第8話:仕掛け
「……もう一度いく」
神谷恒一は、視線を外さずに言った。
東條凛は頷かない。
否定もしない。
ただ、横で“観察している”。
モニターのUSD/JPYは、相変わらず細かく上下を繰り返していた。
152.80
153.10
152.60
「……」
さっきの勝ち。
+2600万。
結果だけ見れば、十分だ。
だが。
「……」
胸の奥に残っている。
あの“軽さ”。
「……簡単すぎる」
小さく呟く。
凛が横で答える。
「その感覚は正しいわ」
「……」
「簡単に勝てる相場は、長く続かない」
「……」
つまり。
「……次は来る、か」
「ええ」
凛は短く頷く。
「来るとしたら?」
「……罠」
「……」
静かに、息を吐く。
「……鑑定」
【USD/JPY】
上昇確率:49%
短期変動:乱高下
リスク:極高
「……」
数値は、曖昧。
どちらにも振れる。
だが。
「……違う」
「何が?」
凛が聞く。
「……動きが、揃いすぎてる」
「……?」
チャートを指でなぞる。
「ここ」
152.80 → 153.10 → 152.60
「……上げて、落とす」
「……」
「しかも、同じ幅で」
「……」
凛の目が、少しだけ鋭くなる。
「……意図的ね」
「ああ」
「自然じゃない」
その時。
チャートが上がる。
153.20
153.80
154.30
「……」
「……上ね」
凛が呟く。
「……」
確かに、そう見える。
流れは上。
買いが入っている。
板も厚くなっている。
「……」
だが。
「……軽い」
思わず口に出る。
「……軽い?」
「ああ」
「……本気の上げじゃない」
「……」
凛は何も言わない。
ただ、見ている。
「……鑑定」
【USD/JPY】
上昇確率:56%
「……」
数値は“上”。
だが。
「……」
違和感は消えない。
むしろ、強くなる。
「……」
一瞬、迷う。
入るべきか。
見送るべきか。
「……」
その瞬間。
頭の中に浮かぶ。
さっきの流れ。
「……上げて」
「……安心させて」
「……」
「……落とす」
「……ロング」
気づいた時には、入っていた。
「……!」
凛が一瞬だけ反応する。
「今?」
「……ああ」
「……」
凛は何も言わない。
チャートが動く。
154.50
154.80
「……」
上がる。
+1200万
+2600万
「……来たな」
数字が伸びる。
利益が増える。
「……」
だが。
「……遅い」
「……?」
凛が反応する。
「伸びが弱い」
「……」
チャートが止まる。
154.85
154.80
「……」
空気が、変わる。
「……鑑定」
【USD/JPY】
上昇確率:51%
「……」
一気に下がった。
確率が。
「……」
嫌な予感。
「……切る?」
凛が聞く。
「……」
迷う。
+2600万。
ここで利確すれば勝ち。
だが。
「……」
欲が、出る。
「……まだいける」
その判断が。
崩れる。
154.20
153.60
152.90
「……っ!」
一瞬で流れが反転。
+800万
−500万
−1800万
「……!」
「切れ!」
凛の声が飛ぶ。
「……!」
すぐに決済。
結果――
−3200万。
「……」
静寂。
音が消えたような感覚。
「……」
ゆっくりと、息を吐く。
「……やられたな」
凛が静かに言う。
「ええ」
「完全に誘導された」
「……」
画面を見る。
まだ動いている。
何事もなかったかのように。
「……」
指で、さっきの動きをなぞる。
「……上げて」
「……安心させて」
「……欲を引き出して」
「……落とす」
「……」
完璧だ。
「……精度高いな」
「ええ」
凛が頷く。
「プロの動き」
「……」
つまり。
「……相手も読んでる」
「そういうこと」
「……」
小さく、笑う。
「……いいな」
「……その反応?」
凛が少しだけ呆れる。
「普通は落ち込むところよ」
「……」
肩をすくめる。
「……負けるのは問題じゃない」
「……」
「同じ負けを繰り返すのが問題だ」
「……」
凛が、わずかに笑う。
「……合格ね」
「……」
画面を見る。
動き続ける相場。
その奥に。
「……」
何かがいる。
「……次は、外さない」




