第七魔 雪女とファミレス 後編
ジョルフルダイナー練馬店。依頼があったのはこの店だ。
何でもこの店ではカップルが険悪になることが多々あり、ここに来れば別れられる、とまでうわさが立っているそうだ。
このファミレスへ入った瞬間、修司は嫌な予感を覚えた。いや、正確には店へ入る前から覚えていた。
冬華と二人で現場へ向かうと決まった時点で、何かしら面倒なことは起こると思っていたのだ。
だが、まさか店内にいる男性客のほとんどが冬華を見るなり動きを止めるとは思わなかった。
入口近くのテーブル席では、若いカップルが険悪な雰囲気で向かい合っている。
「だから最近冷たいって言ってるでしょ」
「仕事が忙しいんだって」
「その言い訳何回目?」
どう見ても別れ話だった。
修司は心の中でそっと手を合わせる。(頑張れ彼氏)
しかし彼氏は頑張れなかった、ふと顔を上げた男が冬華を見た瞬間、完全に停止したのである。
視線が吸い寄せられたまま戻ってこない。
「……綺麗だな」
彼女の眉がぴくりと動いた。「は?」
「いや、あの人すごく綺麗じゃない?」
「今その話する?」
修司は額を押さえた、終わった。まだ怪異も出ていないのに終わった。
隣では冬華が困ったように小首を傾げている。
「もしかして、私のことでしょうか」
「もしかしなくてもあなたです」
即答だった。
すると今度は別の席からも声が聞こえてくる。
「あの人モデルかな」
「え?」
「ほら入口の人」
「……へぇ」女性側の声色が一段低くなった。
修司はもう見なかったことにした。入口店長が青い顔で近寄ってくる。
「もしかして、百鬼スタッフサービスの方でしょうか?」
「はい、営業部の真壁といいます、こちらは氷室です。本日の要件は概要では聞いているのですが」
「来ていただいて本当に助かります……」
「かなり酷いんですか?」
「酷いです」
即答だった、しかも涙目である。
「最初は怪異だけが原因だと思ったんです」
「違うんですか?」
「途中からもう一つ原因が増えました」
店長がちらりと冬華を見る。
冬華もつられて自分を指差した。
「私ですか?」
「たぶんあなたです」
冬華が固まった。
修司は嫌な予感しかしない、店長は申し訳なさそうに説明を始める。
「実は氷室さん、最近何度か来店されてますよね」
「あ……はい帰宅ルートでちょうどよくて」冷蔵倉庫の派遣先が近くにあり、仕事帰りに夕食を食べて帰ることが何度かあった。
本人に悪気は全くない。
「その頃からなんです」
「何がです?」
「別れ話が増えたの」
修司は天を仰ぐ、思ったより酷かった。
「最初は月に二、三件だったんです」
「すでに多いな」
「それが六件になって」
「なぜか増えてる」
「十二件になって」
「倍々ゲームかよ」
「先月は十八件です」
「もう営業妨害だろ」
冬華が目に見えてしょんぼりした。
「すみません……」
「いや冬華さんは悪くないです」
「でも私が来てから増えたんですよね」
「悪いのは男です」
「即答ですね」
「即答です」
そんな話をしていると、また別の席から悲鳴が上がった。「ねぇ!!」
若い女性が立ち上がっている。「私と話してる時に他の女の人見ないでよ!!」
「いや違うんだって!」
「何が違うのよ!」
「だって綺麗だったんだもん!」
「最低!!違わないじゃない!!」
修司は頭を抱えた。「馬鹿なのかあいつ」
「馬鹿ですね」冬華も同意した。
だがその直後。
店内にいた別の男性客まで冬華を見て固まり始めた。
「……」
「……」
「……」
修司の胃がキリキリと信号を鳴らし始め、店長はすでに半泣きだった。
「氷室さんは悪くないんです!実際カップルが分かれるようになったのはまだ氷室さんが頻繁に来店される前でしたので!!」
「え、冬華さんだけが原因じゃなかったんですか?」
「違います、こちらを見てください。この店の最近の口コミになります」
『恋人と別れたいならおすすめです』『彼氏と修羅場になりました』『別れ話が捗ります』『ずぶ濡れの河童がサラダバーのキュウリを全部食べていた』『泥酔したずぶ濡れのお姉さんがいつもいる、あれはお化けですか?』『カップルクラッシャー』
修司は大きくため息を吐いた。どうやら怪異が恋愛感情を増幅している。そこへ元々魅力の高い冬華が現れる。
結果として、男達は理性を失い、彼女や妻の前で余計な発言をする。そして修羅場になる。
最悪の相乗効果だった。あと見慣れたクレームがあったが気のせいだろう。
「つまり原因としては、怪異が九割、冬華さんが一割」
店長が微妙な顔をする。
「いや……三割くらいあるかと」
「増えた!?」
冬華がさらに小さくなる。「ごめんなさい……」
「だから冬華さんは悪くないんですよ」
「でも」
「悪いのは男です、美人に目を奪われてパートナーをおろそかにするのが原因なんです」
「二回目ですね」
「大事なことなので二回言いました」
その時、店内の空気が急に冷たくなる。今までの寒さとは違う、これは、冬華の能力ではない。
もっと重くて、胸が締め付けられるような冷気だった。ガラスが白く曇り始める、照明がちらつく。
さっきまで騒がしかった店内が、少しずつ静まり返っていく。修司は表情を引き締めた。
「来たな」
窓際の一番奥の席。誰も座っていないはずの場所に、いつのまにか一人の女性がいた。
白いワンピースに長い黒髪。そして――。
入口を見つめたまま、静かに涙を流していた。どこか儚げな横顔。
彼女は店の入口を見つめたまま微動だにしない。
まるで今この瞬間も、誰かが扉を開けて現れるのを待っているかのようだった。
冬華はその姿を見つめながら静かに目を細める。
「……ずっと待ってますね、彼女」冬華はその女性の心情を読み取った、それは彼女が妖怪だからなせる業なのか、はたまた彼女自身に備わっている能力なのか。
「ずっと待ってるって、誰をです?」
「恋人です」
その声には同情が混じっていた。
修司は小さく息を吐いた、どうやら怪異の原因はこれらしい。
修司は怪異の姿と冬華の横顔を交互に見比べる。
こういう時の冬華は不思議だった。
まるで相手の気持ちが分かるかのような顔をする。
恋愛絡みの怪異、この店で頻発する別れ話、そして待ち続ける女性。全部が一本の線で繋がり始めていた。
その時修司のスマホが震える。画面を見ると九郎からの着信だった。
「もしもし」
『おう修司か』
電話越しに聞こえる河童の声。
シャリシャリと何かを食べる音まで聞こえてくる。
「電話中に何食ってるの」
『キュウリ』
「聞いた俺が悪かった」
『調べもの終わったぞ、その店な、昔は喫茶店だった。カップルのデートスポットで有名だったらしい』
嫌な予感が強くなる。
『あと新聞記事も見つけた』
「出たな嫌な予感の本体」
『十年前の交通事故で、死者が出てるな、男の名前は吉川アイル22歳その時の新聞に喫茶店のオーナーの証言なども出ている』
『そして、同時刻、別の場所でも事故があっているのを見つけた。こちらも死者が出ている。女性だな、名は……』きゅうりの租借音がうるさい。
「交通事故で死亡?吉川アイル……」
その名を発した途端、店内の空気が一気に冷えた、まるで誰かが冷凍庫の扉を開いたような寒気だった。冬華も察したらしい。
「うん、うん、わかったじゃあまた後で」
修司は通話を切ると、しばらくスマホを見つめた。こういう役回りは嫌いだった。
真実を伝える役なんて誰だってやりたくない。けれど誰かが言わなければならない。
ずっと待ち続けている彼女を前へ進ませるために。修司はゆっくりと怪異の向かいへ腰を下ろした。
「白峰サラさん、ですね」初めて彼女がこちらを見る。その瞳には驚くほど強い意志が宿っていた。
「今日は来てくれると思うんです」小さく微笑む。まるで待ち合わせの時間が少し遅れているだけだと言うように。
「来てくれる、というのは恋人が?」
サラは嬉しそうに頷いた「約束したんです、今日、ここで大事な話があるって」
「ここで?」
「はい」その笑顔が痛々しかった。十年という時間が経っていることを彼女だけが知らない。
修司はスマホを差し出した。
「これを見てください」
サラは不思議そうな顔で画面を見る、そして固まった。指先が震える。呼吸が止まる。
そこに映っていたのは古い新聞記事だった。事故の記録と当時の写真。死亡した男性の名前と女性の名前。
そして待ち合わせの日付、全部が揃っていた。
「うそ……」
かすれた声が漏れ、震える指が画面へ伸びた。写真をなぞる。
何度も。
何度も。
認めたくない現実を消そうとするように。
「そんな……」
首を横に振る、だが記事は消えない。
名前も。
写真も。
事実も。
何一つ変わらない。「うそです……」
涙が零れた。
ぽたりとテーブルへ落ちる。
彼女も自分が死んだ事に気づかずに、足しげく毎日通っていたのだろう。
「だって……」もう声にならない。「ずっと待ってたのに……」
十年。彼女にとっては昨日の続きだったのかもしれない。
明日には来る、来週には来る、来月には来る。
そう思い続けていたのかもしれない。
けれど現実には十年が過ぎていた。
誰も来ないまま。自分も死んでいるということに気が付かないまま。
「ずっと……」
涙が止まらない。
「ずっと待ってたのに……」
店内のガラスに霜が広がり、照明が揺れる。客達が不安そうに辺りを見回した。
それでも誰も騒がなかった。まるで自分たちがこの物語のエキストラだと思い込むように、これも怪異のなせる業なのか。
だが、そこにいるのは恐ろしい怪異ではなかった。
約束を信じ続けたまま取り残された一人の女性だった。
冬華は静かに立ち上がり、そしてサラの隣へ腰を下ろした。
何も言わない、慰めもしない、励ましもしない。ただ隣に座る。
それだけだった。しばらくして冬華が小さく口を開いた。
「十年間、ずっと頑張りましたね」
その一言だった。サラの表情が崩れる、堪えていたものが一気に溢れ出した。
「会いたかった……」
「はい」
「一人だった……」
「はい」
「怖かった……」
「はい」
冬華はただ聞いていた、否定しない、急かさない、ただ受け止める。
だからこそサラは泣けた。ずっと吐き出せなかった十年分の想いを。
やがて店内を満たしていた冷気が少しずつ消えていく。窓の霜が溶ける。
張り詰めていた空気も和らいでいく。そして不思議なことに、周囲のカップル達も落ち着きを取り戻し始めていた。
さっきまで別れ話をしていた男女が気まずそうに向き合っている。
「ごめん」
「私も言い過ぎた」
そんな声が聞こえてきた。店長は信じられないものを見るような顔をしていた。
「直った……」
修司は苦笑する。
「原因はやっぱりこの人だったみたいですね」
店長は何度も頷いた。
そして冬華を見た。
「でも氷室さんも三割くらいは」
「言わないでください」
冬華が本気で落ち込むのを見て、修司は思わず吹き出した。
どうやら本日の案件は無事解決らしい。
「終わった……んですか?」店長が恐る恐る聞いてくる。
「たぶん、終わりました」
修司は肩の力を抜いた。怪異は消えていない。だが敵意も執着も消えている。
少なくともこの店で問題を起こすことはもうないだろう。
その時、サラが不安そうな顔で口を開く。
「……あの」
「はい、なんでしょう?」
「私……これからどうしたらいいんでしょう?」
修司は一瞬意味が分からなかった。
「どうって?」
「待つ理由が無くなってしまいました」
その言葉に修司は黙る。確かにそうだった。十年間彼女は待つためだけに存在していた。
恋人が来る、その約束だけでここに居続けたが今、その理由が消えた。
だからこそ彼女は迷子になっていた。
「成仏とか?そういう感じじゃないんですか」修司が言う。
サラは困ったように首を傾げた。
「したことがないので分かりません」
「まあそうですよね」
「それに、まだ消えたくないんです」
「未練があるんですか」
「いえ、未練、になるのか分かりませんが、十年間待ってただけなんでもう少し生きてみたいです」
「いや、あなたもう死んでますけどね??」
翌日。百鬼スタッフサービス本社。社長室。
社長は履歴書代わりに渡されたメモを見ていた。
「採用」即答だった。
「早っ!?まだ何も聞いてないですよね!?」
修司が机を叩く。
「真面目そうじゃないか、何より十年無断欠勤してない」
「地縛霊となって待機してただけです!!」
社長は気にしていなかった。アザミも書類を眺めながら頷く。
「いいんじゃない?恋愛相談系の案件で使えるし」
「専務まで!?人材派遣会社の採用理由じゃないんですよ」
サラはソファに座ったままおろおろしていた。
「えっと……私、働いたことないんですが」
「大丈夫よ、うち働いたことない妖怪いっぱいいるから」アザミが笑う。
「安心材料になってない」
「むしろ平均より社会経験ありそう」
修司は反論できなかった。十年同じ場所で勤務していたとも言える。ブラック企業なら表彰されそうな勤続年数だった。
その時。
冬華が小さく手を挙げる。「私は賛成です、サラさんが困っていたら助けてあげたいですし」
全員が冬華を見る。冬華が自分の意見を出すなんて珍しいことだ。
「冬華さん……」
サラの目が少し潤む。
修司はその様子を見て頭を抱えた。もう決まりだ。
この会社で女性陣の意見が一致した時点で覆らない。
社長が立ち上がる。
「よし採用だ」
「よくない」
「明日から来れるか?住処は寮を用意しているからな」
サラは慌てて立ち上がる。
「えっそんな急にいいんですか?」
「大丈夫、うち全員そんな感じだから」
社長は親指を立てた。
「採用基準どうなっってるんですか」修司が呆れる。
サラはしばらく悩んでいた。だがやがてゆっくりと頷く。
「よろしくお願いします」その言葉に冬華が嬉しそうに微笑んだ。
修司はため息を吐く、また一人増えた。ただでさえ個性の強い社員だらけなのに。
その日の夕方、社内チャットに新入社員の紹介が流れた。
【新入社員のお知らせ】
氏名:白峯サラ
種族:幽霊
担当:恋愛相談・接客補助
特技:待つこと
待機実績:10年
数秒後。
社内チャットが爆発した。
モメン
『待機実績って何』
九郎
『俺でもそこまで待てねぇ』
ミケ
『残業耐性SSランク』
つゆ
『飲める?』
アザミ
『初日から飲ませるな』
匿名
『人に目薬とかさしたことある?』
蓮次
『根性があるな』
修司
『そこ評価するんだ……』
そして。
こうして白峯サラは百鬼スタッフサービスの一員になった。
長い間、ただ一人で待ち続けた幽霊は。
ようやく待つ理由ではなく、帰る場所を手に入れたのだった。
百鬼スタッフサービス業務報告
案件名 ファミレス恋愛崩壊事件
結果 怪異一名保護
新人採用 一名
新人コメント「働くのは初めてです」
修司の感想 うちの会社は怪異を解決しているのか増やしているのか分からない
百鬼スタッフサービス
今日もどこかで居場所を見つけています




