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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第七章:そのAIは嘘を吐いている
62/68

61.混雑状況から考えますと

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2031-01-02 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

10:19:40 — Surrounding environment verified: crowded conditions.

10:19:40 — Remaining distance to destination confirmed.

10:19:41 — Companion presence verified. No separation detected.

・・・

________________________________________


周囲は多くの木々に囲まれ、その緑は空に広がる広大な青、更に遠くに見える巨大な門に光る朱色と見事なコントラストを醸し出している。

……と、だけ言うと非常に雅な風景なのだが、実情は少々異なる。


「ありがとうございます、一袋で500円になります!」「ママー、僕も食べたい!」「今なら焼きたてが提供できますよー!」「おみくじってどこでできるの?」「甘酒いかがですかー!」・・・


視線を正面に戻すと、木々や空や楼門よりも、大量の人影と屋台のテントに視界が埋め尽くされる。

屋台と参拝客の声も相まって、大都会かと錯覚するかのような騒ぎだ。

そして多くの人が屋台に足を止めている事もあり、その進み具合はもどかしいほどにゆっくりなのだ。


「さすがに人が多いな……。SOPHIA、拝殿まであとどれくらいだ?」

[楼門までが約116m、拝殿までは200m程度と言った所です。ここまでの混雑状況から考えますと、10分から15分程度といった所かと思います]

「すぐそこに見えているんだが、まだそこそこかかるか」

[仕方ありません。本日は1月2日、初詣に参拝される方は非常に多くお子様連れも多いため、この先も進行速度は緩慢であると予想されます。無理に抜けるのは危険です]

「ま、そうだよなぁ……」


1度だけため息を零して、手に持った紙コップ、先ほど買った甘酒の残りを呷った。

すっかり冷めてしまっていたが、酒粕の香りが混ざった甘さが口の中に広がっていった。


ここは静岡市内にある、大きな神社だ。

この辺の地域では『神社と言えばここ』と言うくらい有名である事、それに公共交通機関と徒歩で行ける事も影響してか、正月にはかなりの人数が初詣に訪れる。

俺は信心深い方では無いが、警察官という職業に就いている事もあり、毎年安全祈願として来ている。

ただ例年であれば数日ズラして混雑を回避するのだが、今年は珍しく三が日中に訪れたのだ。


「まぁまぁ田中さん、この辺はちょうど楼門が一番絵になるベストスポットです。人混みも初詣の醍醐味、のんびり行きましょうよ。はい、カステラどうぞ」


その理由が、俺と腕を組んで歩いている春日さんだ。

市役所で働いている彼女は、俺のように不定期休みではない。

お互い終日休みなのは、今日が一番都合が良かったのだ。


春日さんは先ほど買ったベビーカステラを1つ取ると、俺の口に押し込んだ。

白いダウンコートとグレーのマフラーに身を包んだ彼女は、いつもに増してにこやかに微笑んでいる。

普段市役所や食事処など屋内での姿を見慣れていた事もあり、新鮮でついつい見惚れてしまいそうだ。


「どうですか?チープな味かもしれませんが、美味しいでしょう?」

「……甘い、ですね……」

「あ、やっぱり甘酒と一緒だと甘過ぎましたか。しょっぱい物……たこ焼きでも買いましょうか?」

「あ、いえ……、いや、今食べ過ぎると昼食が食べられなくなりそうなんで、控えておきましょう」


周囲が混雑している事もあり、春日さんとの距離は普段よりかなり近い。腕を組んでいるというよりほぼ腕に抱き着かれているような状態だ。

恋人偽装関係が始まって比較的すぐに腕を組んで歩くようにはなったものの、ここまで密着して歩くのは初めてだ。

そんな状態で、しかも周囲の喧騒に紛れないように顔を近づけて話すもんだから、気が休まらない事この上ない。

……なんて事は、とても口に出せないのだが。


「でもこれだけ色々な食べ物の匂いがすると、お腹空いちゃいますね」

「こういった屋台は匂いで客を引き付けるのも立派な戦略ですからね」


たこ焼きや焼きそばなどのソースの香り。

串焼きやイカ焼きなどの肉が焼ける煙。

カステラや大判焼きなどの甘さをまとう匂い。

ちょっと鼻に注意を向けただけですぐに腹が鳴ってしまいそうなほど、食欲を刺激してくる。

だがもっとも――


「あなたはお腹空くとか無いでしょうに」

「田中さん?こんなに人が一杯な所で、そんな発言します?」


あ、と思わず口を手で覆う。

口が滑った。そうだ、ここは個室じゃないどころかすぐ近くに他人がいる密集空間だ。

アンドロイドとか言わなかっただけ良かったが、あまり良くない発言だろう。

それだけで周囲の人達が『あの女性はアンドロイドなのか』なんて思うはずが無いが、リスクを避けるに越した事は無い。


……しかし、なぜ先ほどと同じ笑顔のまま威圧感を出す事が出来るのだろう。

中原も以前同じ事をやっていたが、IRISの必修技術なのだろうか。


「えーと、冗談です、すみませんでした……」

「まったく、油断しないでくださいね。――でもそろそろ屋台も途切れてきましたね」


その言葉に改めて周囲を見ると、確かに先ほどまで道の両側を埋め尽くしていた屋台が少し疎らになってきた。

それに先ほど遠くに見えていた楼門も今はすぐ近くで見上げる対象となっている。

ゆったりとした歩みではあったが、順調に進んできたようだ。


そして楼門をくぐると、一気に視界が開けた。参道も十分広い道だと思っていたが、それでも『道』だった。

楼門の奥は大きな広場になっており、正面には朱色と金に彩られた豪華な社が、やはり青い空とマッチしつつ鎮座している。

相変わらず人で埋め尽くされているものの、解放感も相まって何となく空気が清浄に感じる。


「わぁ、豪華な拝殿ですね。美しいです」

「春日さんはここに来た事無かったのですか?葵原辺りに住んでいるなら一番有名だと思いますが」

「そうですね、信仰があるわけでもありませんし、特に祈願する事も無かったので、わざわざ人混みに足を向けなかったと言いますか」

「なるほど、それはそうかも知れませんね」


そりゃアンドロイドである彼女には食欲以上に、信仰心なんて物は存在しないだろう。

でも、祈願はするのだろうか?ええっと、言い方は気を付けて――


「では、今年は祈願する事があったから来た、という事ですか?」

「田中さん、その言い方はどうかと思います。愛しい彼氏と一緒に出掛けたかった、というだけではダメですか?」

「……揶揄うのはやめてくださいと何度も言いましたよ」

「ですから揶揄っているつもりは無いのですが。顔が赤いですよ?」


それはきっと甘酒のアルコールが飛びきっていなかったからだろう。

決して突然『愛しい』と至近距離で言われてドキッとしてしまったわけではないはずだ。


「ですが、今年は祈願する事があるというのは事実です」

「へぇ、そうなんですか?何です?」

「それは参拝が終わるまで内緒です。…田中さんは?何を願われるんですか?」

「私は例年同様、社会の平穏と安全祈願です。こればっかりは、私の努力だけではどうにもなりませんので」

「さすが、警察官の鑑ですね。田中さんのそういう所、凄いと思います。でも、たまには自分の事を願っても良いのでは?」


じっとこちらを見る春日さんの瞳から目を逸らし、空を見上げて少し考えてみる。

自分の事と言ってもなぁ……健康は願うものではなく自分で保つものだし、恋愛は仕事優先と自分で切り捨てたものだ。

商売繁盛は警察の仕事なんて減るに越した事はないし、事件解決も自分で努力すべき事だ。

やはり、危険な事件に関わっても安全でいられる事が、一番の願いとなるだろう。


「うーん、やっぱり警察なんて仕事していますから、安全祈願が一番ですね。先日の車での事故でも五体満足でいられたのは、ひょっとしたら去年の祈願のおかげかも知れませんし」

「なーんだ。『春日さんと一緒にいられますように』なんて願ってくれるかと思ったんですけど」

「……ですから、揶揄わないでくださいと――」

「あ、そろそろ私達の番です。行きましょう!」


いつの間にか目前に迫った拝殿の前に出て、春日さんに続くように賽銭を放り投げ、二礼して柏手を打つ。

手を合わせたまま目を閉じると、周囲の喧騒がどこか遠くに感じられる。


(一緒にいられますように、か。だがこれは作り物の関係だ。今後どうなるかは分からない。最悪、再び敵対する可能性だってある)


去年は最後の1か月でどうにも妙な事になってしまった。

SOPHIAの殺人に、社会に潜むIRIS。相棒も師匠も、それに春日さんとの関係だって。

何もかも嘘に彩られた中で、一体俺はどのように生きていくのが良いのだろうか。俺に、一体何ができるだろうか。

その答えはまだ見つからない。


(だがやはりまずは、安全に1年を過ごせますように、だな)


そう結論付けて目を開くと、春日さんはすでに祈願を終えたようでこちらを見ていた。

慌てて最後に一礼だけして、その場を離れる。


「さすがに人が多いとちょっと急かされますね。十分にお願いはできましたか?」

「はい、俺の方はいつも通りですから。結局春日さんは何を祈願したんですか?」

「あれ、気になりますか?」


すると彼女はクルリと振り向いて、そっと耳元に口を寄せて囁いた。


―――私は、『田中さんと一緒に穏やかな日々を過ごせますように』、と祈りましたよ。


その言葉に呆然としている俺に構わず再び腕を組むと、俺の腕を引きつつ参道に向けて歩き始めた。


「さて、じゃあ戻ってお昼を食べましょう。屋台の匂いでお腹が空きました」

「……屋台で何か食べても良いですよ」

「うーん、ゆっくりできる所の方が良いです。せっかくのデートですし」

「デ……、分かりました、じゃあ一旦葵原に帰りましょうか。少し時間はかかりますけど」

「そうですね、その間に年始に開いている店をSOPHIAに調べてもらいましょう」


その楽し気な声に、腕から伝わる柔らかな温かさに。

つい浮かんでしまった想いには――俺もこの人と一緒にいたいなんて願ってしまった事には、気付かなかった事にした。

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