、片手にはぴくりとも動かない岩禄が襟首を握られている。

 謳歌は、岩禄をぽいとそこら辺に投げ捨て周りを見渡す。


「む、なにがどうなってやがる」

【オレが知るかよ、そこらにいる人間どもにでも訊け頓馬《とんま》が。ああ、でも全員お前より忙しそうだ、あまり邪魔をするなよ】


 へらへらと器用に口角を上げて嗤う黒狼の邪羅。

 燃えるような朱色の長髪、褐色じみた肌と、全身に薄く浮き出た文様。黒狼の体躯の大きさも、はっきりと以前よりも大きい。明らかに異なる姿ではあったが、瑠輝が知っているあの二人だった。


「あなた達、なんで」


 混乱した思考では、単純な問いかけしかでなかった。

 燃えるようなその瞳と目が合った。


「おお、瑠輝ちゃんじゃないか。さすがだ、無事で良かったぜ」


 瑠輝を見て嬉しそうに笑い、謳歌はなんでもないように続けた。


「なんでもなにも、悪い奴がいりゃくるさ仕事だからよ」


 当たり前の事を、当たり前に言う謳歌の言葉に身が震える。


「正直まっったく状況がわからねぇけどさ――」


 ぐるりと見回す。


「一つだけはっきりとわかるぜ」


 芍薬に短刀を突きつける敬親を見た瞬間、こめかみに血管がばきりと浮かんだ。


「てめぇが、悪党だ」


 沸騰した直後に、凍りついたような怒り。

 大傘を背に、拳を構える。

 瞬き。

 直後に消え――

 地面が爆発した。

 刹那が待てと口を開きかけた時には、目の前に謳歌と邪羅はいなかった。

 芍薬の首に切っ先を突き刺した敬親が、その静止を言い切ることはできなかった。


「動くっ――」


 まるで敬親の眼前にいきなり現れた。ほとんどが反応できぬ速度、怒りに形相を染めた謳歌が右手の拳を振り上げる。


「な、あれ? なん――」


 人質である芍薬は、いつの間にかてくてくと歩く邪羅の大口に加えられている。

 剛拳。

 抉るように頬を目掛け繰り出される。


「っ――ご、ぱっ」


 ぎりぎりで孑孑の触腕が庇うように敬親の間に入るが御構い無し。

 咎頭の肉体によって衝撃は受け止められたはずだが、敬親と孑孑は、


「おッッ――しゃ、おらああああああああああああああああ」


 まとめて拳一つで殴り飛ばされた。

 錐揉みしながら吹き飛び、残骸を巻き込み転げ桜の根本に激突、静かになる。

 静。

 時が、止まったようだった。

 ほとんどの者が喋らず、ただ結果を理解しようとして眺めていた。

 その中でも、自由意思のほとんどない孔雀丸だけが、


「ぉうが、よぐも、おいでっだな」


 邪魔者を排除しようと飛刀を操った。


「おいおい、お前そんなになっちまって」


 舞い踊るように迫る十の飛刀を、謳歌は草花を摘み取るような気軽さで掴む。


「わりぃ、俺と違って最後まで真面目に仕事したんだろうぜ、お前さんはさ」


 飛刀の一本を持ち、謳歌は己の手のひらに突き刺した。

 燃えるような鮮血が滴る。


「限度あるからさ何人にもは使えねぇが、詫びだよ。あとはお前次第だぜ」


 掴みかかってくる孔雀丸を容易に押さえつけ、溜まった血をその口に流し込んだ。


「あああがっがあががががががああ」


 飛び退り、桜の根本まで距離を離した孔雀丸だったが、口を抑えて膝をついた。

 じゅうじゅうと音をたて口から煙を上げ、転げ回りやがて気を失ったのか横たわり大人しくなった。

 簾は飛び出さないまでも、落ち着かなさそうな様子で見守っている。死んではいないようだが、一体なにをしたのだろう。

 蛭の童女がようやく状況を把握したのか謳歌を見た。


【驚いたわぁ、強いやんお兄さん、わたしとも遊ぼうや】


 興味なさそうに謳歌は童女の背後を指さした。


「遊ぶ? お前さん腕を食われてるけどそっちは良いのか、俺はいいけどよ」

【――!?】


 驚き振り返った童女の背後には、いつの間にか邪羅がいた。何故か首元からもうひとつ頭が生えており、二頭となっていた。一頭が芍薬を咥えぼーっとしながら、もう一頭が沼のように広がる蛭溜まりをじゃぶじゃぶと貪っている。


【まずい、まずい、不味すぎていくら食っても食い足りぬなぁ】

【ぬわっふ】


 喰っておいて文句をいう邪羅と、芍薬を落とさぬように答える邪羅。


【ぬ、いまの力では、増やすと知能が足らぬなぁ】

【ぬわっふ】


 じゃぶじゃぶと蛭沼を飲み干す邪羅に、童女が顔を歪める。


【ぃ、やあああああっ】


 発狂するように蛭腕で邪羅に殴りかかる。

 しかしそれは当たることはなかった。直前に腕そのものが消失した。


【げっふ。おい、おかわりだ】


 食われた、一瞬で。空間ごと削られたかのように、肩から先全てが無くなった。


【ひぃ】


 童女が怯えるように桜へと飛び退る。うなだれるように横たわっていた敬親が、げほげほと咳き込み起き上がる。その顔には驚愕とわずかな怯えが見えた。

 芍薬抱える謳歌と並ぶ邪羅が、散歩でもするかのようこちらへ歩いてくる。


【わんこ腕かと期待したが一食で終わりか、つまらぬな】

「犬だけにか、くだらねぇ」

【お前、言ってて恥ずかしくないのか】

「やめろ」

【ぬわっふ】


 一吠え、芍薬の頭に張り付いていた妖蚊が躊躇いもなく喰われた。


「おい、その間抜けな頭しまえって」


 謳歌は自分の腕を噛み切ると、なにかの薬草と混ぜて滴る血液を芍薬の頭部にかけた。芍薬の胸部が一度ごひゅっと膨らみ、そして落ち着いたように呼吸が安定した。

 それを見届けた邪羅が居心地が悪そうに双頭の片割れを見た。


【ぐ、不覚だ】


 ギュルギュルと双頭の一つを体に取り込み、元の状態に戻る邪羅。

 絶望的だった状況が、蹴り転がされるようにどんどんと変化する。

 空気とか読む気がさらさらない彼らには、恐れとか、怯えが何一つ見えやしない。

 顔を青ざめさせて芍薬の姿を追う視線に気がついたのか、謳歌は刹那の元に近づき芍薬を預けた。


「姉ちゃんも無事でなにより。後は姫さんか? まあ全部助けりゃ良いんだよな」


 ガラス細工でも預かるように、芍薬の体をおずおずと受け取る。

 まだ芍薬は痛々しい姿のままであったが、それでも刹那は決壊したように顔をくしゃっと歪めた。


「あり……が、とう。ありがとう……」


 涙をぼろぼろと流し、刹那は芍薬を抱きしめ、拙いお礼を繰り返し続ける。

 彼女に芍薬を守ってもらうことになるだろう。

 簾が肩を鳴らす。


「生先短いくせに、生き汚くすがりついた甲斐もあったかいな」


 悔しいな、素直にそう思いながら瑠輝も朱槍を握りしめる。


「ねえ、星集」

【どうした】

「本当に、無茶苦茶ね彼ら」

【笑ってしまうくらいにな】


 そうだ。

 笑いがでる。 

 立ち向かう気力が湧いてくるほどに。

 不思議だ。最初よりも意気がみなぎっている。 


「闖入者が、げぇ、やりたい放題してくれてさぁ」


 えずく敬親が憎々しげに謳歌を睨めつける。


「知っているぞ君、摩道連からの情報は僕も見ているんだ。札祝屋から強く推薦されているな。そしてずいぶん子供に懐かれているって話だ」 

 ふらふらと桜の木により掛かるように近づいた。

「試さなきゃ、これは、これならどうだぁまだ子供は試していなぁい」

 幹に埋まった梔子に、こりもせずに敬親がその目に短刀を突きつける。


(どこまでも、腐っている)


 謳歌は見たこともない冷徹な眼差しだった。

「やってみろ」

 空気が軋むような硬質な声音。


「……できないと、思うのかぁ」

「できない。簡単な話だお前が刺すより俺が殴るほうが速い」


 ぎりりとヨダレを口端に、歯をむき出しにする敬親。


「油断していた先ほどとは違うっ」

「関係ない、俺のほうが速いからだ」

「強がりか、間に合わなかったらどうするぅ。お前のせいで片目を失うぞ」


 生き荒く問いかけられるそれを、謳歌は鼻で笑う。


「知らん、間に合うからだ。おい、やるなら覚悟を決めてやれ。いいか、いま、その切っ先、腕、体を動かしてみろ。その子に傷一つつけようとしてみろ」


 どこまでも純粋に淡々と続けていく。


「絶対にひどい目に合わせて殺す。約束するよ、安心しろ。なにが起ころうとも、どこまで逃げても、他の敵がどれだけいようが、真っ直ぐにお前にだけ向かって、必ず一番最初にお前を殺す。さあ、勝負だ」


 淡々としたそれは、身を折りたくなるほどの圧力だった。


「……」


 震える敬親の腕、血走った目がぐるぐると忙しなく動く。やがて限界が来たように刃を下げ、敬親が空を仰いだ。


「紋助ぇだめだこいつ、馬鹿だぁぁ! 大馬鹿だああああ。助けてくれぇ! 会話にならない!」


 黒、紫、赤、油が反射で見え方を変えるように、浮かぶ呪塊が禍々しい色を巡らせる。表面がうぞうぞと動き、巨大な人の顔のようなものが浮かび上がる。

 融解しかけの紋助の顔、深淵の穴のような口が開いた。


【たかぁ、ちかぁ。叶うぞ、わたしは、至るのだぁ我々ががが。たかちかぁ、先に行く、お前は人で、そのままが最も暗く美し、ぃ、ぃ、ぃ】


 神経を削るような紋助の声。

 状況はわからないが、奴らの行動の結果など良いことのはずもない。

 止める。

 それぞれが動こうとしたが、牽制するように呪塊から妖鬼を押し固めた触手のようなものが一面に降り注いだ。

 呪いの枝垂れ柳のような攻撃を、それぞれが避け、大笠で庇い弾き、切り落とし、食いち切っていく中、視界の隙間で、敬親に取り付いていた妖孑孑がその体を離れ、蛭童女に寄り添うようにその尾を巻き付けた。


「おぉ、おめでとう紋助、そして子どもたち」

【ああ、咎となって初めて嬉しく思うよ】


 嬉しそうな敬親を残し、妖鬼の触手が咎達を拾い上げ捧げるように持ち上げる。


【一緒になれば、懐かしい母様《ははさま》の味、血の乳と肉の味を思い出せるかなぁ。よっぽど美味しかったんやろなぁ、弟たちはずぅっと小さいままだったけれど。ええよね、だって生まれでた世界は残酷やから】 


 童女が妖孑孑の頭部についた、双球の目玉を撫で抱《いだ》く。


【んまぁ、ああぁあ、ああああああ】


 嬉しそうに唾液を撒き散らす妖孑孑と、童女が呪塊に飲まれた。

 呪塊の表面が、ドクリとさざ波を打つ。


【ォォおぉぉおぉお惡惡怨怨――】


 天守よりも巨大な呪塊の形が歪み変わる。

 まず、真っ白な巨大な童女の顔が生まれた。其の口からさらに童女の顔が次々と生まれ、連なる頭部が天守に巻き付くように伸びていく。全ての童女の耳からゾワゾワと触手をうごめかす孑孑が伸びて幾多もの足となる。


 め ぎ ぎ ぎ ぃ

 頭頂部と呼べる顔が縦に裂けた。蛹から生まれるように法衣を着た男の体が生まれた。鋏のような大顎と、大量の返しの付いた大針の両腕をもった化け物は、奇っ怪な大百足のような下半身を伸ばし、天守をめきめきと締め付ける。

 黒桜と麓の敬親を守るように、悪意が産んだ化け物は両腕を広げる。 

 人の眼球でできた大きな複眼と、三つの単眼が瑠輝たちを睥睨した。

 煮詰めきった、呪いの化け物がそこにいた。


 あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。


 童女達が口を開き蛭滝を落し、幼児の白い表皮がブツブツブツと粟立って、女の顔がびっしりと敷き詰められた鳥肌のように無数に浮かび絶叫した。

 心臓が、体が、脳が、其の存在を拒否している。

 空から集まってきた妖鬼の群れが、天守を閉じ込めるように渦巻き囲い、がちがちとソレの大顎が動いた。


【世の道理から外れし、咎集い渦と成る。我、咎渦(とがうず)ノ蟲王(ちゅうおう)と至り世を均《なら》そう。人よ、生きたまふことなかれ】


 足元の敬親が、両手を広げて異形をみた。


「すごいすごいっ、なんて素敵なんだぁ、紋助ぇ、お前が一番かっこいい。さあ、眼の前で、全部を無茶苦茶にしてくれえええええええええええええええええ」


 熱狂に反応するように、十数の蟲足が揺蕩う。

 一瞬の間。

 轟 轟 轟 

 縦に並び鞭打のごとく天守右側から強襲される。

 なぎ倒される柱、吹き飛ばされる残骸。巨大な壁にすらみえる脅威が迫る。

 動け、避けろ!

 迫る大津波に凍りつくかの如く、体に指示を出すが足は縫い止められたように動かない。それは瑠輝だけではないようで、簾も、星集も、刹那も、震え固まっていた。

 そんな中、地を蹴って前にでたのはやはり謳歌だった。

 直撃しそうな二本の蟲足に大笠を片手に駆ける。


「後ろには逸らせねぇ、つかこれ一本届かな――お、良い所に邪羅君」

【おい、なにを、やめんか戯け……】


 目前に迫る攻撃、空いた片手をニギニギと動かす謳歌は、なにを思ったか隣を走る邪羅の尻尾を鷲掴み、あろうことか振り回す。

 玩具のやじろべえのような有り様で、大笠と謳歌と邪羅が回る。


「しゃあああああ」

【大戯けがぁああああああ】


 宙空で大笠が蟲足の一本を殴り、ブチギレた獣でもう一本を迎え撃つ。振り回された邪羅は唸り声をあげ、衝突の寸前なにをどうやったのか自分よりも大きな蟲足を食いちぎって消す。


【よくも】

 黒狼が吠え、体躯を宙空でしならせ、

「わっ」

 尻尾を握った謳歌を逆に振り回す。

【やりおったなああああ】

「だああああああああ」

 ぐるんぐるんと回転した謳歌が、追撃してこようとする蟲足に次々と叩きつけられていく。

 拳で吹き飛ばし、踵で蹴り落とす。頭で迎えうった所で、謳歌がたまらず握った尻尾を離す。蟲足を足場にし、謳歌と邪羅が瑠輝達の近くに蹴り戻ってきた。


「おぉん」

【ぁ?】


 着地した途端に、噛み合いそうなほどに顔を付き合わせて睨み合っている。

 喧嘩している場合ではないだろう。


(あれ、動ける)


 恐怖を呆れが上書きした。気がつけば四肢が動くようになっていた。それは他の者も同じだったようだった。 

 ブルブルと羽を震わせ、星集が肩から飛び立つ。


【ちっ臆病風で飛べないなど、我が羽ながら情けない】


 杖刀と札を手に、鼠達を操り簾が深く呼吸する。


「臆病なくらいが長生きするぜぃ。まあここじゃあ、ねぇがよ」


 刹那が、芍薬の体を大事そうに抱えて立ち上がる。


「恩には恩を、怨には怨を。せめて足掻くんだ、最後まで」


 そうだ。

 助けられてばかりなど、あり得無いこと。

 瑠輝も足を進め、謳歌の横に並んだ。


「助太刀に感謝するわ。磨師として、この借りは絶対に返す」

「いやぁ凛々しいね。食事でもどうだい」


 散歩でも誘うような気軽さだ。


「時と場所をわきまえて誘ってくれるかしら」

「わきまえれば良いってことかい」

「そうね、ここでの活躍次第かしら」


 鼻で笑って言ってやった。


「なにぃ、いやっふーーーい」


 凄い喜んでいる。自分を安く見積もりつもりもないが、木ノ宮を丸ごと救って食事ですむなら、流石に釣り合わないのでは。

 うおおとやる気を漲らせる謳歌が、しかし思い出したように手を打った。


「そういや、暇がなかったからいまさらだがよ――俺の力は時間制限あるから。急がないと辛いかも。というか結構無理かも。だって一つになるとか訊いてないし、先に言っといてほしい」

「え?」

【……】

「君さ」

「お主よぉ」


 そういうのは、先に言えッ! 

 全員の心が一致しただろう直後、皆がそろって前進を選んだ。そうするしかない。消耗戦をしたら負ける。

 大笠を担ぎ走る謳歌へ確認する。


「傾楽木殿残り時間を詳しく、もし考えなどあるなら貴方を中心に合わせるわ」

「瑠輝ちゃん、実は四半刻《しはんこく》も残ってない。考え、考えはー、あー、全力で真っすぐ行ってぶっ殺すッ」

「もう少し考えてくれないかしらッ」


 本当に時間がないではないか。そしてこの男、頼りになるが任せっぱなしは非常にまずいってこともよくわかった。評価の振れ幅が激しすぎる。


【けっ、仔細などこいつに訊くのが阿呆よ。謳歌、しばらく抑えておけっ】


 命令するな、と叫びながら謳歌が咎渦を正面に攻撃を引き受け始め、邪羅が稲妻のように攻撃を鋭角によけながら近づいてくる。


【おい人間ども、生き物以外で価値のあるものを寄越せ、金銭的、曰く的、希少的、物語的、ひっくるめて価値が高いほど良い】


 なにをいきなり、と返そうとしたが邪羅に【煩雑《はんざつ》になる、そういう術式だと納得しろ】と切り捨てられた。

 価値のあるもの。

 聞いた瞬間心臓がはねた。あまりに心当たりがあったからだ。

 しかし躊躇いが強く湧き出てきて、率先して口を開くことができなかった。

 邪羅の言葉にまず反応したのは簾『儂が打った刀だ』と見せる。


【名工ではないな、修行が足りん叩き折れ】

 バッサリだ。そこらの残骸を切りつけながら「切れるぞ、ほらほら」と簾が言うが邪羅はすでに興味がない。


 つぎに刹那が首にかけた飾りをみせる。

「先祖から脈々と受け継いだ、先代達の骨を組み合わせた首飾りだ」

【たかが人の骨に価値などない、砕いて畑にでも撒け】

 刹那が「二百年は歴史があるのに」と呟くも邪羅は後ろ足で砂をかける。


【おい、なにか隠しておるな】

 金の眼光がギロリと瑠輝を貫いた。

 冷や汗がでた。

「ちなみに渡したらどうなるの」

【飲まれて消える。実際どうかは知らぬが、戻ってきたのをオレは見たことはない】

「くっ」


 半生以上を賭けた。代わりなどあるわけがない。

 もう二度と、母を手にする事ができなくなる。会えなくなるのだぞ。

 情けなくも言葉が出ない。


「おーーーい、速くうううう。きついって、なあーーー」


 恐ろしい速度で飛び回り、蟲足の嵐を殴り咎渦の百足と渡り合う謳歌。

 半ばまで紅く染まっていた髪が、心なしか暗く光を失いかけているようにみえる。

 自分が、決めきれぬばかりに。


【瑠輝――】

 銀の羽が舞った。

【夜で作られた宝石のように、誇り高き姿たれ。それが君が授かった命(めい)だ】

 瑠輝の前の道を示すように銀が飛翔した。

 迷いという影を、星を束ねたような美しき鷹は照らし消してみせた。


「あるわ――とっておきが」

 瑠輝の言葉に邪羅が首をかしげた。

【貴重なのか?】

「ええ、城を買えるくらいにね」

 獰猛な牙が顕になる。邪悪に狼が笑った。

【それは、国すら落とせそうだな。速く寄越せッ】

「手元にないッ、敬親が持っているわ、桜のそばの男よ!」

【ちッ面倒な――謳歌ぁ、さっき殴った屑が目標だ。やるぞ】

「なにもわからんが、それなら任せろッ」


 黒狼と謳歌が先頭を駆ける。瑠輝と簾は芍薬を抱えた刹那を守りながらも追走した。

 一気呵成の突撃をみてか、咎渦がその巨躯をうねらせた。


【は、は様、あ、あ、あ、あ】


 童女の顔達が穏やかに声を重ね、その皮膚に浮いてきた幾多の女が口をすぼめた。

 背筋が危機を察知し、逆立つ。紋助の上半身、大顎が言葉を紡いだ。


【死水送葬《しすいそうそう》】


 ジャ――ッ。

 真っ黒な線が空間を走った。極圧された百の蛭水を、各々が一斉に避ける。

 まだ終わりではない。

 前方、切り裂かれた床からうぞうぞと呪蛭が沸き、背中に一斉に切れ目が入った。


「なにか出てくるっ」


 瑠輝の警告と同時か、割れたアケビのように背が裂けて、薄羽の生えた小さな蟲が飛び立った。異形、女の顔にトゲトゲの口針、乳房を持った妖蚊が霧のように飛び迫る。


「しゃらくせぇッ」


 謳歌が腰元から煙管を取り出し、吸い込んだ。付けていないはずの火がカッと火皿に灯る。破裂せんばかりに吸引、一気に吐き出す。

 紫煙が広がる。

 平然とする刹那と簾、眉間にしわを寄せ嫌な顔をする邪羅と星集と瑠輝を余所目に、自らの親指を噛んだ謳歌が、血潮を指ですり鳴らした。


「『鬼(オン)』」


 煙に着火、業火が蚊を焼き払う。一瞬の緩みを締め直すように瑠輝は警告する。

「油断しないで、上よ」

 黒煙を割るように、蟲足が叩きつけるように降ってくる。

「ぬわぁ、任せろぃ」

 簾は杖刀を抜かぬまま『連』と書かれた数珠を手の甲にいた鼠へ食わせる。杖へと鼠が集まる。鼠が鼠の尻尾を噛みつながり、押し合いへし合い巨大な刀を作った。

「噛み斬れぇ、鼠連宝刀《ちゅうれんほうとう》」

 振るわれた大鼠刀が、ぢゅううと奇妙な音を奏でながら蟲足を切り飛ばした。


「やるじゃねぇか爺さん。このまま頼むぜ」


 感心するように言う謳歌、さらに一本を切り飛ばしながら簾が言い返す。


「若けぇのが働くもんだ兄ちゃん」

「なんだ、爺さんもまだまだ若いぜ」

「おだて上手め、だがそろそろ燃料が尽きそ――などと言っとる暇もないか」


 咎渦が針の両腕を広げた。白濁色の胸部分がフツフツと泡立ち、六角形の穴がびっしりと空いた。

 ブゥンと高速で動かされる羽の音。穴の中から、煮崩れた人の上半身を持った蜂が、溢れ出る蜜液のごとく生まれてくる。恍惚とそれを見上げる足元の敬親を覆い隠すように、狂蜂の滝が地に流れ出た。


【狂針鳴崩《きょうしんなだれ》】


 針の津波。キシキシキシキシ、硬い針がこすれる音々が怒涛と迫る。

 刹那が簾になにかを告げ、簾は頷き前にでた。


「おい兄ちゃん、ここは請け負う。だから後は任せていいな」


 杖刀を前方に突き出す簾と、その後ろに続く刹那。


「謳歌殿、さすがに疑った時もあったけどさ、こうなったら君を迷わず推薦した彼女のこと信じるよ。姫様のこと、たのむね」

「お、おう。なんでも任せろ!」


 胸を叩く謳歌をハハッと笑い、刹那は己の体に『還』の札を張り、抱いた芍薬を片手に離さぬまま簾の背中に手をおく。


(受け渡し、命すらも削っている?)


 瑠輝の目には、流れ込んでいく命力の動きが見えた。纏っていた一白の体が崩れ、刹那の体も渇き枯れていくように皺が入っていく。

 生気満ち、若返ったようにすら見える簾がギラギラと双眸を鋭く磨ぐ。


「いけるぜ、ぶち開けてやるから、遅れずに着いてこいや」


 簾が『集』の珠を手に取り、頭上に乗った目つきの悪い鼠へ貼る。


【ぢゅう】


 鼠が、がら悪く鳴いた。

 地面から、残骸から、影から、どこからともなく大量の鼠が押し合いへし合いやってきて、簾と刹那と芍薬を覆い包みこんでいく。

 姿を消す直前、簾がにやりと謳歌を見やる。


「見さらせ、大山鳴動――」

 地面が震える。鼠の塊が振動し、巨大な鼠が膨れ上がる。

「鼠が一匹ィ!」

 ぢゅうううううううああああああああああああああああああ!

 灼熱の石に水を掛けたような咆哮を上げ、巨鼠が弾けるように突撃する。

 

 瑠輝は、謳歌と邪羅は、言葉を交わすことすら無く、その影を追うように駆けた。

 山すら穿つような暴の塊が、残骸も妖鬼もすべてを喰らいながら駆け抜ける。

 飲み込まんと迫る針の津波、しかしそれすらも大山鼠は噛み貫く。

 空いた大穴を飛び抜ける。

 背後で崩れていく針の津波。力尽きて崩れていく鼠の群れ、膝をつき動けない様子の簾と刹那の姿。

 前に出る。

 視界の先、驚愕したような敬親の顔が見えた。


「紋助ええええええええええええええええええええええ」


 即座に助けを呼ぶ潔さと、自分が狙われていると即座に判断する察知能力は、腹立たしいことにあるようだ。


【敬親、敬親、安んじてくれ。そなたは麗しき負を煮詰めし、我が寄生の器。われらが護るゆえ、久しく――永劫に、淀み濁りし美しき人たれ】


 轟。

 広げられていた巨大な針腕が風を逆巻きながら、交差するように両側から迫りくる。

 もう少し、後少しだがこのままでは間に合わない。

 一瞬だけ、大笠に手をかけた謳歌と目が合った。

 なにも言葉を発していないのに、彼がなにをしようとしているか、なんとなくわかった。


「邪羅、手前は左だ遅れるなッ」

【オレの方が疾く動いた、遅いのは手前だッ】


 謳歌と邪羅が文句を言いながら、互いに交差するような軌道で飛んだ。閉じようとしていた大針に強引に割り込んだと同時に、蹴飛ばすような姿勢、謳歌の両足と邪羅の足が真っ向から激突した。

 阿吽の呼吸。

 僅かなずれもなく同時に互いが蹴り合い跳躍、超速で当たった独楽同士のように弾け馬鹿みたいな勢いで左右に散開した。

 大笠が、巨躯の狼が、真っ向から衝突する。

 空間が軋むような轟音。大針にあろうことかヒビが入り、動きが止まった。


「星集」

【瑠輝】


 『神』の札を貼られた銀鷹が、両肩を掴む。額と両手に、全力で命力を注ぐ。

 皮膚が青白く染まっていく。

 手の甲に裂ける痛み、自分では見えぬが額に瑠璃色の瞳が生まれていることだろう。

 他人に見せたくない半妖の姿。これを見られたら、皆どう思うのだろう。

 そんな弱気を臓腑に押し込め、瑠輝は祝言を紡ぐ。

 『雷』

 雷光が翼を広げた星集と瑠輝の全身を覆う。

 神鳴るイカヅチを纏い、白雷が駆ける。

 人には見えない神速で溶けていく世界を妖の瞳で把握する。

 まっすぐ、ただまっすぐ――

 謳歌達が作ってくれた隙間を抜け、敬親を目指す。

 緩やかにすら感じる景色の中、あの邪悪な男はやはり己の危機を察知していた。背後の紋助の体にすがるように、逃げ出そうとしていた。だが、それはできなかった。


「は、え?」


 足首を掴まれて、動けなくなっていた。

 這いつくばったただ一人の磨師、孔雀丸が吐瀉物まみれの顔をあげ叫んだ。


「やれええ――――ッッ」

「嫌だ、はーなあああせーーーええええええ塵虫ィィィ!」


 蹴りつけられようと、顔を踏まれようとも決して離さないという固い意志。

 はっと顔を上げた敬親と目が合った。

 敬親の絶望だけが、鮮明な『静止画』として網膜に突き刺さる。爆ぜる火花の一粒一粒、毛穴から噴き出す冷や汗のひとしずくまでが、永遠のような間(ま)を置いて瑠輝の視界を流れていく。

 複数の触腕が来る。


 ――使わせてもらうわ。


 撫でるように謳歌からもらった『縛』の札を起動。

 びきぃっ――

 たった一瞬。

 だが咎渦の巨躯までもが停止した。

 邪魔するものは、もうなにもない。

 行うは悪滅。

 帯電し赤熱した朱槍を、その喉へと突き出す。


「げぇッ」


 焼ける肉の爆ぜる音、鉄の臭い。突き出した朱槍の振動が、腕を通して体に届く。


「げはっ、げ、げげ、ぐが」


 ごぼりと吐血し虫のようにもがく敬親、その生命はまもなく終わりを迎えるだろう。

 刺した槍を片手に敬親を持ち上げ、その胸ぐらを漁る。

 目的の指輪はすぐに見つかった。血み泥に紛れた母は、それでも生きているように濡れ美しく輝いている。感傷に浸りたい気持ちを抑え槍を敬親から引き抜いた。

 その時、桜の木が蠢いた。

 梔子を抱くようにしていた木の女性が、腕を広げ瑠輝に託すように彼女を離した。

 腹の傷に木の皮が張り付くように覆っており、出血が止まっている。

 侵食されてなお、木ノ宮を守護する意思が残存していたというのだろうか。

 やにわに地面が揺れた。


【駄目だ、敬親ぁ、敬親ぁ嗚呼嗚呼嗚呼】


 頭上で、咎渦ノ蟲王が激昂し身をよじった。

 親愛、執着、悲哀、なにを想い叫ぶのか。咎にあるはずもないそれは、果たして人と同じものなのか、わかりようもない。


【嗚呼、嗚呼、ああ】


 百足の如き巨躯がのたうち回り、天守を粉砕せんと締め上げ暴れた。

 巻き込まれぬように朱槍と孔雀丸を背負い、梔子を抱きかかえ離脱していく。

 背後で孑孑の腕達が、敬親の体を貪るように飲み込んだ。


【人として生きれぬならば、せめて濁惡《だくあく》を飲み共にならん】 


 直後、変化が起きた。咎渦の化身が、敬親を飲み込んだ直後に大きく震えた。


【共に、ともに、ともにいいい、はは、さま、おとうと、たかちぃいかあああ】


 悶え苦しんでいるようだった。白く澱んだ百足の巨躯が、ミシミシと軋んで形を変える。孑孑の足が全て引っ込み、皮膚に浮かぶ女がねじ潰されるように破裂する。蜂の頭部が男の顔に変わり、やがては悍《おぞ》ましい黄ばみがかった蛆色の凡夫の形を為した。


【おやぁ】

 口から大量虫を吐きこぼしながら、そいつは嗤った。

【成ってみれば、これはこれで良ぃぃ!】

 主人格が敬親に変わった。

(たかが人が、咎を逆に取り込んだというの)

【ぃひひひ、凄いぞ僕、強いぞ僕ぅ】


 両腕を振り回し、そこらの妖鬼を根こそぎ手に集めていく。泥団子でも作るように両手で丸めていく。


 【やめで】【だずけて】【はは、さま】【たかちかぁ】【ひいっひいい】【いだいいだいいだい】


 怨嗟、呻き、悲鳴、絶叫。

 童女の顔、胎児の顔、紋助の顔、妖鬼たちの顔。

 浮かんでは消えていく咎の団子を、敬親は大口で頬張った。


【邪歯歯歯、美味ぃ、死の味がするぅ、思いついた。これを苦し味と名付けるぅ】


 滝のように零れる蟲のよだれ、口から黒煙のような何かがこぼれ出た。

 蠅、蠅、蠅、敬親の頭部をもった大量の蠅が湧き出て、空を席巻していく。

 背後から、蟲の涎が落ち迫ってくる。

 前方から走ってくる謳歌、横を並走する邪羅が叫んだ。


【小娘ッ、早くしろ。さっさと渡せッ】

 反射だった。

「これッ――」


 指輪を謳歌に向かって投げた。手から離れた後で、あれは命と同じくらい大事なものだったはずなのにと、心が押しつぶされそうになった。

 もう朧気になってきていた母の姿が、一瞬だけはっきりと思い出せた。

 母は、誇らしそうに笑っていた。

 きらめく心臓の宝石。謳歌と目があった。半妖の姿であるはずのこちらに驚く様子もなく、いいねーと言うように親指を立て、指輪を受け止めた。

 指輪を翳しみて、謳歌は息をのんだ。


「はは、瑠輝ちゃんすげぇなこは。なだれ込んでくるぜその想いが。こりゃ国宝だぜ、世界だって救えちまいそうだ」


 朱色の大笠が大きく開く。銭の文字を露わに、空に投げられた指輪がきらめいた。 

 大笠の銭の文字が歪み、口のように深淵の穴をあけた。

 指輪が、飲み込まれる。

 背後で敬親が発狂するように咆哮した。


【おまえ、おまえがいたああ。許せない。絶対に許さなぁああい。僕を殺すのだったなぁ、約束なんだってなぁああ】


 空が暗くなる。瑠輝を飛び越えるように巨大な敬親が身を伸ばし、謳歌に向けて両腕を振り下ろす。

 直撃。

 噴煙が謳歌と邪羅を包み込んだ。

 そんな、間に合わなかったのか。


【馬鹿どもが、低能の考えなしの阿呆たちが、僕の考えなど理解できないやつらが、世界にあふれすぎている】

 蛆を溢れさせながら、拳を振る。


 ――ここまできて駄目なのか。


【僕の性根を知りながら、自分であれば包み込めると考えた傲慢な芍薬ぅ】

 蠅の群れを吐き出しながら、破壊を生む。

【僕を恐れているくせに、愛されようとする梔子も】

 踏み砕き、叩き潰し、かきむしる。


 ――任せろといったのに。


【ぜええええええんぶ。鬱陶しい。僕は、僕だけが大好きぃなんだ。世の中、くだらない当たりの入っていないくじ箱でしかない。もう壊したほうが幸せだろ】

 そうだ、と両手で顔を隠しながら言った。


 ――約束を破るのか。


【こうだという常識や決まりが悪いんだ。まず、子供と大人の頭を入れ替えてみよう。そうして、女の味覚を人の味でしか上手いと感じないようにしてみよう。ほらぁ、もう面白そう。興味がつきなあああい】


 ――ふざけないでッ。早くしろ、すべてを助けてみせろ。

「謳歌ぁああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 張り裂けんばかりの絶叫。

 風が吹き、噴煙が晴れていく。

 声が、聞こえた。




「言っただろ―――俺に、任せろ――】





〓◇〓


 結界がついに限界に達した。

 座して札を書き続けていた千冬の前で、氷が砕け散るような様を持って、防護の壁が砕け散った。

 妖鬼が穴になだれ込んでくる。抑えようとした磨師を二人一瞬で飲み込み殺しつくし、それでも足りぬと暴れつくしていく。


「逃げて、逃げなさいッ。ここは私が受け持つ」


 住民へ指示を出し、背後に逃がす。しかし、武器を持って前線に立っていた者たちは間に合わなかった。

 逃げろ、そういった男が死んだ。

 助けて、そういった老人が死んだ。

 胸が張り裂けそうになった。

 自分が万全で、この両腕があれば妖鬼ごとき抑え切ったものを。

 不甲斐ない。せめて命を賭して一人でも多くを逃がそう。

 そう考えた瞬間、自分の眼前に二人の小さな人影がたった。


「ぼて太、あかふく、なにをしているの早く逃げなさいッ」


 かばう様に立つ二人をしかりつけるが、動く様子はない。

 ぼて太が札をもって、大きく息を吸って胸を張った。


「豆粒とやくそくした、ぼくが守るって」


 あかふくが手に握った毛玉を突き出していった。


「まもるっー」


 嗚呼、なんということだ。

 自分は完全に、この子達の育て方を間違ってしまった。

 ここまで、立派に育ってしまうとは、思わなかった。

 眼前で、妖鬼の群れが子供たちを飲み込んでいく――

 はずだった。

 闇の中、もっと黒い漆黒が妖鬼の群れを根こそぎ浚った。

 こちらを飲み込むはずの塊が、この世からごっそり消失したかのようになくなる。

 びたり、と時間が止まったように妖鬼の群れが止まった。

 ギギギギギギ、ィィィ。

 空間が啼いている。妖鬼たちがある一点から目を背け、一斉に震えだした。 

 千冬の眼前、あかふくの手の平から、それは伸びていた。

 漆黒の毛束。

 筆で墨絵を描くように、空間にそれが形を成していく。 

 黒い狼、ギラギラと光る金眼がすべてを睥睨しつくしていく。


「じゃ?」


 あかふくが小首をかしげ、獣が言った。


【平伏を許可する】


 地に落ちた。

 妖鬼の群れが、そのすべてが我先にと地に顔をこすりつけ押し黙った。

 狼が心底つまらなそうに城を見た。

 空が、輝いている。

 巨大な、朱色の柱が闇を払うように天に昇っていた。

 その光をみた瞬間、千冬はすべてを悟りぼてたとあかふくに身を寄せ、なぜる代わりに己の頬をすりよせた。


「ありがとう二人とも、もう大丈夫。彼らが、解き放たれた」


〓◇〓


 瑠輝の眼前で、まばゆく輝く朱色の柱が立ち上がる。

 その中心には、どこか見覚えのある男がいた。

 燃え上がり血のような色の火の粉を散らす長い髪。

 炉から出されたばかりの鉄のごとき灼熱に輝く、頭部から生えた二本の角。

 褐色の肌に走った入れ墨は、呪いのように蠢き、闇を煮詰めたような真っ黒な眼球には灯火のような瞳孔が揺らめいている。

 大笠を肩に、口にくわえた煙管を吸い込み口端から炎を吐き洩らす。

 鬼。

 そこには謳歌によく似た……否、鬼となった謳歌が立っていた。

 煙管の先を敬親に向け、ざらついた声で言った。


【窮屈な世で生きるのが退屈か? 正道から弾き出されて納得がいかないか? 良いぜ相手してやるよ。俺が終らせてやる、さあじゃれてこい】


 一瞬の静寂。


【わかったような口きいて、さぁああああああああああ】


 剛腕。

 天を覆うような躯で振り下ろされる巨拳。

 逃げてと叫ぼうとした瑠輝の前で、朱色の鬼が小さな右拳で真っ向から迎え撃った。

 一撃。

 水面のように伝播する轟音と衝撃。


【は?】


 あろうことか敬親の腕が跳ね飛ばされ、異形の体が背後にのけぞった。


【おかしいだろ、いま僕はこの世の摂理になったはず】


 驚愕で顔をゆがめ、今度は両腕を握りしめ一体化、刺々しく禍々しい孑孑に形を変え、襲い掛かった。


【三体の咎頭に妖鬼の集合体だぁ、張り合えるはずもないんだ】


 鼻で笑う。

 腕を組み、謳歌は顎をクイと差し向けた。


【大した会席料理だ。おらいいぞ、よしだ】


 餓ッ!

 巨大な黒が駆け抜けた。大口を開き、質量を無視して孑孑を頭から丸々と飲み込んでいく。指から肘、肩、そして敬親の頭部までを嚙みちぎり飛ぶ。

 しなやかな体を満月で泳ぐように翻し、獣が謳歌の横にどすりと着地した。


【ァおおおおオオオオオ゛オ゛雄雄雄雄雄――】


 破壊されつくした天守の上、闇すらも怯えるような遠吠えが世界を脅す。

 敬親の残骸を吐き捨て、その残滓を足蹴に吠える。

 傲慢を煮詰めたような金眼、闇を紡いだような体毛。

 生えた三本の尻尾、そしてその尾の先についた大食いの口々。

 空を渦巻く妖鬼の群れが怯えて静止した。


【あの姿、この悪寒】

 星集が、珍しくもその身を震わせる。

【根本に刻まれた恐怖、間違いようがない】

 巨大な黒狼邪羅の姿に星集は呆然と呟いた。

【あやつは牙羅《ガラ》だ。なににも怯えず、誰にも従わず、人も妖魔も咎すらも等しく喰らった大妖、二百年も前に姿を消した、邪餓ノ王(じゃがのおう)、牙羅《ガラ》だ】

 おとぎ話の伝説の大妖。


 目立つな、牙羅に喰われるぞ――瑠輝すらも聞いたことがある。そんな悪鬼羅刹の代名詞が現実にいる。


 そんな恐ろしいはずの大妖の背へ、謳歌が気安く飛び乗った。

 沸き出た蛆で頭部を再生した敬親が、謳歌たちをみて呻く。


【わかるぞ、いまの僕には異常さがわかる。そのあり得ぬほどの存在の質量。なぜそちらにいるんだぁ。その震えるほどの邪気、どちらかといえばこちら側だぁ】


 泥々《でいでい》とした呪言を謳歌は【けっ】と一蹴する。


【あっちだ、こっちだ、下らねぇんだよ】


 大笠をぐるりと回し、鬼は謳う。


【人妖咎神区別する必要は無く、悪辣を切り祓うが我が師の教えだ。おい、知っているか? 磨師の源流を】


 銭の文字が陽炎で歪む。


【知らぬならばとくと教えてやる】


 煙管の火皿がメラメラと燃える。


【余計な口を引き結び、まずは其の目に焼き付けろ。そして眼を閉じ耳澄ませ、鼓膜と脳に染みつけろ。見よ始源の鬼をも封じた一族、驚天動地が作りし源流、さあ慄くがいい――】


 意気揚々と双眸を見開き、


【我こそは、四界驚天が一番弟子、この世で最強の磨師、傾楽木謳歌だッ】


 鬼は堂々たる文句を叩きつけた。

 息が、止まりそうだ。

 瑠輝は内容を噛みしめ理解し、震えた。


(四界源流の一番弟子なんて、本当に、最強の……)


 心臓の鼓動が早い。血が滾るような感覚。


【いやだ、いやだいやだいやだ。最強は僕だ。お前がそれを取るんじゃないっ。くそ、好き勝手に、動けよ妖鬼共。いけ、行かねば永久に苦しむように呪い殺すッ】


 身を起こす咎から波紋のような呪力が空間にわたる。

 頭を垂れていた妖魔達が強制的に動き出す。目からは涙がこぼれ、口からは【嫌だ】と絶叫を迸らせながら謳歌へと殺到してくる。


【情けねえ妖鬼め。邪羅ぁ、一網打尽だ】

【珍しく気が合ったじゃないか、糞みたいな術でお前が合わせろ】

【五月蝿え、目にものを見ろ】


 大笠を背中に戻す。空いた両手の爪を己の腕に相互に突き立て自ら切り裂いた。

 夕焼けよりも深い暗紅の血が派手に散る。

 天に右手、地に左手を構え溢れ出る血でなにもない空間に円を描く。

 ぼっ、ぼっ、とその軌跡上に魂の如き六つの炎が灯る。


【溢れでろ】


 一つが燃え上がる。紡がれた謳歌の呪言で輝き、溶岩のように円環へ燃え移る。

 面白そうに邪羅が口角を歪ませた。


【珍しく上々。では、そうら死ぬが良い】


 金眼を輝かせ、邪羅が天を仰いだ。


【ァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――】


 咆哮。その尻尾が数えるのも馬鹿らしいほどの幾多に分かれた。

 それぞれに意思があるように紅い円環を潜り、散開する。

 ちか チか チカ

 蛍火のように瞬き、導火線を辿るように空に線が引かれる。

 謳歌の腕が血液で空へと文字を書く。

 『焦』『熱』

 交差され、そして左右に開かれた。


【鬼(オン)】


 連爆。

 光と衝撃が絶え間なく炸裂し、視界の全てが爆裂で染まる。

 悲鳴も、死骸も、怨念さえもが消し飛んだ。


【景気が良いぜ、たまやーてな】

【派手さに喜ぶお前は、餓鬼がーっといった所だな】

【なんだ閃光より線香が希望か、老犬め】


 へらへらと軽口を交わす二人は、本当に花火でも見ているだけのような気軽さだ。

 真っ白に染まった視界が時間をかけて闇に戻った。

 死屍累々。

 敵側でまともに形を保てているのは殆いない。

 それでも、敬親だけは黒煙を纏いながらもその身を起こした。


【呪呪呪――殺殺殺恨恨恨怨怨ぁぁ】


 言語にすらならない呪言を撒き散らし、咎渦が呪力を溢れさせ身を起こす。真っ黒に染まった殺意を叩きつけてくる。

 しかしなぜだろう。もう不安はなかった。

 力の抜けた四肢はもう強張らない。

 自分はなぜここまで安心してしまっているのか。

 きっとそれはあの小さくも大きな、鬼と思えぬ快活な背中のせいだろう。

 朱い鬼は、こゆるぎもしない。


【お前らは強く、残忍で、そしていつだって可哀想だ】


 周囲の惨劇、敬親そして咎頭すらをも憐れむように、謳歌は大笠の柄に手をかけた。

 引き抜く。大笠の柄に隠されていた刀身がまろびでる。

 真っ黒な刀身、磨き上げられ濡れたような赤い刃紋が、火炎を写して燃える。


【俺は最強だが、残念ながら世に蔓延るすべてを救う事はまだできねぇ。だがな、こうなった俺に、壊せぬものは何もない!】


 高く上げられた一刀。

 邪羅が裂けんばかりに口を歪め、

【沙汰を待つことを許そう】

 その尻尾を闇に沈めた。

 影から湧き出得るように口を広げた尻尾が幾本も生え、咎の巨躯に噛みつき雁字搦めに動きを封じる。


【こんな、結末……】


 呆然と、身動ぎもできなくない咎のムカデが絶望を滲ませ身を震わせる。


【あっていいはずがない、世の理に反している――こんな無茶苦茶な、巫山戯た鬼など、何匹も存在して良いはず……】

【……】


 夜見の視界の中、謳歌の身に宿した力が逆巻く炎のように刀身へ集まっていく。

 総毛立つような力の奔流。

 風がやんだ。

 呻きが掻き消えた。

 漂う絶望すら枯れた。

 朱色の鬼と闇夜の狼だけが、いま瞬間に存在しているようだった。


【刻まれた銘すらないが】


 謳歌が黒刀を臨む。


【外道に外れた人も妖鬼も咎頭も神も、身に宿る不幸でさえも分け隔てなく断つ。味わえ、だれが呼んだか無一紋――】

 静かに刀が振り下ろされ

  視界

     世界が

     縦に

 ずれる


【ぁ、ぇ】


 大きさなど関係ない。見えるすべてが切られていく。

 空気が割れた。空すら裂かれた。

 渦巻く闇が刻まれ、霧散する。


【げ、げ、ぃ】


 巨大な咎頭の集合体がずるりと絶たれ、崩壊する。


【力が、消えていく。手からこぼれていく、あで、なぜ。何故こうなっ――」


 強制的に人に戻った敬親が、縦に割れて溶け流れる。


【なぜ? 報いはその身に還るものだ】


 謳歌は言って、さらに横一文字を斬った。

 剣閃が、広がる。

 瑠輝の特殊な目には、ありありとその結果が映っていた。

 強引に、力技で、圧倒的に、全てが絶たれていく。

 孔雀丸、岩碌、取り憑かれた磨師達の体内の呪泥、刹那が抱きかかえていた芍薬の体の浸食。その体内に巡っていたオドロオドロシイなにかが消えた、芍薬の腹に抱えた闇の塊のような胎児から漏れ出していた、怨嗟の淀みまでもが撫ぜられ霧散した。

「嗚呼、本当に切ったのね」

 無意識の内に言葉が漏れた。

 すでに死んでしまった者は救えない。

 しかしそれ以外を彼は言葉通りに切った。

 咎も、人の業も、及ぼされた影響も、ただ振るった刀で、無に返した。

 澄んだ空気の中、照らす月光の下で鬼が刀を血振りする。


【これにて】


 残身を終え、大笠に刀が戻る。

 自分を守るようなその堂々たる背中に、


【決着】


 気がつけば己の双眸から涙が落ちていた。

 ようやく、終わった。


(せめて……自力で)


 震える脚で立ち上がり、礼を言おうと脚を進める。

 こちらを認め、見上げる黒狼から謳歌が降りた。

 その真っ黒な瞳に緊張した。威圧感に湧き出る一瞬の恐怖をねじ伏せる。

 なんと言おう。

 貸し借りはなしね、いやもう少し気の利いた台詞があるだろう。

 やるじゃない、いやいや素直に礼で良いではないか。

 ぐっ、と。

 意を決し「ありがとう」そう言おうとし、瑠輝は唇をひらけ……なかった。

 謳歌が目の前から消えた。

 ばぐん

 巨大な手が横から攫うように、真っ赤な口腔と白い牙が、笑う謳歌を一口で食った。


「え」

【ぎはは、この頓馬が、むざむざと封印を解くこの時を待ちわびていたわあああああああ】

「え? ちょ、え?」

【ぎゃははははは、死ね死ね死ね死ね死ね。来々来世まで死に続けろッ】


 がちがちがちがち、徹底的にすりつぶすように邪悪に笑う黒狼が噛み砕く。

 食べた、食べたちゃったけれども。

 そう邪羅が、謳歌を。

 追いつかない思考の中、ようやく追いかけてきた理性が焦りとなって口からこぼれ出ようとしたが……

 直前

 衝撃、邪羅の巨体が真上に打ち上がる。

 ドオン

 背中を何かが突き破るように殴りつけて、いや蹴り上げているのか。


【げはぁ】


 馬鹿みたいに連打する音が響く。宙空でたまらず空気を吐き出す邪羅、その口から見覚えのある男が飛び出てきた。

 謳歌である。ぴんぴんとしている。もうなんでもありか。


【てめぇちょぉっと封印解いたらこれか、行儀の悪ぃ獣がぁ。またぞろ俺に叩きのめされて首輪つけられてぇらしいなあ。いいぜ、不完全燃焼だった所だ。手前で燃やし尽くしてやらぁ】

【口だけは達者だな、ワッパが。こちらの油断に漬け込んだ程度でいい気になりおって、身の程を噛み刻んでやるわ】


 がおん、とか。

 どごん、やら。

 それはもうとんでもない衝撃が発生し、始まったのは怪獣の大合戦。 

 恐ろしいとか言うよりも、なんというか、呆れのため息がこぼれ出る。

 返してくれない、この感動。

 抱きしめた梔子の体は温かく、刹那が支える芍薬の呼気は安定している。

 簾は胡坐をかいて、孔雀丸の顔を布で拭きながら喧嘩を見守っていた。


(本当にもう)


 気がつけば、涙は止まり微笑んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。