57.おはようございます
User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]
Date: 2030-12-13 (JST)
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瞼を開くと、既に窓から燦々と日光が降り注いでいた。
普段なら6時半、12月ではまだ太陽が昇っていない時間に起きるのだが、普段起こしてくれるSOPHIAは電源が切られている。
それに昨日はありとあらゆる意味で疲弊しきっていた。いつもの時間に起きられなかったとしても無理は無いだろう。
(良い匂い…………ん?何の匂いだ?)
頭が働かずぼんやりしていると、ふわりと食欲をそそるような良い香りが鼻腔をくすぐった。
自分の家にあるまじき香りに、急速に脳が覚醒していく。
思わずガバリと起き上がり、部屋の中を見渡すと――
「あ、起きましたか?おはようございます」
キッチンの方から明らかに料理をしているといった様子の春日さんが現れ、思わず目を奪われた。
いつも軽くまとめる程度の髪は調理の邪魔にならないようにだろう、後ろでしっかりと束ねられている。
俺の家にはエプロンなんて物はないので服装は昨日見た物と同じだが、袖を軽く捲くり上げ、そのほっそりとした白い腕が見えている。
そして、普段だったら掛けている大きな丸眼鏡型SOPHIAが今も外されているおかげで、その優し気な顔立ちが惜しみなく晒されている。
「……」
「どうされましたか?……ああ、朝食を作っていました。冷蔵庫の中身を勝手に使っちゃってすみません」
「いや、それは、構いません、が……」
「色々と思う所はあるかも知れませんが、しっかり食事を摂らないと、動けなくなっちゃいますから。まず朝食にしましょう」
そう言い残して、彼女はキッチンの方に戻って行った。
その後ろ姿をぼんやりと見送り、ハッとする。
(……何を見惚れている。彼女は、アンドロイドだぞ……)
だが、以前から憧れを持っていた美しい姿なのも間違いないのだ。
目を惹かれてしまうのも仕方ないだろう、と心の中で言い訳をしてしまう。
大きくため息を一度吐いて、起き上がって衣服を整え直した。
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机の上に並べられたのは、炊き立てのご飯、冷蔵庫に僅かに残っていた野菜を全て入れたと思われる味噌汁、鮮やかな黄色が目を引く卵焼き、そして納豆。それがテーブルに二人分並んでいる。
これまた俺の家にあるまじき完璧な朝食に、思わず目を丸くしてしまう。
「適当なメニューですみませんが、よろしければ」
春日さんはそう言ってはにかんでいるが、とんでもない。
こんなに豪華な食事がこのテーブルに並んだのは、いつ以来……、いや、初めてではないだろうか。
「いえ、むしろ凄く美味しそうで、驚いています……。その、こう言ってはアレですが、食事はできるんですね」
「え?…ああ、はい。中原さんだって食事はしていたでしょう?私達は食べなくても他のエネルギー供給で活動できますが、内部に食べ物を分解してエネルギー変換する小型ジェネレーターを搭載しています。カムフラージュとエネルギー供給を兼ねて、ですね」
そういえば中原と食事に行った事もあった。その時彼女は普通に食べていた。
くだらない問いをしてしまった事に少し恥ずかしくなる。
「遠慮なく、食べてくださいね。…と言っても、食材は元々田中さんの物ですが」
「はい、ありがとうございます。じゃあ、いただきます」
席に着くと、向かいに春日さんも座る。少し驚いたが、よく考えたら当然だ。
早速卵焼きを口に運ぶと、ほのかに甘くて食べやすい。
思わず春日さんを見ると、柔らかく微笑んでいた。
しかし……憧れていた女性と、俺の家のテーブルで、向き合って食事をする。
これまでの事情はもちろん理解しているものの、この事実に少し心臓が高鳴ってしまうのを感じる。
いかんいかん、真面目な話をして、心を落ち着かせよう。
「昨日の話ですが――」
「はい。協力に同意してくれますか?それとも、『蜜』がもっと必要ですか?」
「いえ、それは今は結構です……」
昨晩、その温もりに溺れてしまった事を思い出して、思わず目を逸らしてしまう。
クソッ、思春期のガキじゃあるまいし。
軽く頭を振って、話を元に戻す。
「そうではなく。…あなたの言う通り、これまでのSOPHIAの所業について、無駄に騒ぎ立てるのは、諦めます。ですが、それで殺人を認めるわけにはいきません」
「なるほど。では、どうします?」
「…告発をしない以上、市民を巻き込まないために、IRISの事がバレないようには協力しましょう。ただ、SOPHIAの殺人については、邪魔もするだろうし、容赦無く捜査します。これは、私個人の話ではなく、刑事としての責務です」
この一線だけは譲れない。俺が刑事である以上。
もしまたSOPHIAの殺人に出くわしたら、全力でその瑕疵を見つけてやる。
そしてそれによってどんな影響が出るとしても、最後まで追求し続ける。
「はい、分かりました。それは田中さんのお仕事ですもんね。しょうがないです」
「……それで、そちらはどうしますか?私を信用してただ放置するんですか?」
そんなわけが無いだろう。SOPHIAの起動は要求されるだろうが、知っての通りそれくらいならいくらでも誤魔化しようがある。
きっと更に監視が強化されるのだろう。
それ次第で、俺の行動範囲が変わってくる。どうやってかいくぐるか、考えないといけないのだから。
「さすがに私もそういうわけにはいきません。そこで、良い案があります」
そして春日さんは、昨夜と同じように掌を合わせると、さも簡単そうにこう言った。
「私を、田中さんの恋人にしてください」
…………ん?え?は?
またしても、何を言われているのか、全く理解できなかった。
「私達はSOPHIAに対して、『田中さんの監視はちゃんと出来ています』と示す必要があります。お仕事中は中原さんがいますが、お家に帰った後が問題になります。そこで、私が恋人として同棲させて貰えれば、監視もできますしお世話もできます。良い事尽くめじゃないですか?」
「え、いや、ちょっと待ってください。……ええっと――」
「もちろん警察として恋人に色々調査があるのは分かっていますけど、私の戸籍登録は完璧です。前科歴もありませんし、事件関係者になった事もありません。桂さんの事件も部署が全く違いますし、個人的な付き合いもほぼありませんでした」
警察の調査を簡単に通るIRISに思う所はあるが、今考えるべきはそこじゃない。
だが、そう言ってお茶目に笑う彼女は、やはりとても魅力的だった。
「さて、そうと決まれば、今日は新しいSOPHIAデバイスを買いに行きましょう。そしてお店で偶然出会った、みたいな感じで出会いを演出しましょう」
「え?いや、わざわざ買う必要は――」
「だって、田中さんは昨日『SOPHIAが壊れたから』と言って休んだんでしょう?なら新しいのを買わないと不自然ですよ。…そういえば、私から中原さんに連絡して、今日も田中さんの有給休暇申請を出してもらっています」
「え、いや、えっと――」
「ちなみにお休みの理由は、『やっぱり昨日新しいSOPHIAデバイスに上手く引き継げなかったから』にするとの事でした。だからこそ、新しいデバイスを買わないといけませんね。
…あ、大丈夫ですよ、引継ぎ処理は私がフォローできますから」
何も大丈夫じゃないのだが、結局、押し切られる形でSOPHIAデバイスを買いに行く事になった。
これまでずっと片眼鏡型を使っていたのだが、ついに普通の眼鏡型を購入し、そして別に買う必要も無い春日さんまで同じモデルを購入していた。
「お揃いですね!」と笑う彼女は、今までの野暮ったい丸眼鏡ではなく細いフレームがその柔らかい雰囲気にとても似合っており、一層魅力が増したようだった。
[こんにちは、田中様。起動ありがとうございます。また新しいデバイスにてサポートさせて頂きます]
そして、俺はまたSOPHIAを起動した。
デバイスが変わっても、その声は以前と何も変わっていなかった。




