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妖怪派遣業  作者: 蜂兎類
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14/16

第十四魔 健康診断と妖怪たち 前編

 ある日の朝、真壁修司が百鬼スタッフサービスへ出社すると、正面入口のすぐ横に見慣れない立て看板が置かれていた。


 白地に黒文字、やけに事務的な書体で、本日 全社員定期健康診断 と書かれている。


 修司は立ち止まった。


「……全社員?」


 もう一度読む、やはり全社員。


 修司はゆっくり社内を見渡した。


 天井付近では一反モメンが、黒縁眼鏡をかけたままスマートフォンを操作している。


 猫又ミケが出窓で日向ぼっこしている。


 床近くでは、紙舞ヒナが自分の身体より大きな封筒を両手で抱え、一生懸命運んでいる。


 廊下の奥では河城九郎が歩くたび、濡れた足跡を残していた。


 修司はもう一度、看板を見た。


「……全社員?人間社員だけでは無くて?」


「俺もそこ、三回は確認しました」


 背後から声がした。


 振り返ると、青木尊が紙コップのコーヒーを持って立っている。


「青木、おはよう」


「おはようございます、真壁さん」


 青木も看板を見る。


「昨日、机に通知が置いてあったんですけど、僕も最初は人間社員だけだと思ったんですよ」


「だよな、富津はそう思う」


「でも対象者の欄に、本当に“全社員”って」


「書いてはある、な」


「全社員ってことは、妖怪の皆さんも健康診断を?」


「……たぶんな」


「人間用の?」


「……」


 修司と青木は黙ってお互い目を合わせ、二人同時に、九郎を見る。


 九郎はちょうど給湯室から出てきたところだった。


「何スか?二人して」


 修司は九郎を上から下まで見た。


「いや」


「なんスかジロジロ見て、この川で鍛えたボディがまぶしいんすか?」


「いや、今日これなんだけど、健康診断」


「健康診断?何なんすかそれ」


「簡単に言うと色々な検査をして数値を図って健康なのかどうかを調べるものだ」


「それが今日あるんすか?」


 九郎は貼り紙をしばらく見つめた後、何でもないことのように頷いた。


「余裕っスね」


 修司が九郎を見る。


「余裕?」


「健康かどうか調べるんスよね?」


「まあ、そうだけど」


「じゃあ余裕っス」


 九郎は胸を張った。


「俺、今から百鬼の屋上配管、全部見て回れるっスよ。ついでに給水設備も点検して、貯水槽の中潜って、午後から現場一本行けるっス」


「え、どういうこと?」


「健康状態の証明っス、何ならその後に貯水タンクで3時間は泳げますよ、日課だし」


「まて、まず貯水タンクはお前専用のプールじゃねえしそれ飲料用にも使うからな!?」


「え〜あれで泳いじゃ駄目なんですか?」


「当たり前だ馬鹿たれ!どうりでお前が入社してから社食の味がなんか違うと思ったんだよ」


「でもいいだしとれる自信はあるっすよ」


「確かに何か深みが出て美味しくなったけど!その深みが河童由来の成分とか何かヤダ!」


「え〜じゃあ、源爺にももう入るなって言っておくっす」


「爺さんもかよ」


 横目で見て青木は埒が明かないと判断したのか、話題を元に戻す。


「健康診断は、身長や体重を図ったり、血を抜いてそれを検査したりもしますよ、後は人間ドックとかもしますね」


「人間ドック?……ああ、人面犬のことっすね?」


「違わないけど違う。まあいい、今日はどこにも出ずに呼ばれるまで大人しくしておけよ」


「何かよくわからないけどわかったっす」


 その会話に割って入る声が、休憩スペースから聞こえてきた。


「九郎は分かってないわね」


 休憩スペースでは、雨坂つゆが一人だけ妙に余裕のある顔をしていた。


 九郎が健康診断について好き勝手な解釈を口にする中、つゆはソファへ深く腰掛け、缶ビールを片手に足を組んでいる。


 修司はその様子を見て、嫌な予感を覚えた。


「つゆさん」


「何?」


「さっきから静かだけど、健康診断が何か分かってるんでしょうね?」


 つゆは少し意外そうに眉を上げた。


「もちろん分かってるわよあたしを誰だと思ってるの」


「酒乱雨女」


「聞いたことがない四字熟語が飛び出してお姉さんビックリよ、これでも人間社会を生き抜いてきたからね、他の妖怪よりは常識は分かっているわよ」


「じゃあどういうものか九郎にもわかるように説明してみてくださいよ」


「どのくらい飲めるのかを調べるんでしょ?」


「やっぱりね」


「何故そう思ったんですか」


 青木が呆れたように聞いてきた。


「だって、健康な時と体調が悪い時では飲める量が違うでしょう?」


 つゆはむしろ修司達の反応が理解できないという顔をした。


「例えば普段なら、日本酒を二合飲んだ後に焼酎へ移っても平気なのに、一合半で少し重いと感じたら、ああ今日は調子が悪いなって分かるじゃない?」


「それ先に飲んだビールはすでにカウントにすら入ってないだろ」


 修司が即座に突っ込むと、つゆは缶ビールを口元へ運びながら、心外そうに眉をひそめた。


「ビールは準備運動よ」


「お酒に準備運動なんて概念あるんですか?」


 青木が聞き返す。


「あるわよ。いきなり日本酒から入ったら身体が驚くでしょう?」


「普通は酒そのものに身体が驚くんですよ」


「だから最初にビールで、今日は飲めますよって内臓に挨拶するの」


「じゃあつゆさん部活の後輩内に挨拶してるじゃん」


 青木が紙コップを口元へ運びかけたまま、静かに止まった。


「つゆさん、それ、毎回やってるんですか?」


「もちろん」


「毎回、内臓に挨拶を?」


「社会と一緒で礼儀は大事でしょう?」


「酒乱のマナー講座始めんな!」


 修司の声が事務所に響く。


 つゆは何がおかしいのか分からないという顔で、ビールの缶をテーブルに置いた。


「そもそも、健康診断でしょう?」


「そうですけど」


「健康な状態を診断するなら、普段どれくらい飲めるのか確かめるのが一番早いじゃない」


「その発想から離れてください」


「どうして?」


「世の中の人間は酒量で健康を測ってないからですよ」


「人間って不便ね」


「妖怪の問題みたいに言うな!」


 九郎が顎へ手を当てる。


「でも修司、ちょっと分かる気がするっスよ」


 修司がゆっくり九郎を見る。


「何が?」


「いつもより飲めないなら、確かに体調悪いってことじゃないっスか?」


 つゆがぱっと表情を明るくした。


「九郎」


「つゆさん」


 二人は妙に分かり合った顔で頷き合う。


 修司はその間へ手を差し込んだ。


「待て待て待て、河童と雨女で新しい健康診断の基準を作るな!」


「いやでも修司、バロメーターとしては理にかなってるっスよ」


「お前、さっきまで健康診断を人面犬だと思ってただろ!」


「人間ドックっス」


「微妙に覚えるな!」


 つゆはソファの背もたれへ身体を預けた。


「例えばね、修司」


「はい」


「昨日まで一升飲めた人が、今日はいきなり五合で倒れたとするでしょう?」


「前提の酒量がおかしいんですよ」


「そこは今どうでもいいの」


「よくないです」


「つまり半分しか飲めてない。これは明らかな能力低下よ」


「能力扱いするな!」


「出力五十パーセント低下、それはそのまま戦いに響くわ」


「戦闘力みたいに言うな!」


 つゆは指を一本立てる。


「しかも単純な量だけじゃないのよ」


「まだあるんですか」


「当然でしょう。健康診断なんだから」


 修司の眉間に皺が寄った。


「……一応聞きます。何を見るんです?」


「まず立ち上がった時のふらつき、これはめまいと一緒ね、ふらついていたら健康に異常があると言えるわね」


「酔ってるだけ」


「次に呂律、呂律が回らなくなったら一般的に脳に異常がある可能性があると言えるわね、その場合速やかにかかりつけの医師に診てもらう必要があるわ」


「なんでそこ詳しいんだよ、しかもそれも酔っ払いなら誰でもなる症状だからな」


「歩行の安定性、まっすぐ歩くのが難しいのなら下半身の筋肉が衰えている場合があるわ、その場でスクワットを推奨するわ」


「酔ってるだけ!その状態でスクワットしたら倒れるわ!」


「後は翌朝の記憶ね、全く覚えがない場所で目覚めた場合、おめでとう、あなたはテレポートの能力が開花している可能性があるわね、その場合最寄りの妖怪に相談してちょうだい」


「完全に記憶飛んでるだけだろ!しかも最寄りの妖怪って何?交番みたいに行ってんじゃんねえよ!」


「能力の開花の代償にひどい頭痛に襲われる可能性があるわ、その際は対処法としては水を飲んで安静にしておくと一日ほどで落ち着くわよ」


「ただの二日酔いの症状だからねそれ」


「ともかく私は私のままで健康診断に正面から立ち向かうわよ、前日だけとってつけたように禁酒した数字なんて信じてはいけないわ」


「そこは正論だから言い返せないチクショウ」


 そうこうしているうちに健康診断の時間が近づいていき、各々が準備を整える。


 一行が向かったのは、百鬼スタッフサービスが入るビルのすぐ隣に建つ、一般にはほとんど知られていない医療施設だった。


 表向きは小規模な診療所。だが実際には、人間だけでなく、妖怪、半妖、霊体、擬態種、さらには「そもそも臓器という概念があるのか怪しい存在」まで診察対象にしている。


 そこで常勤医として働いているのは、葛葉蓮(くずはれん)だ。


 四十代で、元は人間の病院に勤めていた医師で、幼少期より霊感があった。


 元々、人ならざるものを見る目を持っていた葛葉は、病院でたまに起こる怪現象など特に意に介してはいなかった、視える人間にとって霊は身近な存在だったが、妖怪などは創作物の中の生き物という考えだった。


 入社のきっかけは病院勤めの時代に、人間に擬態していた天狗を見破ってしまったため、葛葉の価値観を一変させることになる。


 天狗の擬態を見破った人間がいる、という話はまわりまわってそれがアザミのみ耳に入ることになり、アザミ直々のスカウトで入社を決意。


 腕は確かで判断も速い。ただし妖怪に対する医療への好奇心が少々強すぎるため、放っておくと患者を「興味深い症例」として見始める。


「常識が通じない相手にはこちらも非常識で対応しなければならない」が口癖の男、既婚。


 そして、その葛葉の隣で働いているのが神代柚葉、三十五歳女性。


 元病院看護師であり、現在は怪異専門医療の看護、救急対応、患者説明、職員の体調管理まで広く担っている。


 葛葉とは別の病院で働いており、もともとは特に霊感などはないが、人間も妖怪も平等に接する心根を持つ母性に溢れた女性、既婚。


 この日はこの二人と補助として瀬良アキ、桐生ナツメの四人の体制で百鬼のスタッフを健康診断を行う。


 といっても、瀬良とナツメが医療行為をするわけではない。


 瀬良は受付、呼び出し、問診票の確認。ナツメは検査順の管理、荷物置き場の案内、記録補助。


 そのはずだった。


「皆さーん、こちらで番号札を取ってくださーい。人型の方、非人型の方、霊体の方、形態可変の方で少し検査順が違いまーす」


 受付カウンターの前で、瀬良アキが明るく声を張っていた。コンカフェ勤務時代に鍛えられた笑顔は、病院の無機質な空気の中でも妙に馴染んでいる。


 その隣で、桐生ナツメがタブレットを片手に、妙にうずうずしていた。


「これ、社内記録用に撮ってもいいですかね? タイトルは“妖怪たちの健康診断、想像の百倍カオスだった件”で」


「駄目です」


 神代が即答した。


「まだ何も撮ってません」


「撮る前に止めています」


「サムネだけでも」


「駄目です」


「葛葉先生が妖怪を診る瞬間、絶対伸びますよ」


「伸ばしません」


 ナツメはしゅんと肩を落とした。


「医療コンテンツ、厳しい……」


 修司は小さく頷いた。


「神代さん、ナイスです」


「当然です。健康診断は見世物ではありません」


「ですよね」


「ただし社内記録として、必要な数値と注意事項は残します」


「そこはお願いします」


 その時、診察室側の扉が開いて、白衣姿の葛葉が姿を現す。表情はいつも通り薄い。


 だがその視線だけは、集まった百鬼の面々を見て、少しだけ鋭くなった。


 九郎の腰には工具袋。モメンは配送用バッグ。ミケは香箱座りでウトウトしていて、ヒナは問診票より小さな身体で、鉛筆を両手で抱えている。


 つゆはバッグの中へ缶ビールを隠そうとしていた、もちろんそのバックは保冷バック、しかも上等なやつ。


 葛葉は一通り確認した後、短く言った。


「分かった」


 修司が顔を上げる。


「何がですか」


「全員、健康診断を分かっていないことが分かった」


「やっぱりそこからですよね」


 九郎が不満そうに眉を寄せた。


「いやいや、俺は分かってるっスよ。体調がいいか悪いかを見るんスよね?」


「方法は?」


「配管点検」


「違う」


「早いっス!」


 モメンが天井付近から降りてくる。


「俺は配送速度で測る」


「違う」


「まだ詳細を言っていない」


「言わなくていい」


 ミケが尻尾を二本揺らした。


「アタシは帳簿の締め速度だね」


「違う」


「数字を見るんだろう?」


「それは経理だ」


 ヒナが小さく手を挙げる。


「わ、私は書類を何枚運べるかで」


「違う」


「違うんですか……?」


 ヒナは少し寂しそうに鉛筆を抱え直した。


 冬華が静かに言う。


「私は冷却出力を測れば、おおよその状態は分かります」


「それは参考にはなる」


 葛葉がそこだけ否定しなかった。


 修司は意外そうに葛葉を見る。


「そこは参考になるんですか」


「なる。妖怪の場合、普段の能力出力や業務能力が体調のバロメーターになることはある」


 九郎がぱっと顔を明るくした。


「ほら!」


「ただし」


 葛葉の声が低くなる。


「それだけでは診断にならない」


 九郎の顔が止まった。


 葛葉は全員を見渡す。


「能力で不調を補えるからだ。妖怪は特に、自分ではいつも通り動けているつもりでも、身体の一部や妖力の流れに負荷が蓄積している場合がある」


 モメンの布地がわずかに揺れた。


 冬華が静かに目を伏せる。


 蓮次も腕を組んだまま黙る。


「飛べるから健康。冷やせるから健康。力が出るから健康。飲めるから健康それも大事な一つの指標だが……」


葛葉の視線が、最後につゆで止まる。


 つゆはバッグをそっと抱え直した。


「……今、最後だけ私を見た?」


「見た」


「医者って正直ね」


「嘘をつく必要がない」


 修司が横から言う。


「つゆさん、バッグから缶の頭出てますよ」


「これは医療器具よ」


「まだ言うのか!」


 神代が一歩前へ出た。


「今日行うのは、皆さんを人間の基準に無理やり当てはめる検査ではありません」


 その言葉に、妖怪たちが少しだけ静かになる。


「人間には人間の正常値があります。ですが、妖怪の皆さんの体のつくりは人間のそれとは勝手が違いすぎるため、個々で適している診断を行っていきたいと思います」


 ヒナがほっとしたように胸を押さえる。


「じゃあ、私も人間用の大きな体重計に乗らなくていいんですね」


「はい。ヒナさんには精密計量器を用意しています」


「精密……」


 ヒナの表情がまた曇る。


「こ、小麦粉みたいに量られるんですか?」


「違います」


 修司が思わず言う。


「ヒナちゃん、発想が料理寄りだな」


「こ、粉ものにされるのかと」


「されないから安心しろ」


 葛葉が真顔で呟く。


「紙質の検査なら、繊維サンプルを」


「取りません」


 神代が即座に止めた。


「まだ何も言っていない」


「言う前に分かります」


 修司は青木へ小声で言った。


「葛葉さん、腕はいいんだけど、神代さんがいないと危ないな」


「僕も今まったく同じこと思いました。マッドなサイエンスをしそうです」


「聞こえているぞマッドではない、貰えるだけアンプルはもらうがな、ひっひっひ」


 葛葉が淡々と言う。


「ねるねるねるねかよ」


 修司の心に不安しか残さないまま、健康診断は始まった。

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