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妖怪派遣業  作者: 蜂兎類
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3/16

第三魔 クレーム処理の鬼

  六月某日、午後一時二十分。株式会社百鬼スタッフサービス、営業部フロア。


 真壁修司は、死んだ目をしていた。


「……なんで俺が行くんですか」


 デスクの向かいで、雨坂つゆは缶チューハイを飲みながら平然と答えた。


「あなたは営業補佐でしょ? それにトラブルの対処はあなたが一番うまいし、この缶チューハイもうまい」


「後半いらないです、というか今、昼ですよ?」


「昼ね」


「酒飲んでますよね?」


「景気づけ」


「社会人として終わってる」


「妖怪に社会の常識は通じないわ、非常識の枠組みで私たちは生きているから」


「どや顔やめてください、クライアントに会うのに素面じゃないのは普通にありえないから」


「舐めないで、缶チューハイ程度じゃ何本飲んでも酔わないわ」


「そういう問題じゃねえ」


 つゆは気にした様子もなく、窓の外を見る。


 外は快晴で、雲ひとつない。


 だが修司は知っている。


 この人が酒を飲みながら仕事の話をしている時点で、だいたい嵐の前触れである。


「それで、今回の案件はどこなんです?」


 修司は資料をめくった。


 依頼内容は、大型ショッピングモールの夜間警備増員依頼。


 原因欄には、深夜巡回スタッフが全員辞めたとある。


 理由欄には、短くこう書かれていた。


 何かいる。


「あー……」


 修司は嫌そうな顔をした。


 怪異案件である。


 しかも大型施設。


 絶対に面倒なものが待っている。


「何かいる、って書き方やめてほしいんですよね。何がいるのか分からないから怖いんじゃなくて、うちの場合、本当に何かいるから怖いんですよ」


「いいじゃない、分かりやすくて」


「分かりやすい恐怖は嫌なんですよ」


「私は行かないけど」


「は?」


 修司は顔を上げた。


「今、なんて?」


「私は行かない」


「なんで!?」


「飲んだから」


「飲んだ自覚あるなら最初から飲むな!」


「だからあなたが行くの」


「最悪の業務分担だな!」


 その時、ズシン、ズシン、と床が揺れた。


 営業部フロアの奥から、まるで地鳴りのような足音が近づいてくる。


 振り返ると、そこには轟蓮次が立っていた。


 種族は鬼。筋骨隆々で身長は二メートル近く、スーツを着ているのに威圧感がまったく隠せていない。角もある。道端で出会ったら、まず目を合わせてはいけないと思わせる迫力がある。


 だが、この男の社内肩書きはクレーム処理担当である。


「呼ばれたので来た。俺の力が必要か?」


「蓮次さんも行くんですか」


「ああ。聞くところによると、クレーム対応込みらしい」


「怪異案件にクレーム対応込みって、文字だけで胃が痛いんですけど」


 蓮次は静かに頷いた。


「俺も嫌な予感がしている」


「蓮次さんが言うと、本当に嫌なんですよ」


 つゆが缶チューハイを持ったまま、蓮次を見上げる。


「お願いね、蓮次。私はここで精神的に同行しておくから」


「それは同行とは言わない」


「心は現場にあるわ」


「体を現場に持ってきてください」


「それは無理。足元が少し波打ってる」


「酔ってるじゃねえか!」


 蓮次はつゆの缶を見て、少し考える。


「雨坂、飲酒しての現場対応は危険だ」


「蓮次にまで正論を言われた」


「鬼に正論で負けるな」


 その時だった。


 バタン、と営業部の扉が勢いよく開く。


「おはよーございまーす!」


 河城九郎だった。


 びしょ濡れである。


「なんで濡れてるんだよ」


「テンション上がって川泳いできたっス!」


「出勤前に!?」


「朝のルーティンっス!」


「朝活の方向性が野生なんだよ」


 九郎は元気いっぱいのまま、修司の資料を覗き込んだ。


「ショッピングモールっスか! もしかして怪異案件っスか?」


「なんか嬉しそうだな」


「知らないんスか? 夜の大型施設って怪異めっちゃ出るんスよ!」


「嬉しそうに言うな」


「しかもショッピングモールって、水回りも広いし、配管も複雑だし、地下ピットとかあると最高っス」


「お前、怪異より配管目当てだろ」


「もちろんっス」


「そこは否定しろ」


 つゆが九郎を見て、少し目を細めた。


「九郎、現場で水を見つけても勝手に泳がないでね」


「えっ」


「“えっ”じゃない、泳ぐ気だったのかよ」


「水があれば一応確認するっス」


「確認方法が入水なのやめろ」


 すると、天井から低い声がした。


「……行きたくねぇ」


 見上げると、一反モメンが天井に張り付いていた。


 白い布の妖怪であり、百鬼スタッフサービス配送担当。相変わらず手にはスマホを持ち、画面を凝視している。


「お前、いたのか」


「イベント中」


「働け」


「今ログアウトするとランキング落ちる」


「社会性がランキング圏外だぞ」


「うまいこと言うな」


「褒めてない!」


 コピー機の上では、猫又ミケが毛づくろいをしながら言った。


「モメン、配達あるわよ。いっぱいね」


「えぇ……」


「あと、終わったらショッピングモールについていきなさい」


「なんで」


「サボったら引っかく」


「横暴だ……」


「行かなかったら二回引っかく」


「行きます」


 完全に上下関係ができていた。


 修司はメンバーを見回した。


 鬼。河童。一反木綿。酔った雨女。


 猫又は行かない。人間は自分だけ。


 不安しかない。


「俺、前世で何したんだろう……」


 蓮次が真顔で言う。


「真壁、前世を気にするより現場を気にしろ」


「正論が痛い」




 午後十時十一分。


 大型ショッピングモール、ラウンドスクエア川崎。


 閉店後の立体駐車場を、修司は重たい足取りで歩いていた。


「……なんでショッピングモールって、閉店後こんな怖いんですかね」


 昼間は家族連れや学生で賑わう大型施設も、照明が落ち、シャッターが閉まり、音楽が止まった途端に別物になる。広すぎる空間に人の気配だけが抜け落ちると、そこには明るさの残骸みたいな薄気味悪さが残る。


 隣を歩く九郎は、缶ジュースを飲みながら楽しそうに笑った。


「昼間うるさい場所ほど、夜静かになると反動ヤバいんスよ」


「反動ってなんだよ……」


「祭りの後みたいな感じっス」


「怪異案件で詩的なこと言うな」


 その後ろでは、モメンが天井近くを漂っていた。


「なあ、修司」


「なんだ」


「このモール、ゲームセンターある?」


「あるけど閉店中だよ」


「よし解散、お疲れさまでした」


「おい待て、帰んな。怖いから人数減ると心細いんだよ、こっちは」


「人間って不便だな」


「妖怪でも昼間は行きたくねぇって言ってたよな?」


「それはそれ」


「都合のいい布だな」


 今回、現場へ来る予定だったのは五人だった。


 だが一名、雨坂つゆは出発直前に「床が少し船みたい」と言い出したため、アザミによって強制的に休憩室へ回収された。


 結果、現場に来たのは修司、九郎、モメン、そして蓮次の四人である。


 依頼内容は、閉店後のショッピングモールで怪異が出るというものだった。


 しかも被害報告が妙だった。


 深夜になると館内放送が勝手に流れる。クレームセンターの電話が鳴り続ける。マネキンが動く。謎の怒鳴り声が響く。清掃員が泣きながら辞める。きゅうりの在庫が合わない。


 修司は資料を閉じた。


「最後、九郎じゃないよな?」


「違うっスよ! 俺、まだ来てないっス!」


「まだ、って言うな。来たら合わなくなるみたいに聞こえる」


「確認はするかもしれないっス」


「在庫を食べて確認するな」


 蓮次は、静かに館内を見上げていた。


 元百鬼夜行の頭領で、現在は百鬼スタッフサービスのクレーム処理担当をしている鬼。


 その姿は相変わらずデカい。怖い。圧がすごい。


 だが今はスーツ姿で、腕章には大きくこう書いてある。


 お客様相談対応、違和感がすごかった。


「蓮次さん、その腕章、相変わらず圧が勝ってますね」


「そうか」


「お客様相談対応という文字が、脅迫文に見えるんですよ」


「丁寧に対応するつもりだ」


「見た目が丁寧じゃないんです」


「見た目の問題か」


「九割くらい」


 蓮次は少しだけ考え込んだ。


「なら、笑えばいいか」


 鬼が笑った、修司、九郎、モメンが同時に一歩下がった。


「すみません、笑わない方がいいです」


「そうか」


「謝罪会見で出てきたら株価が落ちる笑顔でした」


「そんなにか」


「そんなにです」


 館内に入ると、空気が一気に変わった。


 床は磨かれているのに妙に冷たく、フードコートの椅子はきれいに並んでいるのに、誰かが座っていた気配だけが残っている。昼間なら聞き流せる空調の音も、閉店後の静けさの中ではやけに大きく響いた。


 修司が小声で聞く。


「蓮次さん、なんか見て分かったことあります?」


 蓮次はゆっくり答えた。


「……溜まっているな。そこかしこに」


「何がです?」


「怒りだ。人の怒りが、思念体となってこの場所に沈んでいる」


「怒り……」


「苦情、苛立ち、理不尽な要求、飲み込まれた謝罪。そういうものが、少しずつ積もっている」


 修司は胃のあたりを押さえた。


「やめてください。前職の記憶が蘇る」


「真壁も溜めているのか」


「俺の場合、溜まりすぎてもう発酵してます」


「危険だな」


「この会社にいるとさらに発酵します」


 その瞬間、館内放送が急に鳴り出した。


『店員の態度が悪い!!』


 ビリッ、とスピーカーがノイズを撒き散らす。


『謝罪しろ!!』


『責任者を出せ!!』


『誠意を見せろ!!』


『お客様は神様だろうが!!』


「うわぁ……」


 修司は顔を引きつらせた。


 まだまともに人間社会だけで働いていた頃の記憶が、胃の奥からゆっくり這い上がってくる。


「うるせぇっス……」


 九郎が耳を塞ぐ。


「クレームって音だけで疲れるっスね」


「だろ? 人間社会の妖怪みたいなもんだぞ」


「人間怖いっス」


「妖怪会社で人間の怖さを説明する日が来るとは思わなかったよ」


 その時、エスカレーターの上の暗闇の奥に、それはいた。


 黒い影。


 人型に見えるが、輪郭は安定していない。


 何人もの顔が混ざっているようで、怒鳴り声だけが重なって聞こえる。


『店長を呼べ!!』


『土下座しろ!!』


『謝罪が足りない!!』


『客を舐めるな!!』


 モメンが震えた。


「うわ、クレームの集合体だ」


「そんな最悪な怪異いる!?」


「いるんだな、目の前に」


「実況するな!」


 蓮次が静かに前へ出た。


 その背中には、かつて百鬼夜行の頭領だった者の迫力があった。


「……なるほどな」


 修司が聞く。


「なんなんですか、あれ」


 蓮次は低い声で答えた。


「積もった怨念だ」


「怨念……って?」


「理不尽な怒り、行き場のない不満、吐き捨てられた悪意、それがこの場所に溜まり続け、人の形を取った」


 館内の空気が重くなり、影が膨れ上がる。


『謝れ!!』


『誠意を見せろ!!』


『責任者ァァァ!!』


 影が膨れ上がり、弾け飛んだ瞬間、ドン、と店内シャッターが一斉に閉まった。


「うわ、閉じ込められた!」


 修司が叫ぶ。


 九郎が辺りを見る。


「照明も落ちるっス!」


 パチン、と館内の灯りが半分消え、黒い影がゆっくり近づいてきた。


 空気が重い。


 怒りだけが空間を埋めていく。


 その時だった。


 蓮次がネクタイを締め直した。


「真壁」


「はい?」


「下がってろ」


 低い声だった。


 修司は息を呑む。


 知っている。この人が本気でクレーム対応する時の顔だ。


 蓮次はゆっくり影の前へ歩いた。


 巨大な鬼の体。


 だが姿勢は真っ直ぐで、足取りは静かだった。


『謝罪しろ!!』


『責任者を出せ!!』


『誠意を!!』


 次の瞬間、蓮次が深々と頭を下げた。


「申し訳ございませんでしたァァァ!!」


 轟音みたいな謝罪だった。


 館内が震える。


 修司が耳を押さえる。


「うるっさ!?」


 九郎も引いていた。


「土下座に覇気乗ってるっス!」


 モメンは天井付近で震えている。


「謝罪で衝撃波出すなよ……」


 蓮次は頭を下げたまま続けた。


「ご不快な思いをさせたこと、まずは心よりお詫び申し上げます!!」


 ビリビリと空気が揺れる。


「だが!!」


 蓮次が顔を上げる。


 その目つきは、百戦錬磨の鬼そのものだった。


「貴様ら!!」


 怒号で館内全体が震える。


「怒り続けて楽しいか!!」


 その迫力に気圧されたのか、影が止まった。


「謝罪を求め続けて満たされたか!!」


 影が揺れる。


「貴様らの怒りは正しかったかもしれん!! 誰かに聞いてほしかったのかもしれん!! 納得できぬことがあったのかもしれん!!」


 蓮次が一歩踏み込む。


「だが、怒りだけ残して死んだら、最後には何も残らん!!」


 黒い影の輪郭が崩れ、怒鳴り声が少し弱くなる。


『でも……』


『苦しかった……』


『誰も聞いてくれなかった……』


『ずっと腹が立っていた……』


 修司は少し目を見開いた。


 あれはもう、ただの怪異というより、不満を抱えた人間たちの残り火だった。


 蓮次は静かに言った。


「聞いてやる」


 館内が静まる。


「文句も不満も怒りも、全部聞いてやる」


 低い声だった。


 だが不思議と優しかった。


「だからもう、閉店後に残業してまでクレームをするな」


 修司が吹き出しそうになった。


「そこ!?」


 だが影たちは、少しずつ静かになっていく。


『……疲れた』


『帰りたい』


『誰かに聞いてほしかった』


『もう、怒るのも疲れた』


 蓮次が頷く。


「分かった」


 そして、もう一度深く頭を下げた。


「文句も怒りも、確かに受け取った」


 低く静かな声だった。


「もう十分だ。帰って休め」


 その瞬間、黒い影が崩れた。


 砂みたいに、煙みたいに、静かに消えていく。


 館内放送のノイズが止まり、閉じていたシャッターが開き、照明もゆっくり戻っていった。


 静寂が戻る。


 モメンがぽつりと言った。


「……終わった?」


 九郎が呆然としている。


「クレーム処理で除霊した……」


 修司は深いため息を吐いた。


「なんなんだよ、この会社……」


 その時、館内放送が最後に小さく鳴った。


『……ありがとうございました』


 全員が止まった。


 蓮次だけが、静かに頷く。


「こちらこそだ」


 しばらくして、四人はショッピングモールを出た。


 外の空気は夜風で少し冷たく、閉じ込められていた館内の重苦しさが嘘のようだった。


 帰り道、修司は蓮次に尋ねた。


「蓮次さんって、昔からクレーム対応得意だったんですか」


 蓮次は少し考えた。


「……百鬼夜行の頃からだな」


「鬼の頭領時代に?」


「ああ。妖怪どもの揉め事を仲裁していた。酒の取り分、縄張り、角の長さ、誰が一番怖いか、くだらん揉め事ばかりだった」


「思ったより人間社会と変わらない」


「妖怪も面倒だ」


 モメンがぼそっと言う。


「つまり昔から胃痛役」


「鬼なのに苦労人なんだよなぁ……」


 九郎が感心したように言う。


「蓮次さん、すごいっスね。俺、あんな謝罪できないっス」


「普通できなくていいんだよ。謝罪で館内揺らすな」


「でも迫力あったっス」


「あれ、クライアント先でやったら別の苦情来ますよ」


 その時、修司のスマホが鳴った。


 画面に表示された名前を見て、修司は少しだけ嫌な予感を覚える。


 百目鬼社長。


「……はい」


『修司』


「なんですか」


『ショッピングモール側から追加依頼だ』


「え?」


『蓮次さんを常駐クレーム担当にできませんか、とのことだ』


 修司はゆっくり蓮次を見た。


 蓮次は、何も知らずに缶コーヒーを飲んでいる。


「と、いうわけなんですが、どうしますか」


 モメンがぼそっと言った。


「……人気出てる」


 九郎も頷く。


「クレーム処理の鬼っスね」


「そのまんまだな」


 蓮次は缶コーヒーを飲み干すと、小さくため息を吐いた。


「……世知辛ぇなぁ」


 百鬼スタッフサービス。


 妖怪の世界も、人間と同じで世知辛い。


 ただしこの会社では、クレーム処理で怪異が成仏する。


 それが普通ではないことを、修司だけが最後まで忘れなかった。


百鬼スタッフサービス日報


案件名

クレーム処理の鬼


発生場所

大型ショッピングモール

ラウンドスクエア川崎


依頼内容

閉店後の館内における怪異調査

夜間警備スタッフの離職原因確認

館内放送およびクレームセンター異常の解決


対応者

真壁修司

轟蓮次

河城九郎

一反モメン


欠席者

雨坂つゆ

理由:出発前に缶チューハイで景気づけを行い、アザミ判断により現場同行不可


確認された怪異

クレーム怨念集合体


主な現象

・閉店後の館内放送異常

・クレームセンター電話の鳴動

・シャッターの一斉閉鎖

・怒鳴り声の反響

・館内照明の一部消灯

・きゅうり在庫の不一致


対応内容

轟蓮次による全力謝罪

不満と怒りの受領

理不尽な残留思念への説得

閉店後のクレーム残業禁止通達


被害状況

・修司の胃痛再発

・九郎がきゅうり在庫へ興味を示す

・モメンがゲームセンターに行こうとする

・蓮次の謝罪声量により館内設備が一部振動

・ショッピングモール側から蓮次の常駐希望が入る


蓮次のコメント

「文句も怒りも、確かに受け取った。もう十分だ。帰って休め」


修司の感想

クレーム処理で除霊する会社は、たぶん世界でうちだけだと思う。

あと、謝罪で建物を揺らすのはやめてほしい。


百鬼スタッフサービス

今日も誠心誠意、怪異とお客様の声に向き合っています。

ただし責任者を出せと言われると、鬼が出ます。

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