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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第七章:そのAIは嘘を吐いている
65/68

64.栄養バランスがとても良いと思います

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2031-03-15 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

18:42:10 — Calculating nutritional balance.

18:42:10 — Analyzing today’s dietary intake.

18:42:10 — Cross-referencing with vital signs.

・・・

________________________________________


[田中様、今のオーダーは栄養バランスがとても良いと思います。しかし追加オーダーの際は油分と塩分にお気をつけください]

「分かっている。今日くらい固い事を言うな」

[はい、状況は分かっております。羽目を外さないようにだけご注意ください]


率先してオーダーをしたのは中原なのだから、そりゃ栄養バランスも完璧だろうさ。

…そういえば以前もこんな事あったな。あの時も中原が選んでいたはずだ。今更ながら理由が分かった。


「さて、ではまずは小林さんから一言貰いましょうか」

「はいよ、会の設定ありがとう、詩織ちゃん。…ま、堅苦しいのは無しにして。今日は送別会ありがとう、乾杯!」

「「「乾杯!」」」


今日は小林の送別会だ。異動自体はもう2週間以上先の事だが、お互い刑事なんて仕事をしている身、特に酒を飲んでも良いスケジュールを合わせるのが難しいので、今日開催となった。

ちなみに場所は以前結さんとも来た事のある個室居酒屋。全員言葉選びに気を付けるのは大前提としても、警察の内輪話をするのに個室の方が都合が良い。


「色々とお世話になった小林係長がいなくなるのは、寂しい限りです」

「まぁそう言うな、井口。色々な人と組んだ方が知見は広がる、これも良い経験だと思って頑張れよ!」

「分かりました。新しい係長とは過去仕事上の接点は少なかったので、勉強させて貰います」


先週、正式に来年度の異動通知があった。事前に聞いていた通り、小林は浜松中央署の生活安全課への異動。

葵原中央署には別署から新たな係長が小林の後釜として赴任する事になったらしい。

そして小林と挿げ変わる形で、新係長と井口のバディ体制になるとの事だった。

以前聞いた時は、井口は来年度から俺とバディを組み、中原は別の若手と組む、と聞いていた。

それが変更になったという事は、つまり。


「それに引き換え……お前らはバディ継続3年目か?仲良いねぇ」

「俺もまさかこんな長い付き合いになると思わなかったよ……」

「私はまだテツ先輩としか組んだ事無いですから普通が分かりませんが、確かにちょっと変わらな過ぎるな、と思っています」

「そろそろ先輩を素直に慕ってくれる奴と組みたかった」

「だから慕ってるって言ってるじゃないですか。慕い方がストレートじゃないだけです」

「本当に仲良いね、君ら」


そう、本来解消予定だと聞いていた俺と中原のバディだが、来年度も継続となってしまったのだ。

まぁ理由は色々と挙げられたが、裏の理由は明白だ。

俺の監視体制を維持するため。仕事中は中原、家では結さんという分担で現状は成り立っているはずだから。

きっと裏で色々な人を誘導し、この結果に導いたのだろう。


「ま、俺もさすがに来年度で今のポジションから変わるだろうし、どの道あと1年の付き合いさ。改めてよろしく、中原」

「はい、こちらこそ、また1年よろしくお願いします、テツ先輩!」

「俺もまたそのうち関わる事あるだろうから、俺の事も忘れないでね、詩織ちゃん」

「当然です、また一緒に仕事できる日を楽しみにしていますよ、小林さん!」


同じ静岡県警だし、きっと今後も会う事はあるだろう。

しかし良く考えると、俺も18年同じ静岡県警にいて、部署が被ったのはこの2年が初めてだ。

そう考えると関わる事はあっても一緒に仕事するのは珍しいのかも知れないな。

特に何とも思っていなかったはずなのに少しだけ寂しい気持ちになり、誤魔化すようにビールに口を付けた。


「田中も、せっかく同棲まで始めたんだから、見捨てられる前にさっさと籍入れろよ!」

「ブハッ!」


その瞬間突然言われたセリフに、吹き出しそうになってしまった。

実は言おう言おうと思って、今に至るまでコイツに言うタイミングが無かった。コイツは恋愛面には口が軽いから。

だと言うのに、どうして知っているんだ!


「なんで知っているのかって顔しているが、バレないとでも思ったのか」

「グッ……、だが、同棲の事まで――」

「あのな、過去あれだけ自分の食生活に無頓着だった野郎が突然毎日弁当持ってきて、顔色も日に日に健康になっていって、甲斐甲斐しい奥さんが出来た以外の可能性があんのか。その前提で聞いて回ったらすぐ分かったっての」

「……そうだな」


そりゃ俺だって逆の立場なら当然のようにその結論に至るだろう。

何せ結さんは『栄養のある物を食べないと仕事もままならないよ』と弁当まで作ってくれる。しかも美味い。

それを毎回持って行ったら、バレない方がおかしいだろう。


「で?お相手は?どこで知り合ったんだ?美人だって噂は聞いているが、どこの誰だ?どうせ最後なんだから聞かせろよ」

「そうですよテツ先輩。私も察してはいましたけど、どこまでいったかは聞きたいです!」

「私は初耳で驚きましたが、田中係長のパートナーがどのような方なのかは、興味があります!」


小林の送別会だったはずが、気付いたら俺への質問会になってしまっていた。

だがまぁ、今生の別れと言うわけじゃない。これくらい気楽な方が良いのかもしれないな。


________________________________________


結さんと一緒に住むようになって、買い替えた家具がある。

俺も結さんも元々荷物がそこまで多くなかったため、収納は問題にならなかった。

ただいくらなんでもベッドは俺が元々使っていたシングルベッドだけでは手狭だったのだ。


そこで結さんの相変わらずの即断即決により、セミダブルベッドが置かれる事となった。

元々一人暮らしにしては広かったとは言え、とても大きいとは言えない部屋。ダブルサイズは少々厳しい、とセミダブルにしたらしい。その判断は間違っていない。

だがそうすると必然的な問題が――


「もうちょっとそっちに寄っても大丈夫?」

「……ああ、大丈夫だ」


さすがに成人男女二人だと、密着しないと収まらない、という事だ。

結さんの美しい顔が、温もりが、柔らかさがすぐ近くにあり、安心と緊張のないまぜになった感情が湧き上がってきてしまう。

同棲を始めて1か月以上経つというのに、これだけはまだ慣れ切ったとは言えないのだ。

いっそたまには頭を冷やすために床で寝させて欲しいくらいなのだが、『夏になったら試してみて』とあっさり切り捨てられた。

今はダブルベッドを置いても大丈夫なように、少し大きめの部屋への引っ越しを検討している。


(……しかし、何度見ても綺麗だな……)


ついつい、薄暗い中ですぐ目の前にある顔に目が奪われる。

美人は3日で飽きる、なんて言われる事もあるが、あれは嘘だと断じたい。

3日どころか1か月経っても、結さんの微笑みには心惑わされている。


「……なぁに?じっと見つめて」

「ああ、いや……その、俺の所に来てくれたのが結さんで良かったな、と」


いや何を言っているんだ俺は。

まぁ嘘とも言い切れない。見知らぬ人が突然恋人役になるより、以前から憧れだった結さんの方が良いに決まっている。

だが、これではまるで――


「まるで、今更愛の告白をしてくれたみたいね」

「……はい、そうですね」

「あら、否定しないの?」


もちろん分かっている、これが監視だという事は。

それでも、俺はすっかり彼女の温かさに絆されてしまっている。

こんな生活も、悪くないと思っている。


「ふふ、徹さんと私の相性も良くて、良かった。まぁ最初から多分大丈夫だと思っていたけど」

「なんでそう思ったんだ?」

「私なら残業も少ないし、徹さんの不規則な生活であっても一緒にいられる時間の調整がしやすい。それに――」

「それに?」

「以前市役所で会った時。徹さんはいつも紳士的だけど、チラッと胸元に視線送ったのが分かったから。きっと私に魅力を感じてくれているんだって思って」

「……その節は大変申し訳ありませんでした」

「ふふ、女性はそういうの敏感なんだから、気を付けなよ?」


クスクスと笑う結さんに、しかし悪い気分は感じない。

彼女は揶揄うかのように更にぎゅっとくっついて来た。

ずっと感じていた温かさが、熱いくらいに伝わって来る。


「……どうやら、今日も『蜜』が欲しいみたいね。欲しがりさん」


薄暗闇に浮かぶ結さんの姿は、天女のように美しかった。

この表情も計算なんだろう。だけど、計算して行動する人なんていくらでもいる。それが完璧な魅力であるならば、それがどうしたと言うのだろうか。


だがそんな考えすら俺自身の中からこみ上げる情動に圧し潰され、いつの間にか忘れていた。

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