第7話:初仕事
「――まずは小さくいくわ」
東條凛の声は、落ち着いていた。
その一言で、この場の“温度”が決まる。
モニターに映るのは、USD/JPY。
絶えず動き続ける数字。
赤と緑が、細かく入れ替わる。
「……小さく、ね」
神谷恒一は、ゆっくりと呟いた。
「これは為替介入じゃない」
凛が続ける。
「ただの“テスト運用”」
「あなたの精度を見るためのものよ」
「……」
視線を、モニターに固定する。
競馬とは違う。
結果が決まっている世界じゃない。
「……」
“流れている”。
それが最初の感覚だった。
「どう?」
凛が横から聞く。
「……」
すぐには答えない。
視線を動かさず、ただ見る。
「……読みづらいな」
正直な感想だった。
「当然よ」
凛が短く答える。
「これは人が作る相場」
「資金、思惑、恐怖、欲望」
「全部が混ざってる」
「……」
なるほど。
だから、一定じゃない。
「……鑑定」
視界の端に、情報が浮かぶ。
【USD/JPY】
上昇確率:52%
短期変動:不安定
リスク:高
「……微妙だな」
「どっちにも振れる?」
「……ああ」
凛は、少しだけ頷く。
「じゃあ?」
「……待つ」
「……」
一瞬、間が空く。
「慎重ね」
「……最初だからな」
軽く答える。
だが。
内心は違う。
「……」
“分からない”わけじゃない。
「……まだ、浅い」
そう感じていた。
数分後。
チャートが、わずかに動く。
154.80
154.50
154.10
「……」
下がっている。
だが。
「……弱いな」
思わず呟く。
「何が?」
凛がすぐに反応する。
「……落ち方」
「……?」
「本気じゃない」
「……」
凛の目が、わずかに細くなる。
「……続けて」
「……一回、上げる」
「そのあと落とす」
「……」
凛は何も言わない。
ただ、見ている。
チャートが動く。
153.90
154.20
「……」
「……来たな」
だが。
「……まだだ」
動かない。
「入らないの?」
凛が聞く。
「……早い」
「……」
「これは“誘い”だ」
「……!」
凛の目が変わる。
その直後。
崩れる。
153.60
153.20
「……」
空気が、少しだけ変わる。
「……ここだ」
「ショート」
ポジションを持つ。
その瞬間。
一瞬だけ。
「……」
“遅れたか?”
そんな感覚が走る。
だが。
チャートは応える。
152.90
152.60
152.30
「……」
落ちる。
一気に。
+800万
+1500万
+2300万
「……来た」
だが。
「……」
深追いはしない。
「……ここで利確」
ポジションを閉じる。
結果――
+2600万。
「……」
静かな空気。
凛が、ゆっくりと口を開く。
「……悪くない」
「……」
だが。
恒一は画面を見たまま、動かない。
「……どうしたの?」
「……」
小さく、息を吐く。
「……違和感がある」
「……?」
「……簡単すぎる」
その一言で。
空気が、変わる。
「……」
凛の表情が、少しだけ引き締まる。
「それは、いい兆候じゃないわね」
「……やっぱりか」
「ええ」
凛は、はっきりと頷く。
「市場はそんなに甘くない」
「……」
視線を、再びモニターに向ける。
動き続ける数字。
だが。
「……」
その中に。
微かな“違和感”。
「……」
さっきの動き。
あの“誘い”。
「……」
ただの偶然じゃない。
「……」
小さく呟く。
「……誰かいるな」
「……」
凛が、わずかに目を細める。
「……同感よ」
「……」
静かな空気。
だが。
その裏で。
何かが、動いている。
「……」
恒一は、小さく笑った。
「……いいじゃないか」
「……」
「初仕事にしては、面白い」




