皇子、父の間へ
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こうして楊胤は仙霞と共に、久方ぶりに華蠱宮へ赴くことになった。
仙霞はどこか浮き立つ様子だ。まるで実家に帰るかのような表情である。
華蠱宮は以前と変わらず、ひっそりと佇んでいた。
蠱婆の離れを訪ねると、蠱婆はあの日と同じ場所、同じ姿でふたりを迎えた。ただ、今回は昼間だったため、前に感じたほどの不気味さはない。
「……結局、わしが行かねばならぬのかい」
蠱婆は大きくため息をついた。
どうやら気乗りしないらしい。当然といえば当然だが。
「今回は罪人探しとはわけが違う。蠱毒に中ったのは皇帝だ。いかに蠱婆といえど、これは断れぬ案件だ」
楊胤は鋭い目で蠱婆を見据えた。
帝を救いたいからではない。仙霞を皇帝に会わせたくない――その思いのほうが強かった。
「そうですよ。罪人探しは大変でした。四夫人の宮に行ったり、呪われかけたりもしたのですから」
それを言ってしまえば、余計に蠱婆が行きたくなくなるのではないだろうか。やはり仙霞は、どこかずれている。
懸命に口添えする様子からは、帝の呪いを自分ひとりで跳ね返す自信が、やはりないのだろうとうかがえた。
「わかっておる。宮廷に放蠱された場合、その呪いを退けるために、わしらは存在するのだからな。それに、古代の帝と後宮の蠱師との間には契約術がある。足が痛いから行けぬ、とは言えん」
思いのほかあっさり承諾してくれたので、楊胤は胸をなで下ろした。
「ただ、輿は用意してくれ」
「すでに手配してある。輿が入れぬ道は、武官に背負ってもらうことになる」
「……準備のいいことだ」
蠱婆は観念したように重い腰を上げた。よろめく体を、仙霞が慌てて支える。
蠱術の道具を大きな布包みに詰め、蠱婆は華蠱宮を後にした。
巨体の蠱婆を宦官が支えきれるはずもない。そこで特別に許可を取りつけ、屈強な武官が後宮に足を踏み入れることになった。輿が通れぬ狭道では、武官の背におぶってもらうことになった。
蠱婆は意外にも頬を染め、満更でもない様子である。
「……息子がいたら、こんなかんじかのう」
乙女のような声音に、仙霞は呆れるように目を細めていた。
そうして蠱婆は、帝の寝室がある大内殿へと辿り着いた。
言い伝えや神話のようにしか語られなかった存在が、目の前に現れたことで、周囲はざわつく。
侍医は訝しげな目を向けながら立ち会っていたが――蠱婆が術を施すと、帝の苦痛の叫びはぴたりと止み、全身に浮かんでいた青痣もすうっと消えていった。もはや疑いようはなかった。
蠱婆は寝所に麝香を焚き、一晩中読経を続けた。
それでも完解には至らず、呪いとの戦いは長期戦になりそうだという。
しかし――さすがは本物の呪術師というべきか。一晩のうちに帝は食事を取り、言葉を交わせるまでに回復していた。あれほど苦痛に叫び悶えていたのが嘘のようで、その回復ぶりは驚異的としか言いようがない。
そして、声を取り戻した帝が最初に呼び寄せたのは、楊胤だった。
(……帝と直接話すのは初めてかもしれない)
これまでは皇子のひとりとして、儀式や会議で顔を合わせるのみ。血は繋がっていても、肉親と感じたことは一度もない。
抱かれた記憶もなければ、一緒に遊んだこともなく、親子らしい会話など交わしたことさえなかった。
(何の用だ……。考えられるとすれば、あの件か)
胸の奥がきしむように強張り、楊胤は珍しく緊張を覚えていた。
侍医の許可を得て部屋へと進む。侍中が扉を押し開き、中へ入るよう促した。
「失礼いたします」
深く揖礼をし、顔を伏せたまま静かに歩を進める。許しが出るまでは顔を上げることは許されない。
床しか見えぬ状態で、麝香の濃い香りが鼻を満たす。
「顔を上げよ」
帝の声に従い、ゆっくりと顔を上げる。思いのほか、その声には力があった。
室内は絹の帳と金銀の装飾に彩られ、きらびやかに整えられている。床榻に腰をかける帝の背後には分厚い敷布が置かれ、体を支えていた。
顔はまだ青白いものの、その眼光は鋭く、圧をもって楊胤を射抜く。
帝の傍らには蠱婆が控えていた。椅子に腰を下ろし、両手を合わせて目を閉じ、ぶつぶつと読経を続けている。なにを唱えているのかはわからないが、室内には不気味な響きが漂っていた。
「他の者は下がっておれ」
帝の言葉で、部屋に残ったのは楊胤と帝、そして蠱婆のみとなった。
気まずい沈黙がゆっくりと流れる。
「梅昭媛を呪殺した罪人の件は、どうなっておる」
呼ばれたのは、蠱毒の罪人についてだったようだ。当然、そうだろうと思っていたので、淀みなく言葉が出る。
「大方、検討はついております。あとは証拠を集めるのみかと」
少しばかり話を盛っておいた。
そう言っておかねば、楊胤の立場が危うくなる。
「必ず見つけよ。罪人にどれほど権力があろうとも、見逃してはならぬ。そして、余の病を治せ」




