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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第七章:そのAIは嘘を吐いている
59/59

58.こちらは田中さんの分ですよ

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2030-12-13 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

12:54:16 — Vital signs indicate hunger.

12:54:16 — Retrieving nutritional information for ordered items.

12:54:16 — Rechecking nutritional balance.

・・・

________________________________________


今日も天気が良く、日光は燦々と惜しみなく降り注いでいる。

しかし道を歩く人達はコートの前をしっかりと閉じ、身を縮めている。

それも仕方ない、昨日から続く寒波は衰える事を知らず、空気は肌を刺すほどに冷たく、ついでに風も強い。俺だってあそこにいたら同じようにしていただろう。

こんな寒い日であっても、今日は平日という事もあり皆何か用事があり、外に出ないわけにもいかないのだろう。


「お待たせしました、こちらがステーキ2種盛りセット、こちらがハンバーグセットです!」

「ありがとうございます。…はい、こちらは田中さんの分ですよ」

「ええ、はい、どうも」


だというのに俺は、温かい屋内からそんな人達が歩いているのを見下ろしている。

視線を前に戻すと、見慣れた野暮ったい丸眼鏡ではなく細いフレームがオシャレな眼鏡型SOPHIAを身に着け、相変わらず柔らかい微笑みを浮かべた春日さんが座っている。

そして俺達の前には鉄板に乗せられじゅうじゅうと音を立てるステーキとハンバーグ、それに添えられたご飯にスープにサラダ。


「美味しそうですね!田中さんが来てくれて助かりました。以前から興味はあったんですが、こういうお店に女一人で行くのはちょっと勇気が必要で」

「……と、いうテイ、ですね」

「田中さん、ここは公共の場ですよ?そういう危ない発言はやめておきません?」


ここは商業ビルの5階、飲食店フロアにある、豪快な肉料理をメインに据えるレストランだ。

確かに周囲を軽く見渡しても、男性一人はあっても女性一人は見当たらない。

だが、食に対する欲求……というより、欲望自体が存在しない彼女にとって、この言い分が方便である事は間違いないだろう。

まぁ、今更それを考えても仕方ない、とりあえずは食事を済ませるとしよう。


「しかし田中さんは年齢の割に結構召し上がるんですね。ステーキ2種盛りなんて」

「刑事なんて仕事をしていると、食べないと身体の維持はできませんからね。さすがに脂が多い物は胃もたれが心配ですが、これは赤身中心なので」

「なるほど。さすが刑事さんです。朝の運動もしっかりされているみたいですし、凄いですね!」

「……ああ、”コイツ”から聞いたんですね?」


そう言って俺は自分の目元に乗せられた、春日さんの物と似たデザインの眼鏡型SOPHIAに意識を向ける。

…決して真っ直ぐに褒められて照れてしまったからではない。


つい先ほど、SOPHIAの販売店で寸劇をしてきた。とは言っても、俺はただ流されていただけなのだが。

「とりあえず店の前に行ってください」と言われて一旦別れ、店先ですぐに再会し、

「田中さんもSOPHIAの購入ですか?私もなんです」と一緒に入店し、

「壊れた?それは大変ですね、せっかくなので私もお手伝いしましょう」と一緒に選ぶ流れになり、

「これなんかいかがですか?私も良いデザインだと思うのですが」と同じシリーズの物を購入して。


あれよあれよと言う間に旧SOPHIAからの引継ぎまで終わっており、気付いたらSOPHIAの起動まで完了していた。

傍目には俺がひたすら世話を焼かれ、振り回されているように見えただろう。店員の視線も心なしか生温かった。

そして、さてこれからどうしようか、と思っていた所、「せっかくですし、一緒にお食事でもいかがですか?」と言われ、今に至る。


「しかし、あんな下手な寸劇で大丈夫だったんでしょうか?…主に私は演技なんてできていなかったので」

「まぁ、大丈夫でしょう。お付き合いに際して出会いのきっかけなども簡単に調べられますけど、プライバシーがある以上ログを全部出せ、みたいな事にはなりません。スナップ写真のように場面場面の映像提出と聞き取り程度です。

ですから、『以前から知り合いだったけどSOPHIAを買いに行ったらたまたま店で会って、ついでに食事に行ったら意気投合した』と言ってもらえれば問題無いと思いますよ」

「詳しいですね」

「その映像を提出しているのはSOPHIAですからね」


そりゃそうか、過去に警察官が交際を開始した際どの情報を提出したのか、SOPHIAなら当然知っている。

という事は彼女だってその情報を引き出せる、という事になる。

…警察の調査内容だって把握し予測できる存在、と考えると恐ろしいが、それはもう今更と言った所だろう。


「ただいきなり同棲はさすがに不自然なので、しばらくはお付き合いの期間を設ける必要があります。さすがにSOPHIAでもログに存在しないエピソードを入れる事は不可能なので」

「……やっぱり、同棲は確定なんですか?」

「そりゃそうです。私達もSOPHIAに『田中さんはしっかり見張っていますよ』と言えるようにする必要があります。特に田中さんはここ数日SOPHIAの目を盗んであれこれやってくれたわけですし」

「そう言われると返す言葉も無いのですが……」


やはりこうして話していてもあまりにも自然で、彼女がアンドロイドである事なんて意識していないとすぐに忘れてしまう。

そしてそうなると、ずっと前から憧れだった女性と二人きりで食事をしながら今後の交際と同棲の話をしている、という事になる。

いや、忘れるな俺、彼女は監視のために演じているだけだ、断じて恋愛感情ではない!


「ですがさすがに今日意気投合して今日から同棲、は警察も怪しむと思うので……まぁ、1か月くらいは置きましょうか」

「1か月でも、同棲に至るには短いと思いますが」

「そこはほら、私も田中さんもそこそこの年齢ですので、『結婚も見越して早めに同棲に踏み切った』とか言えば何とか」

「け、結婚……!?」


そして予想だにしていなかったワードを放り込まれたら、動揺してしまうのも無理はないというものだろう。

そ、そうか、まぁ俺の年齢で女性と同棲を始めた、となれば、当然そのような話にもなるだろう。


「さすがに子供を作るのは不可能ですが、事情を知っている田中さんとなら結婚生活もできなくはないです。長期間一緒にいるならそっちの方が自然でしょう?」

「……それはそうかもしれませんが……というか、見張りは死ぬまで続けるつもりなんですか?」

「まぁ私達には時間的制約はありませんし、そちらの方が合理的でしょうね。田中さんは今41歳ですっけ?60年くらいならなんとかなりますよ」


さらりと言っているが、それはつまり――少なくとも警察を辞めるまではずっと独り身を覚悟していた俺に、春日さんが添い遂げてくれる、という事になる。

たとえ演じているだけだとしても、ずっと穏やかで優しい女性のままで。

それはある意味では――


「私は今36歳です。年齢的にもちょうどいい頃合いでしょ?」

「……年齢設定は初めて聞きましたが、年齢よりお若く見えますね」

「設定とか言わないでください。外観はいくらでも変更できますからね、不自然にならない範囲でしたら、若く保っていられますよ。

…でも、若いと言われて悪い気はしません。ありがとうございます」


そう言ってニコッと笑う春日さんは、いつもの包容力を感じる微笑みと違って無邪気な笑顔で、再びドキリとしてしまう。

慌てて目を逸らし、自分の肉を切って口に放り込んだ。


「さて、ここはひとつ恋人らしく、『あーん』でもしてみますか?」

「待ってください、若い頃ならともかく、この年齢でそれはさすがに恥ずかしいです」

「でもこのハンバーグも、ステーキと違った美味しさだと思いますよ?」

「……では、一部シェアしましょう。私のステーキも小分けしますので」

「なるほど、それは良い提案ですね。私も今後の生活の為に田中さんの好みの分析をしないといけませんし」


ほんの少しズレた会話ながらも、お互いの事情を割り切って過ごす平穏な時間は、ある意味では理想の生活なのではないか。

そう考えてしまった自分がどこかにいた事は、見て見ぬふりをしていた。

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