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妖怪派遣業  作者: 蜂兎類
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4/16

第四魔 猫又経理と消えた領収書

六月下旬、午後六時四十分。株式会社百鬼スタッフサービス、経理部。


 真壁修司は、静かにキレていた。


「……ない」


 机の上には書類の山、ファイル、段ボール、付箋、クリップ、古い請求書、キュウリ。


 なぜかキュウリ。


「いや、なんでだよ」


 修司は頭を抱えた。探しているのは、一枚の領収書だった。


 たった一枚。


 だが、その一枚がないだけで会社の経費精算が止まり、経費精算が止まれば専務が動き、専務が動けば社内の空気が冷え、最終的には笑顔のまま誰かが説教部屋へ連れていかれる。


 専務、玉藻前アザミ。


 九尾の狐であり、この会社の実質的な管理者であり、怒ると鬼より怖い狐である。


 それだけは避けたかった。


 絶対に。


「ミケさぁぁぁん!!」


 修司の叫びが経理部フロアに響いた。


 返事はない。


 代わりに、コピー機の上から猫の鳴き声がした。


「にゃー」


 見上げると、そこにいた。


 猫又ミケ。


 百鬼スタッフサービス経理担当であり、財務の天才であり、物を隠すことにかけては社内最悪の妖怪である。


 コピー機の上で丸くなって寝ていた。


「寝てないで仕事してくださいよ」


「今もやっている」


 そう言うと、ミケは大きなあくびをした。


「寝てましたよね?」


「寝ていない。脳は働いていた」


「便利な言い訳だな」


「経理は頭を使う仕事だから」


「コピー機の上で丸まる仕事ではないですよね」


「コピー機は温かい」


「経理の説明どこ行った」


 ミケは片目だけ開けた。


 眠そうだった。


「で、何」


「俺のデスクの上に置いておいたはずの領収書がなくなったんですよ。今日中に精算しないとアザミさんに怒られるやつです。どこですか」


「私を疑うのは筋違いよ。私は知らない」


「嘘だ、絶対知ってる」


「人を疑うのはよくない」


「あんたは猫又だろ」


「猫又を疑うのもよくない。妖怪差別だ」


「書類隠す前科百犯が何を言ってるんですか」


 ミケは目を逸らした。


 図星だった。


 修司の勘は当たっている。


 この会社で書類が消える時の原因は九割ミケであり、残り一割は紙舞ヒナが布団にしている。


 その時、机の陰から小さな声がした。


「ひゃぅ……」


 修司が机の下を覗き込むと、そこに紙舞ヒナがいた。


 手のひらサイズの紙人形妖怪で、小さな和紙の着物姿のまま、コピー用紙の束の隙間に挟まっている。


「ヒナちゃん!?」


 修司は慌ててヒナを救出した。


 ひょいっと持ち上げると、ヒナは涙目でぺこぺこ頭を下げる。


「か、紙の間に挟まってました……すみません、動こうとしたらさらに奥に入っちゃって……」


「なんでそんなところに」


「風で飛んじゃいました……」


「風って、エアコン?」


「はい……弱風で……」


「弱風で遭難するな」


 紙舞ヒナは、古い契約書から生まれた紙妖怪であり、総務の小さな天使のような存在である。


 ただし軽い。


 とにかく軽い。


 メモ用紙一枚が落ちる風圧でも飛んでいく。


 修司はそっとデスクの上へヒナを降ろした。


 ヒナはまだ涙目のまま、小さく頭を下げる。


「ありがとうございますぅ……」


「いや、ヒナちゃんは悪くないから」


 その瞬間、コピー機の上からミケがぼそっと言った。


「かわいがられてんなぁ」


「嫉妬ですか」


「別に」


 尻尾が揺れていた。


 分かりやすい。


 修司は本題に戻った。


「で、領収書」


「知らん」


「ミケさん」


「知らん」


「本当に?」


「知らんものは知らん」


「こっち見て言ってください」


「今、目が忙しい」


「目が忙しいって何だよ」


「眠い」


「寝るな!」


 ミケは面倒くさそうに伸びをした。


 コピー機の上で。


 まるでそこが自分の王座であるかのように。


「そもそも領収書なんて、なくてもなんとかなるでしょ」


 その言葉が発された瞬間、経理部の空気が変わった。


 修司が固まる。


 ヒナも固まる。


 コピー機の起動音まで止まった気がした。


 そして、静かに扉が開いた。


 スッ、と冷たい空気が流れ込んでくる。


 冷気ではない。


 もっと嫌な何かだった。


 全員が振り向く。


 そこに立っていたのは、玉藻前アザミだった。


 百鬼スタッフサービス専務、九尾の狐。


 女性にも男性にも変化できる妖怪で、今日は女性の姿だった。


 長身で、妖艶で、整った顔立ちで、笑顔だった。


 ものすごく笑顔だった。


「……へぇ?」


 ミケが凍った。


 修司も凍った。


 ヒナは紙吹雪になりかけた。


 アザミは優雅に微笑んだまま、ゆっくり経理部へ入ってくる。


「今、“領収書なんてなくてもなんとかなる”って聞こえた気がするのだけど、どういうことかな?」


 ミケは即座にコピー機から降り、床に手をついた。


 土下座だった。


 その速度は猫とは思えない。


「申し訳ありませんでした」


「どこ?」


「え?」


「領収書」


「……」


 沈黙。


 ミケは目を逸らした。


 記憶を辿っているのか、この期に及んで隠そうとしているのかは分からないが、どちらにしても悪い流れだった。


 アザミの笑顔が深くなる。


 怖い。


 ものすごく怖い。


 この人は常に笑顔だが、その笑顔には種類がある。


 今の笑顔は、完全に「逃がさない」の笑顔だった。


 修司は心の中でミケに手を合わせた。


 その時、ヒナがおずおずと手を上げた。


「あ、あの……」


 全員がヒナを見る。


 ヒナは小さな声で言った。


「たぶん、ミケさんがよく隠しているところ……コピー機の裏です……」


 その瞬間、ミケが露骨に目を逸らした。


 修司はゆっくり振り向く。


 コピー機の裏。


 そこには、大量の書類と猫じゃらし、乾燥したたくあん、なぜか女性物のハンカチ、さらに小さな鈴、古いクリップ、そして探していた領収書が挟まっていた。


「あるじゃねえか!!!」


 修司の叫びが経理部に響いた。


 ミケは開き直ったように尻尾を揺らす。


「隠してない。置いてそのまま忘れていただけ」


「いや、こんなところに誰も置かねえわ! 置いた場所としても悪意がありすぎるわ!」


「猫的には収納」


「知らねえよ猫基準!」


「大事なものほど狭いところにしまう」


「経理部でその哲学を発揮するな!」


 九郎がいつの間にか扉のところから覗いていた。


 ずぶ濡れだった。


「ただいまっスー……って、何してるんスか?」


「領収書捜索」


「あー、ミケさんっスね」


「決めつけよくない」


「前も自分の書類隠してたじゃないスか。その前もつゆさんの領収書隠して、経費精算が三日止まったって聞いたっス」


「それは遊び心」


「会社潰れるわ!」


 九郎は濡れた袖をしぼりながら言う。


「ちなみに今日は用水路掃除してきたっス」


「勤務時間中に?」


「地域交流っス!」


「無駄に善良だから怒りづらいな!」


 アザミは領収書を拾い上げ、内容を確認した。


「修司」


「はい」


「これは今日中に処理できる?」


「できます。見つかればこっちのものです」


「よかった」


 アザミはにっこり笑い、次にミケを見た。


「ミケ?」


「はい」


「後で、お話しましょうか」


「はい……」


 ミケの猫耳がしょんぼりした。


 完全に怒られる。


 修司は領収書をファイルに挟み、ようやく一息つこうとした。


 だが、その時だった。


 ビリィッ!


 天井から悲鳴が響いた。


「ぎゃああああ!!」


 全員が見上げる。


 一反モメンだった。


 天井に張り付いてスマホゲームをしていたらしい。


 その白い布の端が、少し裂けている。


 床にはミケがいた。


 前足を上げたまま、何食わぬ顔をしている。


「……ミケさん?」


「ひらひらしてたから」


「だからって破るな!!」


 モメンは涙声で震えていた。


「新スキン買ったばっかなのに……」


「スキン!?」


「期間限定だったのに……」


「布なのにスキン概念あるのかよ!」


「ある」


「あるのかよ!」


 ミケはぷいっと顔を背けた。


「反射的に」


「反射で同僚を破くな」


「猫だから」


「猫基準の被害がデカすぎるんだよ!」


 アザミが笑顔のまま、ミケを見る。


「ミケ?」


「はい」


「お話の時間、少し長くなりそうね」


「はい……」


 ミケの尻尾までしょんぼりした。


 修司は深いため息を吐いた。


 疲れる。


 本当に疲れる。


 この会社は、ただ領収書を探すだけで事件になる。


 普通に仕事がしたい。


 心からそう思った。


 その時、デスクの電話が鳴った。


 プルルルル。


 修司は嫌な予感を覚えながら受話器を取る。


「はい、百鬼スタッフサービスでございます」


『助けてください!!』


 いきなり絶叫だった。


 修司は背筋を伸ばす。


「ど、どうされましたか?」


『公園で世話をしていた地域猫たちがいなくなったんです!!』


 沈黙。


 全員が、ゆっくりミケを見た。


 ミケは、ゆっくり目を逸らした。


「……知らない」


 修司は確信した。


「お前だろ?」


「違う」


「絶対お前だろ」


「知らない」


「じゃあ、なんで目を逸らす」


「猫だから」


「猫を免罪符にするな!」


 ミケはぼそりと呟いた。


「……新しい舎弟候補」


「誘拐じゃねえか!!!」


 ヒナが小さく震えながら言う。


「あの、地域猫さんたち、どこに……?」


 ミケは少しだけ黙った。


「屋上」


「もう連れてきてるのかよ!」


「面接中」


「猫の採用面接を勝手に屋上でやるな!」


 九郎が興味津々で聞く。


「猫って履歴書書けるんスか?」


「そこじゃない!」


 モメンが天井からぼそっと言う。


「猫部署できるの?」


「作らせねえよ!」


 アザミは静かに笑った。


「ミケ」


「はい」


「地域猫を元の場所に返すこと」


「はい」


「領収書を隠さないこと」


「はい」


「モメンを破らないこと」


「……はい」


「最後だけ間があったわね」


「気をつけます」


「修司」


「はい」


「ミケを連れて現場対応。猫たちを返して、依頼主へ謝罪してきて」


「ですよねぇ!」


 数十分後、修司たちは公園へ向かうことになった。


 逃げようとするミケを修司が追い、破れた端を押さえたモメンが空を漂い、九郎はなぜかバケツを持ち、ヒナは修司の胸ポケットに避難している。


 夕焼けの街に、修司の叫び声が響いた。


「だから問題を起こしてから勧誘するなって言ってんだろぉぉぉ!!」


 モメンが空を漂いながら言う。


「今日も平和だな」


「どこがだよ!!」


 百鬼スタッフサービス。


 今日も通常営業である。


 通常営業で、領収書が消え、同僚が破れ、地域猫が面接を受ける。


 修司は思った。


 たぶん、この会社で一番大事なのは経費精算ではない。


 忍耐だ。


百鬼スタッフサービス日報


案件名

猫又経理と消えた領収書


発生場所

百鬼スタッフサービス経理部

コピー機周辺

屋上

近隣公園


発生内容

・経費精算用の領収書が行方不明

・コピー機裏より領収書を発見

・同時に猫じゃらし、乾燥たくあん、女性物ハンカチ、鈴を発見

・猫又ミケによる書類隠し疑惑が確定

・一反モメンの端が一部破損

・近隣公園の地域猫が屋上に集められていたことが判明


対応者

真壁修司

猫又ミケ

紙舞ヒナ

河城九郎

一反モメン

玉藻前アザミ


原因

ミケの猫的収納本能

経理担当としての危機感不足

ひらひらしたものを見ると反射的に狩る習性

地域猫を舎弟候補として集めた独断行動


被害状況

・経費精算が一時停止

・修司の胃痛悪化

・ヒナが書類の隙間に挟まる

・モメンの限定スキンが破損

・地域猫の一時行方不明騒動

・アザミの説教時間延長


発見物

・領収書一枚

・猫じゃらし三本

・乾燥たくあん一本

・女性物ハンカチ一枚

・用途不明の鈴二個

・出所不明のキュウリ一本


ミケのコメント

「隠してない。猫的には収納」


修司の感想

収納と隠蔽は違う。

あと、地域猫を勝手に採用面接するな。


百鬼スタッフサービス

今日も経費精算と猫の本能に振り回されています。

なお、領収書は見つかりましたが、修司の平穏は見つかっていません。

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