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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第六章:完璧と蜜
53/68

52.大丈夫かい?

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-E]

Date: 2030-12-12 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

-No active client detected.-

・・・

________________________________________


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」


どこをどう走ったか分からない。ただ、無我夢中で走った。

ただただあの場所から離れたくて、離れなければならないと信じて。

時たま背後を見て誰も追いかけてきていない事が確認できても、足を止める事ができない。


「はぁ、はぁ、…げほっ、……はぁ、はぁ……!」


いつしか周辺の景色は裸の木が並ぶ林から、舗装された道路に変わっていて、建物も徐々に増えてきた。

人里に戻れた安心感を得たのもつかの間、俺の視線はすぐに、彼らの目元にあるSOPHIAに釘付けになった。

そうだ、俺に逃げ場なんて、無い。


「……クソッ、……はぁ、はぁ……!」


なるべく人のいない道に向かって、ひたすらに走る。

アイツは、きっとSOPHIAの情報を取得できる。どれだけ自由にかは分からないが、もしかしたら無制限に。

だったら誰かのSOPHIAに見られた段階で、場所を知られたと考えないといけない。


「ちくしょう……はぁ、はぁ……なんで、こんな事に……」


だが、それでも僅かに通りがかる人が、不審な目を向けて来る。

それはそうだろう、SOPHIAが起動していないだけでも不審がられるというのに、この寒空の下でコートも無しにボロボロの様相で走っているオッサンだ。

俺が逆の立場だったら、職務質問すら考えるだろう。


「げほっ、げほっ、……とりあえず、ここなら……」


目についた無人駅で切符を買って、ちょうど訪れた電車に飛び乗った。

数少ない乗客の視線を遮れるよう、ボックス席に逃げ込む。

車内は暖房が効いていて暖かかった。だというのに、震えが止まらない。


『私は人間模倣特化型AIアンドロイド、『IRIS』です』


意味が、分からない。アイツが、中原が、人間じゃなかった?

いつから?最初から?

ずっと一緒に刑事として働いて来て、相棒だと、そう思っていたのは俺だけだったのか?


(とりあえず、電車に乗っている最中に何かされる、というのは難しいだろう。到着駅で誰かが待ち受けている、という可能性はあるか)


歯を強く噛みしめて、無理矢理頭を働かせる。

電車の中で未必の故意を起こしたり、直接危害を加えに来たりするのは無理だろう。

だが、乗った電車は誰かに見られていただろうから、方向くらいは特定されているはずだ。


(そもそも、この電車はどこに向かっているんだろう……?)


ちらりと電光掲示板を見るが、次の停車駅しか書いていない。さすがに、全部の駅が頭に入っているなんて芸当はできない。

普段なら「SOPHIA、これはどこ行きだ?」と呟くだけだと言うのに、こんな簡単な事すら調べられないのか。

路線図に近寄り、四苦八苦しながら行き先を推測する。


(……多分、静岡市の方に向かっている、か?……今思えば、中原がスラスラと地図を読んでいたのも納得できるな……)


スマートフォンやSOPHIAを活用していた世代のはずなのに、運転のナビができるほど地図が読めるのも、よく考えれば不思議だった。

不可能というわけでは無いが、慣れていない方が自然だったはずだ。

だが、それもAIだったのなら。日常的に人間のルート案内をしているSOPHIAと繋がっているなら、納得しか無い。


(……俺達の手の内が全てSOPHIAにバレていたのは間違いない。まずは高橋さんに事情を伝えに行こう)


そういえば、卯月のログを保管したDVDも、車のボンネットに出してそのままだ。

違法スレスレの行為までして協力してくれた高橋さんに申し訳が立たない。

中原の件も含め、今後の対応を考え直さないといけない。


(……少しだけ、休もう)


とりあえずの目的地を決め、腕を組んで目を閉じた。

ほんの僅かな時間だとしても、世界を目に映したくなかった。


________________________________________


目的の駅を降り、再び人目を避けながら走り、何事も無く静岡県警本部に辿り着く事ができた。

やはり人々の視線は感じたが、幸いにして命の危機は無かった。誰かが追いかけて来るという事も無かった。


(だが、警察署の中に入れるだろうか……。はは、俺は今日こんなのばっかりだな……)


林の中を駆け抜けただけあって、全身ズタボロだ。SOPHIAも動いていない。

葵原中央署に警察モジュールが無くて入れない経験をしたばかりだと言うのに、こんな格好ではロビーにすら入れるだろうか。

今朝は受付から高橋さんを呼び出してもらったが、不審がられて呼び出し拒否されるのではないだろうか。


「……ん?田中くんかい?戻ってこれたか!……どうした?何かあったんだな?大丈夫かい?」


だが、運の良い事に高橋さんはちょうど県警本部の玄関に顔を見せてくれた。


「た、高橋さん……。あの、もう、何が何やら……!」

「……どうやら、簡単な話にはならなそうだね。場所を移そう。とりあえず、何も言わずに付いて来なさい」


高橋さんに連れられて、今朝も利用した応接室に再び入る。

奥に座らされて少しぼんやりとしていると、SOPHIAの電源を切った高橋さんが温かいお茶を持ってきてくれた。


「ほら、温かい物を飲んで落ち着きなさい」

「あ、ありがとうございます」


お茶を飲むと、無茶な運動を強制していた身体に水分が染み渡っていくのを感じる。

その温かさが広がるにつれ、冷え切った身体が少しずつ落ち着いていくのが分かる。

同時に、冷静さを取り戻す事ができた。

そして、高橋さんにこれまでの事を話した。


「――人間模倣特化型AIアンドロイド、『IRIS』か……なるほど、厄介なもんだな」

「はい、SOPHIAの目の届かない所に目を光らせるのが役割、と言っていましたから、SOPHIAとも連携しているんでしょう」

「そうだね。……言いにくい事だが――」

「言いたい事は分かります。今朝、SOPHIAの電源を切った直後の俺の前に、中原は現れました。つまり、彼女の目的は俺の監視だった、という事です。

……俺は、アイツを相棒だと思っていたのに!アイツは――」

「田中くん、落ち着け」


再び激昂しかけた俺に、高橋さんは厳しくも落ち着いた声をかけて止めてくれる。


「そのIRISとやら、人間から見ても人間と見分けが付かないというのは大した技術力だが、やはり投入は簡単じゃないはずだ」

「簡単じゃない?」

「ああ、設定はいくらでも作れるが、人間社会はそう単純じゃない。最も厄介なのは、戸籍だろう」


それはそうだ。発展途上国だったならいざ知らず、現代日本では国民一人一人に戸籍登録がされている。

戸籍が無ければ家を借りる事も車の免許を取得する事もできない。ましてや、警察に勤める事なんて。


「人工的に造られた存在であるIRISが出生記録も戸籍も持っているはずが無い。だが、中原さんは警察に勤め車の免許も持っていたのだから、戸籍は保有している。…となれば考えられるのは、”戸籍を作成し与えた者がいる”、という事だ」

「戸籍を、与える……」

「当然だが、戸籍も政府が管理している。それに架空の人物を捻じ込むなんて簡単な事じゃない。…ならIRISの存在は国家政府、少なくともその上層部は把握していると考えるべきだろう」


頭がくらくらして考えがまとまらない。

世界は、俺が生きていた社会は、いつの間にこんな訳の分からない物に変わってしまったのだろう。


「だが、いくら政府の協力があっても、戸籍を作るなんてそう自由にできるはずが無い。つまり、IRISは個体数が限られる、極めて貴重な存在だ、という事だ」

「貴重な存在……」

「そしてそう考えると、中原さんが警察に投入された理由も納得がいく。警察は不特定多数の市民と接する事も多い職業だし、SOPHIAを悪用する輩と出会う事も多いだろう。要するにSOPHIA社会の現場確認役、といった所だ」

「な、なるほど……」

「それに、警察は公務員だから、単純に政府が裏から調整しやすかった、という事もあるかも知れないね」


さすが高橋さんだ、こんなとんでもない話を突然聞かされたというのに、その中からしっかりと情報を拾っている。

確かにそのように順序立てて考えると、警察にIRISが置かれるのは必然と考えられる。


「他にも報道関係や、役所なども考えられるか。政治家なんかも候補だが、IRISはAZが造った物である以上、SOPHIAが登場した6年前、どれだけ早くてもAZが各国の支援を受けた8年前以降に現れたはずだ。さすがにそんなに歴史が浅い人間が即活躍するのは、制度的に無理がある」

「確かに警察なら新卒採用や中途採用として入る事ができても、政治家は下積み期間が誤魔化せません」

「そう考えると、IRISを投入するのに一番合理的なのは警察だ、とも言える」


相変わらず高橋さんは隙の無い論理を展開する。

―――だが、今の論理には少し違和感があった。

確かに、警察にIRISを投入するのが合理的、という点は否定できない。SOPHIAを外して実行されては一番困る事、と言えば犯罪だろうから、そこのフォローは必要だ。

IRISがもしSOPHIAと直接連携できるなら、それは優秀な人材となるだろう。何せ情報収集能力も論理構成能力も人間の比では無い。現に中原は極めて優秀だった。


しかし、だったらなおさら、貴重なIRISの投入が地方都市にある所轄署の下っ端、というのが不自然なのだ。

せっかくの能力を活かして、もっと良いポジションに就いて、全体をコントロールした方が効率的だろう。

やはり経歴を作るのが難しく、投入を諦めたのだろうか?


「では、IRISを投入する側になって考えてみたとして、この静岡には葵原市がある。SOPHIA活用の最前線だ――」


高橋さんの声がどこか遠くから聞こえるような気がする。

そうだ、もし俺が警察にIRISを投入しようと考えたら、もっと全体のコントロールができるポジションを狙う。

そう、例えば、4年前、警視監直々の命令で、誰も知らない所に突然現れた、『静岡県警のブレーン』、とか――


「――そんな場所の警察にいるIRISが、一人だけだと、思ったかい?」


そう言って高橋さんは胸元を軽くはだけた。

いつも通りの穏やかな顔の下、その首元の肌が一部不自然に外れ、機械パーツが露出していた。


俺は今まで、何を見て生きてきたのだろう。

そんな疑問しか、思い浮かべる事はできなかった。

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