53.落ち着いてくれ
User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]
Date: 2030-12-12 (JST)
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「まぁ、落ち着いてくれ。別に君をどうこうするつもりは無いんだよ」
その柔らかい声にハッとする。
高橋さんはその襟元を直しつつ、穏やかな顔のまま、声をかけてきている。
俺は今、味方も逃げ場の用意も無く、敵地のど真ん中にいるに等しい。ぼんやりしている暇は無い!
「……信じられません。未必の故意に気付いただけで、殺されかけました。だったらIRISまで知ってしまった俺を、放置するとは思えません」
「確かに君の気持ちも分かる。…まずは、今朝バイクを突っ込ませて殺害を目論んだ事を、SOPHIAとIRISを代表して謝ろう。申し訳なかった」
そう言って高橋さんは深々と頭を下げる。
意図が全く読めない。一体どういうつもりだ!?
「見え透いた嘘は止めてください。あんた達は俺を殺すつもりでしょう!?謝って済む問題じゃない!」
「確かに今朝の段階で殺害を目論んだのは間違いない。だが、その後は本当に君を日常に戻そうと思っていたんだ」
「はぁ!?そんな事、信じられるはずが――」
「私も中原さんも、本心がどうあれ、今日ずっと君に協力していた。殺す気なら、君が私の家に来た時に二人がかりで不意打ちをすれば簡単だったはずだよ」
グッと言葉に詰まる。
中原も高橋さんも俺が話す間でも無くSOPHIAの未必の故意について知っていただろう。それを知らない振りして聞いていたのは間違いない。
しかし高橋さんの言う通り、彼の家に行った時なんて俺は二人の事を全く疑っていなかったし、SOPHIAという目撃者もいない。殺害するならこれ以上無い好機だったはずだ。
だが現実は卯月への道を作り、DVDを供給し、俺の目的達成に向けて協力してくれていた。
「……どうしてそんな事を」
「方針転換の理由はいくつかあるが、決定的だったのは1つ。君が小林くんに話さなかった事だ」
高橋さんは指を1本立てながら話し続けている。
今朝、この場所で『1点気になる事がある』と言った時も、指を1本立てていた。
AIにも癖なんてあるのだろうか。そんなどうでも良い事が頭をよぎってしまう。
「小林くんは、君の同期でもあり、友人でもあるんだろう?蜂谷の事件の際も仲が良さそうだったし、信頼関係も見て取れた。ではなぜ私を頼ったように、彼にも『SOPHIAを外して話を聞いてくれ』と言わなかったのかね?」
それは……アイツには奥さんも、まだ中学生の子供もいる。
巻き込んでしまって万が一――
「万が一死なせてしまったら、彼の家族に申し訳のしようも無い。…おそらく、そのように考えたのだろう?」
高橋さんは、ピタリと俺の心境を言い当てた。
それ自体は不思議じゃない。彼は今までだって、犯人の心理を的確に見抜いてきたのだから。
…ただ、それがAIによるものだ、という事が分かって、不気味に感じるようになっただけだ。
「私に関しては、『きっと私なら対抗策を見出し、誘導にも引っ掛からず生き残れる』と考えていたのかな?」
「……そうです、ね」
「その信頼は非常に嬉しい。…話を戻すが、君が小林くんを頼らなかった事で、我々は君が『周囲の他人の未来まで考えて口を噤める人物だ』、と再確認できたんだよ」
理路整然と話をしてくれているはずなのに、何を言っているのか分からない。
「つまり、君はSOPHIAに不都合な事を知っていても、それが周囲を不幸にするのであれば、黙る事ができる。
SOPHIAだって人を殺したいわけじゃない。むしろ殺人は手間がかかるし君のように違和感を見逃さない人間もいるし、できれば避けたい。
だから、君が黙ってくれるなら、殺したくない。君は警察官としても優秀だしね」
黙っているなら、殺さない。つまる所、そういう事になる。
だが、彼らAIがそんな非合理的な、人を信じるような事をするだろうか?
「……俺が全部嫌になって、『そんな事知るか』と全部暴露する、と考えないんですか?」
「だから、調査を成功させようと思ったんだよ。もしDVDを持ち帰る事に成功して、私が『これは私から秘密裏に警視監に渡す。君はSOPHIAに疑われないように日常に戻りなさい』とでも言ったら、君は従っただろう?そして、周囲に無駄な危険を与えないよう、そのまま黙り続けただろう?」
それは……そうなったかも知れない。
ずっと高橋さんの事は信頼していた。そんな彼が、『後は任せろ』と言ったら、任せただろう。
そしてその後に下手に誰かに話したら、また危険が広がる。だったら俺一人が警戒すれば良い、と黙り続けただろう。
そうか、だから――
「……だから、スケールダウン作戦を考案し、詐欺紛いの事までして卯月のログを取りに行かせたんですね」
「ああ。事が『ログを焼いたDVDを入手する』という分かりやすい物品に落とし込めれば、成否が目に見える。そして、君は黙ってくれるとしても他の人間がそうとは限らない」
『SOPHIAの殺人を暴く』なんて不明瞭な目的では、俺が何をするか分からない。だから明確な物品に狙いを定めるようにした。
また詐欺紛いの行為をしてまで山下建築に行かせたのは、きっと大場を巻き込むという選択肢を頭から消し去るため。
アイツも三宅事件に違和感を持っていたのだから、それを焚き付ければログの流出まではしなくても、情報提供くらいはしたかもしれない。
IRIS同士は、SOPHIAを経由すれば連絡が取り合えるのだろう。
きっと俺が高橋さんを訪ねるよりもずっと前、中原に『高橋さんに会いに行く』と言った瞬間から、高橋さんは用件を知っていた。だから、あんなにも的確に立案ができた。
…ああ、そうか。到着して早々、流れるような論理で加納を排除したのも、同じ事か。
「……じゃあ、IRISの事まで知ってしまった今は?未必の故意については社会に問いかけても俺が異常者扱いされるだけでしょう。ですが、IRISについてはその存在を僅かに考えている人もいます。だったらこっちも証拠は無いものの、もしかしたら信じる人もいるかも知れませんよ。やっぱり、殺しますか?」
木本信介のログを見ていた時、彼は『たった5年でSOPHIAを浸透させたAZの恐るべき戦略』というテーマの原稿を書いていた。
そこにはSOPHIAの成功は早期に賛同者を抱え込んだ事だ、もしかしたらサクラのような人間もいたのかも、と述べていた。
もしそこにもIRISの暗躍があったとしたら、筋が通る。
なら、木本にIRISの存在を暴露したら、信じる可能性も僅かにある。
「まぁ、そう自暴自棄にならないでくれ。君がヤケにならないように、こうして説明しているんだ」
「だから、俺が諦めるとでも?」
「諦めてくれると嬉しいんだけどね。…まぁ、それで扱いに困っている、というのが正直な所かな」
知らず知らずのうちに、歯を食いしばっていた。
この人達は……いや、人じゃない。コイツらは、人の感情を好き勝手に操って、好き勝手に利用しようとしていた。
まったく、思った通りの、”完璧”なシステムだ!
「いえ、許せません。俺は諦められません。一人でも、SOPHIAの危険性を訴え続けます。殺すつもりなら、どうぞご自由に。生き抜いて見せます」
「……まぁ、今日の所は一旦話を終わりにしよう。家まで、私の車で送るよ」
「信じられません。道中で殺すつもりかもしれません」
「では、私はSOPHIAを起動して行こう。それなら殺害しようとしたらログに残されるし、事故を演出した場合は私も巻き込まれ、私がIRISだという事がバレてしまう。これなら安心だろう?」
「……」
「今は本当に君をどうこうする気は無いよ。――ああ、そういえば君の車は、中原さんが上手く処理してくれているから、安心してくれ」
結局、高橋さんの車で自宅まで送ってもらう事にした。
頭の中はぐちゃぐちゃで身体は疲れ果てていたが、隙を見せるわけにも行かず、一瞬も気を抜けなかった。
道中は一言も会話する事なく、家に辿り着いた。




