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鬼々快々  作者: 脳楽


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10/13

拾✿ 大 道腐れて仁義無し《だいどうくされてじんぎなし》

 世の中は、持たざる者に寛大であるような顔をし、突き落とし嗤う。

 母は、偉大だが愚かな女だった。

 いや、男運がなく出自と悪く噛み合っただけともいえる。

 

 世には様々な人形の妖鬼がいる。中でも、夜鬼《やき》と呼ばれる種族がいた。

 母は、その夜鬼だった。

 生まれる子供は全て女で、他人を魅了する容姿を持って生まれる。

 夜の鬼という名の通り、気に入った男を魅了し我が身と同化し命力を得るのだ。

 なんと、人頼りな生き方だ。

 そんな妖鬼である。人と恋に落ちることなど、逸話を収集していれば少ないながらも聞く話だった。ただ珍しかったのは、母親は夜鬼としてできそこないで、男を吸収する能力が使えなかったことだろう。

 だからうまくいってしまい、子まで為した。


 つまるところ、半妖というやつが生まれてしまったのだ。


 半妖は、存在を忌避される事が多い。

 残忍性や凶暴性が強く、世を恨み死ぬことが多く咎を生みやすいと言われている。

 ただ人に近い夜鬼の半妖である自分は、生まれた時から静かで大人しかったらしい。


 幼い頃の記憶は、あまりない。

 意識が芽生えた頃には、母と森の中の廃墟じみた家屋で暮らしていた。

 母は、顔はおろか全身に酷い傷と火傷を負っていた。それを少しだけ化粧で隠し、扇状的な衣服でたびたび外に出ていった。

 母が外にでた日は、食事が少し豪華だった。

 幼い頃は、ただただそれが嬉しかった。

 あまりにも浅はかな子供であったと、世を知ったいまならわかる。

 ある日、母は傷だらけで血を流し酔っ払って帰ってきた。

 いつもは優しい母が、その日ばかりは狂ったように喚いていた。


 ――会いたくない男に見つかった!


 そいつが全てを無茶苦茶にしたのだと泣いた。

 幼いながらに慰めようとしたが、母はその言葉を受け止められる余裕はなかった。

 泣きながら、首を締められた。

 母は言った。

 夜鬼は、生涯を終える際に力のすべてを心臓へ集めて死ぬの、と。

 その心臓は星の欠片のように貴重で、城すら買えるような高価な宝石となる、と。 

 あなたが死ねば心臓を売って楽に生きられる、でも母親はやはり苦しそうだった。 

 必死に、すがりつくような母を見て、朦朧とする意識のまま体が動いた。

 苦しかったけれど、答えは不思議と決まっていた。

 よしよしと母の頭を撫で、いつもありがとう、大好きな母様が喜ぶことをしていいよ、と告げた。

 母は呆然としたように手をおろし、顔をくしゃくしゃにして泣いた。

 首を締めていた手で、今度はかき寄せるように抱きしめられた。

 すがりつく母はとても弱々しかったけれど、抱きしめ返してあげられた自分は誇らしかった。

 その日、泣きながら母が昔話をきかせてくれた。


 ――とても善人で素敵な人だったのよ。

 ――優しい人だけれど力はなかったの。


 今日再会した男は、父親とは違って力と財力と傲慢さを人型にしたような男だったそうだ。むかしその男に見初められ、強引な手段で捕まったらしい。その際に父親は亡くなったのだ。

 しばらくの間、身に宿る妖力を封印され暴力を振るわれ、金はあったがひどい生活だったと言う。男は飽きもせず母をいたぶり悦に浸るような、さもしい輩だった。

 絶望して諦めて日々を過ごしていたけれど、ある日自分が妊娠していたことに気がついた。時期的にも、亡くなった愛した男の子供だとわかったそうだ。

 だから最後の希望だったのよ、と母は笑った。

 ばれたら、我が子は殺されるか人形にされると確信があった。

 死にたいと思ってた気持ちが、必死で生きようと向きを変えた。


 ――隙を見つけて男を殴り倒し逃げ出したの。


 自慢気に言っていた。

 そしてその後に、ひっそりと出産したのだ。

 外に出て、子を育てるのはとても大変で気を使ったらしい。

 力のない夜鬼だとばれてはいけないが、生きるのには金が必要だった。

 稼ぐ方法はいくらでもあったが、目立ちすぎてはいけなかった。あの男に見つかってしまうからだ。だから自分で顔や身体を傷つけて、醜女になって隠れた。

 それでも元の美貌のお陰で客はついて、暮らすことだけはできたのだと言う。

 でも今日、運悪くあの男に見つかったのだと、震えて縮こまった。

 幼い子どもに話すような内容ではない。けれど母の中で、きっとここで話しておかなければという予感があったのかもしれないと、今ならわかる。

 母は怯えるようにこちらを抱いて、祈るように呟き続けた。

 

 貴方だけが私の希望なの。

 美しく存在する瑠璃のように、鬼ではなく夜に輝く星のように生きてほしいの。

 地に落ちた、私のようにならないで。

 愛している。愛している。

 だから、置いていかないでね。

 

 そう言ったはず母親は、すぐに置いて、逝った。

 隠れ家に押しかけた男から逃がすために、父親と同じように自分を犠牲にした。

 母の心臓は美しくも儚い宝石となって、卑しい男の手に渡った。

 許せなかったが、すぐにできる事はなにもなかった。

 逃げ出したあと、泥を啜るように生きた。

 唯一運が良かったのは、山に隠れ住んだ自分を退治しにきた雲界の磨師が、随分なお人好しだったことだろう。

 仙人のような見た目の好々爺《こうこうや》に保護された。

 学ぶことを覚え、やがて自ら磨師の教えを請うた。

 必死に研鑽を積んだ。

 修行を始めたばかりに呼び出した式神は、流星のように美しく、自分の生涯の目的として据えた決意も込め星集と名付けた。

 半妖の気配を消すため、つけたくもない退魔の花の香水を纏って顔をしかめて暮らした。

 

 愚直に生涯の殆どをかけて金を集め、ようやく最近母の形見を手にした時は、情けなくも手が震えた。

 でもその後は、嬉しさよりも心に穴が空いたような気分だった。母を手に入れ、次に何をしていいかわからなくなったのだ。

 母の代わりに復讐してやろうと思ったけれど、相手の男はすでに老いて死んでいた。人から嫌われ落ちぶれて、誰からも看取られることもなかったらしい。罪は巡り、自分が知らぬ間に罰が下ったようだ。なんとも消化不良な気分であった。

 

 結局、また何をしてよいかわからなくなった。

 

 考えに考えた末に、折角母と共にあれるのだから、誇れる姿を見せようと思い至った。立派な事を言っているようで、これ以上未来に進む気がなくなりそうなのを、ただ隠す口実だったのだと思う。

 ずっと、共にいようという願いを叶えようと思い、宝石は指輪にして首から下げることにした。磨師として様々な生き人を助けたが、やればやるほど、大人になればなるほどに、母のすごさがわかった。

 自分の自我が育つほどに、誰かの為に生きる難しさを知った。

 命をかけて育ててくれた母は、いつまで経っても並ぶことのない一番の誇りだった。


 ――絶叫。

 浮上する。

 泡沫の思い出が、はじける。


「かっ、は」


 暗闇の中、鎖の音が反響した。

 貪るように空気を吸い込んだ。カビ臭い。湿っている。暗い狭い空間、太い木の格子が見える。地下牢か。

 口に轡を噛まされている。両足は地面に、両腕は天井へと鎖で繋がれている。

 どうやらまだ生きているらしい。囚われているが、四肢だって残っている。

 痛みはあるが、いまは出血はない。表皮の傷はおそらく塞がっている。自分でも思うけれど、あれだけ刺されたというのになんとも頑丈なものだ。半身が妖でなければ、絶対に死んでいただろう。


(星集は――)


 いた。部屋の隅、革でぐるぐると巻かれ、血みどろの床に放置されている。大丈夫目覚めてはいないが生きている。己の式神だ。まだ命力で互いに繋がっていることが感覚でわかった。

 ぎょり ごり

 くぐもった湿った異音に次いで、


「ぎぃやああああああああああああ」


 やにわに男の悲鳴がつんざいた。

 堅牢そうな木格子の先、通路を挟んだ向かいの牢内に二人の影を見つける。じゃらりと鳴った鎖の音で、暗闇の中の影が顔を上げた。


「おや、もう気がついたのだね。凄いなぁ」


 浮かび上がるように、猫背の男の姿が暗黒から現れた。

 敬親だ。僅かに傾いだ烏帽子、濁った黒い瞳、汗ばんだ顔と頬に乾き張り付いた血液。地味な土色の直垂(ひたたれ)もところどころ黒ずんでいる。手には、長方形の柄の付いた道具を握っていた。閉じた扇子にも似ているが違う。いまもぬらぬらと血で濡れ、灯火をを妖しく反射するそれは、どす黒く汚れた目の荒いヤスリであった。


「悪いね、五月蝿かったよね。まだ君の番じゃなくてね、もう少し待っていてくれるかな。中々強情なのだよな、この子」


 微笑ましく見守るような表情で、敬親が壁掛けの灯りを手に取り牢の奥へ向ける。


「……ぅぅ、ぐ、ひぃ」


 怯えるように呻いた男に、瑠輝は見覚えがあった。派手だった金髪は血で固まり、尖った鼻は折れ曲がっている。綺麗だった黄色と橙色の羽織は泥々に汚れている。 


(孔雀丸、こんな所に捕まっていたのね。生きてはいるけど、酷い状態だわ)


 暗くて分かりづらい部分もあるが、顔は腫れ上がり首元まで血だらけ、瞳こそ死んでいないが表情には怯えがある。


「若いのに、本当に頑なだねぇ」


 敬親が、握ったヤスリを顔の高さに持ち上げた。


「そういうのを美徳っていうのかな? わからないな。君を置いて逃げた老いぼれ一人、表に引きずり出すだけの簡単な仕事だよ。できるだろぉ、君は有望な若手だって聞いている。君だけじゃない、城内の仕事につけた者はすべからく優秀だと聞いた」


 空いた左手で孔雀丸の口を鷲掴み、無理矢理に開ける。


「なんで態々中にって? そりゃ優秀な者は腹の中に入れた方が逃さないで侵せるだろぉ。一人煮ても焼いても食えない輩もいたようだけど、まあいいさ、続けよう」


 向けられたヤスリに、孔雀丸は顔を嫌々と顔を振る。


「いやだ。や、め、やめ……で」

「よしよし、いい子だ、口をあけてごらん。任せてくれ、得意なんだ。娘の歯だって磨くことがあるんだよ」


 やめろ、叫ぼうとしたが噛まされた轡のせいでくぐもった声しかでない。暴れても鎖は音を鳴らすだけでビクともしない。

 震える孔雀丸と目があった。助けてくれ、と懇願しているようだった。

 なにもできない。眼前で、敬親が猫なで声で口にヤスリを突っ込んでいく。


「僕も城に住んで長いから、言葉にはとても強く力が宿っていることを知っているんだ。良い言葉だよね『歯を食いしばって耐える』じゃあさ、歯がなくなったら耐えられないんじゃないかなって」


 ごりごりごりごり


「ぃああああああああ、ああああぃいがあがあああああ、ぃぃいががががああああ」


 絶叫。身を暴れさせ、鎖を引きちぎらんと暴れる孔雀丸。

 耳を塞ぎたくとも手が使えない。目を離したかったが、滂沱の涙をこぼす彼の双眸から逸らしてしまったら、見捨ててしまうようでできなかった。


「奥歯を噛む。唇を引きむすぶ。拳を握る。爪を立てて耐える。目をそらさない。固唾をのむ。腹を括る。肝を据える。いっぱいあるね。一つずつ、一つずつ、君の勇気と覚悟と根性と、義を貫く為の部位を削ったら、どこでお願いを聞いてくれるのかな」

「ぃぃ、やめ、やめでぐれえ」

「じゃあ頼むよぉ、お願いだ」

「ぃ……やだ」

「そっか。まだ、歯が残っているものな、仕方ないや」


 ごり ごり ごり


「あああああああああああああああああああああああああああ」


 やめろ! いますぐにやめろ!

 心拍数があがる。動悸が激しくなる。外道が殺してやると沸騰する。

 睨みつけて唸り、鎖を揺らし威嚇する。


「ん? こらこら元気だねお嬢さんは、順番待ちきれないのかな。せっかちだなー」


 ぐるりを顔がこちらを向いた。息が止まりそうになったけれど、ここで怯えては負けたようで気に食わない。

 屑が死ね――殺気を込めて睨みつけてやる。

 敬親がヤスリを近くの机におき、代わりに自分を指した短刀を手に取った。にやにやと笑い、孔雀丸のいた牢から、こちらへと足を向けた。

 冷や汗が吹き出してくる。

 負けるな。怯えるな。怯むな……


「前から、半妖には興味があってね。闇に染まりやすく、うまく絶望に落として首を切れば咎にも至りやすいって噂だ。数が少なすぎて、なかなか試すこともできなくて」


 扉が開く。

 気がつけば、眼前に邪悪が立っていた。

 短刀は、すでに鞘から抜かれている。

 全身の震えが大きくなった。


「君にはね、まだ娘を動かすために生きていて貰わないといけない。あの子は気が優しいんだ! 最近ずぅっと一緒にいた君がひどい目にあったら、きっと嫌なことだってできるはずさ、そのために側にいさせたんだ」


 腹部を刺された。焼きごてを当てられたような痛みが、脳髄を削るように浸透する。


「ぐぐっ、ぐっ」

「梔子が神事を終わらせないと困ってねぇ。この城の、桜の祝福の、木ノ宮の、あらゆる権利を芍薬から移せないんだっ。いつまでも、いつまでも、いつまでもあの女が僕を縛るのさ」


 短刀で抉られる。内蔵をかき回すようにひねりこまれる。

 我慢しろ、負けてなるものか、叫んでたまるか、やれるものならやってみろ。

 目で訴えると、敬親は目を線のように細めて笑顔になった。


「わぁ、さすが娘の付き人に選んだことはある。将来有望だぁ。いいなぁ、お嬢さん」


 ふいに短刀が引き抜かれた。肉が引っ張られるような感覚、温かい血液が腹を中心に広がった。


「ところで――」

「がッ!?」


 指が、傷口にねじ込まれた。内蔵を直接掻き出すように、腹の中で指がのたうつ。

 気持ちが悪い。吐き気がする。怖気が走る。


「優秀な体には使い道がいーっぱいある。例えば、妖鬼と一緒で半妖はなかなか子供が出来にくいってきくけど、実際どうなのかな。なぜだろうね、人の子種では弱いのかな。じゃあ取り出して、浸し続けたら、無理やりつくれないかな。うわぁ、素敵な構想だな。そうしたら、咎を量産できるのかい。気になるね、わかるだろ」


 はぁっ、はっ――は。

 悪を煮詰めたような漆黒の双眸、深きが見えない。

 うまく息ができない。負けないと、決めていたのに、がちがちと歯の根が合わない。


「ああ、そういえば君は夜鬼の半妖だったよね。君が首にかけていた指輪――ああ、今は僕が持ってるんだけど、これ綺麗だよね。すごい力があると僕でもわかる」


 片手で、敬親はいつの間に奪っていたのか空いた手で指輪をつまんでいた。


「え、せ、やふぇ、ろぉ!」


 轡を噛んで叫ぶ。

 嫌だ、母を返せ。苦労したのに、人生をかけて取り戻したのに。


「用が済んだ君の命を奪ったら、いったい何色の宝石になるのだろうなぁ。気になるなぁ、いま少しだけ見てみようかな」


 ただの人間のはずだ。なのに、瑠輝の目からみた敬親は真っ黒だった。

 眼窩も、口腔も、心臓も、性根も、すべて、闇色だった。

 いままで、こんな邪悪を隠して生きていたのか。

 血まみれの短刀が、切っ先を胸元に向ける。


「何色だい君の心臓」


 誰か、星集、たすけ――


「敬親様」 


 声。

 敬親の背後、一の布で顔を隠した一白がいた。気が付かなかった。気配がなかった。

 突き立てようとした短刀を止め、敬親が小首をかしげる。


「どうした、大切な用事か。いまこれからって場面だよ」

「大変申し訳ございません。しかし、時間でございます。準備もありますので、上に」

「ああ、もうそんなにか、童心に返って夢中になりすぎた」


 考えるように頭をふらふらと揺らし、敬親がうんと頷いた。


「そうか、じゃあ向かおう。優先順位に変動はない。もう二十年はずっと決めて動いているのだものな。じゃあ一白、後は死なないよう処理しておくれ。まだ用があるから」


 全く興味を失ったように、あっさりと敬親は闇に消えていった。

 残った一白は、無言のまま孔雀丸の元へ行き札を使った。がくりと体から力が抜けた彼は、気絶したようだった。

 一白が、無言のまま今度は瑠輝の前にくる。その手が突然動き瑠輝の腹にあてがわれた。びくりと反応してしまったが、すぐに温かい感覚が広がった。痛みが遠のいていく、治療されているらしい。


「まったく無茶をしてくれますね。あと少しで興味本位で解体されていた所です。後でこっそりと接触するつもりが、予定通りにはいかない」


 もごもごと質問をしようとして轡が邪魔でできなかった。一白はそれに気がつくとそっと轡を外してくれた。


「どういう、つもり」


 慎重に問いかけると、一白はあたりを伺ったあと声を極端に潜めて言った。


「時間もないので端的に、協力してほしい。私の目的は芍薬様と梔子様の救助です」


 嘘だな。耳を疑う話だ。少し睨んでみるも、ぴくりとも動揺がない。

 本当に人形のようなやつ。

 しかしこいつは間違いなく敵だ――瑠輝の目では、いまも一白の体の内に呪泥が蠢いているのが見えている。こいつはそれを知らないから、騙そうとしているのだろう。

 とはいえだ。


「そうだったのね、助かったわ。お礼の代わりに協力させて欲しい。だからひとまずここから逃げましょう。話を聞かせて」


 まずは歩み寄り、解放を掴む。咎本体でなければ始末できる。

 考える素振りの一白、その手が瑠輝を捕まえる鎖に伸びた直後、


「やめとけぇ、全く信用されとらりゃせんぞ。離した瞬間首が落ちるぞ、ぽとりとよ」

「おや、翁(おきな)」


 突然しゃがれ声が聞こえ、一白は手を止め顔を牢の隅へと向けた。


「わかってはいますが、信用を得る必要もあるとの判断ですよ」

「まだるっこしいぜそりゃ」


 ちゅう、と鳴き声。暗闇に潜むようにあいた小さな穴から大量のネズミが出てきて、人の上半身を象った。握りしめたゲンコツのごとき皺くちゃの老人、簾だ。半分崩れかけた泥人形のような姿で簾は鼻を鳴らした。


「その嬢ちゃんの目からすれば、お前さんは敵にしか見えん。出てこいよ、どうせいるんだろ、それが一番話が早いぜぇ」


 上半身だけの簾が、牢の外闇の中へ手を招き、一白は呆れたように首を振る。


「まったく……貴方が説得してくだされば良いのに、予定外ばかり」


 こちらの台詞だ。次から次へと、目まぐるしい。

 無理やりに考えを整理していると、先程までまるで感じなかった気配が通路に一つ現れた。ぬっと闇から姿を表した人物は、瑠輝からすれば予想外の人物だった。


「貴方は確か――」


 日焼けした肌、片目を横断するような傷跡と、一般の足軽にしか見えない格好、覚えている。これまでに何度と無く見かけたことがある足軽の女ではないか。


「どうも、君に自己紹介したことあるかな? まあいいか、気軽にさ刹那って呼んでよ。まあさっきぶりだよね。裏御殿でも会ったし」

 朗らかな表情の彼女は、牢の血溜まりを気にもせず足を踏み入れる。まるでこの場が、日の当たる庭園のような和やかさだ。

 確かに裏御殿で警備に話しかけている彼女を見たが、気がついていたのか。


「短く、正直に話してもらえるかしら」


 思わず睨んでしまう。


「わ、冷たい視線に緊張してきたよ。まあ時間もないか、わかりやすくね」


 言うだけで気にもしていない様子で、微動だにしない一白の横にやおら近く。

 刹那は一の字の顔布を捲った。現れたのは傷だらけでツギハギの顔だった。男か女かもわからない特徴のない部位を固めたような面相で、肌は血が通っていないくらい青白い。簾は黙って見守っている。


「種と仕掛けしかありません」


 ぴんと指を立て刹那が、暗い桜色の命力が集まった指で、一白の首元にある縫合の跡をなぞった。とたん、一白の首がぼろりと外れた。


「おっとっと、はいご開帳。正体見たり枯れ尾花ってところ? 逆かなこの場合」


 首無しで直立している一白をよそに、嬉々としてその頭部を手に受け止めみせる刹那は、真っ直ぐに瑠輝と目を合わせ言った。


「あたしは芍薬様と梔子様の本来の付き人だよ。その時と顔は違うし、今は休暇中ってことになってるけどね。一白はただの死体人形、腹にヘドロを仕込んだ木偶だよ。相応しい者しか知らない。敬親のやつも知らない」


 敬親の名前を口に出した途端、どろどろと刹那の目が暗く淀む。どうしようもなく憎悪し、許すことなどできぬという殺意を感じた。


「木ノ宮の女だけの桜の下の秘密さ。こんなことでもなければ、現当主以外は私の姿を見ることすらできないんだよ」

 確かに、彼女の体内には最初からずっと呪泥の反応はない。なるほど、休暇と偽り姿を変え、人形を表に潜み続けていたのか。

 大体の関係性はもう想像ができた。しかしそうなると、裏御殿での一白と刹那の行動がひっかかる。


「一つ答えてくれるかしら、それ次第で信用するわ」

「いいよ、聞いて」

「なぜ、私たちを芍薬様の場所に行かせたの」

「あぁ、こんな状況でもすぐ気がつくんだね」


 当たり前だ。紋助の不在を一白が、刹那が警備を誘導した。結果がこの有り様だ。 

 梔子はどうなったかわからず、傷を負い、母を奪われた。どこを信用しろという。


「怖いな、でも嘘は言わないよ。紋助が城内から千載一遇だったんだ。最悪でも、梔子様と芍薬様は、絶対に死なないとわかっていたからね、成功したら局面が一気に改善する好機だった。失敗しても君が死ぬだけで済むから挑戦した。他の人達も同じ、問題がある箇所に、誘導した」

 怖いと言いながら冷や汗ひとつない。謝罪すらしない。なんとも可笑しい。本当に刹那は、芍薬と梔子以外どうなろうと構わないと思っている。

 だからこそ、わかりやすい。


「信用するわ、協力する」


 へっへっへと端で瞑目していた簾が片目をついと開けた。


「即断かい、嬢ちゃん度胸があるねぇ」

「迷っている度胸がないだけよ。代わりと言ってはだけれどお願いがあるわ」

「ん、なんだい」


 興味深そうに刹那が目を開く。


「星集の急ぎの治療、奪われた私の指輪の返還、これだけは譲らない」


 正直、断られても従うしか無い状況であるが、言うだけ得だ。


「了承だ、じゃあ皆で頑張ろうね。後は、彼なんだけど」

 考える間もなく快諾、刹那は治療札を即座に星集を投げ貼り付けると、もう一つの牢へと振り返り、孔雀丸を見た。

「彼さ、どう思う。死にかけを助けたのはいいけど、ちょっと目を話した時間が長くて、状態がわからないんだよね。なにかわかる?」


 白々しい。こちらの目の事を知っている癖に迂遠な言い回しをする。

 頭が回る者は、余計な回り道をする傾向がある。

 暗がりを視た。力なくうなだれる孔雀丸の体に侵食はない。


 ただ、胃の付近に普通はない形が見えた。

(あれは食事の時にも見た仕込み袋、なるほど今回もあれのお陰で助かっているのね)


 食事の時も使用していた。おそらく孔雀丸なりの対策なのだろう。なにかしらの術式が内側に備えられているのだろう。念の為、再度体を見直すが大丈夫そうだ。


「問題ないわ、人間よ」

「お、嬉しいねわずかな戦力が増えたよ」


 刹那が微細ながらうれしそうな顔をした。


「外から誰か呼べないの?」

「できたらとっくにやってるよ、紛れている奴が多すぎて迂闊に動けない。ごく少数の者にはちょっとだけ伝わっているよ、おそらくね。本当に大変だったんだよ、一番期待してた奴はどこかにいったしさぁ」


 言葉とは裏腹に、悔しそうな歯の根が軋む音がした。

 どこかに行った? 一瞬だけ陽気な磨師が脳裏に踊りでてきたが「いやいや」と端に追い返した。

 わずかな思慮を挟み「ひとまず」と刹那は続けた。


「君たちを今すぐ開放はしない、警戒されるからね。明日の神事まで体力を戻してもらうよ。正直、隙をつく好機はもうそこしかない。それまでは休んでよ、敬親達はこっちで動けないようにしておく。武器も時が来たら受け取れるように段取りする。まあ、細かい部分は翁のネズミで連絡しよう」

「かー、忙(せわ)しねぇ」

「いいじゃないか、成功したら休養、失敗してもゆっくりできるよ、永遠にさ」

「もう天寿も駆け寄ってきてる歳だがね。交わした約束を守るに足りて良かったよ」


 二人とも他人事のように語る。優秀な磨師は少しおかしい者が多いともきく。

 もう後はなさそうだ。

 神事の日に隙をつく、分はあまりに悪く感じるが、捕縛されたままより見込みはあるだろう。

 傷が癒えはじめ意識がもどりつつある星集の姿に安心が湧いたが、同時に思う。

 これからくるだろう悪夢に、道連れにしてごめんなさいと。


「で、それはいいから孔雀の坊主はどうなんだ。大丈夫そうかい」

「心配性だね。そうだ、ちょっと孔雀丸君も起こして訊いてくるよ」


 落ち着かない様子の簾にやれやれと返答し、刹那が向かいの牢に入る。

 時間が無いとはいえ中々可哀想だ。あれだけ拷問されてどれだけ意気が残っているだろうか。

 命力の光、うめき声、大して時間も絶たずして、


「あ、孔雀丸君行くって、涙目で前歯折ってやるって呻いてる」


 と刹那が告げた。

 ああ、どうやら彼もちゃんと頭がおかしいらしい。


〓◇〓


 千冬は考えていた。

 まめつぶの報告では謳歌が斑花家に突撃し出てこないという。

 今回は蚊帳の外である。全体像は詳しくはないが、木ノ宮に関わる騒動で斑花がかなり大きく動いているのは確かだ。

 そこに、あの謳歌が乗り込んだのである。これはもうそういう事である。

 彼は、放っておいても事件の渦中にたどり着くそんな男だ。

 つまりは、なにかしらの問題が斑花家内部にて起こった。


 死んだ? あり得ない。

 では捕まった? これはある。彼の性格からしても非常にある。

 ただ、前回の報酬を鑑みても、確か最後の記憶では銭束三本を持っていたはず。となれば、障害は敵の強さではなく、術式的な縛り……罠にかかって強力な封印で閉じ込められた可能性が高い。


 まずいな、と思う。


 もう、あまり時間がない。

 先日訪れた刹那という女性との会話を思い出す。

 あの時彼女は言っていた、城からの依頼があると。

 極めて重要な仕事なので、貴方がもっとも信頼する磨師を教えてくれと言われた。

 深く話を聞こうとすると、申し訳ないが言えません、と返された。

 其の視線だけが、わざとらしく左右になんども動いていた。

 この場では言えないのだろうと察し、千冬は考え話題を広げた。


「なるほど。では帰るまでに私の推薦を考えお伝えしましょう。それにあたって、札の補充などの入り用はありますか」

「それは助かります。契約札も足りないみたいで、あといくつか欲しいかも……あ、でも急ぎなんで、いまあるおすすめで」

「そうですか、では持ってこさせます。まめつぶ、来てください」

「はーーーい」


 とてとてと小走りでまめつぶが側に来る。耳打ちすると札棚から数枚の札を持ってきた。


「あまりいまは数がなくて、仕掛けを発生させる『起』と、疲れを取る『元』あとは、無理矢理に札へ命中させる『的』が数枚かしら」

「あー、そうですか……なるほど、いやいや十分です貰っていきます。千冬先生の札は特別ですもん。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げた刹那は数枚の札を手にとると、あっと気がつき手を打った。


「そろそろ満月で祭りが来ます。もしそれまでに間に合いそうでしたら、城壁の修理に『城』とかできたりしませんか」


 刹那の言葉を頭の中で反芻し、答える。


「あら、そんな便利なものでもないのよ、城という一文字だけでは少し、難しいかもしれないわ、ごめんなさい」


 一言謝って、推薦する磨師の名前を書いた紙を渡した。

 彼女は紙の中を一瞥しわずかに眉根をあげたかと思うと、たははと笑った。


「こりゃまた大きく城壁修理いるかも……いろんな噂が多すぎて、まだちゃんと活躍見たことないんですよね」


 それはそうであろう、わざわざそういう風に噂を仕向けているのだから。

にこにこと黙る千冬に、刹那は諦めたように頭をさげた。


「では、大きい祭りで忙しくなりそうなので、もう行きます。当日はきっと馬鹿みたいな人ごみ、あ失礼っ。とても混雑すると思うので、交通整理の壁でも用意しておいたほうが良いですよ、では!」


 そう言って彼女は出ていった。

 正直伝わったか定かではない。ただ意味が繋がる言葉が返ってきた。

 それによれば、起(き)、元(げん)は祭りであり、的(てき)は城。

 となり、祭り当日は人、ではなく混雑を避ける壁がいるという。

 ただの念の為だった。千冬はすぐにまめつぶにお願いをした。


「間違いなく信用できそうな磨師を呼んで、あと札と墨をあるだけ買ってきてください。ぼてたとあかふくも呼んで札の用意を『護』と『壁』を多めに準備します」

 

 思案から、切り替え現実に戻る。

 ――もしそうなると、こちらも動かねばならない。

 判断し、まめつぶを呼ぶ。

 すぐに可愛らしい小走りで前に来ると、畳の上で正座した。

 もぞもぞと足を動かすまめつぶに、千冬が「お願いがある」と告げると、顔を輝かして「わかった」と返ってきた。


「でも危険なお願いになるの」


 真剣に言うと、豆粒は頑張って真剣な顔をした。


「でもわかった」


 もう、この子は。

 胸が痛む。本来なら大人が行くべきなのに、子供に頼むしかない情けなさよ。

 両腕があれば、この身がまだ戦える身であれば。

 悔やむ気持ちを、鉄皮の下へ押し殺した。

 守るべき時と、頼るべき時を見誤るな。確かにまめつぶは子供ではあるが、しかし自分の全てを教え育てている子供だ。できぬはずはない。


「謳歌さんをね、呼んできて欲しいのよ」

「おお、兄ちゃんね。あれから場所わかったのどこ?」


 信用するのだ。


「斑花本家のどこかに閉じ込められているわ、予想だけれども」

「正気ぃ?」


 苦虫でも噛んだような顔で、身を引くまめつぶ。


「ええ、ちゃんと私が事前に力を込めたものを渡すわ」

「本気ぃ?」

「ええ、お願い謳歌から預かった銃も持っていくのを許可します」


 自分が一番知っている。

 こと隠れて忍び込むことに関してなら、


「やりぃっ! しゃーないなぁ、まあ入るだけなら楽勝だしいっちょ任せといて」


 まめつぶより優れた者は、そういない。


〓◇〓


 依頼を受けたまめ粒は、すぐに朝飯前だとひとっ走り。

 斑花家はバタついており、混乱の最中に入り込むなどわけがなかった。


(まっ、こんなもんか。やっぱ千冬さんの財布盗むよりは簡単かな)


 自分だけの力ではないことはわかっている。

 胸に貼った千冬の『隠』の力は大きい。ほか数枚の札と、謳歌の銃ももってきた。

 気配を消し、身を隠し、搬入に紛れてまたたく間に屋敷へ潜り込み、息を潜め建物の床下に身を隠すまで至った。それからは、ずぅっと騒がしく人が動いており、迂闊に出ていけない状況であった。

 ただ、先程もそもそと床下を這っていた所、面白そうな話をしている所に出くわした。いまはさてさてと聞き耳を立てている真っ最中である。


「それで、賊はどうなった」


 上では偉そうな男が、女中らしき者をつめていた。

 まあ、鼻っ柱が伸びたお偉方にはよくある話だ。家では殿様ってやつなのだろう。


「本当に役立たず共めが、侵入者は始末したのだろうな」

【それが、見張りと追っていた三名全てやられてしまったようで】

「なぁんだとッ」


 がしゃん、と物音が響く。びちゃびちゃとすごい水音がする。

 流石に血の音ではない。なにかこぼしたのだろうか。

 悲鳴もあげない女中も、ずいぶん躾が行き届いていると感心した。


【しかし、地下に封じられております。強力な結界でございますので、このまま出ることもできぬ死ぬはずです】

「ちっ、それは一部が使えぬということであろう。まあ良い、分家を合わせれば足りるだろう。使徒どもを倒すような邪魔者が片付いたと思えば憂さも晴れる。して、どんなやつだったのだ」

【朱色の着流しの、磨師だとか】

「またあいつかッ。出すな絶対にだ!」


 殴りつける音、倒れる音。


(いや、なーにしたんだよ兄ちゃん)


 とりあえず地下に謳歌がいることはわかった。

 仕方ないので、しばらく時間を潰して隙を伺うことにした。

 


 体内時計で察する夕方頃、近くで花火の音が聞こえ始めた。

 急だった。斑花家から人の気配が殆ど消えた。すごい準備をしていたようだったので、きっとみんな城に行ったのだろう。

 よしと床下から抜け出し、隠れながら屋敷を歩き回る。

 隠し扉とかなら面倒だなぁ、と思っていたが、ある場所に近づいた時におかしなことに気がついた。

 どぉん どぉん 

 花火のようだが、違う。

 揺れている? 地面が震えていた。

 敷地内にある倉庫付近だった。鉄門の横には緊急で補修したような跡がある。

 確かに隠すにはちょうど良さそうだと思い、草むらの影に隠れて裏壁に近づいた。

 千冬から預かった貴重な『穴』という札を使い、侵入する。

 日頃の練習の賜物だ。

 中は暗かったが、ずっと片目をつぶり慣れさせていたので問題なく進めた。

 冷たい土の地面に耳をつけ音を追っている内に、ぼろぼろになった棚の近くにたどり着いた。一度壊されたのだろう棚の下部には部品が足りず、裏の隠し通路がもう見えていた。


(ぜぇったい、無理やり通ったじゃんこれ)


 大人では絶対に無理な隙間に、体をねじ込み中に入る。

 不気味な階段が下に続いていた。

 降りていくごとに、何かを叩く音が大きくなる。

 巨人が、金を叩いているような、通路を進む間ずっと響き続けていた。

 歯を噛み締めて進むと、最奥の扉へと到着した。

 音は、扉の向こう側から鳴っているようだった。

 そっと扉に触れた。


「わっ」


 ぱちりと光が走った。大きな声を出してしまい、しまったと思ったが遅かった。


【おや、いつの間に? つまらぬ見張りと思いきや小鼠が、でも】


 暗がりの奥、天井から声。慌てて振り返ると、少し先にのたうつ蛭の顔面をもった女中がいた。

 まずい、絶対に会っちゃいけない化け物だ。


【美味しそうな役得だ】

「ひぃ」


 札を、いやどれをっ。

 汁をまき散らせ迫る蛭女、間に合わないと反射で右手に握っていた銃を向けた。


【子供の玩具で――】


 咄嗟に引き金を引いた。

 紅蓮が瞬く。

 発射と同時に腕が跳ね上がる。暗闇が焼き切れるように、射線が走る。


【ぎゃッ!?】

「わわ」


 馬鹿にするように受け止めた蛭女の腕が、髪の毛が燃え尽きるように一瞬で蒸発し、その肩口から先が炭化した。


【ただのガキじゃ、ま、まて】

「わああああああああ」


 化け物に待てと言われて待つガキはいない。

 引き金を連続で絞る。止めろと手を振る化け物に、まめつぶは容赦なく全弾を撃ち込んだ。気がつけば、化け物は燃え尽きた紙のように、吹けば飛ぶ炭と化していた。


「はぁ、はぁ……兄ちゃんさ。助かったけど、子供に渡すもんじゃないよこれ」


 荒い息を整え振り返る。

 ごぉん ごぉん

 まるで鼓動にも聞こえるその音は、なぜだろう、あまり怖くない。


〓◆〓


 日が落ちゆく。

 天守の頂きにて、異音でかなでる神楽が響く。

 渦巻く湯気に黒桜が舞い、しゃんしゃんと鈴音が謳う。

 湯路の集まる桜の下、祀られるように芍薬が横たわっている。その頭部はいまも無惨にも晒されていた。

 布で顔を隠した一から十の付き添いに導かれ、巫女服を着た梔子が敬親に手を引かれ進んでいく。


(下郎どもが)


 梔子のすぐ近く、一白の体を“被り”神事に紛れ込んだ刹那は、漏れ出しそうな暗い感情をただただ押し込み耐えていた。

 動く時期が大事だ。

 向かう先、芍薬の近くには斑花家の神楽女中と、礼服を着た紋助と童女が一人待っている。白いでかいやつの姿はいまは見えない。出口である階下には、侵食された磨師達が待機しているはずだ。

 どこを見ても、敵だらけだ。


「良い日だね、梔子。もうすぐ全部うまくいくよ」

「……っ」


 泣き尽くしただろう顔を化粧で隠し口を結んだ梔子。真っ青になるまで握りしめたその腕を引き、敬親が上機嫌で「ほら踊るんだよ」と投げるように突き出した。


「ぃいっぱい練習しただろ。頑張れ頑張れ。お母様を助けるためなんだ、うまくできたら、そこのお姉さんだって解放するさ、もう梔子専用の付き人にしちゃおうね」


 うなだれていた梔子が、はっと頭を上げた。

 雨よけの天井、木組みの梁には鎖で巻かれた瑠輝と孔雀丸がぶら下げられていた。服も、顔も、血や泥だけの二人はぐったりとして動かない。

 瑠輝を見て、芍薬を見た。

 ああ、彼女は優しすぎる。

 おずおずと、しかし自主的に、梔子が動き出す。


「さあ、さあ、さあああ!」


 刹那の少し前方で、両手を掲げた敬親に従うように、太鼓の音が空間を埋める。

 腹を揺すられるような重低音に、梔子が脅されるように踊り始めた。

 混乱の極地、しかし彼女の努力が否応なしにそれを支える。

 順を、形を、式と成す。

 濡れた悲鳴のような蛭女達の唄が、世界を恐怖させる。

 唄や楽器こそは、添え物。

 最も重要なのは、現当主の存在と、次期当主の存在。

 そして、いつ、誰が踊るかだ。

 桜が、湯路の水をずずずと吸い上げ、幹が臨界を超えそうに軋む。

 周囲には神酒と見せかけた、呪泥の樽と、祀られた木ノ宮の宝具の数々に、花びらがまとわりつく。


【ぉお、五行の一角の入れ替わり関わるなど】

【綺麗やねぇ】


 紋助が目を開き慄くように言い、童女が両手を広げて感嘆する。

 ぬめった風が、渦巻き吹いた。


「は、はっ」


 踊る。梔子が泣きながら踊る。

 黒桜の幹の半ばが破裂するように弾け、大量の虫のような呪泥が散った。

 空が染まる。赤く、黒く、満月が染まる、闇に、咎に。


「ぎぎぎい、はっはぁああっつ」


 中央に寝かされた芍薬が体をのたうつように暴れ、女中が笑顔で押さえつけ、刹那は暴れだしそうになる己の体を、意思だけで殺す。

 たたらを踏む梔子に、敬親が歯をむき出して叫んだ。


「止めるなぁ、救われるもうすぐ母様が救われるぞ梔子、後少し、もう少し、お前のお陰でぇ!」


 過呼吸の様相で混乱のまま梔子が動く、もう自分ではなにひとつ判断ができないのだろう。

 ――お可哀想に。

 ――なんてお労しい。

 生まれた直後に抱き上げた。

 爛漫に泣き笑う芍薬と、守り泣かすまいと誓った。

 幸せを保てていると思っていたのに。

 捻くれた敬親ですら、芍薬が癒やしたと信じていたのに。

 なぜだ。

 ――後少し、衝動で時期を間違うな。

 儀式が佳境に沈む。

 一際強い輝きが広がった。桜が一瞬だけ鮮やかな桃色に染まり、芍薬の体から湧き上がった命力が梔子に降り注がれた。


 一拍。

 

 全ての音が消え、次の瞬間その体から桜色の命力が溢れ、梔子は意識を失った。


「成ったぁあああああああ、お前が城主だ梔子」


 敬親が狂気で叫んだ瞬間。

 背中に右手を伸ばし、一白の体に通る背骨を蛇羅羅《じゃらら》と引き抜き走る。


(桜命にて磨き、我が敵を斬る)


 吹き上がる暗桃の命力がまとわりついた背骨が、ノコギリのような刃を持った太刀と化す。周囲の誰もが反応が遅れ、間に合っていない。

 左手で祝札を扇子のように広げる『起』『起』『起』、命力起動、階段に仕掛けた術式火薬を発動。

 爆炎。 

 入口を潰し四方に隠した結界を形成この場を切り離す。


【何事だッ】


 紋助達の視線が階段に集まる。

 梔子を抱えようと近づく敬親が目前に迫った。

 ――死ねぇええええええええええ! 外道ぉおおおおおお!

 えぐり取るように、袈裟懸けに首から胸へと削り取る。


「ぃぎゃああああああああああああああああ」


 血飛沫を上げ倒れゆく敬親を尻目に、梔子を刹那は大事に抱える。


【ぃぃぃぃいいぃぃいぃぃぃぃいぃァ亜 あ 亜 嗚 呼】


 女中が一斉に発狂し、蛭女となり正体を表し殺到してくる。

 位置を確認し、刹那は合図を叫ぶ。


「いまだ!」


 屋根の裏を食い破り、鼠が雪崩のように梁上へと現れる。

 鉄ですら食いちぎる窮鼠の群れ。

 吊るされていた瑠輝と孔雀丸が、同時に縄を断ち切り自由となった。


「ほぅれ、暴れぇい」


 ぢゅうと鳴き、姿を表した簾が隠していた装備を投げる。

 手にする朱槍、銀鷹が肩に舞い降りる。


「絶対に、許しはしない」

【慈悲も無し】


 背負う十刀、派手な羽織を翻す。


「やられた分、覚えてるからなっ」


 孔雀丸が両腕を広げた。


「『杓』!」


 轟。

 各種に置かれていた神酒の樽、その一部が炸裂し内部に仕込んだ白い粉末が、中央へ向かって豪快に撒き散らされる。

 それは塩、それも力のこもった祓塩、砂塵に巻き込まれるが如く、蛭女が塩砂嵐に巻き込まれる。

 絶叫は、一瞬でかき消され、吹き荒れた白が晴れたころには、うぞうぞと蹲って蠢くだけの小さな固まりが残るばかりとなる。

 死んではいないが、すぐには動けまい。

 孔雀丸が胸をはった。


「はは、蛭のあやかしふぁら、さぞかしキクだろうさ」

「喋りづらそうね」


 肩をすくめて言う瑠輝に、孔雀丸がぎょっとしている。


「やめてくれ、思い出させないでくれ!」


 次々と現れめちゃくちゃしはじめた者達に、紋助が形相を歪める。


【貴様ら、くだらぬ真似を……】


 怒りに呼応するように、触手のような触覚、めきめきと口が割ける。二本の刀のような顎が伸び、瞳が虫のように分かれた。背中が裂け現れたのは、血管が波打つ薄羽、臀部の上からは絡み合う腕が尻尾のように生えだし、その先端には返しが剣山のように生えた、凶針が現れる。

 色鮮やかな斑な蜂は、其の姿を異形へと変え狂ったように床を叩き破壊する。


「一白ぅ、誰を斬ったかわかっているのか」


 まさかと思い振り返る。

 倒れたと思った怨敵が、湯から這い出た白い何かに体を支えられ起き上がってきた。ぬめった表皮の白いそれは、敬親の傷を埋めるようにその体にまとわりついた。


「ばけものめ」

「まだ、人間なのになぁ」

【ぉ、ぎぁ、んま】

「おお、いい子だ、いい子。ん、んーおかげで痛みも感じない」


 赤子の手の形をした、数え切れない毛ほどの足、瘤の繋がったような奇っ怪な体躯、湯面からでてきたその長躯にはいくつもの乳房がはえ、目玉には胎児が二人泳いでいる。

 鼠から人へと変わり、仕込み刀を抜いた簾が心底嫌そうに呻く。


「ありゃ孑孑(ボウフラ)かぁ、子供は好きだが、おんぶできる気がせんなぁ」


 刹那を守るようにジリジリと刀の角度を変化させる。

 じゅるじゅる

 と水音が響く。


【ほんに、邪魔ばっかりする人たちやねぇ。そんなに遊びたいなら別の日にくればええのに、でも砂遊びは堪忍してな】


 紋助の横に現れた童女が怪しげに笑う。

 三日月を描いたその口元からは、だらだらと蛭が垂れ落ち増殖を繰り返していた。

 現当主である梔子はこの手にした。後は芍薬だが余裕はない。

 梔子を抱える自分と簾、敬親と孑孑の咎。

 瑠輝、孔雀丸に斑蜂紋助と蛭童女。

 戦力的には自分と簾が先に相手を打倒し他を援護するしかない。やれるかではない、やるしかない。

 大丈夫、勝機はある。梔子が起きるまで耐えて守護を発揮してもらう。

 梔子を背負い、骨を変化させて固定する。

 これで、動ける。

 静寂。

 花火が上がった。


「敬親様」

「なにかな」


 背骨太刀を右手に、左の屍爪を伸ばし構える。


「木ノ宮の背信者として、つつがなく処理させていただきます」


 もう何十年と顔を合わせている、せめてもの挨拶のつもりだった。

 敬親は少し驚いた顔をして、嗤った。


「ぃーやだよ」


 疾ッ――背後で風が斬れた。


「あがッっ、にげ、にげぇ」

「坊主、なにをっ」


 簾の驚愕の声。

 振り返る、空間を裂く十刀が見えた。

 目標は、敬親ではない、こちらだ。

 咄嗟だった。抱えた梔子に当たらぬように体が動いた。避けきれなかった。腕、足、脇腹と次々と一白の体を貫通し刀が刺さる。

 崩れる姿勢、片膝をつき見上げた視界に移る孔雀丸。

 顔の半分が涙し、半分は黒ずみ、口からおどろおどろしい呪泥が吐き出していた。


「ごべ、ごめん、なんか、体ががが、かってにににいい」


 目から蛭がこぼれ落ちる。十指がうごめき残った飛刀が簾を襲う。

 簾が刀で弾き逃げ、瑠輝は「そんなはずは」と驚愕し飛び退る。


「君たちは、懲りないねぇ」

 白いぬめぬめした触手が這い寄ってきて、刹那を締め付ける。

 動けぬ刹那に敬親が指をふって、優しくたしなめるような声音で言った。


「彼さ、体に術式仕込んだ革袋を隠していたんだ。考えたよね。何度か侵食を防がれてたみたいで。でもさ一回見せたらもうやめなきゃ、利用されちゃうから、こうやって」


 わかってて、用心のために仕込んでいたのか。

 どこまで、こいつは。


「たかちかああああ!」


 己の肉が裂くばかりで、体を縫い付ける刀は外れない。


「はい、僕の勝ちぃ」


 孑孑の滑った触手が、気絶した梔子を奪う。見せつけるように頬ずりし、敬親は紋助の元へと歩き出した。

 仲間二人は、童女と孔雀丸に応戦していた。

 誰も敬親を止められない。


「ほらほら紋助、続きやろうか」


 続きとはなんだ、なにをするつもりだ。


【……貴様と共にいると、私のほうが人であるような気になれるよ】

「お、そうかい、そりゃ貴重な体験ができていいじゃないか」


 散歩するように、黒桜に向かう邪悪が二人。


【させんッ】


 星集が突っ込んでいくが、蛭壁が行く手を防ぐ。


【だから邪魔はあかんてぇ】


 止めようとする瑠輝と星集、簾を、周囲の湯を吸い上げ身にまとった童女が阻む。

 そんな。

 こんなはずでは、命をかけても戦って勝つはずだったのに、戦いにすら――


「見てくれ、新しい幕開けに観客も待ちわびている」 


 笑覧あれと敬親が空に手を伸ばす。

 見上げた空がひしめいている。違う、あれは、数え切れない妖鬼だ。


「磨師を殺して吊るしたり、いろんな所に呪いを埋めた甲斐がある。集まったなぁ」


 誘い出されるように、木ノ宮の街へ、城へと吸い込まれるように集まる。

 結界に押し合い張り付き、混ぜたうわぐすりのように蠢き回る。


「今までありがとうね、梔子」


 意識のない梔子を、敬親が滂沱の涙を流しながら黒桜の幹に押し付けた。


「父様、家族思いの娘が誇らしいよぉ」


 ずん、と。

 紋助が梔子の腹を其の左の手刀で貫いた。幼い彼女の体が大きく跳ねる。無惨に引き出された臓物が、無理矢理に幹に擦られる。


「姫さまああああああああああああああああ」


 己の口からでたとは思えぬ絶叫。

 殺す、許さぬ、捻り潰して、踏み潰して、すり潰して、あらゆる方法で殺す。


「おお、初めて見たぞ、どす黒く真っ赤に染まる桜だ」

【ふん、忌々しい守護者め、ほら殺したくないだろう、せっかくの主を。取り籠め】


 吸い込んだ梔子の血を、桜が否定するように脈動した。幹の半ばが変形する。髪の長い真っ黒な女性のような形を成したかと思えば、梔子の体を両腕で抱きしめ幹に取り込んでいく。

 真っ黒な木の女が、ウロのような眼窩と口腔をいっぱいに開いた。


【ぃ――ぃ――ぃ――】


 怨嗟の発狂。一斉に花びらが、散り、塵、となって消えていく。

 異形となった紋助が、愚かなものを見るように睥睨した。


【そんな子供を生かすため、殆の力を注ぐなど。善とはなんと哀れ成り】


 敬親が両手を空に掲げる。


「さあ、誰もが迎えられる木ノ宮の再誕だ。今日はお祭り楽しみたまえ」


 破砕の音。

 四方から強烈に割れるような音が響き、空が、いや結界が弾けわれた。なだれ込んでくる。これまで阻まれせき止められていた妖魔が、狂ったように笑いながら侵入してくる。

 浮足立ったような足取りで、敬親が白鞘を片手に歩いてくる。


「残念だな一白ぅ。お前はとても働くから、うまく侵食してこれからも側にいると思ってたのに、なあっ」


 収めた短刀を逆手に、敬親が柄で目や鼻などを殴りつけてきた。

 殴られて、ちかちかと視界が瞬いた。


「お前もずぅぅっとアイツを見ていたんだな。どいつもこいつも、芍薬しゃくやくしゃくやくしゃくやくっ」


 がんがんと終わらない暴力。一白の顔が剥がれ、肉が飛び散り、刹那の顔が顕になっていく。


「理不尽だ。生まれた瞬間から養子になる準備がはじまるんだっ」


 血みどろに染まる視界。


「何をやってもこっちより優秀で、きっと木ノ宮の力なんだろあれもさああ」


 耳が遠くなっていく。


「本当は僕の方が優秀だってのに、努力の意味が意味が意味が意味がああああああ」


 片目が、柄で潰れた音がした。


「まあ意味は――あったんだよねぇ、結果、僕が勝ったのだから」


 嗤う。

 真っ黒でなにも見えないけれど、きっと満面の笑みなのだろう。

 助けたかったのに。

 芍薬と梔子を、この手で助けようと頑張っただけなのに。

 ああ、申し訳ございませぬ芍薬様。

 我が身至らぬが故に、この世に地獄が生まれました。


〓◆〓


 燃え上がった街の明かりが、山の上の札祝屋からよく見えた。

 山の下、階段から絶叫が聞こえる。

 祭りの花火のかわりに、門をくぐる寸前で人が弾けて死んだ。


「速く、中に入るのです。まともな磨師は己よりも先に市民を優先しないさい」


 建物正面の庭、玉砂利が敷き詰められたそこで篝火が揺れる。

 即席で作られた木製の基礎の上に敷かれた畳、千冬は中央に座し、声を枯らさんばかりに指示を出す。

 混乱が、坩堝と化している。

 頭を抱え無き続ける民。母に抱きしめられ泣く子供。

 震える手で武器を手に構える男たち。

 磨師達は覚悟を決めたように、敷地の縁から立ち上がる結界を見る。

 鬼、崩れかけた生首、鎌を手にした異形、一つ目の巨人、膨れ上がった水死体。あらゆる妖鬼が恨んでいる。それぞれに結界を叩き、さあ中にいれろと喚いている。

 四方八方が呪われている。さっきまでわずかに隙間が空いていた正面の門も、絞られるように妖に染まった。


「やればできる……やればできる」「なんでこんな」「女子供は奥にいけええ」「母ちゃん、あいてぇよ」「神様、木ノ宮に守護を」


 絶望し、誰かにすがり、仁義を叫び、誰かを思い、神に祈る。

 混沌の鍋と化した光景を改め、千冬は自らのできることをすると決めた。


「ぼて太、あか福、いつものように手伝ってね」

「うん」

「あぃ」


 怯える暇もないように、我が子とも思える二人は地獄の中でも舞ってましたと手をあげる。さすが我が子達。


「全ての札、筆、墨を使い切るつもりで惜しまずに、私たちのすることは単純です。結界の維持を続ける為に札を書き続けるだけで良い」


 用意されし己の退魔の武器。

 耐えてどうするのだという不安の眼に、叱咤するように告げてやる。


「磨師の皆々様、背をしゃんと張りなされ。良いですか、結界が破られそうな所を最優先であたり、侵入を許してはなりません」


 懐疑的な視線は消えない。しかし迷わず、躊躇わず告げてやる。


「耐えるだけでよい、必ずだ間違いなく解決しましょう。私が虚偽を言ったことがありましょうか。四界源流が一端を担う、この千冬が命を賭けて保証します」


 ここまで言っても動かぬ者が数名――戯け者たちめ。

 片足をガンと踏み叫ぶ。


「いい大人達がッ――グダグダ言わずさっさと働けぇい!」

「はぃぃぃい」


 少し声を荒らげてしまったが、功を奏したのか落雷に撃たれたように、磨師達が動き出す。

 ぼてたが手にとってくれた筆を口に加え、せっせとあかふくが刷ってくれた墨をつける。

 この身を削ってでも、守り切る。

 これが己の戦いだ。

 白紙の札に、千冬はただただ『護』と書き殴る。


〓◆〓


 地下の、鳴動が激しくなる。

 恐る恐るとまめつぶが扉に歩み寄っていく。

 慎重に『解』と『封』の札を順番に貼り付ける。

 次の瞬間に扉から黒いもやが霧散し、見てわかるほどに圧力が消えた。


(あ、まずいかも)


 なんとなく予期していたので、まめつぶは横に張り付くように避けた。

 ごッ、があああああぁぁん!

 とんでもない音とともに、扉がすごい勢いで回転しながら吹き飛んだ。あまりの勢いに宙空でもう粉砕していった粉々に。


「よぉぉやくだ。畜生が、手伝いもしやがらねぇ奴のせいでよ」


 噴煙あがるなかから、顔見知りがでてきた。

 高い背、整った顔、いつもの朱色の着流し、でもいつもと違う、其の顔に笑みがなく、全身返り血で汚れている。

 なんと、彼らしいのだろうか。

 大笠を握る指が、あらぬほうこうに折れている。両腕からも、いまも延々と血が滴っている。

 殴り続けていたのだ。

 なにがあろうと、裂けようとも、たとえどれだけ時がかかろうとも。

 ふらふら、と出てきた謳歌が、ふっと見上げるまめつぶを見た。


「あれ、どうしたこんなとこに」


 少し考えるように首を捻った謳歌に、はいと銃を差し出す。反動で真っ赤になった腕に今更ながら自分で気がついた。謳歌も気づいたのか一瞬真面目な顔になって、そしてにかりと笑った。


「なぁんだ、こりゃ助けられちまったのか」


 ひひひと笑った謳歌は、己の顔をバチンと叩いた。


「ありがとよぉ! さすがに助かったぜ、この扉あけるのに残りつかっちまったら、ぶッッ飛ばせないところだったからな」


 がしがしと頭を撫でてくる謳歌に、なんとなしに問いかけてみる。


「そっか良かったよ、で、兄ちゃんは誰をぶっ飛ばすの?」


 八重歯を牙のように剥き出して、謳歌は獰猛に笑みを深めた。


「へっ、そりゃ全部さ。俺が気に食わないぜーんぶだ」


 言って、謳歌は腰に吊るした二本の円筒状のものを手に取った。ふわりと投げると、大笠を殴りつけるように振る。銭の字が歪んだようにみえた、口を開くようにして筒を飲み込んだようだった。

 瞬間、ぶわりと朱色の旋風が全部を染め上げた。

 折れた指がバキバキと音を立てて戻る。一瞬体躯が膨らみ、圧縮するように縮む。 

 まるで一回り巨大な体を無理矢理に押し込んだように、全身が圧を増す。


【全く、至極無駄な時間だったな。食い物だけは困らなかったがなぁ】


 ぐちゃぐちゃと蛭っぽいなにかを噛みながら、黒い影が進み出る。


「邪羅ぁ、城でいいよな」

【愚問だ、一番上よ。臭う、臭うなぁ、旨そうがすぎる。はよう行くぞ】


 ぎらぎらと輝く金の双眸、嬉しそうに動く尻尾。

 男達は、これまでまめ粒がみたどんな表情より凶悪で、獰猛で、猛々しかった。目の錯覚だろうか、まるで謳歌の髪が燃えているようにすら見える。

 謳歌が、まめつぶを見た。その目は、侵食されるようにじわじわと黒なっていく。


「おいまめつぶ、迎えがくるまでここを動くなよ、約束だぞ。手も痛いかもしれないが、我慢しろ男だからな」

「当たり前だろ、はやく行きなよっ」

「はは、いい子だ」


 懐から『縛』と書かれた二枚の札を出し、乾きかけた己の血を拭って指で『界』と書き足し通路の前後に飛ばし貼り付けた。

 ぴぃんと世界が切り離されたように、静まった。


「行くぞ邪羅ぁ」

【手前が遅えだけだろうが、さっさと乗れぇ】


 邪悪に嗤う黒狼、其の背に飛び乗る朱色の男。

 まめつぶは、なんとなく思った。

 きっと自分の知らない所で、いつだってこうやってきたのだ。

 悪い奴らを、片っ端からぶっ飛ばしていたんだ。


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