玉座を蝕む毒
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――ついに蠱毒の毒牙は皇帝へと及んだ。李赫帝が原因不明の病に倒れたのだ。
その症状は、かつての梅昭媛と酷似していた。腹を突き上げるような激痛で立っていられず、横になっても全身を虫が這いまわる感覚に苛まれる。痒くてたまらず、身をよじって悶えるしかないのだという。
侍医が診察すると、帝の体には奇怪な青痣が浮かび上がっていた。
(……とんでもないことになった)
報告を受けた楊胤は、胸の内でつぶやく。
得体の知れぬ病ゆえ、侍医以外の立ち入りは禁じられた。
皇帝の寝室をはじめ私的な部屋が設けられている大内殿には皇子たちが集められ、螺鈿細工を施した豪奢な客室でめいめいが声を荒げる。
「なぜ父上がこんな目に!」
頭を抱え、円卓に突っ伏して叫んだのは、皇位継承権第二位・貴妃の子、文慶だった。
「大丈夫だ。父上は必ずや病に打ち勝つ」
そう言って文慶を宥めたのは、第一位の文曜。
眉の下がった温和な面立ちだが、威厳を強調するために、帝のまねをして顎鬚を蓄えている。
その口元には、どこか微笑が浮かんでいるように見えた。
「ついに玉座が手に入ると思っているのですか。顔がうれしそうですよ、文曜兄さん」
わざとらしく「兄さん」と呼んだのは、皇位継承権第三位、淑妃の子である武羅だった。
小柄ながら血気盛んな男で、きかん気の強い野犬を思わせる鋭い目が、文曜を不敵に射抜いている。
「なんと不敬なことを!」
文慶が殴りかかろうとするのを、文曜が身を挺して止める。
文慶と武羅は同い年。互いを宿敵と思い合い、顔を合わせれば火花が散る。
そんな二人を、おろおろと見つめているのが継承権第四位の文爽だった。少年というより少女を思わせるほど線が細く、儚げな佳人ぶりである。
十五歳と若いが、母が貴妃ゆえに楊胤より高い継承権を持つ。
そして楊胤は、部屋の片隅で壁にもたれかかり、我関せずといった素知らぬ顔で立っていた。
(馬鹿らしい)
父が重病で伏せっているというのに、兄弟たちは相も変わらず小競り合い。こんなときくらい静かにできないのかと、心中で嘆息する。
とはいえ楊胤も、心配しているのかと問われればそうではない。間接的にとはいえ、自分の母を死に追いやった張本人だ。恨みはあれど、同情の余地はない。
「皇位継承権第一位とはいえ、まだ父上は皇太子に指名したわけではないことをお忘れなく」
武羅の言葉に、文曜の顔がさっと青ざめる。
味方がいない中でも平然と喧嘩を吹っ掛ける武羅の胆力はたいしたものだ。
対して、絶対的に有利な立場でありながら反論ひとつしない長子・文曜の頼りなさは目につく。感情を抑える器量と取れなくもないが、官吏たちの噂を聞く限り、ただ気弱なだけの皇子らしい。帝が文曜を皇太子に指名していないのも、その精神的な弱さを憂慮してのことだと聞く。
「父上の病は……梅昭媛と同じものなのでしょうか」
つぶやくような小さな声が、部屋の空気を一変させた。
言ったのは最年少の文爽。まるで美少女のような整った顔立ちの少年だ。
普段は兄たちを立てて口をつぐんでいるが、たまに零す言葉は妙に的を射ている。実は聡明なのではと思わせる瞬間があるのだ。もっとも、官吏の評判でそんな話を耳にしたことはなく、楊胤の思い過ごしかもしれない。
「そうだ。梅昭媛を呪殺した罪人は、まだわからぬのか」
叱りつけるような調子で、文慶が詰め寄る。
「蠱師見習いの妃と仲睦まじくやっていると聞くが、仕事を忘れているわけじゃないだろうな?」
武羅が半笑いを浮かべながら茶化した。
仙霞との噂は、やはり兄たちの耳にも届いているらしい。
「ただいま、証拠を集めているところでございます」
楊胤は拱手の礼をとり、淡々と答える。
「証拠……つまり、すでに目星はついているということか?」
文曜が静かに問いかけた。楊胤は小さくうなずく。
本当はまったく検討もついていない。
だが仙霞はわかっているようだったので、そう思わせておいた方が都合がよいだろう。
「つまり……梅昭媛は本当に呪殺だったのですか?」
文爽が信じられないといった表情で楊胤を見つめる。
他の兄たちは疑うことすらなかったが、文爽だけは違うらしい。
「はい。私も実際に目にするまでは半信半疑でしたが――蠱毒は実在します」
楊胤が断言すると、兄たちの顔色が一気に青ざめた。
驚きというより、もとより信じていたものの恐ろしさを、改めて思い知らされたのだ。文爽はなお半信半疑の面持ちを浮かべていたが、理性的な楊胤が言うのだから本当なのかもしれないと熟考している様子だった。
「それなら、一刻も早く呪い返しを行うべきだ! 蠱師見習いを至急連れてこい!」
武羅が声を張り上げる。
「いけません!」
思わず大声を上げてしまい、楊胤ははっと我に返った。
(しまった……)
初めて感情を露わにした楊胤の姿に、兄たちは一瞬固まる。
「……見習いでは役不足です。父上の命に関わること。ここは本物の蠱師――蠱婆を呼ぶべきです」
「そ、そうだな。頼む」
長子・文曜の言葉に、楊胤は深々と拱手して応じた。
(危なかった。もし帝に仙霞を会わせれば、気に入られてしまうかもしれぬ。会わせてはならない、絶対に)




