神の力
森の境界にへばりつくような貧民村。
かつて「勇者」として期待されたクラスメイトの、一週間後の姿がそこにあった。
制服は薄汚れ、泥と獣の血がこびりついている。
魔王討伐という大義はとうに消え失せ、彼らは今や、村の宿屋で皿を洗い、薪を割り、家畜の糞尿を処理することで、最低限の食糧を得るだけの「労働力」と化していた。
「……阿久田、皿洗いは俺の担当じゃないと言っただろ!」
「うるせえ、明智! ならお前が代わりに森へ行って、安全な木の実でも探してこいよ!」
かつてのクラスの序列は、暴力と生存への飢えによって歪に再構築されていた。
藍野華もまた、その美貌の陰はなかった。
やつれ果てた顔で、宿屋の床を雑巾で拭いている。
かつて正夫を蔑んでいた瞳からは、希望もプライドも抜け落ち、ただの空虚な虚無だけが宿っていた。
彼らは皆、自分たちが「神に見捨てられた」という事実を、肌で理解し始めていた。
そんな彼らを、容赦のない運命が襲った。
村の境界を警備していた見張りの悲鳴が、切り裂くように響く。
「ま、魔物だ! 森の……! ぐあああっ!」
現れたのは、森の主とも呼べる巨大な獣たちだった
鋼鉄のように硬い外皮を持つ大狼が、次々と村へとなだれ込む。
阿久田が腰に差した鉄剣を抜くが、その手は小刻みに震えていた。
彼らのスキルは「星の補正」を失いかけており、以前のような威力は出ない。
「くそっ、何で俺たちがこんな目に!」
阿久田の剣が獣の首を捉えるが、浅い切り傷にしかならない。
獣は逆に阿久田の腕を食い破り、鮮血が噴き出す。
隣で明智が絶望的な声を上げる。華が泣き叫び、逃げ惑う。だが、出口はない。
一人のクラスメイトが巨大な爪で引き裂かれ、肉の砕ける鈍い音が響く。
内臓が広場にぶちまけられ、悲鳴が断末魔へと変わる。
先ほどまで罵り合っていた仲間が、瞬く間に無惨な肉塊と化していく。
残ったのは、泥に塗れ、絶望の淵で怯える十二、三人の生存者だけだった。
全員が死を覚悟したその時だった。
村の入り口を塞いでいたモンスターの群れが、突如として霧散した。
何が起きたのか? 誰も理解できなかった。
ただ、そこには二つの影があった。
一人は、月光を宿した銀髪の魔女。もう一人は――。
「……正夫?」
華の掠れた声が、広場に響く。
そこに立っていたのは、かつて自分たちが「ゴミ」と呼び、足蹴にし、殺したはずの少年、平正夫だった。
しかし、今の彼からは、卑屈さの欠片も感じられない。
身に纏うのは清潔な衣服。
その瞳は、まるで遠い空からこの地上の泥沼を見下ろすかのように、どこまでも冷徹で、静謐だった。
「あら、ごきげんよう。……本当に救いようのない風景ね」
イレイナは、隣に立つ正夫の背を軽く押す。
「さあ、見せてあげなさい。この一週間で、あなたが何を学んだのか」
正夫は、感情を排した無表情のまま、モンスターの大群へと歩き出した。
阿久田が、明智が、華が、その背中を凝視する。
正夫は、襲いかかる巨獣の鼻先に、白く細い指をそっと触れた。
「……分解」
静かな呟きとともに、巨獣の身体が音もなく粒子となって霧散する。
一匹、また一匹と。
触れた瞬間に、どんな強固な魔物も塵に変わる。三十秒もかからなかった。
数百の群れが、正夫が歩いた跡に灰として残っただけだった。
そして、正夫は広場に転がる、無惨な死体へ歩み寄った。
引き裂かれ、事切れたクラスメイトの胸元に、静かに手を添える。
「……再構築」
眩い黄金の光が彼を包む。
裂けた皮膚が、折れた骨が、失われた肉が、奇跡のように編み上げられていく。
心臓が再び鼓動を刻み、クラスメイトが大きく息を吸い込んで目覚める。
神の奇跡そのものだった。
静寂が、村を支配した。
阿久田は、泥まみれの手を震わせながら、目の前の光景を理解できずにいる。
かつて自分が殴り殺した「ゴミ」が、今、自分たちを救った神として立っている。
その事実が、彼らのプライドを、精神を、完膚なきまでに叩き潰した。
明智が崩れ落ちる。
華が声を上げて泣き崩れる。阿久田は何も言えず、ただ白目を剥いて震えることしかできない。
謝罪の言葉さえ、今の彼らにはあまりに滑稽で、口にすることさえ許されない重罪のように感じられたからだ。
「……本当のゴミとは、こいつらのことね。神様のおかげで命拾いしたというのに、足元で震えることしかできないなんて」
イレイナの冷笑が、村の空気を鋭く切り裂く。
だが、正夫は彼らに一瞥もくれなかった。
まるで道端に落ちている石ころに興味を示さないように、ただ静かに振り返る。
「行きましょう、イレイナ」
正夫は、崩れ落ちるクラスメイトたちを背に、再び魔王城の方角へと歩き出した。
救済を受けたはずの者たちが、その背中を見つめながら、ただ土を舐めるようにして沈黙するしかなかった。




